言論や報道をお金で買収すると良くない結果になる。

連日、森友学園の疑獄の話がどんどん大きくなり、疑獄の中心にいる安倍総理は国会では、関係ない話に逸らそうとしたり、怒り出したりして、どうしょうもないものを感じる毎日になってますし、更には、岡山の学校法人・加計学園が2014年に神戸に設立したこども園の名誉園長が安倍昭恵氏で、その加計学園愛媛県今治市に建設中の獣医学部について、「国家戦略特区」の認定を受けて政府の助成を得ていただけではなく、今治市から36億円相当の私有地を無償で譲渡されてた問題が浮上しましたね。しかも、加計学園のトップは、安倍総理と長年の友人で、例の森友学園の籠池理事長を、安倍総理夫妻に引き合わせたとも言われてる。

このように、どんどんと疑獄の範囲は拡大するし、この国の政治家と官僚と財界人の、腐敗・私物化というのが非常に範囲が広く深刻だということが明るみに出ている中、なんで、今までそれらが明るみに出ないか、もしくは、問題があるのをネットだったりフリージャーナリストだったりが指摘したとしても、それがマスコミで取り上げられることが非常に少なかった訳です。

マスコミを、長年「アンダーコントロール」してきた、安倍政権と霞が関と、財界。

その背景には、安倍総理や側近、取り巻きの政治家や官僚が、マスコミ各社の偉い人達や立場の高い記者たちを、高級料理店に呼んで食事をおごりつつ、「情報交換」と称して、オフレコのものも入った「ここだけの情報」を話したりもする(そして、お車代などの名目で、タクシー代では全然余ってしまうようなお金を渡したりもしてた)事があったんですよね。

そういう風に、「ここだけの話し」を得られないでいるジャーナリストは、会社に属してると、他社が取り上げたニュースを取り上げられなかったという責任を負わされるような構造があるものだから、「こういう、官邸とか官僚がお金もくれておごってくれるのを断れない」と参加し、そして、食事おごってもらったりお車代貰ったりし続けてると、「これだけいいことを(自分たちに)やってもらってる人たちなのに、彼らに都合悪いことを表に出せないよね」って感じになっていくんですよ。

後は、官庁の記者クラブのように場所代どころか電気代とか電話代とかも官庁の側が殆ど負担するような形で、特定の会社の記者だけがいられるようなスペースを作るようなことをしてると、偉い人達や官庁にとって、都合の悪い話なんて書けなくなっていくんですよね。
その上、官庁に都合の悪い記事を書いた記者や会社が(一時的に)出入り禁止にされたりもしてる。

そんな状態では、公平な報道・要は政府が都合よくても悪くても関係なしに書く必要のあることを書いていく。なんてのは、できなくなっちゃうんですよ。それどころか、その辺りに関わってないフリーランスの記者が本当の事を書くと、「ウソツキ」とか言われだして、攻撃するのをマスコミが煽ったりまでする。

民主党(+社民党)は、政権を執った時に変えようとしていたが…。

民主党を中心とした連立政権時代、民主党は、「これではダメだ」と言う事で、記者などを呼べるような「居酒屋スペース」を作ったり、豪華な店で会合開くにしても、徹底して「ワリカン」をしていった訳ですよ。そして、フリーランスの記者をどんどん呼んで、記者クラブの独占的なところを治そうとしていた。

結果、(記者クラブに参加してる会社の)記者たちは、「民主党はドケチだ」と口々に言い、民主党政権の閣僚たちや次官たちの些細な言葉をあげつらって攻撃し、鉢呂大臣のように、言ってもいないことで辞任に追い込まれた人すら、少なからず出てしまった。

そして、野田政権が国民の期待を裏切りまくったのに呼応するように、「民主党はダメだ」「政治全体に期待できない」と言うキャンペーンをマスコミがやって、棄権を煽り、棄権が物凄く増えたものだから、組織票勝負では強い、自民党公明党が、政権に返り咲き、4年以上に渡ってやりたい放題して、この国を喰い荒らした。

