下町ボブスレーのグダグダぶりと奨学金問題から見えてくる、日本の産業と社会の崩壊。

 さて、オリンピックが始まりました。私自身は、どうでもいいどころか、次の東京オリンピックが明らかに上級国民が国の富を火事場泥棒みたいに自分のポケットに奪っていくための方便になってしまってる(と言うか、最初からその目論見があったように見えています)から、やめてくれという気持ちしかないのですが。
 その中で、下町ボブスレーと言う話が、美談として取り上げられてきたようですね。
 私は前にちらりと見て、余りの胡散臭さと言うか広告代理店っぽいステマ臭さを感じて、無視するようにしてきていたのですが、作ったボブスレーを使うはずだったジャマイカの選手チームが、使うことを拒否して、日本側から億単位の賠償金が請求されることになりそうだ。と言う事で、先週の金曜日辺りからネットではちょっとした騒動になってる訳ですよ。
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「下町ボブスレー」と言う美談の顔をしたステマが、グダグダになった日。

この経緯というのが、無茶苦茶で、

  • 大田区などの町工場がオリンピックで使うボブスレーを作ろうと言う事で、お金を集めだす。
  • なぜか、東レを筆頭とした大企業や研究所が、素材を提供するだけではなく、ボブスレーの本体の設計までやりはじめる。
  • その事で、国からこれまた億単位の補助金が、取りまとめ役の会社(町工場とは全く違う会社)などに支払われる。
  • マスコミでは、大いに盛り上がり、大田区が車の「ご当地ナンバー」として、下町ボブスレーを採用したり、スカイマークが下町ボブスレージェットを企画するなど盛り上がりが加速する。
  • その間に、日本チームは、「出来が悪いから使えない」として、下町ボブスレーの使用を拒否。
  • 仕方ないので、外務省が先頭に立って売り込みを行い、ジャマイカが採用しましょうかと答える。
  • 予選的な世界大会に出来上がったボブスレーを持ち込もうとしたが、安全基準上の問題があるからと拒否された(ストライキで会場に持ち込めなかったとの説もありますが)
  • ジャマイカチームは仕方なしにラトビアの会社の使ったボブスレーを使ったら、非常にいい成績を残せた。
  • そんなこんなで直前には、「使えないものを渡されても困ります」と言う事で、ジャマイカチームは、違約金を覚悟して下町ボブスレーを使わないことにする。
  • そして、なぜか、日本で下町ボブスレーを取りまとめていた会社や周辺の会社が、「ジャマイカに損害賠償請求する」といきり立ち、ゴタゴタ…

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 こんな感じだったようですが、出来の悪いものしか作れないのが果たして最初に始めた町工場の問題かと言うと、どうも、この町工場はソリの部分しか作ってなかったようで、その他は最初にも書いた名だたる大企業や有名大学が携わってるわけです。
そして、取りまとめ企業の主は、安倍総理との距離の近さを自慢して講演会を沢山やったり、自民党のネット番組で「安倍総理に一番近い中小企業」とヨイショされたりしてたし、このプロジェクト自体が道徳の教科書に載せられただけでなく、なぜか、使われてた写真が安倍総理が試作品のそりに乗っかってる写真だったりした訳ですよ。

下町ボブスレーの挑戦 ジャマイカ代表とかなえる夢

下町ボブスレーの挑戦 ジャマイカ代表とかなえる夢

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 これ、物凄い問題ばかりが見えてくるわけですよ。町工場のイメージとか日本の中小企業が健在だという「美談」を広めるために、有象無象の人達がプロジェクトを異常に大きくし、マスコミやネットメディアもステマよろしく持ち上げて、その後側では、今の政権と密接に関わり(国会でも安倍総理の施政方針演説で取り上げられましたっけ)、「日本はまだまだ優れてる」と言う、メッセージのために使われてしまった。
 それだけではなく、個別の部品を作ってる会社たちはともかく、全体の設計や設計図書いてる人達が技術力がなかったり、お客(今回はボブスレー選手団ですね)が必要としてる事を全くわからず、物を押し付けて優れてるんだから、さぁ、使いなさい。と押し付けようとした。

大企業の国内での高飛車さが、胡散臭い人達を呼び込んだ?

 日本国内で、特に大企業はそうやって商売をしてきた部分が相当あるわけですよ。外国相手には、真面目に物を作らないとという締め付けがあったでしょうけど、日本国内のお客に対しては、なぁなぁで出来上がったものを押し付けて、不具合が出たり使いにくかったりしても、それはユーザの問題だから知りませんよ。そんな商売が、大手企業に限っては、本当に当たり前のように、最低でも2000年前後からは当たり前のようにあった訳ですよ。
 大企業に部品やなんやを納入したり、IT業界だと現場で実際のプログラムを書いてたりする中小企業に対しては、理不尽すぎるほどの品質要求があって、しかも、大企業の側がマトモに設計書や図面を書いてくれるかと言えば、いい加減に「大体こうしてね」みたいな話しかなかったり、図面にしてもそのままじゃ部品が作れないから製造現場で勝手に図面書き直したり職人さんの努力でアレンジしたりしているのが当たり前な訳ですよ。

