青地イザンベール真美氏の「パブリックエネミー」舌禍事件から、革命のジレンマを考えてみる。

 天気がコロコロ変わるだけでなく、気温が上がったり下がったり、それも非常に大きな温度差だったりして、大変な思いをされてる人も結構いるのではないかと思います。私も、連休の直前に熱を出した時に、運悪く急性の副鼻腔炎(ちくのう症)を一緒に発病してしまったようで、顔の左半分が痛いだけでなく色々と苦しい思いをするはめになってしまっています。みなさんも、どうか、お気をつけて。

立憲民主党から出ようとしていた政治家候補フェミニストの、舌禍事件。

 前々回触れた話の続きになるのですが、青地イザンベールまみ氏のネットでの発言が、大きな問題になってるわけですよ。彼女は、フェミニズムの学者を自称する方(ただし、本名や所属は出してない)とのやり取りで、「萌え豚(主に男性向けのアニメや漫画、ゲームなどの美少女キャラクターに萌える人達をさげすむ言葉。大抵は男性のみを指す)死ねとは、議員を目指す立場としていいにくいので、あのようなパブリックエネミーとでも言えるような人達を指す言葉がないか」と言う事を、言ってしまった訳ですよ。
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 この発言は、またたく間に広がり、今までそのような扱い・要はいわれもなく「死ね」と言われたり、暴力を振るわれた経験を持ってたり、実際に「パブリックエネミーだから排除せよ・規制せよ」と言う人たちによって、事実に反する話を沢山、外国にまでばらまかれた挙げ句に「外圧」や「人権」を理由にして排除や規制をするような法律や条例を通されてしまった人たちが、揃って激怒して、青地氏が「炎上」する事になった訳ですよ。
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 ちょうど運が悪いことに、この人たち・オタクと呼ばれてて、差別する側からはキモオタとか豚とか言われてるような人たちに対して、あろうことか、レイシストしばき隊のような反差別を掲げてヘイトスピーチ規制法を作らせたような人たちと、その支持者たちから、「オタク差別はない」と言う発言を繰り返し受け、いやいやそんなことはない。私はオタクだということだけで酷い差別を受けてるし暴力も振るわれた。と実例をだしてるのに、それを無視して「それでもオタク差別はない」。と言い続けてきたものだから、大揉めになってた。と言う事があった所に、青地氏の発言問題と言うか舌禍(ぜっか)問題が起こってしまった訳です。
 色々と酷いことを言われ、自分達が就職や結婚に対する差別だけでなく、家に押し込まれて好きなものを捨てられたとかクラスメイトや目上の人から暴力を振るわれたとか、そういう経験を否定される形で差別を正当化されてきたのを、又繰り返された人たちの火に油を注いでしまった。
 しかも、青地氏は自分の言う事にうなづいてくれるような人の意見をリツイートしまくったり、差別されてきた側に身をおいてた議員さんの苦言に対して青地氏の支持者が無理にもほどがある擁護を繰り返してるのと一緒になって議員さんに絡んでたりして、話をするという状態では無いわけですよ。
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青地氏や支持者の言い分は許す余地がないが、私達は立場を逆転しつつあるのも事実なので。

 私は、どのような言い訳をしても、青地氏の言うことも、この件で青地氏を支持されてる方々の言い分についても、全く支持できないし正統性がないと思っています。政治家になろうとしてる・それも、人権派を自称してる人が、言っていいことではないし、言い訳も見苦しすぎる。

 私も、色々と「オタク差別」を受けてきましたし、その中には、川崎市立の中学校で、私の家が貧しいばかりに、教師と一部生徒から受けてきた暴力や内申書での成績に対する差別的と言ってもいい不当な扱いを、教師が、私がオタク的であるから悪いのだ。と正当化してきたことなど、酷い差別で人格を壊されるところまで行ったことがあった訳です。

 被差別経験があると、被差別経験が無いか、非常に軽かった人達が無神経に吐き捨てる言葉や、「善意」でも無神経や差別性を秘めたものに対して、非常に敏感になりますし、実際、第三者が見ても差別にほかならない話だと言う事があって、それに対して差別ではない。と言えてしまうような無神経な物言いや差別性をわかってない人々の物言いというのに対しては、非常に怒りが向いてしまうものなのです。
 だから、そのような経験をする人々が「パブリックエネミーと議員になろうと立憲民主党に近づいてる人が言うとは何事か、撤回してきちんと謝罪するだけでなく、同じこと繰り返してきてるんだから政治家になるのから退場しろ」となるのは、当たり前なんですよ。
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 そして、青地氏と、その支持者達は、そのような深刻な話に対して、見てみぬふりをして、開き直ってる。

「怒られてる人達」から「怒ってる」人達に眼を移す。

 さて、今度は、「怒ってる人々」に眼を移していきましょう。
 怒ってる人々は、前に書いたように、個人それぞれに対する、非常に深刻な暴力や暴言だけでなく、就職や家さがし、結婚なども含めた差別を受けてきた経験を持ってる人が大半だと思われますが、しかし、今の怒りが即座に叩き潰されずに却って人の繋がりで拡大して大きな騒動になってる。ということは、考えておかないといけないことだと思うんです。

 1980年代以前や1990年代、「オタク」と呼ばれる人達でも男性のオタクは異質で気持ち悪くているだけで犯罪者だ。と言うような「社会的常識」があり、それがマスコミで繰り返し報道されたり、お笑い番組やワイドショーで心無い言葉が投げつけられ、差別を煽られるのも当たり前でした。男性のオタクは、オタクであることを徹底的に外に隠すか、もしくは、「オタク業界」の仕事に就いて、内輪だけで生活するかしか、道がなかったと言ってもいいでしょう。
 当時の女性の「オタク」、今で言う腐女子につながる人たちは、男性のオタクに対する扱いを見て、徹底的に自分達の内輪で閉じこもって社会に向けてはオタクを隠すことで、そのコミュニティを維持してきましたね。

