衆議院選挙・総選挙が始まりました。

 この間、希望の党が出てきたり、民進党希望の党に合流すると決めてしまったり、その途端に希望の党が「踏み絵」なるもので「選別」したのに多くの人がドン引きしている中で、「選別」「排除」されそうな人達が立憲民主党を作り・全てではないにせよ野党共闘が出来るという流れの中で、書きそびれてきたことが沢山ありました。状況がすぐに変わるので、落ち着いて何かを書こうにも、途中まで書いた所で捨てるしかなくなったこともありました。
 しかし、再来週の日曜日には、投票と開票です。自民党公明党過半数を占め続け政権に居座る可能性が高めだという話もあるし、少なくなれば維新の党と希望の党が協力するだろう。憲法改悪も避けられない。などの絶望的な話もあれば、憲法改悪を止められるかも知れないという話もあるし、うまくやれば、自公を過半数割れに追い込んで安倍総理を辞任に追い込めるという話もある。

 そんな中で、やってくことを整理し直さないといけないなと思い、書いてみますね。

立憲民主党・枝野代表の記者会見の更に一歩先に。

 立憲民主党の結党の記者会見で、枝野幸男党首が言ったことで、私がこれまで主張したりしてきたことの根本部分を半分以上言われてしまったような気になった訳ですよ。このようなことを、今の日本の状況で言える人が、民進党内部にいたというのが驚きではあったのですが、更にその先のことを言っていかないとダメになるな。とも思った。
 今まで、この国の社会や政治には何が足りなくて・何が奪われてきて、結果として、社会の崩壊や破綻が加速しながら誰も止められなくなってる。と言う事を書いてきて、その上で、止められないなら、ある程度行き着く所まで行き着いてから立て直すために何が必要か。と言う事を、拙いながらも書いてきた訳です。
 
 その上で、今回をその出発点にするいい機会かも知れないと思ったのですね。まだまだ問題点は山積みだし、述べてないことも沢山ある。それらを愚直だなんだと言われても書いていく必要というのがあると同時に、これを読んでる方々や話の種として伝え聞いた方々には、色々とやってほしいと思うわけですよ。

社会を変える実感のない・実感を奪われた、私たち。

 確かに、「立憲政治は奪われた」「政治は奪われた」のは事実ですが、それ以上に、「自分たちの力で何かをして自分たちが社会の些細なことであれ変えることが出来た」と言う実感や体験が、奪われ続けてた訳ですよ、特にこの40年間ほど。
 誰か「偉い人」が決めたルールに対して、そのおかしさを主張するよりも、無条件で従い・不都合があっても「下」の人が不都合を背負って、不満なんか冗談でも口にしないでいかないといけない。自分たちで何かを変えていく。と言う事を出来るのは、誰かに重い罰や罪を押し付けるためだけに許されていて、社会の根本を変えたり決めたりする力など、末端の人にはないのだと、躾けていく。
 これは何も陰謀論でもなく、1990年代頃の、欧米の新自由主義新保守主義の学者や政治家・思想家が、人々をどのように「しつけるか」と言う視点から論じた論文や言説に、頻繁に見られていた話なんですよ。
 ゴミの分別を過剰に進めたりするのも、そういう論点から道徳を再構築するために、推奨されてきたという経緯があったわけです。
 結果として、最低でも日本では、このような惨状に陥った訳です。「偉い人」は法律も無視できるしお役所の書類も捨てられるし、籠池夫妻のような邪魔者だけを牢屋に押し込める「権利」があるが、末端の人は、偉い人の尻拭いをする「義務」もあれば、偉い人がやりたい放題した分の「ツケを払う」義務もある。
 声の大きな人達が、憂さ晴らしのように、それまで大きな罪を負ってなかった人たちに罪をなすりつけ・ある種の罪を負った人たちや異国の人に対して罰を与えるような制度を作っていった事は正しくて、その事が不公平を産んだり・多くの不都合を人々に強いたり、差別や暴力を社会にはびこらせる事につながるから止めたほうがいい・止めてくれ。と言う声は、犯罪者に味方するかと言われたりして排除され、結局、社会を多くの人が辛くなくなるように変えることよりも、社会を多くの人が辛くなるように変えていくことのほうが正しいとされて、その結果として、人々がネットで晒し合うだけで物事を変えていく事の出来ない世の中になって、今のように急激に崩壊する中で、誰も方向を変えることができない状態になってます。

改めて、「水戸黄門」に任せてるだけでは、ダメだ。

 それを変えることを、立憲民主党であったり共産党であったり社民党であったりに「期待」してるだけでいいのか?投票していればそれで終わらせていいのか?と言う問題を、なるべく多くの人が考えないといけないと思うのです。
 彼らを「水戸黄門」に仕立て上げ・その役割を押し付けることで、この社会は変わることが出来るのだろうか?と。
 私は、それには否定的です。
 前の、2009年の民主党社民党政権への政権交代。この時に、私も含め非常に多くの人が、「政官財の癒着でグズグズになってる日本の政治と官僚を、一刀両断する水戸黄門」の役割を、彼ら政権に期待し・また求める声を届けたと思います。
 しかし、官僚が構築した利権構造は非常に根深く・マスコミや与党政治家の一部すら取り込んで「改革」の足を引っ張り・偽情報を流したりすらして、内閣を潰していった訳です。
 そして、「何も変わらなかったじゃないか」と言う失望と無気力が高まり、自民党に政見が移り、その後安倍晋三という人やその背後にいる今井尚哉ら経産官僚たちが独裁者としてやりたい放題し・マスコミも「忖度」して批判しなくなっていき、社会の崩壊と腐敗が、ものすごいスピードで加速し、人が生きることができない社会へと、既に追い込まれている。

 ここを変えるには、どうすればいいか?

 「独裁者」を引きずり下ろすだけでは不十分すぎて、なんとかして歯止めをかけ・今までの責任を取らせていき、人々の声を尊重する人を政権につかせるだけではなく、その過程で、そのような人たちの「後ろ盾」に私達一人ひとりがなると同時に、非常に多くの意見・方向性など定めようがない意見のやり取りをしていくことで、私達自身が「何か」を「とりもどしていく」必要があると思うのです。
 どうかみなさん、選挙でこの人やこの政党を推してみよう。と言うのがある人は、選挙事務所でチラシ折りやチラシのポスティングからなんから人手が足りないと思うので、一時間でも動ける時に連絡を取って手伝ったりして言ってほしいですし、心身の都合や仕事の都合で無理な人は、意見を届けたり、ある候補やある正当に対し、これをやってほしいとキャンペーンを張ったり、ネット関係のお手手伝いをしたりなど、色々とあるので、やれることをやっていって欲しいと思いますし、それが無理でも、身近の知り合いや家族や仕事・趣味の繋がりで多少政治の話をして、今の「タブー」を突き崩す一歩を踏み出して欲しいと、思うのです。