名護市の選挙や陸自ヘリの墜落を後回しにして、バレンタインデーと日本社会のブラックさを考えてみる。

 色々と忙しく、間が空いてしまいました。いくつか書かないといけないな。と思うことがあれど、書こうかと重い腰を上げて中身を考え始めた途端に、大きな事件があり…と言うのを、繰り返してきてズルズルとここまで来てしまいました。沖縄の名護市長選で、現職だった稲嶺氏が負けたことや、昨日起こった陸上自衛隊のアパッチ攻撃ヘリが墜落したことを書こうかと思いましたが、それは書いていて余裕が出たら書くことにして、まずは、これを書いてみます。

バレンタインデーに無理やり義理チョコをばらまくのをやめよう。と唱えたゴディバの広告の波紋。

 もうすぐ、バレンタインデーがありますね。2月の14日。日本の場合は、物凄くややこしい日になってて、やれ、本命チョコだ義理チョコだ友チョコだ、挙句の果てはもらった人は3月の14日のホワイトデーにお返ししなきゃいけないだ、更にはお返しの金額が二倍返しだ三倍返しだ。正直、私自身はあんまし貰わない人ですし、世間の風潮見ていて呆れてすらいるのですが、チョコレートの大手(高級)ブランドゴディバ社が、日経新聞にこんな広告を出した訳ですよ。(引用は、話題にしたねとらぼの記事の一部から)
togetter.com

 この広告は2月1日の日経新聞に掲載された一面広告。「バレンタインは純粋に気持ちを伝える日」「この時代、義理チョコはないほうがいい」とバレンタインにチョコレートを用意してきた日本の女性をねぎらいつつ、男性に対しても「“義理チョコ、無理しないで”と伝えてほしい」と呼びかけるものでした。世界的に有名なチョコレートブランドが出したこの広告は、SNSを中心に大きな話題となることに。

 チョコレートメーカーにとってはビジネスチャンスとなるはずのバレンタインデーですが、なぜゴディバジャパンはこの広告を出したのでしょうか。この広告についてゴディバジャパンに取材を申し込んだところ、社長を務めるジェローム・シュシャン氏から回答がありました。

―― なぜこの広告を出したのでしょうか。

シュシャン:まず、私たちが大切にしたいのは、バレンタインデーの主役は、「もらうひと」ではなく、「あげるひと」ではないか、ということです。「あげるひと」にとって「楽しい」バレンタインデーかどうか、それがもっとも重要なことではないかと考えました。

 ですから、義理チョコをあげるのが楽しいと考える人、ごあいさつとして知り合いの方に配る、それが自分にとっても楽しい、と考えている方には、今後ともぜひ続けていただきたいですし、そのような方のための商品開発は続けていきたいと考えます。でも、もし義理チョコが少しでも苦痛になっている人がいるのであれば、それはやめたしまったほうがいいのではないか、と私たちは思います。それが今回の新聞広告の趣旨です。
「義理チョコをやめよう」バレンタインに向けたゴディバの広告が話題 ゴディバジャパン社長が広告に込めた思いは - ねとらぼ

 詳しい歴史的経緯は後にして、職場とか学校によっては、義理チョコを女性の間でお金を集めたりしてまとめて買ったりする場合が結構昔からありましたし、「義理チョコを出さないと、職場などの空気が悪くなるのではないか・自分が裏で非難されるんじゃないか」的な、怖れと言うか同調圧力を感じてる人が、結構いるでしょうし、「お返し」をする男性にしても、同じようなものを…チョコを貰ったのだから、、なおさら強く…感じてる人も多いでしょう。
 結局、単なるイベントで任意参加のはずが、参加しない人は頭がおかしいか人付き合いする気のない偏屈者だ。と言う空気が、物凄く拡がってる様に、私には見えるのです。そして、その空気は、場の雰囲気を和ませるどころか、一人ひとりの心情のようなものを、ささくれ立たせすらしてる。
togetter.com

