森友学園疑獄を、1980年代までさかのぼって考えてみる。

今、森友学園事件は加計学園の問題など、どんどんと新しいことが出てくると同時に、この問題が、実は「保守」を自称してきた極右的な考えの人たちが一部の官僚や企業人と結びついて、この国の多くを喰い物にして蝕んできたことが、現実のことだったという証拠として浮かび上がってきています。これは、まさに、戦後・昭和バブル期以降、どんどんと崩壊していった日本の核心に近いものでもあると思うのです。
確かに、今の内閣が倒れて、すぐに選挙で政権交代とはならなくても、政権が一新されて、今までやりたい放題してきた人たちが後ろに退くことで、生きづらさの面で瀬戸際に追い込まれている多くの人が救われるだろうし、生活の悪化も食い止められていくとは思うのですが…ちょっと、それでもしっくりと来ないことがある訳です。

昭和バブルの裏側で起こっていたこと。

昭和バブルとはなんであったか。ということよりも、昭和バブルの裏側で、それを快く思わないで国のありようを、第二次世界大戦の時のように変えていくことで、「新しい貴族階級」が全てを支配して、他の人々は、奴隷のように従うどころか、宗教的な熱狂に絡め取られて、物事を考えることもなくただただ従っていく事を目指していた人たちというのは、あの頃からいた訳ですよ。
昨年ベストセラーになった、菅野完「日本会議の研究」や青木理日本会議の正体」では、その一端とも言え、今の政権を後ろから支えてると言うより操ってる疑いすらある、「日本会議」の歴史的実情に迫っていましたが、昭和バブルの時代を生きてきた者として注目しているのは、この流れを形作ったのは、中曽根康弘であったのではないか。と言うことなんですよね。

中曽根康弘元総理大臣が社会の崩壊の原点の一つか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%BA%B7%E5%BC%98
中曽根康弘は、1982年から1987年という、まさに、昭和バブルの絶頂期に総理大臣になった人物でした。この人は、「教育改革」と「構造改革」を掲げ、それと同時に「日米の軍事同盟の強化」を行いました。その上で、中曽根の「構造改革」とは、要は、企業が労働者を無視してやりたい放題出来るようにしましょう。ということと、「企業に物申す労働者や労働組合、その他の運動は、社会から排除していこう」と言う事を中心にやった訳ですよ。その象徴的なこととして、「国鉄の分割民営化」要は、国営だった国鉄を、5社のJRに分割すると同時に、経営者によりそわない労働組合の人達をどんどんクビにしたり現場から外して排除していこう。と言う事をやった訳です。

当時のマスコミは、国鉄分割民営化に積極的に賛成し、一部の週刊誌などに至っては、特定の労働組合国労の組合員の「態度の悪さ」をあげつらって(これは、後年多くが捏造だったと判明してる)、国労を排除せよ。と言う世論を盛り上げて行った訳です。その結果として、国鉄の分割民営化全体に対して、反対する人は、物凄い非難された訳です。北海道などでは、分割民営化をやられたら、交通網がずたずたにされて、地域全体が衰退どころか崩壊してしまう。と抗議をする自治体も少なくなかったのですが、「国賊国労」に味方するのか。と言うような言葉すら、マスコミ経由でしきりに吐き出されて、声を上げられなくされたり、声を上げても伝えられなくされたりした訳ですよ。

その結果、どうなったか。

JR北海道は、今や、破産同然になっています。そして、多くの路線をこの五年間で廃止するしないと揉め始めてる。
労働組合は、経営者に寄り添うばかりで労働者の気持ちや待遇・職場改善の想いをとことん潰していく「連合」の右寄りの組合だけが力を持ちすぎて、大半の人が正社員になれず、安い給料といつ首を切られるかわからない状態に怯え続け、消費が低迷するだけではなく、特に製造業の現場の技術力もモラルも下がりきってしまい、十年前では考えられなかったようなトラブルが、特に機械を生産する現場では数多く起こってる。三菱重工が豪華客船受注の後、納期を遅れに遅れさせて大赤字を出したことや、国産旅客機のMRJの完成が遅れに遅れて、やめるかやめないかまで議論されるようになっているのは、もっともわかりやすい象徴でしょう。

森友学園のドン引きする教育の原点は?

中曽根康弘は、又、「教育臨調」と称して、教育を、戦前のようなギチギチに人を型にはめるようにしようとし、そして、歴史教育では日本が戦時中に悪いことをたくさんしたのを教えないようにしようとしました。要は、今の安倍内閣が第一次内閣から強く推し進めてきて、森友学園・塚本幼稚園の報道で皆がドン引きしたような「教育改革」の、道筋を付けたと言えるでしょう。

長くなるので、続きは別の機会に書きますが、今まさに、社会が崩壊しようとしていて、それに対して、今までとは全く違う人々のありようで、その崩壊を食い止めて建て直していくよりないのではないか。と言う考えでこれを書いてきている事で考えると、中曽根康弘という人物の、大きな責任・人々に対して犯罪的なことを行ってきた事の結末が、この社会の崩壊なんだ。と言う事を、もっと色々な人が掘り下げていったほうがいいのではないかと、私は思うのです。このような時代状況だからこそ。