まとめ

この国では、言論も報道も、お金で記者を買って都合のいいようにすることこそが「正しい」のだと、政治も財界や企業もやってきました。それを敢えてしないできた人達は、皆が「ドケチ」などと陰口を叩かれるだけではなく、隙あらば、やってもいないことまで書き立てられて、潰されていきました。
その結果、この国は、こんなに崩壊し、政治も官僚も財界も、国を私物化して腐敗するのを全く自重しなくなった訳です。その一方で、わたしたちのくらしも人間らしく生きるためのベースも、どんどんと壊され、社会全体が崩壊してしまってます。
崩壊してしまったこの国を建て直すには、言論人やジャーナリズムに、政治や経済や官僚との「節度を保った付き合い」を続けさせるように、みんなが自分たちのやり方で、やれることで、政治家にもジャーナリストや官庁にも、強く迫り続ける必要があると、思うのですね。

強弁と恫喝は、あまりよくない。

森友学園疑獄事件、どんどんと政治家側の介入を伺わせる話が出てきていて、「安倍総理がんばれ!」と幼稚園児に言わせていたところの動画がマスコミで取り上げられ、国会でも追求に使われるなど、どんどんと追求の手が進んでいます。
特に、まだテレビや国会での追求が始まってないのですが、2015年9月4日に、安倍総理が突如として大阪に行きテレビに出演した事がありましたが、その前日に安倍総理財務省と話し合い、当日はテレビ出演の後に、冬柴鐵三国交相の息子でりそな銀行の支店次長でもあった人物の経営する店で、筆頭秘書官などと会食するなど、今回の疑獄が大きな話になってる訳ですね。しかも、今日のこのタイミングで、安倍総理は、マスコミ各社の政治部キャップを赤坂飯店に呼びつけて、どうやら「わかってるでしょうね?」などと、飴と鞭で黙らせようとしてるようです。

強弁と恫喝をもてはやして腐敗の種を育ててきた、田原総一朗的なマスメディア。

こういう事は、権力を振るうことに対して自制のない人の末路とも言えますが、しかし、そのような人々は、長年社会の色んな所にいたわけですよ。特に、1980年代末からは、立場が強い人や声が大きく相手を罵倒したり中傷したりすることで自分が正しいことをアピールする人達が、物凄くマスコミなどで持て囃されて、政界に進出していった訳です。例えば、「朝まで生テレビ」で舛添要一猪瀬直樹が持て囃され、マスコミ全体でも将来のリーダー候補のようにいわれ、政界に進出し、奇しくも二人共都知事になった後、スキャンダルをばらまかれて失脚してる。
橋下徹中田宏なんかも、この流れに非常に近い。彼らも、田原総一朗の番組で持て囃されていった先に、政界に進出して、知事や市長として強引な政治を行い、結果として、大阪や横浜を、極端に腐らせた訳です。

こういう、自分の「正しさ」を押し付けて私腹を肥やすためには恫喝だろうが言いがかりだろうがどんどんつけていく人が軒並みのし上がり社会の主流になる一方で、「思慮深い」人、慎重に考え・意見を言い、人と話し合いつつ物事を決めていこう。と言う人は、「決められない」「臆病」などと、罵られたりバカにされる対象にされ続けてきました。
民主党政権が、鳩山由紀夫菅直人と、二代ともそのように議論を許してしまった上にメディアに対しても「オープンさ」を認めていったがために、「決められない政治」と言う悪いイメージを付けられたりもして、結局、台無しにされていき、結果として、安倍政権という「安定感のある」(要は対話なんかいらないから自分の言うことにみんな従えと言うのを徹底してる)内閣が出来て、その上で、どんどんと政官財全てが腐り方をエスカレートさせていったんだけど、安倍政権と言うより安倍政権を形作って支えてきた人達はマスコミに強い配慮を求めてきてて、マスコミは自重してきたから、腐り方が極端に加速してしまったわけです。

