時の権力や権威におもねることの軽率さ。

 最近、Twitterを見ていると、今まで政権に冷淡だった科学者や(政治系以外の)ジャーナリストや、後は言論人などの少なくない人たちが、唐突に森友学園事件に関して、政権を擁護する内容の話を主張し始めています。どうもその内容を見ていると、その少し前くらいから一部の「ネット右翼」「自民党ネットサポーターズ」が主張し始めて、彼らのネットワークと言うかボットを含めた人数マシマシネットワークを使って力技で広め始めた話の受け売りっぽい感じの中身が異様に多い。

 そんな、なんと言うか頭の悪い・非論理的な話を信じるような人とは到底思えない人まで、そういう話を流布し始めたりまでしてる。
 この不気味さのようなものは、なんなんだろうか。と考えざるを得ないわけです。

 例えば、

 こういう感じで、誤った問題設定に基づく・要は、人的なつながりとか動いてる役人の規模の違いとか、後は与党と野党の違いを全く考えないような話で結論を出そうとしたり、森友学園事件や加計学園事件にあるような、時の権力が、自分たちの内輪だけで大金を廻しつつ、財政緊縮だとか福祉予算の切り下げなどをどんどんやろうとしてくるという非常に不道徳極まりない腐敗の臭いをなかったかのように考えて読む人まで誘導しようとする書き込みが、この一週間ほど物凄く多くなってるんですよね。それも、元々自民党と言うより日本会議の熱狂的な支持者であった人たちだけならば、全く納得できるのですが、そことは違うところで動いてきた人たちが、そういう話をすることに積極的に入り込み始めてる。

原発PA(パブリックアセプタンス)」と同じことが、「アッキード事件」で起き始めている。

  東日本大震災の一年後くらいから、「原発PA」と言う言葉が、取り沙汰されていました。

原子力PA(パブリックアクセプタンス)に関する解説 - Togetterまとめ

原子力PA(パブリックアクセプタンス)に関する解説
パブリック・アクセプタンス(PA):さまざまな政策、公共計画や民間計画などを、地域住民や国民などの公衆が「理解し、受け入れること」
原子力安全基盤機構http://www.jnes.go.jp/tokushu/taiwa2/keyword02.html

こと、原子力業界においてはPAの手法が異様に発達し、原子力政策を歪める原因になりました。PAに関するBB45_Coloradoさんの解説。

 

 これは、要は、元々原子力産業は、原発や核廃棄物の危険性に限らず、原発を建設するところの住民や政治家や役人の頬を札束でビンタしたり、原発建設反対運動を暴力団に切り崩させていたりなど悪評が絶えなかったので、原子力産業やお役所が、大金を文化人や学者に投じて、自分たちに都合のいい話や学術的な議論だけを世の中に通用させていくように仕向けていくというもので、実はこれ自体は最低でも1980年代の半ば以降ずっと行われてきていることです。

 それと同じことが、森友学園を巡っての大疑獄に対する世論の猛烈な批判や安倍政権に限らず自民党政権への(それまで札束と飴と鞭と会食で飼いならされてきた)マスコミをも含めた世論の猛烈な批判や軽蔑に対抗するために、行われているのではないか。文化人や言論人、果てはオタクのオピニオンリーダとして振る舞ってきたいくらかの人たちを、大金で買収したり、彼らが信頼しきってる人たちに大金を出して彼らに対する「説得」「お願い」をさせたりなどして、ネット右翼やネットサポーターズ以外の人たちをも、ネットサポーターズのように使い始めてるのではないか。と私は強く疑うのです。
 今の政権の経産大臣は、小泉政権から安倍政権にかけて、ネット言論を歪めるような言論工作を行ってきた、世耕弘成ですし、籠池理事長の証人喚問以降問題になってる、安倍昭恵総理夫人づきの秘書官の谷氏は、そもそも、経産省からの出向者であったりもするので、経産省原発反対や放射能被曝を強く心配する世論を押さえ込んで孤立させるためにやってきたPAのノウハウを全力で投入していると、私は考えるのです。

「目先のことに呑み込まれず流されない揺るぎない自分」を作る努力

 その上で、このような言論工作に乗っかってしまう、科学者や文化人やオタク言論人と言うのは、物凄く軽率であり、先を見ていない愚かさすらあると、私は思うのです。籠池理事長の証人喚問やその少し前からの動きで見えてきたのは、今の安倍政権も自民党政権も、先行き長くなさそうだということです。もう、この社会が著しく崩壊してしまってる状況下で、何ら方策を打とうとせず、自分たちの狭苦しくも独りよがりなイデオロギーと保身と利益追求だけに走り、そして、それにのみ多額の税金と人的リソースを浪費したことで、崩壊を加速させてしまった責任というものすら、直視する人が殆どいなくなってしまってるような政治勢力というものが、どうなるかということは、それこそ、1980年代末期から1990年代のロシアや東欧の共産党政権がどういう事になったかというのを見れば、容易に予想がつくものです。

 私達が踏まえないといけないのは、このような人たちの言う事を、眉に唾つけた上で、自分たちの眼の前で起こってることとの格差・違いがなんであってなんでこうなってるのか、物凄く面倒でも考えた上で、出来ることなら近所の人や友人・親族、職場の同僚などと軽めの話として話していって、お互いの考えを交換したり共有したりしていくと言う事をしていかないと、この手の「先を見ない愚かな人たち」の自滅に巻き込まれてしまう。ということじゃないかと思うのです。
 今こそ、目先のことに呑み込まれず、流されず、揺るぎない自分。とでも言えるものを作っていくような、結構辛い努力を、みんなが始めて行かないと、崩壊する社会とその前後の大きな変化を生き延びれないのだと、思うのですね。