信用を自分から捨てていくということ。

 ここ最近ずっと問題が盛り上がってる加計学園の疑獄問題にせよ、森友学園の問題にせよ、政府や与党の側は、法律の決める所を無視するのに非常に力を入れてるのがバレてきていて、しかも、お役人が与党の顔色をうかがって、あるものをないといい続け、無いものも都合が悪いものに関してはあると言ったりするのが当たり前になってますよね。例えば、文科省の前次官の前川喜平氏が、加計学園への「えこひいき」に総理官邸からの強い圧力があったと書類を出して内部告発したのに対しては「ない」「怪文書」と政府が言い続け、前川氏が出会い喫茶で買春に明け暮れていたという「ないこと」を、あたかも本当であるかのように読売新聞などを通じて報道させ、他の媒体はきちんと検証してから報道しようと取材したら、買春などしてなくて、本人の趣味だか自分の家が運営してる財団のためだかの調査や取材が目的だというエピソードがゴロゴロ出てきたりしたのが、一番最近の話でわかりやすいでしょう。
 そして、共謀罪にしても、とにかく共謀罪を作って政府や警察が気に入らない人や政府や警察の邪魔になることをやろうとする人を、いつでもどこでも逮捕できるようにするのが目的になってて、野党が共謀罪のずさんさや邪悪さを正すように問い詰めれば、それに対して、政府もお役人も全く関係ないことを長々と時間稼ぎで答弁し、中身がないまま30時間過ぎたからと強引に採決に持ち込んで法律にしようとしてる。

 これらの事には、色々な問題があるし、多くの人が問題を言ってますね。しかし、私がここで書いておきたいのは、これらは、「政治や行政・報道への人々からの信頼感を失う事になっていて、それを信頼されてきた人々が自分からやっている」と言う事なんですよね。

 

大半の人々が社会に持ってた「信頼」を悪用して、社会を私物化してきた人々。

 この国では、役人にしても政治家や法律にしても、たまにおかしな人がでて私物化しようとするけど、それを押しとどめる力もあれば、おかしくなっても直されていく。と言う、信頼感のようなものが、ありました。そして、それらが、実は、法律を大半の人が守る根拠になっていて、相当部分の秩序を形作って来たと思うのです。
 そして、これが壊れるということは、実は、法律や行政や政治が信頼を失い、それらで「おかしな人々」が好き勝手放題できるようになる。と思いがちだし、実際、2000年頃からの国の与党や市長・知事と言うのは、「改革」「聖域なき改革」と言う「美しい」言葉をマスコミに言わせて政治を独占する事にかまけてきた人々が少なからずいるのですが(小泉純一郎元総理大臣や中田宏横浜市長が象徴的と言えるでしょう)、しかし、それはほんの一時期に過ぎないんですよ。

 確かに、「改革」などの美しい言葉を隠れ蓑にして、行政を私物化し、国や市町村の持ってる財産を私物のように取り巻きの人々に安く売り渡し、社会福祉や公共交通のようなインフラですら「ぶっこわし」取り巻きに安く売り払うことで、その人々は、莫大な利益を受けてきました。しかし、それは、彼らがわかってかわからずか、その地域の社会や日本の社会全体を壊していく事に直結しているのです。
 何しろ、ある種の人々がマスコミの作った「虚像」を使って偉い地位について、やりたい放題して、しかも、その事を批判させないように色々手を回したり(中田宏の場合は、反社組織との交際を垣間見させる記事を週刊現代誌が書いたのに対して、警察に告訴して警察が講談社を家宅捜索し、記事を止めさせたばかりではなく、裁判では週刊現代側の報道内容が正しいと認定されたにも拘らず、中田宏が勝訴したりしてます)、その事で、警察もお役所も自分の都合のいいように動かして法律などないかのような状況になるということは、法律自体を無意味化し、「ばれなければいい」を通り越して、「警察やお役所が見逃してくれればいい」「偉い人に付いて、警察やお役所を自分のために動かさなければ損だ」と言う人々を、多く作りだすことになった訳ですからね。

 それは同時に、そのような事にできない立場の、大半の「庶民」とも言える人々からすれば、法律を守って自分が損をするばかりになるのですし、偉い人達のさじ加減一つで逮捕や有罪になってしまいかねない状態そのものなのですから、最終的には、自分で自分を護るよりなくなるし(先日書いた、痴漢冤罪の蔓延が線路に下りて逃げる人々を産み出したのも、その一つの形です)、それは、法律など守るな。法律など自分の利益の邪魔だから、積極的に破るのが「かしこい」事なんだ。と言う社会風潮に結びつくわけですよ。

 

破壊された信頼を、取り戻すには。

 それは、すでに出始めてる。
 少し前から、飢えをしのぐためにコンビニ強盗をする人々が頻繁に報道されてましたが、最近はそれを通り越して、普通の感覚では理解しにくいような動機で、白昼堂々強盗や暴行事件を起こすという事件が2日にいっぺんくらいは全国報道でされるようになってるように思います。今まで陰に隠れてきたような犯罪が、白昼堂々・それも今ひとつ理解できないような理由で出ていて、それを考えていくと、結局は法律などよりも自分の利益や欲望を満たすほうが正しい。と振り切れた人々が、多く出てる感じが、とてもするんですよね。

 果たして、私達は、どうすべきか。
 非常に困難な問題ですが、思うのは、これをいい機会に、私達を縛ってきた法律や福祉などの根拠になってきた法律などを、一度真剣に考え・議論に持ち込む事と、後は、法律や「公共」や秩序と言うものを、きちんと私達の手に取り戻していく流れを作っていかないと、どんどんおかしくなっていくのではないかと思うのです。
 法律を守るというのは、道徳での縛りにもなっていて、それが逆に、このような状況では、人々に法律を軽んじさせる理由にしかならないのですから、まずは、私達が政治と秩序自体を私達の手に取り戻し、建て直していくのが、多分、この社会をまともに戻していく道なのだろうと、思うのです。