日本の崩壊は、強弁と恫喝が腐敗を育てたことによるのでは。

その結果として、東芝の破綻や「安倍晋三記念小学校」疑獄こと、森友学園問題が発覚したんですよね。この国が、腐敗を許すどころか、ある種の人たちが腐敗を続けて、自分たちだけで果実を独占した結果として、組織は腐るし、胡散臭い人達がたかるし、周囲と言うか社会全体で見たら、どんどん疲弊して腐るのに巻き込まれて崩壊してる。

今起こってることは、終わりじゃないと思うんですよ。それこそ、「森友学園疑獄」にしても、安倍晋三が総理大臣を辞めたとして、それだけで何かが解決するような話では到底ない。腐っていることや社会のあらゆる崩壊が、ほんの少しだけ現れてきたに過ぎなくて、今年はまだまだロクでもない事が表に出てくるだろうし、その中で、私達一人一人がそれに対してどうしていくことが出来たか。と言うのが、その次の展開にとって大事になる。と、私は思うのです。

号外:大阪・森友学園(安倍晋三記念小学校疑獄事件)と、名古屋で起こった殺人事件との数奇な因果。

はじめに

これは、昨日(2/23)にTwitterFacebookで書いたところ、「そういうのを少しこちらに載せてみてはどうか」と言う助言を頂いたので、文章自体はブラッシュアップして、備忘録のような感じで書いておこうと思います。経緯とか出てきた情報を、なるべく細かく・整理した上で載っけていこうとおもいますので、非常に長くなりました。

件の「瑞穂の国小学院」、要は「安倍晋三記念小学校」としようとしていたのがストップがかかったのでやめた、大阪府豊中市に建設中の小学校、建設のための土地が国から払い下げられた時の経緯や、「前例がない」多くの優遇・とりわけ、時価を大幅に値引きしただけではなく、諸々の名目で財務省から森友学園にお金が渡って実質200万円の負担で森友は入手できた訳です。
その上で、具体的に事業が固まってない段階から国の各省庁の補助金を、要件を満たしているかどうか非常に怪しいものを幾つも貰っていたと言う話が出てきて、更には、森友が経営してる幼稚園の「愛国」を掲げて行なう、ヘイトスピーチも含めるような教育方針や日常的な児童虐待、その他諸々の周辺住民とのトラブルが、2月の後半になって、立て続けにマスコミで報道され続けてると言う状態になってる訳ですが…

大阪府による、認可強行?のキーパーソンを、調べてみた。

その「瑞穂の国小学校」、未だ正式な開校認可が下りていなくて、3月末近くの、開校ギリギリの段階まで、大阪府の私立学校審議会の委員(委員名簿はこちら(Excel注意))の審議が引きずられてしまってる状態ですが、23日に、この審議会のトップである、梶田叡一会長が、「よほどのことがない限り、認可するのは変わらない」とマスコミ各社の前で言明しておりまして、そこに色々引っかかるものを感じたので、まずは梶田氏とその周辺について調べてみようと、Wikipediaを調べたのです。

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異なる文化や民族を尊重することのない社会。

少し、話を変えましょう。

こんな事が話題になっています。

【「マジョリティ民族は許可なくマイノリティ民族の民族衣装を着てはならない」が、現在主流の考えになりつつある】との現状解説に、様々な反応〜丹菊逸治氏の解説を中心に - Togetterまとめ


要は、アメリカのファッション雑誌で、白人のモデルさんが、着物などの「日本のイメージ」をモチーフにした写真を撮って、その一部をネットに載せたら、「日本人に対する差別だ」と、*黒人を中心に*批判が起こり、日系人の一部を含めてアメリカの*白人や黒人が*猛烈にモデルさんや雑誌のアカウントを非難して、モデルさんが謝罪に追い込まれたという話なんですよ。

この中で言われてるのは、「少数民族の衣装や風俗・文化をそうでない人たちが模倣するのは、少数民族に対する差別だ」と言う理屈で、その理屈を世界規模にまで拡げてしまってる事なんですよね。

