「オプジーボ」の高額医療に関するゴタゴタとキズナアイ問題から、日本の意思を決めてるエリート層の腐敗を乗り越えることについて考えてみる。

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 秋になりましたね。私は、先週の日曜の台風通過で気圧の変化で身体が痛くなった…と思ったら、こんどは腸(大腸?)が猛烈に痛くなり、汚い話ですが水のような下痢が一日以上止まらないままに寝込んで、連休に入りやっと動けるようになったので、連休明けに内視鏡検査をやってくれるお医者さんの予約を取りました。繁盛してるお医者さんなので、診察すら予約なので、これを書いてる時点では一体何が起こってるのか全くわからないので不安が非常に大きいのですが…みなさんも、お身体にはお気をつけて。

 さて、今はヴァーチャルユーチューバーのキズナアイを巡って、いつものような「フェミニズム的文脈」からの批判というより誹謗中傷が出てきたことに対し、今までそういう光景をさんざん見せられて・自分の好きな作品や作家やキャラクターが闇に葬られる経験をしてきた人達が怒りだし反撃したら、社会学者の方が、自分達の学問である「ジェンダー学」がいかにずさんな物か自白しだして騒ぎが大きくなってますが、その事は、既に多くの人が報じたり論じたりしてもいるので、あとでかければ書くということにします。
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災害が起こっても、被災者を放置し、必要ないものを押し付けていいことだという、政府や一部自治体。

 今回の「社会学」のありようを巡っての問題も含めて、この十年弱・安倍晋三という人が総理大臣になった辺りから、エリートと世の中で言われてる人達が、なんかおかしな事をやったり、政府がおかしなことをするのが多くなったと思うんですよ。
 最近だと、前の熊本の大地震やその前の甲信越地方の大雪で国がきちんとした災害復興対策予算を組まなかった事が、大阪の大震災や台風被害、中国・四国地方の大洪水や北海道の大震災で、完全に。と言ってもいいくらい災害復興の予算をださずに、今ある予算を前倒しにする程度の事しかやらないでいる訳ですよ。
 災害復興のために臨時の予算を組んだり、自衛隊だけでなく色々な設備や人をどう配分するか。と言う事を臨時で国会を開いて話し合おう。森友問題などは災害が一段落するまで棚上げにしますから。と殆どの野党が…維新や希望の党を除いて…一緒になって安倍内閣に呼びかけたのに、内閣は完全に無視してる訳です。
 そして、災害にあった現場からは「ボランティアが足りない」「物資が足りない」って瓦礫だらけのままでどうにもならなくなってる様子の写真や動画付きで救援を訴えてるのに、「もう、災害復興は終わりましたから」と政府が言って、予算を絞り出してる訳ですよ。大阪なんか悲惨で、地元の知事や大阪市長が維新の会だから、ろくろく災害復興事業をやらず、「やってます」と言うアリバイ作りだけやってほったらかしにしてすらいる。
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オプジーボ」が脚光を浴びたことを貧乏人を見捨てるような医療費削減につなげようとしてきた、財務省

 ガンの画期的な治療薬として「オプジーボ」と言うのがあって、その基本的な部分を発見した科学者さんがノーベル化学賞をとりましたが、この手のお薬は、製薬会社が非常に多額のお金をかけて開発したのもあって物凄く高いので、お金持ちしか使えない。と言う批判がされてきた訳ですが、その批判を受けてこの数年間で一気に薬価・国が認めた薬のお値段が下がったり、適用する範囲を増やして製薬会社の利益を損ねないようにする努力が進んできた訳です。
 ところが、財務省が、「高価な薬は健康保険の財政を圧迫するから」と言う理由で、保険を使わないでいくらでも費用がかけられる自由診療以外で使わせないようにすべき。と言うのを、審議会に提出した訳です。
多くの難病なんかでも高価な薬を使わないといけない場合が多いですし、ガンの重粒子線治療のように、最近やっとごくごく一部とは言え保険が使えるようになった、画期的に症状を良くする治療も、そこに含まれていくでしょう。
 それと同時に、かかりつけのお医者さん以外の診察を受けたら、ペナルティ的な追加費用を取れとも言い出した。
 要は、カネを持ってる人以外は、最低限の治療しかうけちゃいけなくて、そこで誤診があったりして病気や怪我が手遅れになったりしても、我慢しなさい。それで死んでも(あなた方が貧乏だという)「自己責任」だから受け入れなさい。と言う方針を取り出してる訳です。それも、国の財政が厳しいから。と。
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物事の前後がデタラメな「財政健全化・財政緊縮」路線が、人々を殺していく時代。

 しかし、よくよく考えてみましょう。余り病気がひどくなってない時に、お金がかかっても効果的な治療をすることで、ほぼ完全に治って(寛解・かんかいといいます)、時々検査したり薬を飲み続けたりすることで、健康な人と変わらないように働いたり税金を納められるような病気は、昔と違って非常に多くなってる訳ですよ。ガンなんかは、我慢して酷くなって手おくれになる前なら、薬や手術や重粒子線治療なんかをちゃんとやっていけば、「ほぼなおる」病気になってる訳です。
 その方が、長い目線と言っても十年程度の範囲で見るなら、国の財政に取ってはプラスになるでしょうね。

