短期的成果や「競争力」政策が招いた、日本の不正天国。

 やっと、天候が冬らしくなりましたね。何だか、最近は暑いのが長く続いたと思ったら、すぐに寒くなるので、体調も崩れがちになりますね。どうか、おだいじに。

企業も研究者も、不正がたくさんたくさん。

 さて、昨日・12月10日に、「追跡 東大研究不正 ~ゆらぐ科学立国ニッポン~」と言う番組が、NHK(地上波)で放送されました。
www6.nhk.or.jp

 内容をまとめてるサイトも出てるでしょうし、その内どこかに非公式にアップロードする人が出たり、NHKで再放送したりするだろうから見れる方は見てほしいのですが、幾らかの人が危惧して警告もしていたことが、完全と言ってもいいくらいに当たってしまった訳ですよ。
 あらゆる研究に対して短期的でなおかつ目立つような成果を求めると同時に、「競争原理」を要求して、研究費の配分やなんやを決めるようにした結果、大きな成果を出すために、論文や研究自体の不正行為が相次いでしまってる。
 予算配分では、世界的に有名な雑誌に載ることが大事にされて、研究の中身についてはあまり問われない状態になってるので、尚更、不正行為をしてでも目立とうとする研究室が相次いでしまってる。

 これは、今政府が進めている「文系の研究はいらないし、理系の基礎研究も絞っていかないとダメだ」と言う議論や政策とも重なってくる話なんですよね。
 すぐにお金になる研究と、「世界的に有名で権威のある」雑誌や研究者に認められるような研究以外は、直ぐにやめさせてしまえ。
 これが、番組中でも言われてますが、小泉政権以降の自民党政権霞が関の強い考えなわけですよ。

 予算配分を決めるのは、事実上財務省である。と言うのが、日本の予算制度の大きな問題な訳ですよ。そして財務省は、「取りやすいところから税金を獲る」「個別の予算はとにかく削るのが偉い」と言うポリシーで、最低でも小渕政権以降の20年間ほどやってきました。
 これは学術研究に限らず、例えば、生活保護を無理やり削減し、その事で色々な貧困者向けの助成制度や支援制度が酷いことになって、(生活保護を受けてない人も含めた)貧困な人の貧困が悪化してる。というのも、この財務省の有り様が、非常に大きく影響してると言っていいでしょう。

 そして、この25年以上、民間企業も、人を削るのが偉い。直ぐにカネにならない研究をしてる奴は排除しろ、カネになる研究が出来たら、それは二束三文で会社が独占して研究者から奪ってしまえ。と言う事でやってきましたし、今の(第二次以降の)安倍政権は、その事を法律の面でバックアップしてきた訳ですよ。例えば、会社員の研究者が行った成果の特許を、企業が独占できるように法律を変えたりとか。

 その事が何をもたらしたか。まさに、このような不正が当たり前になってしまった事と同時に、技術のある技術者や研究者が会社にいられなくされ、外国に流出し、彼らは高額の給料と破格の待遇で外国企業に雇われ、技術指導をしたり研究をして、日本企業を越える製品を作って市場を奪っていった。
 それだけでなく、日本企業自体が風通しが悪くなり、根本にある力も衰え・不正が当たり前になって、タカタのように一個の事故で破産する会社まで少なからず出るようになってしまった。

中国の事を軽視し、日本の問題を無視してきたネット世論がもたらした、いまの日本。

 少し、話を変えます。
 2001年位に「先行者」と言う、中国のロボット研究の基礎部分に当たる試作ロボットが、日本のネットで話題になりました。
 「中華キャノン」などと言って、「中国はこんなにしょぼいものしか出来ないんだ」「こんなものを作らずAIBOを作る日本の技術は素晴らしい」。
 そんな感じの事が非常に広く言われていました。
 当時、私は、出来たばかりのスラッシュドット日本(今のスラド)で、
 ・中国をバカにすべきではない。
 ・中国の兵器開発の状況や工業の裾野の広さを見ていても、中国の科学技術にかける力の入れようを考えても、10年〜15年位で日本は追い越される。
 ・日本で技術者のリストラや新規採用を絞って、技術者が韓国などに流出するのを止めない限り、日本は世界全体から完全に置いていかれる。
 こんな感じのことを書いたんですよ。未だ、小泉政権の「研究者いじめ」が始まったか始まらないかの頃に。

 ネットの反応は…
 「妄想」「そんなわけがない」「き○がいの戯言だ」。
 まぁ、こんな物ばかりでしたよ。他のところにも書いたけど、反応は似たようなものかもっとひどかった。

衰退を食いとどめるためにすべきことを皆が考えよう。

 それ見たことか。などと言っても何も始まらないから言いませんが、ミクロばかり見ていることが正しくて素晴らしい。と言う社会風潮や、予算配分のありようだけではなく、私達自身の視点や視野の狭さというものを、今の状況であるから尚更見直していかないといけないと思うんですよ。
 そして、目の前の成果ばかり大事にして、数十年かけてじわじわと効いてくるようなとりくみや、直接お金には繋がらないけどお金につながる事の行き過ぎへの歯止めになったり、その事が本当にいいことなのかどうか考える機会を与えてくれるような、文系的な研究も含めて、きちんと「それがあるべきだし、お金もちゃんと出さないといけない」っていう風に、私達自身がきちんと考えを持っていかないといけないように思うんですよ。

 マスコミにせよマスコミをいいように「操って」る一部の官僚や政治家や企業にせよ、目先のお金と自分たちの金儲けや天下り先の事ばかりで、その後世の中がおかしくなったとしても責任を取らないし、責任を取らないで済むように、この70年間を使って制度や法律をいじくり倒してきたのですから。

 ここを、変えさせる必要もあると思うのです。
 それをするには、水戸黄門を待望していたのでは、無理だろうな。水戸黄門として出てくる人は、皆「向こう側」なんだし…などとも、思うのですね。