「世界の警察」から抜け出していない、欧米の「リベラル」。

私は、ここに、この人達・要は米国や西欧諸国の、「リベラル」などを自称する人達の、救いがたい傲慢を感じるし、日本でも、この人達に同調する人達が少なからずいるということに、その手の人達の思想的な怠慢や傲慢さをも感じて嘆かわしく思うのです。
アメリカ国内で、少数民族に対して同化を迫って白人と同じであるか、もしくは社会から排除されよと迫ると同時に、固有の文化や服装・肌の色などを「バカにする」目的であげつらったりすらして、それが差別や排除を拡げて行ってた歴史があったことは知っているし、その歴史に対する反省として、そのような話が出てきてるというのも承知はしていますが、しかし、この問題のように、他国の「差別された」と言われてしまってる人々がどう感じ取るか。と言う視点を抜きにして、正しくない行為だと糾弾しているというのは、逆に、「差別されたと言われてしまってる人々」を無視し、侮辱してるのではないかと疑わざるを得ない。

後、もう一つ大事なところとしては、人の感じ取り方は様々ですから、アメリカ国内に限っても「差別だ」と思う日系人の人とそうは全く思わない日系人の人に分かれると思うのですが、「差別された」と言う側の声ばかりが大きくて、まるで、それだけで日系人が全て凝り固まってるように外からは見えてしまう事なんですよね。

でも、日本にいる大半の人は、この「差別」とされる写真を面白がったり歓迎したりしてる。大半の人は、日本文化が諸外国で、地元の人によってアレンジされたりして独自のものとして枝分かれして定着するのを、面白がってしまってる。そして、米国の「リベラル」や彼らに同調している日本の人たちに対して「やりすぎだ」「当事者無視だ」と批判をする人まで少なからず出始めてる。

要は、「差別」と言うキーワードに囚われてると同時に、米国の、ある意味特殊過ぎる歴史的経緯が世界共通のものだという勘違いとか、米国の「正しさ」が正しくて、それ以外に正しいものはないんだ。と言う、言い方変えれば、「帝国主義」や「世界新秩序」を掲げて世界中に戦争を仕掛けていったり、内戦をけしかけていったりした「保守派」の人々と全く変わらないような傲慢さを自分たちが持ち続けていて、しかもそれを「世界共通の正義」と信じ切ってしまってるのを、「リベラル」の側が全く自覚できてないという話なんですよね。

日本の場合。

このような事は、日本でも起こってる訳ですよ。
例えば、「レイシストしばき隊」と言う人たちがいます。要は、民族差別やヘイトスピーチをしたり煽ったりしている「行動保守」の人たちの動きをなんとか止めたい。として集まった人たちなのですが、この人達や支持者たちは、在日韓国・朝鮮人の代弁者であるかのように振る舞い、少しでも「差別」だと思えば、物凄い勢いで口汚く罵り・リアルでの暴力すらためらわない。
そして、その物言いで在日韓国・朝鮮人に関わる部分やジェンダー問題の部分以外では、えげつない差別的な物言いを繰り返してるわけですね。「キモオタ死ね」「オタクはレイシスト」後、精神病者を口汚く罵ったり、自分と相反する意見の人たちに対して、いとも簡単に「キ○ガイ」などの言葉を投げつけてる訳です。
しかも、そのような言葉は、在日韓国・朝鮮人全体がそう思ってるという話に、頻繁に結び付けられる。
しかし、在日韓国・朝鮮人の少なくない人達は、彼らや彼らの周辺の人達が代表者もしくは代弁者として大きな声を上げて「暴れて」いることに、けしていい顔をしていない。彼らの、狭いコミュニティの中で大きな声でしばき隊の類を批判することは難しいようですが、しかし、彼らのおかげで差別がよりひどくなったという声すら、時折眼にしてる訳ですよ。

彼らからすれば、何が差別なのかとか日本人との距離のとり方とか、全く違うんだけど、それを言うと「差別者である日本人の犬」みたいな物言いをされてしまうので、議論がなかなか起こってないようなんですよね。

価値観の押しつけと、議論の拒否を乗り越えねば。

「独裁」「民主主義の無視」に対して対抗する側の方でも、「常識」を盾にして、大きな声の人が全てを代表するかのような事になって、内部で微調整が効かないで議論もされないという状況になっているし、そのことで、アメリカではトランプがのし上がるし、日本だと野党への支持がなかなか高まらないという話になってるんじゃないかと思うんですよね。

