空気のとりこ

さて、年の瀬も年の瀬になりました。
最近読売新聞が調べた世論調査では、安倍内閣の支持率が、とうとう63%となったそうです。このことに対して、特に左側の人達はどう理解していいものか困惑してるのを隠さない感じがあるのですが、簡単な話で、世間の空気というものに対して、今の時代は人々が過剰に配慮する・空気としてはこうだろうから、そこから外れないようにしようと必死になっている風潮が強くて、その中で、安倍内閣はろくなことはしてないんだけど、代わりになる人達もいないし、空気が「内閣支持」を望んでるから、支持をしておこう。と言う程度の話なのではないかと思うのです。
このことは、構図としては単純なんだけど、このまま行ってしまっては、世の中が破壊されていくのを止められもしないという、非常に深刻な問題になってきてる訳ですよ。

「空気が言う」から、政権を支持する。

なぜ、「代わりがいないから安倍内閣支持」と言う空気ができてるかを、少し考えてみます。
マスコミの大半は、安倍内閣の政策を批判しないか、多少は批判しても根本的な部分は報道しない。世間一般に生きて暮らしてる人たちに対して大きな負担や不都合を強いるような政策や法律が無理やり通されても、その中身を真面目に深く報じることもなければ、与党がいい加減な答弁やえげつないヤジばかりをし続けて、非常に短い時間で審議を打ち切ったり形だけ整えた上で、中身に対する審議や修正はアリバイ程度に抑えて、数の力で採決を押し切ってることはほとんど報じないし、野党側が抗議を示すのにプラカードを出してるのはなぜかという話はせずに、半ばけなすようにその映像だけを報じてる傾向がものすごく強い。
一方、外交では大失敗と言うか余りに滑りすぎてたり自国の思い込みやエゴばかりゴリ押ししようとするので、諸外国から呆れられてる領域にすらなってるのですが、そのこともほとんど報じない。例えば、12月にあったロシアのプーチン大統領との会談で、功を焦ってか北方四島での共同開発事業はロシアの法律のみの支配下に置かれる・要は、事実上北方四島の領有権主張を放棄する。と言う重大な失敗を、安倍総理プーチンとの二人だけでの会談でしてしまってるのですが、そういう話は全く報じられないで、私達は海外メディアからそうだと言う話を知る状況な訳です。

もう少し書いておくと、2012年に安倍政権に再びなって以降の、生活保護や福祉を受けてる人達への、ネット言論を含めたバッシングや事実のねじ曲げに対しては、批判のまな板に載せられた人達や支援してる人達から「そんなにお金を貰うことはありえない」などの批判が出てはいるのですが、マスコミがそれを取り上げて検証することもない訳です。マスコミの能力から考えて、多少調べれば自分たちの報道の内容が事実に反することがわかりそうなものですが。そのような、事実を政権の政策に沿う形にねじ曲げた上で、政策を実行させて、わたしたちのくらしが苦しくなったことは、実はものすごくたくさんあるのですが、しかし、マスコミはほとんど全てと言っていいくらい、そのことは無視し続けてる。

要は、日本のマスコミの報道を見てる限りに於いては、「安倍内閣に失策なし」「野党はあまりに滑稽な道化だ」と言う、変に事実と反する情報しか目に入らなくなってしまってる訳です。

食事やお金を出す政権は、マスコミがほめる

安倍総理や閣僚は、非常に頻繁に、マスコミ各社の要人や政治部記者との「会食」を行ってきています。この「会食」は、基本的に安倍総理側が食事代を持つものでして、そのことから、今の政権はマスコミを買収してるという批判の声が少なからずある訳ですが、あまり大きくはなってない。表には出てないでしょうが、「お車代」名目での多額のお金が、毎回要人たちには渡されてるでしょう。この費用は、基本的には官房機密費が使われてるとも言われています。
民主党政権下でも総理大臣などとマスコミ要人や政治部記者の会食はありましたが、頻度が小さかったのと、費用はワリカンでした。それ故に、マスコミの要人や政治部の記者からは「ドケチ」と嫌われていたようです。民主党側がケチだったのではなく、「マスコミと一定の距離を置いて、批判をきちんとしてもらう」という、善意から敢えて行われてきたことで、実は、欧米諸国の政権とマスコミの関係としては、法律として規定されてすらいる重要な内容でもあるのですが。

この状況というのは、民主党に一旦政権が移るずっと前から布石としてはあった訳です。小沢一郎が実際には違法行為がされてなかったにも拘らず、違法行為をたくさんした・真っ黒だとマスコミが報じた陸山会事件。この時に、あることないこと検察(東京地検特捜部)がデマを含めた情報をマスコミに流して小沢一郎民主党政権の内閣に入れさせなかったわけですが、この時マスコミで色々と言って回っていた要人たちはみんな、昔の総理・金丸信が作ったとも言われる、政治記者を集めた勉強会の出身者であるという話が取りざたされてました(詳しくは調べてみて下さい)。
そして、そのことは抜きにしても、2001年から2005年の小泉政権では、「小泉劇場」がマスコミで持て囃され、その中では今でも私達の生活や人生を苦しめ続けているような法律や政策が、たくさん通されていた訳ですが、しかし、その中では、このような法律や政策を通しては将来に問題が出る。と言う真っ当な批判や、政権自体や政権の周辺にまつわる犯罪行為を指摘する人達が、おもしろおかしく批判され、それでもくじけない人たちに至っては、冤罪で逮捕されたり極めておかしな形での「自殺」をするまでに至ってる訳です。(りそな銀行の国有化問題や、プチエンジェル事件で調べてみて下さい)

