宅急便も崩壊している。

前回の話のアプローチを、少し変えてみましょう。
ヤマト運輸が、現場が崩壊してるので、値上げする。と発表して、話題になっています。その中で、お客が悪い、沢山の荷物を出してくるアマゾンが悪い。といろいろ議論が出てますが、「お客もアマゾンも悪くない。悪いのは、高額の報酬を貰ってる役員たちや、現場とかけ離れた高給を貰ってる本社の社員の人たちだ」と言う分析が出ています。

ヤマト運輸 一部時間指定停止の件は Amazonと消費者が悪いのだろうか - だぶるばいせっぷす 新館

 
この分析には一理あるのですが、しかし、危ういなと思うのです。本社の社員たちが高給を取ってるとして、それを下げてしまうと、却って現場の待遇が悪くされかねないだけではなく、他の会社に勤めてる人達の給料を下げるのを正当化する理由に悪用する経営者が沢山出てくるのが目に見えてるからです。

経営者というのは、特に最近の経営者は、人件費を削ることにひどく執着しています。経営者や役員の取り分が会社を食いつぶしている状況だろうが、顧客が無理なダンピング・値下げを要求してきてるのを断らないでも、働いてる人達・労働者の給料を下げてなんとか解決しようとしてしまう傾向が、物凄く強くなってるんですよね。

90年代に芽生えた崩壊は、80年代に仕込まれた。

なんでそうなったかと言えば、一つには、90年代頭から投資家が企業で一番偉い。と言う風に、法制度が変えられてしまい、更に、その「投資家」たちは、ムーディーズのような、海外の企業の格付け会社を使って投資額を決めていて、その大きな基準として、どれだけ労働者をリストラ・首切りできたか、給料を上げないで済ませて人件費を抑制したのか。というものを用いていたからなんですよね。
80年代、世界の頂上に上り詰めつつあった日本の電機企業各社は、この会社に対する扱いの変化に対応するために、技術を持っている技術者や工員を、どんどんクビを切ったり左遷して安い給料で飼い殺しにして退職に追い込むように仕向けていった上に、新規採用も絞りに絞って、後に「氷河期世代」と呼ばれることになる、見捨てられた40代を大量生産していった訳です。
90年代なかば以降、サムスンやLGのような韓国企業が、日本で冷遇されてる腕のある技術者を、日本では考えられないような高給と高待遇で雇い、日本企業を追い落とすようになっていった訳です。
この辺りの背景には、日本企業の成長の大きさを怖れたアメリカ企業が、政府を動かして【圧力をかけたという説もありますが、それとどうじに、やはり、80年代に時の総理であった中曽根康弘が先頭に立って、労働組合だけではなく、経営者の言いなりにならない労働者やその他の社会に異議申し立てする人たちを社会から排除するように社会を作り変えると同時に、「物言わぬ国民」を作るように、教育を積極的に改革していったのが大きかったと思うのです。

「物言わず、足を引っ張り合う」美徳。

そういう中で、その前から「空気」としては出始めていたとは言え、労働者同士・子供同士・男女同士で足の引っ張り合いをするように、色々な形で煽って行った事があって、それに、余りに多くの人が乗せられてしまったということがあったんですよね。電車のストライキがあれば、会社を休むのではなく駅員をなじったりしながら会社まで歩き、上尾事件のように、電車が動かないからと言って暴動すら起こしてしまう。そういう状況が、1960年代の終わりから続いた末に、受験競争があって、それと一緒に管理教育があり、「物言わず・足を引っ張り合う」国民が模範的と言われ続けてきた。その構図を完成させたのが、中曽根康弘の時代だったのだと、私は思うのです。

戒めとしてのまとめ。

ヤマト運輸の話は、実は、下手に悪者を設定することで、同じように「足の引っ張り合い」をやりたくなってしまうものですが、しかし、そこで悪いのは、やっぱり会社をマネージメントしてる経営者や役員と、後は値切りに値切って、現場が処理できないような大量の荷物を出して平然としてボロ儲けしてるアマゾンのような「顧客」の会社なんじゃないかと思います。
この社会が崩壊していく中での一光景として、このことは捉えていけますが、そこで必要なのは、足の引っ張り合いをやりたくなる誘惑を抑えて、どうにかして、安い給料やきつすぎる労働を受け入れるしかなくなってる人たちの立場に経って考えて動いていくことなんじゃないかと思うんですよ。場合によっては、アマゾンのような銭ゲバ的な要求をしてくる会社への不買運動をやってもいいんじゃないかとすら思います。