今ある右派勢力の主流派ではなく、小池百合子頼みでもない、「新しい保守」「新しい右派」を作る覚悟が、ありますよね?

今回、非常に長くなりました。
最近、「オタク系Twitter」でよく見られる、言説の一部の問題を書いた上で、そのような事を書いたりしている人たちに対して、檄文を書く形になっています。
 但し、「野党がなんで評価されないのか」ということの一つの状況への洞察を、1.〜2.で書きましたので、気が向きましたらそこだけでもお読みいただけますとありがたいとおもいます。

 色々な方面で、「野党が頼りない」「森友学園加計学園の疑獄の問題なんかやらずに、法律を審議しろ」と言う声が、相変わらず出ているどころか、いくらかの人達の中では言葉の激しさが増し続け、そこに釣られて同意する人も出始めています。例えば、漫画等の表現規制に反対する立場でやってきた人達の中で、そのような論調に乗って野党四党への批判を展開して、与党に取り入ってる文化人のやり方しかない、山田太郎参院議員は自民党からでも出るしかない。みたいな言葉で、人々を煽ってる人達がいたりするわけですよ。これは、なんでそれが起こったのか考えると、非常に深刻な事だと思うのです。

1.与党が多すぎて太鼓持ち政党までいるとこうなっちゃう、見世物小屋化してる国会。

 今の国会の状況では、与党と一部の野党(維新の党や日本のこころなど)がいれば、何でも出来てしまうんですよ。野党が議場に入って何かを言っても、全て与党に都合のいい言葉だけがつまみ食いされ、与党や内閣の答弁は物凄くいい加減で野党の質問に答える気もないし、与党が中身を増しにするために何かやるかと言えば、総理大臣におべっかを使う訳のわからない話を長々と質疑の場でやったりまでしてる。
そういう背景があって、今、たてつづけに、非常に拙い法律が出されてきたり、出されて殆ど質疑もなしに法律になったりしてるんですよ。民法の改悪とか、介護保険の利用者負担率を30%にはね上げるとか、種子法を廃止して、日本固有の種を誰も管理しなくて良くして外国の・それも毎回種を買わされるだけではなく、色々な制約や罰金がセットにされてる、モンサントのような巨大アグリビジネスが日本の農業を牛耳れるようにしようとしたりとか、すべてそういう構図で出てきていたり、既に成立させられたりしてるんですよ。

 そういう中で、そこに反対する人やその代表者たちが議会で出来るのは、「一日でも一時間でも長く、議会を止めて、可能ならば解散総選挙に追いやって法案審議を次の国会まで先延ばしにする」。これが精一杯の足止めなんですよ。
 今の内閣のように、元々の法律を出す意図がムチャクチャだったり、特定の人達の利益や利害・イデオロギーを満足させることだけで法案を作り、それで大きな損害を受ける人達や生存に関わるような危険を感じさせられてる人達を、徹底的に無視するような中身を、強引に出して強引に可決させてしまうような人達に対して、そうでない人達が議会で抗うには、この六年ほどの選挙の結果は、余りに冷酷なのです。そして、その理由が「棄権の多さ」であったことは、誰もが正面から受け止め、選挙に行かなかったり選挙に行かせられなかった責任を持って、次はもっと前向きにやっていくようにしましょう。と思うのです。

2.「漫画表現規制」をめぐる、反対する人々の言葉から、「野党不信」の背景を考察してみる。

 今の、少なからぬ人達から野党が批判されてる理由のなかには、実は、「フィクションへの表現規制」を誰がどのように考えてどう動いたか。と言う問題に関しての、憤慨や齟齬・危機感というものが色濃くあるんですよね。
 要は、野党四党は「左翼」と近いから、フェミニズムに理解を示している。「まなざし村」などと呼ばれてる、過激な中でも(言葉が)過激なフェミニスト達は、これから書く歴史的経緯のこともあって、専ら表現規制を自分の快・不快になぞらえて(これは、日本の主流派フェミニストの伝統的なスタイルでもありますが)表現規制を求めるだけではなく、「オタク」と呼ばれる階層や男性全体に対して、ヘイトスピーチどころかヘイトクライムをも示唆してくるような言葉を、日々吐き出していて、「左翼」の側からは、それを諌めたり運動の現場や理論誌の誌上から排除することも、一向にやられない。と言うような不信感があるんですよね。

 その中で、今の野党四党が過去に表現規制を止める上で大きな受け皿となったことを無視し、野党は表現規制派と繋がってるから信頼できない。与党議員とロビイングしてくれる赤松健先生や参院選で29万票取って落選した後に総理官邸に招かれた山田太郎先生のようにやるしか、表現規制派防げないんだ。と吹き上がる人々が出始めていたところに、先月書いたように、森友疑獄追究をしている野党四党の動きをディスるためにPA(パブリック・アセプタンス)が展開されていって、そのPAに「吹き上がる人々」が取り込まれてしまってるんですよ。
 これは非常にまずいなぁ。と思うんですよ。表現規制を止めて、規制を緩和させていくやり方は、一つじゃなくてたくさんあり、そのやり方にはクリエイティブなものもあればいいし、いくつもの「流派」が並行してないと潰されるし、それらが何本かの大きな川になってお互い潰し合わないように気をつけるのが大事だと、思うのですね。



