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異なる文化や民族を尊重することのない社会。

少し、話を変えましょう。

こんな事が話題になっています。

【「マジョリティ民族は許可なくマイノリティ民族の民族衣装を着てはならない」が、現在主流の考えになりつつある】との現状解説に、様々な反応〜丹菊逸治氏の解説を中心に - Togetterまとめ


要は、アメリカのファッション雑誌で、白人のモデルさんが、着物などの「日本のイメージ」をモチーフにした写真を撮って、その一部をネットに載せたら、「日本人に対する差別だ」と、*黒人を中心に*批判が起こり、日系人の一部を含めてアメリカの*白人や黒人が*猛烈にモデルさんや雑誌のアカウントを非難して、モデルさんが謝罪に追い込まれたという話なんですよ。

この中で言われてるのは、「少数民族の衣装や風俗・文化をそうでない人たちが模倣するのは、少数民族に対する差別だ」と言う理屈で、その理屈を世界規模にまで拡げてしまってる事なんですよね。

「世界の警察」から抜け出していない、欧米の「リベラル」。

私は、ここに、この人達・要は米国や西欧諸国の、「リベラル」などを自称する人達の、救いがたい傲慢を感じるし、日本でも、この人達に同調する人達が少なからずいるということに、その手の人達の思想的な怠慢や傲慢さをも感じて嘆かわしく思うのです。
アメリカ国内で、少数民族に対して同化を迫って白人と同じであるか、もしくは社会から排除されよと迫ると同時に、固有の文化や服装・肌の色などを「バカにする」目的であげつらったりすらして、それが差別や排除を拡げて行ってた歴史があったことは知っているし、その歴史に対する反省として、そのような話が出てきてるというのも承知はしていますが、しかし、この問題のように、他国の「差別された」と言われてしまってる人々がどう感じ取るか。と言う視点を抜きにして、正しくない行為だと糾弾しているというのは、逆に、「差別されたと言われてしまってる人々」を無視し、侮辱してるのではないかと疑わざるを得ない。

後、もう一つ大事なところとしては、人の感じ取り方は様々ですから、アメリカ国内に限っても「差別だ」と思う日系人の人とそうは全く思わない日系人の人に分かれると思うのですが、「差別された」と言う側の声ばかりが大きくて、まるで、それだけで日系人が全て凝り固まってるように外からは見えてしまう事なんですよね。

でも、日本にいる大半の人は、この「差別」とされる写真を面白がったり歓迎したりしてる。大半の人は、日本文化が諸外国で、地元の人によってアレンジされたりして独自のものとして枝分かれして定着するのを、面白がってしまってる。そして、米国の「リベラル」や彼らに同調している日本の人たちに対して「やりすぎだ」「当事者無視だ」と批判をする人まで少なからず出始めてる。

要は、「差別」と言うキーワードに囚われてると同時に、米国の、ある意味特殊過ぎる歴史的経緯が世界共通のものだという勘違いとか、米国の「正しさ」が正しくて、それ以外に正しいものはないんだ。と言う、言い方変えれば、「帝国主義」や「世界新秩序」を掲げて世界中に戦争を仕掛けていったり、内戦をけしかけていったりした「保守派」の人々と全く変わらないような傲慢さを自分たちが持ち続けていて、しかもそれを「世界共通の正義」と信じ切ってしまってるのを、「リベラル」の側が全く自覚できてないという話なんですよね。

日本の場合。

このような事は、日本でも起こってる訳ですよ。
例えば、「レイシストしばき隊」と言う人たちがいます。要は、民族差別やヘイトスピーチをしたり煽ったりしている「行動保守」の人たちの動きをなんとか止めたい。として集まった人たちなのですが、この人達や支持者たちは、在日韓国・朝鮮人の代弁者であるかのように振る舞い、少しでも「差別」だと思えば、物凄い勢いで口汚く罵り・リアルでの暴力すらためらわない。
そして、その物言いで在日韓国・朝鮮人に関わる部分やジェンダー問題の部分以外では、えげつない差別的な物言いを繰り返してるわけですね。「キモオタ死ね」「オタクはレイシスト」後、精神病者を口汚く罵ったり、自分と相反する意見の人たちに対して、いとも簡単に「キ○ガイ」などの言葉を投げつけてる訳です。
しかも、そのような言葉は、在日韓国・朝鮮人全体がそう思ってるという話に、頻繁に結び付けられる。
しかし、在日韓国・朝鮮人の少なくない人達は、彼らや彼らの周辺の人達が代表者もしくは代弁者として大きな声を上げて「暴れて」いることに、けしていい顔をしていない。彼らの、狭いコミュニティの中で大きな声でしばき隊の類を批判することは難しいようですが、しかし、彼らのおかげで差別がよりひどくなったという声すら、時折眼にしてる訳ですよ。

彼らからすれば、何が差別なのかとか日本人との距離のとり方とか、全く違うんだけど、それを言うと「差別者である日本人の犬」みたいな物言いをされてしまうので、議論がなかなか起こってないようなんですよね。

価値観の押しつけと、議論の拒否を乗り越えねば。

「独裁」「民主主義の無視」に対して対抗する側の方でも、「常識」を盾にして、大きな声の人が全てを代表するかのような事になって、内部で微調整が効かないで議論もされないという状況になっているし、そのことで、アメリカではトランプがのし上がるし、日本だと野党への支持がなかなか高まらないという話になってるんじゃないかと思うんですよね。

ここを、乗り越えていかないといけないと思うんですよ、私達の場合。この、崩壊してしまってる世の中を建て直したりしていく力として、リベラルで主流の人達のように「自分の正義」にだけ依存してるような人達は、全く力にならないと思うんです。彼らは、議論を本質的に嫌ってるという意味で、この社会を崩壊に追い込んだ人達となんにも変わらないし、彼らのやり方ではダメだという風に、私は思うのです。議論が自由にでき、色々な立場や趣味嗜好・文化を抱えた人達が、きちんと尊重(もしくは相手に噛みつかないで)される状況がないと、又、簡単におかしなことになりますからね。