節度をわきまえる政権は、徹底的に批判される

一方、民主党政権では、細かい所まで批判が行き届いていました。政権内部での大臣や政治家同士がお互いの政策や方針を批判したり議論することも、あけっぴろげに報道されてきました。これが、「民主党情けない」と言う「空気」の根底にあることは、確実だと私は思うのです。

要は、最低でも小泉政権以降の自民党政権では、政権の本質的な批判というものは、徹底的にけなされたりバカにされたりしてきていて、批判自体の中身というものが問われることが非常に少なくなった訳です。
それが巡り巡って、時の政権の批判が全くされてないに等しくなってるという、今の状況になってると言えるでしょう。

このことからわかるのは、

・時の政権を円滑に進めるには、マスコミ等に批判をさせないようにしないといけない。
・マスコミに批判をさせずに、野党の印象をわるくするためには、積極的にマスコミを買収しないといけない。

という、非常に身も蓋もなく情けない現状なんですよね。
しかし、それが本当に社会の維持のためにいいか?と言えば、却って社会を壊してる訳ですよね。私達の生活は苦しくなる一方だし、街を歩いたり近所付き合いをしても息苦しさが増す一方だし、ネットでは多少のイデオロギーや感性の違いで他人を罰しようという人達が余りに多くのさばるようになっていて、ネットですら真面目な議論もやりにくく、キツくなってる。
でも、そのことは、事件にでもならない限り報道されないし、事件になったとしても、なんで事件が起きたのか。と言う事がきちんと報じられることも少なくなってる。
しかも、そういう状態で、上の方では道徳とか自分たちの「正しさ」だけで法律や政策を決められて、反対したり修正を求めたりする人達が無視されている状態が、年々ひどくなってる訳ですから、悪い方向にしか世の中が進んでない訳です。

日本は、なぜアメリカと戦争したか。マスコミの責任は何か。

こういう状況は、2000年代になってからだけではないです。実は、1920年代から1945年の敗戦までの、日本もそうでした。詳しく知りたい方はこの時代の新聞とか雑誌の写しを図書館などで見てほしいのですが、当時の日本軍の軍部は、積極的にマスコミ関係者を宴会などに誘い、豪華な食事と酒と芸者でもてなしました。結果、当時のマスコミは、総理大臣は弱腰だ、中国大陸にどんどん侵攻しろ、軍は頑張れ。と戦争を煽り続けてた訳です。そして、軍の青年将校によるテロ事件が繰り返されたこともあり、戦争を拡大する事を批判してはいけない。と言う空気が、世間を覆い尽くしました。
この事があって、第二次世界大戦でのアメリカに対する開戦についても、軍の委託を受けた研究者たちは国力から見ても無理だ。絶対に負ける。と言う研究結果を出したにも拘らず、軍部はそれを握りつぶし・マスコミを通じて早期講和で勝利できるという報道を繰り返し、対米開戦を望む世論を作り、多少の愚痴すらも警察や憲兵に取り締まらせ・そもそも住民の間で自発的に密告し合う状態を作っていった訳です。

結果、戦争には大敗し、1945年8月に核爆弾を落とされ・ソ連の参戦もあり、最近の研究では9月まで戦争を続けたら日本で社会主義革命が起こるという分析を国がするに至って、やっと敗戦を受け入れるという、社会をとことん破滅させる所までずるずる戦争を続ける羽目になった訳です。

わかりやすさに騙されないために自分の手と足と眼で調べるしかない

では、どうすれば、社会を破滅から救えるか・または、社会が破滅した後に速やかに立てなおせるか。
結局は、マスコミが色々おもしろおかしく時の政権を持ち上げたり・批判したり、野党を持ち上げたり批判したりしたとしても、自分の眼で見直していく必要があると思うのです。「心地のいい嘘」「アヘンのような甘い言葉」「おもしろおかしく比較的立場の弱い人・立場の強くない人をけなす報道」。そういう物を、どうにかはねのける必要もあるでしょう(これについては、あとで書きます)。
一見、わかりやすくまとめられてる話やわかりやすく報道されてる話を、そのまま受け入れるのではなく、わかりやすさ自体に秘められてる胡散臭さを嗅ぎ取り、自分の手を使っていろいろ調べ、確かめていく癖をつける必要もあるでしょう。場合によっては、英語の報道を積極的に見ていく必要も出てきます。今は機械翻訳が使い物になる段階に来てるので、自動翻訳でなんとか出来る部分も大きいと思います。

その上で、「言ってはいけない空気」「嘘を付いてでも言わないといけない空気」を、まずは個人と個人の付き合いの中での話や言葉から、きちんと打ち破るように努力を始めないといけないと思うんです。空気に支配されていては、自分にうそをつくし、世の中が壊されていくのに対して眼をふさいでしまう事に、ストレートに繋がってしまいますからね。

千里の道も一歩からということで。

今年、このブログを始めることに、半ば成り行きでなってしまった訳でして、その上で、わかりやすい言葉といいつつ難しい言葉も結構使ってしまってるし、何より暑苦しくて、しかも読む人たちに辛いことを突きつけたり働きかけたりする中身が続いていますが、来年も、どうかよろしくお願いします。

皆様、どうか、よいお年を。