バニラエア事件から見えてくる、国の「公共」に対する無責任さ。

 まだまだ梅雨が続き、身体の痛みが結構な状況が私は続いてますが、みなさんはいかがでしょうか。おだいじにしてください。
 さて、昔負った大怪我によって車椅子での生活をしている方が、奄美空港LCC・バニラエアの飛行機に乗ろうとして、車椅子の人を乗せる設備がなかったことと、「ルール違反」を理由に乗機拒否されて、この方が抵抗したり批判を述べたことが物議をかもしています。
 色々と論点があって、「”プロ障害者”が因縁をつけてるだけけしからん」と言う意見と、「バニラエアは障害者差別をしてる」と言う2つの声が非常に多いように思いますし、”プロ障害者”が云々はともかく、障害者差別というのには一瞬頷きたくなるわけですが、良くよく考えてみると、それもそれで違うように思うわけですよ。

 なぜ、バニラエアが「車椅子は事前予約しろ」「事前予約したら断る」と言う、ある意味非常にとんでもない内部規定を設けていたのか。と言う事について、少し深く考えていく必要があると思うのです。

 と言う辺りにあって、それは確かに会社の怠慢もあるのかもしれませんが、低運賃を売りにしてるLCCでは、確かに、そういう直接お金を産む訳ではない部分への予算は、普通の会社より出しにくい。普通の会社ですら、法律の縛りがなければ一銭も出さないようなお金でしょうから。
 では、誰がお金を出すのか?と言えば、今回の場合なら、例えば奄美空港を運営してる鹿児島県であったり、国であったりすると思うんですよ。

国がバリアフリーに対して負う義務は、非常に少なくされている。

 で、国はどうであるか。
 いわゆるバリアフリー法には、国が助成するという義務が曖昧にしか書かれてないんですよね。

http://www.mlit.go.jp/common/000207186.pdf
第4条 国は、高齢者、障害者等、地方公共団体、施設設置管理者その他の関係者と協力し
て、基本方針及びこれに基づく施設設置管理者の講ずべき措置の内容その他の移動等円滑
化の促進のための施策の内容について、移動等円滑化の進展の状況等を勘案しつつ、これ
らの者の意見を反映させるために必要な措置を講じた上で、適時に、かつ、適切な方法に
より検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

 要は、地方公共団体(この場合は鹿児島県)と事業者(この場合はバニラエア)の自助努力に依存してて、とにかく自分たちのお金で何とかしなさい、国も補助しますが補助はあまり期待しないで。と言う構造になってる。
 そして、鉄道の駅に関しては国の助成割合を「指定設備(エレベータなど)の費用の三分の一以内」と言う規定があっても、空港の設備については、調べた範囲では見つからなかった。

起こるべくして起こった、「バニラエア事件」。

 バニラエアーの今回の騒動は、起こるべくして起こったことだと、私は思うのです。
 国が、必要な予算をきちんと付けずに、義務だけおっかぶせて、実際の措置は空港や航空会社の「自己責任」で済ませている。
 これでは、財政的に厳しい自治体が運営してる空港や、お金の余裕のない航空会社が、どんどんバリアフリー化を先延ばしにしても、当然だと思うのです。

公共と、地方を見捨てることで国を壊していった35年間。

 1980年代の中曽根内閣以降、この国の公共交通は「規制緩和」の掛け声と共に、全国均一のサービスを放棄し、国がお金を出さないようになっていきました。
 これは、バリアフリーの問題に限らず、例えば路線バスなんかもそうなんですよね。都会に住んでる人にはわかりにくいでしょうが、その周辺ですら、相次ぐ減便と、運賃の値上げのどちらか・もしくはその両方で、地元の人達がどんどん不便になってる。自家用車の使用に、国が追い込んでいったと言ってもいい。
 例えば一時間に三本あって、誰もが座れたバスが、減便を繰り返して、一時間に一本も来なくなり、毎回満員なのにバス会社が増便をしないものだから、どんどん混雑が酷くなる。と言うような話は、普通にある。
 社会全体が豊かで、若い人も多く、大半の人が自家用車を持てた時代ならば、それでも問題は表に出てこなかったのですが、高齢化や人口減、なにより、貧困の悪化によって自家用車をそもそも維持できない人が増えた現状では、バスに期待される部分は大きいのですが、バス会社は採算性を気にして増便どころか減便や運賃値上げを繰り返す。
 それによって、都会に人は出ていくし、貧困化も進む。
 そして、コンパクトシティという解決策は、単なる問題の先送りだと思います(別の機会に書きますが)。

 地方社会の再生産可能性を国が率先して放棄して、専ら自治体にその責任を押し付け、大都会だけが優遇されるように制度を変えていった。そして、その恩恵を最も受けているはずの東京ですら、人口流入は多くなってるのに、都民の所得も税収も減る一方。

けなすべき相手を間違えてないか?

 バリアフリーと言う問題にせよ、公共交通にせよ、国がきちんとお金を出して、地方や自治体や運用会社の財政規模で、悪い意味での不平等が発生しないようにすることが国という存在の存在意義であるはずなんですが、その部分を放棄して35年が過ぎ、マスコミはこの「ネグレクト」を賞賛こそすれ直そうということを言わないし、世の中の風潮自体も、「地方はワガママばかりいってる」「カネをたかってる」と言う議論ばかりが容認されてきました。
 今回のバニラエア事件で、この問題を告発した方が、「プロ障害者」を自称していたことなどをあげつらって、色々と罵ったりしてる人が相当数いるというのも、その人達にとっては差別してるつもりはなくて、自分たちの取り分すらないのにワガママ言うな。と言う気持ちなのでしょう。

 しかし、考えてほしいのは、なんで取り分減らされてるか。ってことだと思うのです。
 森友事件にしても加計事件にしても、国が、特定の政治家やお役人にとって都合のいい人たちに、色々と便宜を図り、地方公共団体にお金や土地を差し出させたりまでして、身内の業者に利益を提供している。と言う事が非常に当たり前のように行われるようになってる。
 株価や為替の市場に、年金を始めとするお金を何十兆円。ひょっとしたら百兆円以上も突っ込んで、無理やり相場を釣り上げ、大企業の株だけを買い支えるようなことまでしてる。
 その反面、バリアフリーにせよ公共交通の充実にせよ、非常に多くの人の利益になるだけではなく、国全体の衰退を食い止めることにもつながるようなところには、財務省にせよ担当官庁にせよ、お金を出さない。出しても、非常にケチってくる。
 財政悪化を口実にしているのに、減らすべきを減らさず増やし、そして、減らすべきじゃない所を減らすのを、長いこと繰り返してるのに、批判は非常に少ない。

 この構造を、変えていかないといけないのだと思うのです。それをやろうとする・変えていこうとする政治家を支えると同時に、私達の側から政治家を出していく必要がある。お金の出し方を正常化しようとした鳩山内閣は、人々が「水戸黄門」を求めすぎたことと裏腹の「支える意識のなさ」によって、マスコミや一部官僚のウソ・デタラメに振り回されて潰されました。
 それを、こんどは繰り返してはならないと、私は思います。

 明日は、都知事選です。東京都の人は、豊洲市場のように、汚染が酷い上に、今の状況ですら毎年百億円以上の赤字が出るような設備に移転することをいいことだ。と言うような政党に投票することや、棄権すればそのような人達が当選してしまうことが本当にいいことか、考えて、投票に、ぜひ行ってほしいと思います。

前回の書き込みも、どうぞ。
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