ここを、乗り越えていかないといけないと思うんですよ、私達の場合。この、崩壊してしまってる世の中を建て直したりしていく力として、リベラルで主流の人達のように「自分の正義」にだけ依存してるような人達は、全く力にならないと思うんです。彼らは、議論を本質的に嫌ってるという意味で、この社会を崩壊に追い込んだ人達となんにも変わらないし、彼らのやり方ではダメだという風に、私は思うのです。議論が自由にでき、色々な立場や趣味嗜好・文化を抱えた人達が、きちんと尊重(もしくは相手に噛みつかないで)される状況がないと、又、簡単におかしなことになりますからね。

何ができるのだろうか

「真面目に怒りましょうよ」「出来ることからやりましょうよ」と書いてるけど、でも、何を出来るのかというのがわからない人も多いのではないかと思います。何かやれば、マスコミもネットも袋叩きにする時代が長く続いてきてますし、その前は何かやる人は反社会的だ。と言う刷り込みをマスコミや学校教育などを通じて行なう時代が非常に長く続いてきたから、それ自体は仕方のないことです。
しかし、何もやれなかった・何もしなかった事が、今のどうしょうもない状況・社会が完全に詰んだ状況を作り出してしまってるのも、逃げようのない事実なのですから…

私が思いつく範囲で、幾つか書いていきます。これが全てではないし、全てが正しいかどうかも、実は自信がないのですが。

誰に対して行なうか

  1. 多くの人々に、事実を知らせて何かしようと呼びかける。盛り場や駅前などで、プラカードを持ったり抱えたりして立つ。
  2. 家族や隣近所、同僚や同級生と問題に思うことについて話して、その上で何かできないかなという話ができればやる。
  3. (特に野党の)議員や政治家の事務所に対して、頑張って欲しい、この事が今問題なんだと話しに行く。もしくは手紙などの仕事の邪魔にならない方法で考えや気持ちを伝える。
  4. マスコミに対して、事実を報道して欲しいとプレッシャーをかける。
  5. 事実を報道したマスコミに対して、頑張り続けてほしいと呼びかける。
  6. デモなどの場に出ていって、そのデモとの関係がなかったとしても、このことを問題に思う。もしくはこのことで辛いという気持ちを、プラカードやチラシの形で出していく。(エキスパート向け?)
  7. 何人か地元で同じ思いの人で集まれたのなら、少しのお金を出し合って、可能ならリソグラフのような安い印刷機を使える場所とツテを作って、自分たちの思いをビラなどにしてポスティングしてみる。(エキスパート向け?)


1.についてもう少し書いておくと、「自分はこれをやった/これをやりたいんだ」と言うのを、ネットなどを通じて出していくのが大事だと思うのです。知識を共有したり、実績を共有することで、もっといいやり方を考え出す人が出てくるし、勇気づけられて全く別の場所でやる人も出てくるでしょうから。

知識の共有とトラブル回避

知識の共有と言うところで行くと、

  1. プラカードの図版を、PDFなどで作っておいて、アップローダネットプリントにアップロードし、それをネット(Twitterや匿名掲示板など)で告知して、ばらまきまくる。
  2. やりましたよ。と言う写真をネットにアップする。(モザイク等推奨)
  3. 色々トラブルにされることもあるので(警備員が文句言ってきたり、通行人が文句言ったりなど)、生中継可能なら生中継しておく。


警備員などとトラブルになる場合やポスティングで揉めるというのは、どうしても出てくることがあるのですが、その場合は、頭下げて一旦引っ込めて、別の場所で少しやってみてどうなるか様子を見て、続けるかやめるか判断してみましょう。そのくらい、図々しくないと物事は動かせない。