 しかし、今は、彼ら彼女らが2000年代の後半に、オタク差別的な法律や条例がエスカレートし、行政の審議会でオタク差別的な発言が相次いだのもあって、本気になって闘って、議会に働きかけて東京都の条例改悪を一回止めただけでなく、今の立憲民主党社民党に比較的強い繋がりを確保し、自民党や維新の会にすら繋がりを確保していき、2010年代中盤には、落選したとは言え山田太郎氏という世間的には無名の人に30万票弱を与えて社会的なインパクトを与え・自民党が山田氏にすり寄るという事まで起こってる訳です。
東京都青少年の健全な育成に関する条例 - Wikipedia

 有り体に言えば、日本での、「オタク」と「反オタク」の社会的立場は、特にこの一二年に関しては、完全に逆転していて、あとは、この構図をどのようにして固定化できるか・「反オタク」の巻き返しや揺り戻しでのダメージを、「オタク」がどのように最小にしていくか。と言う構図になってきてる訳ですね。
 新しい理解と新しい考え方が、必要になり始めてるな。とは思うわけですが、それは、「反オタクをゆるせ」とか、「反オタク的な法律や条例を放置せよ」というのではなく、今までやりたい放題を政治的正しさや正義を理由にしてやってきた人たちに、今までの社会の荒廃に関わった結果責任を取らせることも含まれるし、法律や条例は、「オタク」に対してではとどまってないような、深刻な人権侵害要素を込めてるものが大半ですから、どんどん廃止したり中身を根本的に変えさせて行く必要がある訳ですね。
 そして、「オタク」の側は、これから、それらに向けて力を更に付けていく必要がある。

「革命のジレンマ」が、私達に向けられ始めてる。

 「革命のジレンマ」と言う言葉を、私が数日前に提唱しました。

 今まで、立場が強い人たちに虐げられてきた人たちが、革命とか下剋上などで強い立場につくと、まずは、今まで虐げてきた人たちを排除したり今までの責任を取らせて追放したり刑務所に入れたり、場合によっては死刑にしていくわけですが、それが続いていくとエスカレートし、今度は立場を逆転させた人達が、その他大多数の「今まで虐げてもいないし虐げられてきたけど、立場が逆転出来なかった人たち」を、虐げはじめて、しまいには、立場を逆転させる前とおんなじ状態になってしまう。文学作品だと、オーウェルの「動物農場」なんかが面白いでしょう。

動物農場 (角川文庫)

動物農場 (角川文庫)

 この手のことで、一番象徴的なのが、ソ連の革命・ロシア革命だった訳です。
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 昔、ロシアは、皇帝が治める帝国でした。しかし、帝国の上の方は栄えたものの、下の方の農民や労働者なんかは非常に酷い扱いを受け続けていて、しかも、革命が起こる少し前から戦争にのめり込んでいたので、どんどん国が壊れていた。そこに、レーニンたち社会主義者が中心になって革命を起こし、一度皇帝側にひっくり返されたものの、再び革命を起こしてソビエトを作り、ロシア全土だけでなく周辺諸国も吸収して行った訳です。
 その中で、「反革命」を取り締まり排除しないことにはソビエト体制が帝国に後戻りしてしまう…旧帝国の役人たちはサボタージュしたり暴動を起こすし、アメリカやイギリス、日本などがソビエト切り崩しの為に、限られた戦争も含めてえげつないことをたくさんしてきてる…ので、秘密警察を作ったり、ソビエト組織内の締め付けを強化したりして、乗り切っていったわけです。
 で、その状況がズルズル続いてる間に、スターリンがのし上がってきて、トロツキーたちが逃げるしかなくなり、レーニンも、暗殺され、スターリンが完全な独裁者として君臨して、大粛清で何千万も死んだり、刑務所やシベリアの収容所に押し込まれ、その後、スターリンが急死しても(一説には毒殺と言われてますが)60年間ほどズルズルと恐怖政治体制が続いて行った挙げ句に、国が壊れてしまった訳ですね。

 ソ連は、「革命のジレンマ」に囚われ・翻弄されて、しまいには国が壊れるまで突き進んでいった訳ですが、「オタク」に限らず、私達がそれと同じような事をしてしまっていいのだろうか?自分達は正義とか怒りで突っ走ってるだけでも、そうなりやしないか?ということは、いつも・ずっと・四六時中考えて振り返りながら動いていかないといけないんじゃないか。と薄っすらと長年思ってきた訳ですよ。
 確かに、巻き返される・自分達が立場を落とされて再び差別をされないために、相手を排除し・社会的な立場を全て叩き潰し、数十年は出てこれないようにすることは、絶対に必要なんです。
 が、そこで、それだけで進めば、いつの間にか自分達が恐怖や怒りを「普通の人々」から向けられるだけになってしまう。

 この矛盾というかジレンマには全く正解はありません。しかし、考えていくことで、立場が「逆転」してる状況は長く続くし、社会が私らを受け入れバランスを取って、今のままなら新しく差別されてたかもしれない人達を、差別させないで済むし、その事で、今まで差別や恐怖や偏見で法律を作ってきたような事が、止められるかも知れないと思うのです。
 オタクに限らず私達は、どんなに頭が良くても頭が悪くても関係なしに、このジレンマを考え続けていかないといけないと、思うのです。