 そして、そういういい加減なお仕事で、大企業が取りまとめて、国や自治体であったり、他の企業であったりに、製品を売る。大企業はものすごく高いお値段で売ってても、下請けにはどんどん値下げしろ・値下げしたら、もっと値下げできるはずだ。納期も守れ。納期の何日も前に部品を納入するな。と言う事を、当たり前にやってるわけです。

 そんなだから、ブラック企業がはびこるし、町工場なんかは特に後継者が取れなくて廃業に追い込まれてきた訳ですよ。

 その事や、前にも書いたような「日本の技術は優れ続けてるというおごり」が日本の世論にはびこっていたことで、日本の技術力が急激に衰えていくと同時に、口先と偉い人とのコネだけでカネを集めたり宣伝して行くような、胡散臭い人々が…その中には、暴力団やハングレの人達も少なくないでしょう…、はびこり、一番お金を持っていってしまう。という構図が当たり前になってしまってる。

 東京オリンピックでは、他人のデザインを「パクって」適当にでっち上げたエンブレムがバレた件に限らず、沢山の胡散臭い人達や偉い人たちとのコネだけで仕事してる人達がお金を持っていって、末端で働く人達には「ボランティア」と称するタダ働きを無理やり強要する動きすら、普通に出てしまってるから、もっとひどいことになるでしょう、

奨学金問題も、貧困の連鎖も、「階級」の固定化と、国の衰退を招いてる。

 もう一つの事を書いておきましょう。

 生活保護を取ってる人や、その他の事情で非常に貧しい人たちなどの子どもたちが、大学などに行くと(場合によっては高校でも必要になるようです)、奨学金を取らないといけなくて、日本の場合は基本的に利子付きの貸付ですから、返すことが困難な金額になってしまい、返せなくなって本人だけでなく親も破産しないといけない。という話が、万単位の人に対して起こってしまってる訳ですよ。
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 「マトモな」就職のためには、大学をでないとどうしょうもない。と言う問題が、より話をこじれさせてるのですが、その部分は置いておいて、奨学金を貸付で行い・利子まで回収する。と言う事が当たり前になってる国というのは、そんなには多くないんですよね。アメリカみたいに学生ローン破産が深刻になってる国は、あまり無いのに、日本はアメリカの真似をしようしようとしてる。
 ヨーロッパの多くの国など、長年技術的な競争力を保ってる国では、大半が、高等教育は無料であり、誰にでも生活費などを貸し付ける。と言うのが当たり前になっているのと比べても、日本やアメリカのようなやり方というのは、異常としか言いようがないのです。

 高等教育を国民に広く「施す」と言うのは、国民が教養を持つことでもあるのですが、日本では「貧乏人や一般人の子供に教養をもたせるのは無駄」「奨学金も返せないのに借りるな」と言うような、あまりに乱暴と言うか第二次世界大戦の前ではないかと錯覚しそうな意見が大半で、国と保守政治家達がそれの先頭に立ってしまってる訳ですよ。
 人々が教養を持つということは、無駄でも何でもなく、「下町ボブスレー」にたかってたような胡散臭い人達のウソや、ステマを見抜いて、騙されないようにする。振り回されたり財産などをむしり取られたりしないようにするためにも、大事なことだと思うのです。

 しかし、この国では、それは贅沢であり無駄だという意見が非常に強く、「下々の一般人や貧乏人たちは、自分たちの言う事を黙って聞いて、文句言わずに江戸時代の牛や馬のように働き、辛くなったら自殺しなさい。自分達は責任持ちませんからね」という事が「社会常識」であるかのように、はびこってしまってるんですよね。

「だまされないための教養」がない国だから、このグダグダな崩壊に至ってる。

 そして、なぜか、この国の人達の多くは…そういう「騙されないための教養」と無縁の教育を小学校から大学などまで施され続けたからでしょうけど…、その事を怒るでもなく、そもそも気づくこともなく、黙って働き黙って朽ち果てるだけでなく、たちの悪い人達がばらまいてる「ウソ」や「いいがかり」にハメられて、やれ誰それが悪いだ誰それに罰を与えるべきだと、小説「1984年」の「二分間憎悪」よろしく、いきり立ってネットに書いたり世間話のネタにしたりしてる。
二分間憎悪 - Wikipedia

 これでは、この国は衰退して当たり前なんですよ。社会が衰退するのを薄々感じていても、それがなんで起こるのか。ということに対しては、それを見据えるような・見抜くような教養的な態度と教養を、国の側が与えないようにしてきたのもあって、胡散臭い人々が、あたかも正しいかのようにばらまいてる、おかしな解釈やウソに乗っかってしまい、そうであるがために、胡散臭い人々やたちの悪い人々に騙されたり、ステマに騙されたりしてもそれが自覚できない。
 そういう中で、私達は生きてしまってるんですよね。そして、そのような状況を良しとし続けることは、実は、この急激に崩壊してる社会の中では、自分自身や家族などの命に関わることに簡単になってしまうわけです。私達は、自分のやり方で・いろいろな人と話したりネットなどでコミュニケーションしていく中で、教養を身に着け、教養を深めていかないといけないと思うのです。

 それが、実は、このひどい乱世を、崩壊している社会と言う時代を、なんとかして生き抜くために最低限やらないといけないことでもあると、思うのです。