広場が奪われ、人々が黙りあきらめた先に出てきた、アッキード事件と共謀罪。

 先週金曜日(5月19日)、衆議院の法務委員会で、今までないようなムチャクチャな強行採決で通された共謀罪が、今日にも衆議院本会議で可決されようとしていて、野党四党が、国連からも厳しいクレームが付けられた状態で、共謀罪可決のために衆議院本会議を開ける状況か。と、必死に抵抗しています。
 その事に対して、声の大きな人達が相変わらず「野党四党は情けない」「共謀罪は大したことない」「反対するのはやましいことがあるからだ」と言っています。
 ここで考えたいのは、日本は、総理大臣があからさまな汚職を一部の官僚と一緒になってやり、汚職で便宜を受けた加計学園は経済犯罪まがいの行為で銚子市今治市などから沢山…数百億円単位…のお金を吸い上げ、森友学園に関しても、籠池理事長一家を担ぎ上げた上で色々と違法なことをやっているという証拠が出てきていて、それで今になって批判が出てきてるのに、総理も大臣も総理も官僚の偉い人も、誰もやめようとしてない。
にもかかわらず、総理はやめろとか官僚を逮捕しろとか、共謀罪なんかやってる場合か。生活をなんとかしろ。そういう街角の動きは、非常に、弱い。韓国に限らず、大半の国では、街頭デモとゼネストを繰り返して、汚職まみれの大臣や悪政を繰り返す大統領を辞任に追い込んでるにも拘わらず、日本では、そういう流れが非常に弱い。それは、なんでなんだろうか…少し考えてみましょう。

 

「日本には広場がない」。

 先週の末に、Twitterで、そういう話になったことがありまして、「日本には広場がない」と言う話が出てきたんですよね。見ず知らずの人が集まり・政治に限らず色んな話をする場としての、広場が、無い。これが、民主主義がどんどんおかしくなった大きな原因なのではないかと。

  日本にも、戦前戦後を問わず、広場はあったんですよね。1970年前後の安保反対闘争の盛り上がりの頃までは、多くの街に広場があったし、そこでいろんな議論がされたり、当時最も盛り上がっていたフォークソングのような歌や音楽で盛り上がったりもしていた。安保反対闘争までの、「街角の民主主義」や「怒れる若者」と、広場は、密接に関係してて、広場が、世の中を動かしていこうとする人々の原動力ですらあった。
 当時は、無届けデモというのも、物凄くあった。当時も、公安条例のように無届けデモを処罰する条例があったのですが、それでも、裁判に訴えて行っていた。
 しかし、警察が激しく暴力的な弾圧に走った事もあって、広場に集まった人達が暴力には暴力で対抗することも少なくなかった事や、前に書いた上尾事件に代表されるように、広場に集まらない人達の主権者意識がなくなっていっていた時代でもあったので、マスコミが「暴力的な学生」「暴力的な若者」を非難する風潮が出来、そこに警察や自治体が乗っかる形で、広場がどんどんと細切れに工事され、人が集まらないように警察が常駐したりしていった。
 そういう中で、それでも、歩行者天国での政治的主張というものはされたりもしていたのですが、しかし、警察が大規模に介入して政治的主張を言う人達や政治的な歌を歌おうおとする人達を暴力的に排除する事が90年代まで繰り返され、その内、地下鉄サリン事件などを口実に、地元の自治会が警察に要請する形で、どんどんと歩行者天国自体が奪われていった。

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 そして、90年代の半ばから終わりには、歩行者天国での政治的主張やビラ配りというものが禁止されるのが、歩行者天国を主催してる地元自治会や都道府県・市町村が決める形で(実際には、警察がそのように根回しをして)、当たり前のルールとされてしまった。

 

60年代まで日本にもあった「広場」が奪われ、人々が何を言えばいいかわからなくなった。

 つまり、70年安保闘争からの約30年間で、日本から「人が政治的につながる場としての広場」というものが、根絶やしにされていったんですよね。
 90年代と言う時代に関しては、暴対法の問題とか色々と書くべきことがあるのですが、又の機会にしますが、とにもかくにも、人が政治に関して関心を示したときに、お互いに議論する場と言えば、かなり多額のお金を費やしてパソコン通信・ネット(90年代後半はインターネットのネットニュースや掲示板も入ってきた)にしかなく、殆どの人は、テレビの討論番組しかなくなっていて、そこでは比較的社会立場のある人が下層の・末端の生活や気持ちを顧みないで、自分のイデオロギーに基づく空論をぶつけ合い、特に右派やネオリベラリズム新自由主義)に拘る人達が、反対の側の人達や庶民の声を代表する人たちに、「非現実的だ」「代案を出せ」と迫り、いじめ抜くのを司会が止めないのに、それに言い返せばすぐに司会が止めたりもするという、非常に不公平な言論がまかり通っていたわけですよ。

 そうなると、テレビが広めようとするものの見方や思想に疑問を持つ人は、物凄く孤立していったわけですよ。そこに、00年代頭のネット右翼と言うより自民党ネットサポーターズののさばりぶりも追加された。
 いわゆる、左側の考えを持つ人は、徹底的に孤立するか、偶然知り合った似た考えの人たち(この人達も、大抵は思想的に腐ってる)に取り込まれて、その人達の受け売りや内輪の論理に染まっていくよりなかった。

 

改めて、「広場」を作っていくような、積み重ねをしていこう。

 60年代末からの「広場を社会から奪う」と言う、警察であったり保守政治家・保守思想家たちであったりの動きは、結局は、日本の人々に無力感を植え付け、目先のことにだけ関心が行くように仕向け、政治に関心を持つことがタブーにされてしまうという状況を、最低でも結果では招いたし、結果ではなく、それは最初からそうするつもりだったのだろうと思うのです。自分たちがいくら腐っても・どれだけデタラメをしても、誰も大して文句を言わないし、やめろと迫られることもない社会。それを、彼らは目指してここまで来たのでしょう。
 しかし、そうなると、「彼ら」以外の人達はとことん暮らしにくくなるし、生きにくくなる。1998年頃のアジア経済危機以降、自殺者・とりわけ、男性の自殺者は高止まったままだし、痴漢冤罪に限らず、色々な事で、人々が他人の些細な不届きをあげつらってつぶしあいに走るし、経済状況は、最低でも末端の生活の状況としてはどんどん悪化していて、食料品や日常的に使うものを作る会社がどんどん倒産したり廃業したりしてる。

 日本はこのように酷い崩壊の状況にあるし、そこを私達が生き延びるためには、広場を改めて作っていかないといけないと思うのです。それは、物理的には駅前のコンコースや盛り場で政治的な意思表示をしてみること(無言でプラカード持つだけでも)であるし、今、抵抗してる野党四党に声を届けていく事で、色々な人とつながりネットワークを作り直すことであるし、ネットでも日常生活でも、声の大きな人や場の空気に従ってばかりではなく、自分の考えを、喧嘩にならないようにおそるおそるでも、話していく。
 そういう非常に些細で、それ一つだけでは何かを変えるにはほど遠いように見えるような事から、私達はやり直して積み重ねていくより無いのだと、最近思うのです。