3.「漫画の表現規制」「アニメやゲームの表現規制」等々の近現代史

 歴史をご存じない人達に簡単に説明しておきます。
 漫画などのフィクション作品をめぐる表現規制の歴史は、戦後ずっとせめぎ合ってきていて、そのバランスが90年代の頭に崩れだしていったんですよね。表現の規制を「わいせつ規制」とリンクさせて法制化を求める、「念法眞教」「キリストの幕屋」などの一部の宗教団体(これらの宗教は、軒並み、日本会議に参加してもいる)の動きがあり、その反対側では「性の商品化」批判や「性暴力撲滅」の文脈から、表現規制を求めたフェミニズム団体があった訳です。そして、このフェミニズム団体には、過去の経緯からキリスト教矯風会組んで、色々な動きをしてきました。
 そして、そのフェミニズム運動は、左翼の一部と歴史的に同じところ(成田空港建設反対闘争での熱田派)から出てきていて、その内部であった強姦事件やグループの対応の悪さから来たゴタゴタの影響でグループを抜け、熱田派が事実上(反対運動として)解体した後に「市民運動」を始めた人達と繋がっていって、
フェミニズム運動の側が「ポルノや性暴力を根絶するためには、他の人権を完全に制限すべき」「基本的人権は自分たちの目的の下にある」と言うキャサリン・マッキノンやアンドレア・ドウォーキンの「反ポルノフェミニズム」理論に強い影響を受けて、90年代頭の表現規制運動や性の商品化排除運動を邁進していったのですが、この人達と最初に出てきた「念法眞教」のような宗教団体、そして、治安と言うより道徳の為に性風俗全てを自分の手中で制御する「正しさ」に取り憑かれていた警察(の生活安全部中心の)官僚たちが、徐々に手を組んでいったんですよね。
 最初は運動の場で一緒に開催するとか、児童ポルノ問題に関する国際会議に参加し、「日本は世界最大の児童ポルノ大国」と言うウソを発表し、外圧を呼び込んだ上で児童ポルノ・買春禁止法(現在、若い人たちの性に関する人権を著しく攻撃してる法律ですね)を成立させた辺りでしたが、その中で、男女共同参画事業を利権化して、この三者の代表者が仲良く国や自治体の男女共同参画会議や青少年問題の審議会に参加し、奥平康弘先生のように基本的人権を侵害するなと言う人達を排除し、90年代末から今に至る、青少年の人権制限や盛り場に対する不条理すぎる規制を、フィクションへの表現規制とセットで方や条例に入れ込んでいってる訳です。
 今騒ぎになってる、アダルトビデオを巡っての相当強引な捜査・摘発や、アダルトビデオ制作者全般に対する「フェミニズム運動を中心にした」誹謗中傷は、彼女ら彼らの道徳観や野望の達成目標が増やされたことでもあるし、そこには、男女共同参画事業や青少年健全育成事業が、フェミニズム運動・警察・右派宗教の共同の利権権益となったことの延長線として、アダルトビデオ等の規制利権を彼らで独占して、性表現全般を骨抜きにしていく悪巧みも、含まれているでしょうね。

 そういう中で、彼らの動きを00年代に足止めしたのは、保坂展人(現世田谷区長)であり、枝野幸男であり、福島みずほであった訳です。今まで、ラジカルフェミニズム運動に引きずられてきていた左派系議員や中道系・左右のリベラル系議員を説得して回り、少なくない議員さんたちと問題を共有していって、結果、児童ポルノ・買春禁止法を策定した人々の頭にあった「徹底した治安重視で人権制限し放題のの管理社会」は、彼らの「仕事」によって、第二次安倍政権が出来た2012年までは、殆ど足止めを食らうことになっていった訳です。
勿論、左派議員の中でも、矯風会日本ユニセフ協会とつながりの深い人達は、彼らへの理解を半ば拒みましたが。



4.今ある右派勢力の主流派ではなく、小池百合子頼みでもない、「新しい保守」「新しい右派」を作る覚悟が、ありますよね?

 そういう歴史的経緯があるのを、眼の前で見続けることすら多かった私からすれば、今、ネットで廻ってる話も、論調も、あまりに乱暴すぎる形で「左派」「中道」「リベラル」というものを見下してるように思えてならないのです。
 見下している人達は、自分たちが支持してる「保守」「右派」政治家が、今の状況では飼い殺しか排除の対象にしかならないという現実を見て、与党の上位層を反表現規制で占める所まで、えげつない真似を繰り返してでも行うか、もしくは、そのような旧来の宗教も関わってる「保守」「右派」とは離れ、ある程度リベラリズム立憲主義を受け入れる「リベラル右派」とも言える流れを作る方に力を注ぐか、どちらかを決めろ。と支持してる政治家や右派・保守言論人たちに迫っていくことこそをやっていってほしいのだと、私は思うのです。
 左派は気に入らないのはわかりますが、左派を貶めて、その結果右派の議席が増えたとしても、貴方方の目標は達成されないどころか、今より目標が遠ざかるのが眼に見えてるのだから、きちんと、やるべきことが何か考え直してもらいたいと思うんですよ。