東日本大震災の原発災害のてんまつと、森友問題での財務省「陥落」の報道の二つで、考えてみる。

 さて、東日本大震災から七年目になりました。14時57分(訂正)14時46分の地震の後に、15時半前後から壮絶な大津波が、北海道・青森から千葉にかけての太平洋岸だけではなく、東京湾などにも繰り返し押し寄せてきて、非常に多くの方々が流され命を喪いました。
 どうか、14時46分だけではなく、15時30分からの一時間半程度の範囲のどこかで、津波に呑まれていった方々に思いを馳せて黙祷などしてほしいと思ってます。

 最初は、そこから話を始めていこうと思います。

 そして、繰り返しあった大津波での原発設備の破損と杜撰な系統設計だった電源喪失によって、福島第一原発で、最低でも四台の原子炉がメルトダウンメルトスルーし、原子炉の中で臨界暴走をはじめてテレビカメラの前で大爆発を起こしたり、使用済み燃料をおいてあったプールで核燃料がぐちゃぐちゃにかさなり、触発臨界の疑いすらあったような事態にすらなりました。
 この時に、原子力発電所の周囲にいた人達の多くが津波に流されていると訊いていますし、又多くの人は、原子力発電所メルトダウンや臨界暴走、建屋の爆発に巻き込まれたかのような周りの所で、亡くなられて、野犬などに食べられてしまった方までたくさんいたと、「立入禁止区域」に無理やり入って状況をルポした何名かのフリージャーナリストたちの記事では述べられていました。

「絆」と言う言葉が好きだった私が、「絆」が大嫌いになった理由。

 生きて避難できた人々も、原発周囲と言っても郡山やいわき・丸森辺りまでの広範囲な「周囲」の住民たちは、事故時点でいた場所によっては高濃度の汚染をかぶることになり治療など受けてましたし、それ以外の人達も、困窮と放射能汚染の恐怖の中で、なんとかして県外に移住して家族の生命の安全を確保しようとすれば、色々な人達から「放射脳」「卑怯者」などの罵詈雑言を受け、テレビもテレビで何かにつけて「絆」(私はウルトラマンネクサス以来この言葉が凄く好きでしたが、震災後の一ヶ月後からの使われ方を見て、眼にしただけで吐きたくなるくらい嫌いな言葉になってしまいました)とか言って、避難すべき人を、今いる場所なり震災の前まで住んでいた場所なりに縛り付けることばかりに躍起になっていた。

 今や、原発被災者も津波被災者も、昔いた所に戻らなければならない・今まで避難してきた所に居続けるのは、お上に逆らうワガママに過ぎない。と、県職員が県外の被災者を戸別訪問して、補助の打ち切りだけでなく県内に戻るように「説得」してトラブルが起きたりまでしてるんですよね。

 そして、たべもの。
 放射能汚染にせよ、汚染されていても大したことはない。と当時「エア御用」などと皮肉めいたあだ名を付けられていた「科学者」「ジャーナリスト」「文化人」がたくさんいました。彼らからすれば、セシウム同位体ヨウ素同位体だけ測って、国の基準を0.1ベクレルでもクリアしていれば、なんの問題はないんだって、大声で言ってた訳ですが、それに対して、ウクライナベラルーシの現実に起こってきたことと全く違って信用できる話ではないと言う批判が沢山出て、それは、茨城・福島・宮城・岩手の農水産物ボイコットの動きにつながっていたのですが、それに対して片っ端から「福島を差別するのか」みたいな無茶苦茶な攻撃をして、とうとう、彼らの言う話に疑問を投げかける人がほとんどいなくなり、郡山のように土ぼこりなどでの汚染が深刻な状態にあった地域で、道路とかを除染しても除染してもすぐに放射能が増えて戻ってしまう。と居う状態になってたのに、子供にマスクをつけさせない・保護メガネも付けさせない。そう言うようなものすごい同調圧力が働かされたわけです。

東日本大震災原発被災者たちに押し付けられた、四重五重の苦しみ。

 東日本大震災の被災者たちは、地震に苦しめられ、津波で多くの財産と家族や友を奪われ、原発事故で家も奪われた末に、東京あたりが考えたような「わかりやすい」三文芝居で「絆」「郷土の誇り」を押し付けられて、がんじがらめにされて動けなくなってる。甲状腺がんや循環器疾患などの急激な増加や生命の危険に晒されても、そのことがなかったかのようにする「学者」「ジャーナリスト」「政治家」のちからがあまりに強く、実際に被害を訴える人、不安を訴える人、そして、そのような状況を改善して生命と健康を保証しろと迫る政治家達…山本太郎に限らず…の全てに対し、「被災地差別を恥じない放射脳」「放射能デマを並べる放射脳」などの、ものすごい酷いウソと中傷が投げられるという、「四重五重の苦しみ」を、専ら、前から言ってる「自分達の責任を取らないでいようとする人達」によって、無理やり押し付けられて背負わされている。