チョコレートの材料の「ブラックさ」をスルーして、私達の社会もどんどんブラックになった。

 この広告が出た背景には、もう一つの理由があるのではないかと思うのですよ。
 チョコレートの原料のカカオマスは、この20年ほど、欧米諸国では、「児童に対する強制労働や人身売買で連れてこられた人を働かせて作ってる」「そうでなくても、農民に非常に安い報酬しか渡さず、長時間働かせてる場合が多い」と言う批判が、繰り返しされてる訳ですよ。特に、義理チョコとして大量に流れてるような、安いチョコレートは、そういう原材料が使われてる可能性が非常に高いし、では、「フェアトレード」と称してきちんとした価格で買い上げてそれなりのお値段を付けているチョコレートがどうか?と言えば、それはそれで、フェアトレードのやり方のまずさから、末端の農民にお金が行かなかったり、農民が商社などと直に取引するのを組合が妨害していたりで、トラブルになることがあるようですね。
acejapan.org
 フェアトレードの場合は、フェアトレードと認定するやり方に問題の原因があったりするのでそこは今回は棚上げしますが、問題なのは、大半のチョコレートが非常に拙いやりかたで作られていて、現場にお金が行かないし、無理な働かさせられ方から働いてる人が抜け出せないという構図を、義理チョコにせよ私達が気づかずに後押ししてる。ということなんですよね。
seize-stone.com
 かと言って、高いものを買えば、この悪循環の構図に加担しないで済むわけでもなく、せいぜい出来ることと言えば、安いチョコレートを買った時に構図について考えることやむやみに買わないこと、後は、そのような行為をやってるメーカに対して改善するよう突きつけていく程度しかやりようがないのですけどね。

全ては、円のようにつながってるのかも知れない。

 このような構図、私達日本に住んでる人も、大半の人は無縁ではない訳ですよ。ブラック企業の問題や、ブラック企業に適応させることが目的に入ってるように見えるブラック部活の問題は、大多数の個人を不幸に追い込むことで、ごく一部の人達が大きな利益を挙げるだけではなく、それの「言い訳」的な理由にもなってる、低賃金カルテルや低価格競争、際限ない品質向上要求を含めた形で、この社会全体をブルドーザーのようなもので、めちゃくちゃに破壊し尽くしてる。

 そのような状況が形作られていく中で、バレンタインデーの際限ない高級化とか同調圧力化があったと思うんですよ。
 1970年代の終わりくらいまでは、義理チョコなんて言葉もなく、本命チョコだけはあったけど…と居う感じで、70年代と80年代の間くらいから、「チョコを貰えない男子はどうするんだ?」的な話が出てきて、義理チョコに相当するものが急激に広まり、80年代のバブル景気の中で、広告代理店の後押しもあって、チョコレートの高級化が進み、その中で、義理チョコが定着していきました。
 そして、90年代の頭くらいから、ホワイトデーの話が広告代理店主導で出てきて、二倍返しだ三倍返しだと煽られた末に定着したわけです。
 その流れの中で、大体80年代の終わりくらいから、職場でもなんでも、空気を悪くしないために女性が義理チョコをばらまくという風習が出てきたように、私は記憶しています。

誰が作った同調圧力でも、それを一人ひとりが壊していく努力をしないと社会も身の回りも、壊れたままだ。

 なので、日本の、最低でも80年代以降のバレンタインデーというのは、「広告代理店が作って、人々が同調圧力に転化する」というのの繰り返しだった訳ですよ。
 そのような同調圧力で、安いカカオマスが沢山買われて沢山消費されるというのは、私は「ロハス」的なものや主要な「脱成長論」は余りにスノッブで醜いから余り好きではないのですが、やっぱし、なんかなぁ…と思うんですよ。
 今も幾らかはありますが、ステマ的なやり方で拡がった分、こんな拙いことが伴ってるからちょっと立ち止まって考えようとか周りを見よう。と言うことを、言いにくくされてしまってる。今はともかく、少し前までなら、そのようなことを言う人間は「頭のおかしな非国民」扱いすら平気でされてきてました。

 結局、その事が社会の荒廃の一部になってしまってるように見えますし、そうならば、やっぱし、同調圧力をきちんとはねのけて、自分の考えを他人に説明して、バレンタインデーに乗る乗らないとか、義理チョコばらまくのに乗る乗らないとかやってかないといけないように思うんですよ。
 身近な関係性・職場などの人間関係に関わる話ではあるんですが、そこの部分からそういう事をやっていける状態をつくっていかないと、やれ総理が誰だとかどこそこの市長がどうだとか動きがあったとしても、世の中を、これを読んでる一人ひとりの人が多少は今より楽しく・楽に暮らせるようにすることすら、実はうまく行かないのではないかと、思うのですね。