森友学園問題での公文書ねつ造問題からみる、国への信頼感の裏でうごめく悪い人々の、影。

 色々と書こうとは思いつつつ、別件にかなり力を入れていて、こちらを書くだけの時間を確保できない内に、なんだか色々と世の中がうごいてしまいました。

 森友学園への国有地払い下げ問題で、財務省と近畿財務局が国会に出した書類が、露骨に改ざんされていた。と言う事を、朝日新聞が報道しました。金曜の朝からその話がTwitterでも、多くのテレビ局でも、くり返し飛び交っています。
 これ自体は、この問題が浮上したかなり早い段階から「なんか書類のねつ造みたいなことをやってるんじゃないか」と言う声・意見が、少なからずネットでは言われていたんですよ。多くの人が、国が出してきた「証拠」が胡散臭いと思っていた。
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 加計学園今治市に無理やり獣医学部を作った件で、情報公開請求した市民団体に対しても、単なる「ノリ弁」・要は黒塗りで何が書かれてるのかわからない公文書に限らず、明らかに中身がおかしい・必要な情報が抜かされてる書類が情報開示されたりしてるわけですよ。


国会の記録を都合よく書き換える人達が、役所に強引に書類を書き換えさせない訳がなかった。

 なんでそんなことを考えるような人が多くでたかと言えば、2012年の末に安倍内閣になって一年もしない内に、国会での内閣側・特に安倍総理の行った問題発言が、与党側の要求で議事録から削除されたり、山本太郎参議院議員の厳しい追及に代表される、安倍総理や政府に対するいくつもの厳しい追及や叱責とも言える議会での発言が、議事録から削除されるという事態が、当たり前のように頻繁に行われてしまっていたからなんですよ。
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 こんな事をする連中が、国や自治体の書類を書き換えさせないわけがない。そういう疑いを持たれて仕方ないだけのことを、やってきてるわけですよ。それも、半分以上流れ作業っぽい感じで。
 しかし、証拠が掴めてなかったので、そのような事を言ったり書いたりすれば、「妄想だ」「いい加減なことを言うな」と、強い非難を受けてきたわけですよ。その位、世間一般が「国」「自治体」「役所」というものが間違ったことをしない。と言う信頼感や信仰のようなものが非常に強かった訳です。
 でも、実際には、行政とトラブルになった人の裁判とかを見ていても、おかしなねつ造やこじつけを行政(国や自治体、警察など)が行って、それによって、やってもいない罪で捕まって犯罪者にされる人なんてのも、大昔から沢山いたわけですよ。「転び公妨」とかで調べると、色々と見えてくると思います。

 話が横道にそれましたが、この国では「こんなことをやるはずがない」と言う一般のふんわりとした信頼感・でも、そこには昔そうだったという以上の具体的な証拠がない危うい信頼感に支えられて社会が廻ってきて、そうであるが為に、信頼感を逆手に取って、表に出てこないようにして不正を働いたり、不正が表に出てきても被害者を社会的に孤立させ・場合によっては「恥ずかしい」犯罪者に仕立て上げることで孤立させていって、悪いことをしてきた人達というのが、沢山いるんですよね。
 そのような人たちは、大抵の場合自分達の力を過信し、社会を腐らせる先頭に立ってきていたと言えるでしょう・

「不正選挙問題」の内容は間違っていても、そこにある感情や疑いは、正しかったのかもしれない。

 不正選挙問題という話があります。
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 2011年の東日本大震災の半年後くらいから、頻繁に眼にするようになった物言いですが、要は、選挙の機材を作っている会社が、安倍総理らの一族が大株主であったりする事などを「具体的証拠」に挙げて、選挙の票の集計やその他のところでの不正が大規模に行われてるのを隠してるのではないか。選挙は信頼できない。と言う話です。
 これ自体、結構色々と穴があって、具体的な信頼性があまり無い話ではあるのですが、しかし、それは、裏返すと、今の自民党政権に繋がってる人達や、原発事故以降の霞が関やマスコミの「おかしさ」「ウソを真実だと言い張って世の中の空気を壊していくさま」みたいなものを敏感に感じ取った人達が、当時の民主党など今の野党勢力議席数が急激に減っていくのを見て、選挙に対する信頼を失っていったことが引き起こしたことだったと思うのです。

 これを、狂人の妄想だと言って切り捨て、排除するのは簡単だったと思うのです。実際、世間の大多数の人たちは、そうした。でも、その背後にある「社会」への不信感は、実は正しかったのではないか。と私は思うのです。この間表に出てきた色々な問題を見ていても、「今まで通りにやってれば間違いない」「この人達は悪いことはしないし間違ったことはしない」と言う社会の信頼を逆手に取って、ひどいことや悪いことをする人達が、あまりにのさばりすぎてるわけですよ。
 そのようなものを、特に東日本大震災以降自分の身に降り掛かったことと世の中の「無関心さ」のギャップの酷さから感じ取ってた人たちのことを無視するどころかあざ笑い・安易に狂人扱いしてしまった事が、この状況を招いてしまった部分が、少なからずあるように、私には見えてるのです。

 あらゆる社会システム・行政などのシステムは、なかなか変わらないように見えるけど、それが揺るぎなく間違っていなくて信頼できる。と考える人が多くなれば多くなるほど、裏で悪いことをする人達がやりやすくなるし、大半の人々が苦しむような形にシステムの中身自体を書き換えてしまうことも、やりやすくなるんですよ。
 「なんとなく」な信頼感は、世の中の関心や危機感を薄れさせ、システムに対する監視がされなくなるどころか、システムやその中の人達によってひどい扱いを受け苦しめられた人達を、「頭のおかしな人」「悪人」などとして、一瞬で社会が切り捨てる事を頻繁に起こすことにつながりますからね。

社会システムの主役がだれか、改めてシステムを書き換える好機。

 今後、この6年間で色々と悪い方向に書き換えられてしまった社会システムと、それをやったろくでもない人たちによって、私達一人ひとりが苦しめられることが多く出るかもしれません。
 苦しめられた事を言ったり、苦しめるのを止めろと「お上」に突きつけたりする人たちに対して「ただのわがまま」「自己責任」だと攻撃して孤立させようとする人たちも少なからず出てくるでしょう。
 しかし、私達はそのような事に抗うと同時に、このような不都合を個人に押し付けるシステムを、私達一人ひとりの議論や行動によって、私達寄り・世間で苦しみもがきながら生きてる人々の側にとりもどしていくようないい機会として、色々やり直していくことが必要になると、思うのです。
 今のシステムの有り様は、森友問題や加計問題に限らず、色々なことで壊れてきています。オリンピックの裏金問題でも、もうすぐ、フランスの警察が国際逮捕状を取る可能性が高まってますし、この一年間は、今まで疑ってこなかったことが疑われるのだから、それは、正しく状況を疑い、私達がシステムの主役なんだと改めて考え直すいい機会になるだろう。と、思うのですね。