 この、特定の人々の生命と健康と財産を救うことを考えず、専ら自分達の保身や欲望、イデオロギーのような物が複雑に絡まった何かによって、他の人々・特に自分達が「目下」だと思う人達の人権や権利、生活や生命や健康、そして、ささやかな楽しみを縛り・奪い。更には「目下」の人達を自分達の都合よく操り、それらのために、外側にいる多くの人達を騙し・脅し、恫喝し、さらには都合いい話だけで洗脳までしてしまうような、厄介な人達が、あの大震災以降、どんどんと力を増して、菅直人元総理や菅内閣との権力闘争にはしったのだろうと、私は振り返っています。
それは、大体5月か6月位。地震津波の恐怖が一定程度治まって、ではどうやって復興すべきか。となった時に、マスコミが「食べて応援」「被災地の絆」とかの、ものすごいプロパガンダCMを洪水のように流していたじゃないですか。その少し前辺りから、菅政権の原子力政策のブレが見えてきて、どうもそれは、内閣はブレてないけど、特に経産省の中枢にいるような官僚が「ブレさせ」ようとしてて、その為に、当時の民主党内の一部の議員と組んで、菅内閣潰しと傀儡内閣の樹立に走った…要は、経産省などが菅内閣に対してクーデターを起こし、勝ってしまった事に、この十年間という範囲で考えての、今の崩壊がどうしょうもなくなってる状況につながる道があるのだと、思うのです。

野田内閣とはなんであったのか?そして、安倍内閣は誰によって作られたのか?

 野田内閣は、多分、野田元総理は真面目に求められていたことをやったのだと思います。真面目すぎるくらいに。でも、それは、いわゆる「国民」を向いてなくて、ましてや原発を動かして又生命の危険を感じさせられる人々や、マトモなケアや避難の権利を求めているような、原子力災害の被災者たちのほうはほとんど向いていなかった。クーデターで勝った経産省やその背後にいる政財界の人々の方しか向いていなかった。そのことが、多くの人たちに「民主党ではダメだった」と居う失望をもたらしたと同時に、「政治に関わっても自分の周りは良くならない。政治に関わっていてもしょうがない」と居う人たちを、膨大な数産み出してしまったんですよね。「自分達は自分達の力で何も変えられないんだ。政治については。」と言う、絶望の闇のようなものが広まっていった時に、自民党の中でも「極右」に近いような人たちが台頭し、安倍晋三を相殺に担ぎ上げ、2012年12月の選挙で勝ってしまった。

 その後安倍内閣がやったのは、マスコミと霞が関全体をアメとムチで「飼いならし」、社会システムもネットを含めた言論も、勿論税金や公共財産や法律も、あらゆるものを私物化していくことでした。
 そして、自分達・安倍晋三個人ではなく、彼を担ぎ上げてきたカルト宗教や日本会議原子力業界や経産省、そして、官邸の人事を見ていて気がついたところでは、公安警察も含めた形で、この国を徹底的に私物化し、国民や住んでる人たちから徹底的にお金を吸い上げるだけではなく、色々な権利・特に、健康でおだやかで文化的な生活を送り続けることを国が保証してきたいろんな制度や福祉やなんやを全て「ぶっこわし」、国と言うより国の看板で権力振るってるような人たちの下で文句を言わずに24時間働き、大した教養も現実への疑問も持たず、むりやり背負わされた苦しみを一人で抱えて、それに耐えきれなくなったら孤独に病気や自殺で死んでいく。という「模範的な」国民を、「教育改革」と称して、本格的に大量生産しようとした訳ですよ。

一年前に「全国区」になった、森友問題と籠池理事長証人喚問を振り返る。

 その中で、森友学園問題が全国的な問題になり、当時の籠池理事長が安倍総理大阪維新から切り捨てられかけた時に、人のつてで野党の人たちや左側で沖縄などに行ってるような個人活動家の人達が話を訊き、話をし、「自分は素直で勤勉で信仰にも敬虔だったから、悪いのにハメられてたんじゃないか」と気づきはじめて色々マスコミでも言い出したら、国会にいきなし証人喚問で呼び出された訳ですよ。
 証人喚問の中継は、全て通してみてますが、その前後の官邸や自民党の発言を含めて考えると、自民党や維新、公明党は、「愚直すぎるくらいに働き者の籠池氏だから、国会で喋らせた上で追い込みかければ直ぐに土下座するか、土下座しないなら簡単に『公開処刑』できるだろう」と確信して、籠池氏の証人喚問をいきなりやった感じがあるんですよ。籠池氏を「公開処刑」すれば、他の関係者は口を閉ざすし、野党もマスコミも追求できなくなっていくだろう。そういう目論見があったんだと思います。