ここで大事なのは、下手に事を荒立ててしまうと、警察が出てきてカモがネギ背負って出てきたとばかりに色々言いがかりを付けて逮捕だなんだとやりかねないので、そこら辺は上手いことかわす必要があるということですね。
真面目に話ができそうなら、二言三言話して理解を求めてみてもいいでしょうが、警察は、警察官個人の考えで動いてなくて、上の方の意向とかで警察官が自分を殺して動かされるように教育が厳しくされてる組織ですので、この手の動きに対しては、上のほうが潰せと言えば、必死になって、やってもないことまでやったと言い張って潰してくるものですから、距離をきちんと置いてかないと、後々非常に大変なことになる。

総理夫人が汚職に関わったのがバレても、動かない世の中の腐敗の酷さ。

色々と、社会全体の状況が急変したので、上野千鶴子氏のインタビューに関する話は、少し後に廻します。

社会の当事者だという意識を奪われた、日本人。

私達が、社会を支えるどころか社会を形作っているのだ。という意識が、日本人には非常に薄いのではないかと思うのです。だから、総理大臣やその奥さんが関わってる学校法人に対して、政府や大阪府が非常にすごい「えこひいき」を重ねていても怒りの声がなかなかネットの外側には出てこないし、色々な問題があっても、黙って我慢するだけで改善しないままどんどん進んでしまってる。

でも、それが長く続きすぎたことで、物凄く沢山の問題が隠しきれなくなってるし、身の回りをふりかえれば、色々立ち行かなくなっていっている。

いい加減、そこを変えていきましょう。世の中が崩れるのはもう避けられないけど、でも、その先崩れたままではだめだから、あらゆる人達一人一人が社会の主役に返り咲けるようにやれることをやり直していきましょう。という事を、くどくどと書いていくのが、このブログなのですが。

貧すれば鈍する。

今までは、社会全体でみればそれなりに豊かだったし、上の方で豊かならば、多少は下の方にもお金などを廻して下も潤わせようとするような遠慮というものが、上にありました。
でも、それは、今やなくなってしまった。上がどんどん儲けて儲けを抱えて離さないことが「効率重視」で「正しい」んだ。という考え方が余りに社会に広まりすぎて、貧しい人・稼ぐに稼げない人にカネを廻すことも、カネを廻してくれと嘆くことも、まるで万引きかなんかをやるかのような「悪いこと」として袋叩きにされる「正当な理由」にされるようになってる。

みんな、そういう辺りに関しての善悪の感覚が麻痺してるのでしょうね。だから、総理大臣の奥さんが関わってる学校法人への官民挙げての「えこひいき」やそこにまつわる不正な金儲けがバレても、ろくろく動かない。
しかも、 マスコミはマスコミで、一旦取り上げた中身を、総理の奥さんが関わってる部分だけ削除したりしてる(https://www.youtube.com/watch?v=BK5eVCB7KXI 著作権を盾に消されるかもしれません)し、これだけあからさまな疑獄事件なのに、非常に軽くしか取り上げないから、このような問題がおこってる事自体を知らないままの人も多い。

この事件や東芝の破綻に代表される、「原子力」を巡る経産省と一部企業人の暴走というのは、日本の崩壊の中でも、「上」の崩壊と腐敗がどれだけ酷いか。「下」の側が無力化され尽くし、物言わぬ人々に追いやられ続けた結果として、それ以外の人達がどれだけ腐ることが出来たのか。と言う事を物語っていると思うのです。。

やれることをやっていきましょう。

このような、非常にふざけた状況を知ってる人、状況に対しておかしいのではないかと思ってる人が、ネットの中でも外でも、自分がやれることだけでいいからやっていき、事の存在を一人でも多くの人に知ってもらうように広げ、こんなことばかりでふざけるなと言う気持ちをも伝えて広げていくよりないのではないでしょうか。

そういう、「身近な・細かい所のネットワーク」が完全に壊されてるのだから、そこを作り直していくより、社会を建て直すために私達が動けることはありえないのではないかと思うのです。
社会が最早壊れだして回復しようがなくなってる時に、政治家の偉い人達や官僚の人達が、私達一人一人が納得できるような形で建て直すことができるとは全く思えないし(それが出来たのなら、とっくの昔に…それこそ、鳩山政権時代に…相当部分が成し遂げられていたでしょう)、私達が、多少は善意や理性のある政治家などの背中を押して、私達こそが主役なんだという形で、人とふとのつながりの中から色々やっていくしかないんじゃないかと、思うのです。