 しかし、籠池氏にせよ籠池氏に「助言役」で付いた山口貴士弁護士にせよ、彼らのほうが、頭のキレだけではなく能力も胆力も「考える人」としての誠実さも、圧倒的に上だったので、色んな場面で切り替えしたりなんだりして、「公開処刑」を返り討ちにしていったわけですよ。

 ここから、籠池氏夫妻が無理やり牢屋に入れて周囲から隔離されたりなど非常に許せないことが沢山あったし、加計の問題やスパコン詐欺、レイプ隠蔽事件などでも総理と総理の周辺は逃げ回ってますが、証人喚問から一年ほど、色々な人達が諦めず、粘り強くやり続けると同時に、ネットという「場」が中心だったとは言え、色々な議論が深まり、情報交換も進み、集合知の力も発揮され、今まで安倍総理や警察の恫喝などを怖れて「忖度」していた新聞やテレビも、本気でこの内閣を退場させようと始めた結果、財務省が森友問題に関係する決済文書を、国会議員に渡したものに関してねつ造したり、今日になって、「複数の政治家の名前が乗っかっている部分を削除していた」なる財務省からのリークの報道が、始まりました。
https://mainichi.jp/articles/20180311/ddn/001/100/005000cmainichi.jp
www.news24.jp
 なんとも、長かったですし、ここからも、非常に長いと思います。

今の政権は、安倍総理だけの「独裁」ではなく、背後にいる邪な人々による「独裁」だったのではないか?

 今の政権は、安倍晋三という個人や菅(すが)官房長官、麻生財務大臣などの有力政治家だけが悪さをしてるのではなく、彼らを前に出して、その後ろで酷い悪さをしてきた一部官僚や警察の一部、経営者などの経済人や文化人の類の方が、もっとえげつない悪さをしてるようだし、そもそも論で言えば、安倍晋三氏が自民党の総裁になる2012年春辺りまでは、安倍氏自体が注目されてなかったことを含めて、彼が総理大臣になることを、カネで支援してる人達だけでなく、警察などが握ってる「情報」で彼を批判する人々や対立候補をねじ伏せたのではないか。とすら考えてます。
 要は、この国を…このブログで色々な形で書いてきたことですが…壊してきた・人々から色々なものを奪い、社会を息苦しく・動きが取れず、そもそも生き延びることすら辛くなる社会にすることを加速させたような人々が、安倍晋三氏や麻生太郎氏、菅義偉氏を正面に立て、政権を奪わせ、その影で、法律を組み換え・対立する人を警察力も含めて排除し、独裁政治に向かっていたわけです。

 そして、それは、311の原発事故以降、それまで原子力を使ってこの国を食い荒らしてきた官僚や企業人たちが起こしたクーデターを完成させて、この国が後で滅んでもいいから、とにかく自分達だけがこの国の富を吸い尽くし、この国の人々が自分達に向けて立ち上がれないように、学校教育から飼いならしていく。と居う感じに向かっていったんだと思います。

この40年間の、「上」で出鱈目をやる欲深い人々が作り上げた「邯鄲の夢」が覚め始めた今こそ、自分の目と手と足と頭で考え、議論していこう。

 しかし、そのような出鱈目が長続きする訳がないのですよ。国は、上にいる偉い人が作って決めて、その事で下の人達を支配するというやり方だと、どんどんと腐敗するだけでなく、社会が疲れ果てて、子供もできなくなり、犯罪に走るか自殺するかをみんなが迫られ、最終的にはぺしゃんこに潰れるんですよね。
 そういう、教養と言ってもいいような部分の知識が、自分の血肉になってるのならあまりに怖くてやりたくても出来ない事を、この国の「上」の人達は、311以前から、中曽根政権の前後から積み上げて行って、「天下」を掴んだのです。そして、それは、この一年ちょっとで破滅していっている。まるで、天皇が昨年頭に詠んだ句にある「邯鄲の夢」そのもののように。
天皇陛下の御歌に隠された凄み

 311の件にしても、嘘偽りのない・ありのままの汚染情報や被災地の状況、原発が楽観視出来ないことを、正面から逃げずに見た上で、自分の頭で、何らかのイデオロギーとか政治的正しさとか権威とか有名人の物言いとかに絡め取られないように、豪快かつ繊細に、しぶとく考え続けていくことが、今のような「邯鄲の夢」が覚めつつある状況では、その次の社会を私達一人ひとりが、きちんと議論を重ね、いくつもの流れを作っていく中で、殆どの人が幸せだと実感できるような社会にしていく。生命や生活の不安を最低限にするような社会や「国」のありようにしていく。と言う事を、誰かどこかの『エラい人』の「邯鄲の夢」になるような社会に再びおとしめない為にはなおさら、真剣に考え・覚悟する必要があるように、思うのですね。