また番外:いい加減、自分の為にならないで勝手に進められてる事に本気で怒りましょうよ。

数日前、大阪府豊中市にある、安倍晋三総理大臣と近い幼稚園経営者の方が、今年開校する小学校について、土地を市価の十分の一で財務省から払い下げてもらっていただけではなく、国交省財務省から、色々な名目で開校のためのお金を貰ったり、普通一年以上かかる文科省の審査を、たったの一ヶ月でパスしたことが、朝日新聞などの取材で報道されました。
地元の市会議員さんが、余りに不公平でおかしいだろう。と裁判を起こす事になったというのが、最初の報道でしたが、調べれば調べるほど、色々とおかしな・えこひいきと言っても問題ないような優遇を受けていました。

この小学校は、「日本で初めての神道の小学校」を名乗り、副校長や幼稚園の理事に、安倍昭恵・総理夫人を据えたりなどしていて、少し前からおかしいんじゃないかという声が細々とは上がってましたが、どんどんと酷い証拠が出てきています。

このようなことは、表に出ていないだけで、沢山あるでしょう。「愛国」と言う言葉の美しさに隠れる形で、おかしなお金の流れが正当化されたり、与党の偉い立場の政治家たちが、自分たちの理想の社会を作るという表向きの目的で、国の財産を不当に安く手に入れたり、税金を沢山自分のお金として使ってる。

 

キーワードは、「私物化」。

東芝の破綻問題だって、似たようなもので、経産省原発推進したい官僚たちと経営幹部の一部が、東芝という大企業の経営実権を握った上で、原発を推進するという目的のために、むやみやたらに買収や事業拡大を繰り返し、当然それでは大赤字が出るからと、他の部門に対して粉飾決算することを強要し、それらがバレて赤字を素直に出したら会社が倒れるからと、まずは儲かってる事業から、タコが自分の足を食べてしまうかのように、売り払い始めてる。

そういう、偉い人達・権力を握った人達だけが、当然のようにお金や財産だけではなく、人々の仕事を奪っていくのと同時に、福祉も何も、お金がないからと削っていく。と言う、日本の崩壊の酷さに対して、きちんとやってかないといけない時期が来てるのだと思います。

例えば東芝の経営者たちは、きちんと警察や検察が逮捕してこうなったことの中身を調べ上げた上で、然るべき処罰を受けるべきであるし、今の総理大臣や大臣、取り巻きの人達は、今までやったことの責任を取ると同時に、政権から身を引いていくより、本来ないはずなのですから。それをできるのは、実は民進党とか共産党だけではなく、私達一人一人であるのです。

何をやればいいのかわからない人たちへ。

別に、集会をやったりデモをやったりするために、多くの人で集まって…などという形から入る必要はないのです。自分一人で駅や繁華街の当たり障りなさそうなところで適当な紙でも持って数十分間立ってみるもよし、地元の、与党や与党に媚びてるような人達ではない議員さんや政党の事務所に言って嘆いたり、手紙を書いて出したりするもよし。地元で何人か話があう人がいるならば、デモをやってみるとか街角で立ってみるのもいいでしょう。
それらをやる余裕や気力がない人は、家族や友人、職場の人に話して、何かできないかと考えてみてもいい。その事自体が、物凄く敷居の高い話になってしまってますからね。

何しろ、シールズに代表されるような、ガッチリとした組織がないと何も出来ないというわけではないし、今の何を言ってもいけないんだ。何を言ってもムダなんだ。と言う所を、どうにか食い破っていかない限り、この国は、回復しようのないところまで破滅しますから。どうにかそれを防いで、そして、立て直していかないといけませんから。

色々な流れは、つながっていって、そして、何本かの大きな流れになり、お互い潰し合わないでやっていけるのならば、十分に世の中を変えていけるのです。別に、一つの流れで押し切らなければいけないということではないのですから。