 話はそれで終わらずに、「働かせ放題法案」にしても安い賃金で長時間労働させ疲れ果てていたら物を沢山買うという事をできなくなる人々が大半だから、社会にお金が回らなくなるし、長時間労働させれば急激に病気になりやすくなる。病気を我慢して手遅れになるまで働くしかない場合も沢山あるでしょう。しかし、そのような法律を、政府は通してしまった。
 生活保護が、この10月から切り下げられて、生活保護を受けてる人達では「憲法違反の不法行為だ」と審査請求や裁判に訴える動きが盛り上がりつつありますけど、日本の場合は病気や障害がないと働けなくても生活保護を受けられない事が多い上に社会的にさげすむ空気を財務省OBの政治家が先頭に立ってテレビなどで煽ってきてるので、それがブラック企業に人々をしばりつける大きな要素になってますが、これも、働けなくなった人が何ヶ月か数年か働かずに自分を立て直すことで社会復帰出来たら得られた税金などを、目先のお金に眼がくらんで溝に捨ててる部分が大きくあるわけですよ。
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 何から何まで、「国の財政が大変だ」と煽って福祉や医療、後は教育や科学研究などへの予算をどんどん「タブーなしに」削っていく反面、財務省などの偉い人達が天下る会社に物凄い金額で仕事を発注したり(蛇足かも知れませんが、発注された会社は大まかなことだけ決めて、下請けの会社に安い値段で「丸投げ」してるのが大半だったりします…原発の事故収拾の仕事や除染事業なんかは、10万円で発注した仕事が現場で働く人には7000円しか払われないとか当たり前にある)、総理大臣とお付き合いの深い人達や総理夫人が顧問を勤めてるような会社や法人に対しては、物凄い額の補助金が行ってて、その他の法人には補助金が削られていく。と言う話が普通に出てしまってる訳ですよ。

明治時代から昭和の後半までの「豊かな国造り」をぶち壊した、自分を勘違いしてるエリートたち。

 今、政府と内閣と中央のお役所・特に財務省がやってるのは、「日本という国が十年後に少しでも豊かになるために・世界での国の地位を上げるために自分達が多少痩せ我慢する」のではなく、「自分達や周りのお仲間がもっと豊かになるために、世の中の大半の普通の人達や貧乏な人達・死にかけてる人達や災害で大変な人達を見捨てて、お金をもっとしぼり取る」と言うことではないかと思うんですよ。
 このようなことは、流石に明治政府ですらなかなかやらなかったことだと思うんです。明治政府は自分達が欧米諸国に負けないために「富国強兵」を掲げて、鉄道を整備し・農業を改革したりもしてて、ただ食糧政策や経済政策のやり方があまりに悪かったので昭和の大飢饉を引き起こし、中国大陸を侵略してどうにかしようとしたのが裏目に出て、アメリカとの戦争に突っ込んでいって、破滅した訳で。
 その後の米軍が日本に進駐した後の政府は、その反省があって「基本的人権は変えてはいけない普遍的な権利」と憲法に入れて、人々が健康で文化的に生活し生きられるように国があらゆる手段をやらなきゃいけない。とまで憲法に入れさせた訳ですよ。貧困や飢餓・病気への恐怖が戦争を待望する世論につながり、国の方向を誤らせ破滅させましたからね。
 それから色々政府も頑張って・人々も頑張って、非常に大変な状況の人でも見捨てないような国がある程度出来た訳です。

 しかし、それがある程度続くと、明治政府のように自分達がとことん豊かになることが出来ないのは、貧乏人のせいだ。田舎のせいだ。って昔を思い出して考え出す人達が、特に戦争でいい思いをしていた人達の中から出てきた訳ですよ。大体70年代辺りから。
 その人たちが、色々な、今まで昔の人達が頑張ってきたことをぶち壊したり・タダ同然で民間に売り払うような「改革」を言い出し、中曽根内閣以降、アメリカの後押しもあってそのような事が非常に素晴らしいことだと政府が言ったりマスコミに言わせたりして、そこに受験エリート上がりの「意識高い人達」が加わることで、人々が「そうなんだ」「貧困は自己責任なんだ」みたいな誤った常識を身に着けてしまい、社会が一気に破壊されていった訳ですね。

受験エリートの暴走と差別的なまなざしの横行が、社会の崩壊を加速させている。

 もう一つ、「キズナアイ」の問題とも絡んでくるんですが、70年代に受験競争が一気に激しくなった事が、この問題や財務省のやってることなどに繋がってくるように思うんですよ。
 今の財務省の上の方にいる人たちや、早めに財務省を辞めて政治家になってる人達は、70年代の激しくなった受験競争を生き残り・東大の法学部などの難関に「勝ち残った」人達が多くなってるわけです。この前の時代のように受験で負けてもやりようがある。というのではなく、「受験に勝つことこそ素晴らしい」「受験に負けたら人間としても終わりだ」と言う社会的メッセージと一緒にやってきて、当然、自分達のようにやれなかった人達を「汚いもののように見下してる」、そういうエリートな訳です。

 そして、「キズナアイ」を批判してる人達の中で旗を振ってる人達を見てると、東大を出て大学教授になったとか、東大に限らず旧帝大早慶などの上位の私立大学を出て大学教員や学者・マスコミに入ったり弁護士や社会運動家になった人が大半を占めてる訳です。
 この人達は、「自分達のように努力しなかった人間は軽蔑する」と言うマインドを、表向き隠してはいても実際にはダダ漏れになってしまうくらいに抱えてる人が多く見受けられます。
 そのような人達は、例えば財務省の関係ならば「自分のように努力して勝てなかった人間の生活や生き死にを自分が支配して富を搾り取るのは、自分が与えられた当然の権利」と思うし、キズナアイのような物を批判する人達は「自分達のように努力してきてない人達ごときの価値観に従う必要はないし、優れてる自分達の価値観で差別だと言うなら、差別なんだから受け入れて、”差別表現”は排除されないといけない」って感じで凝り固まってるんだろうと思います。
 そういう中で、社会学と言うかジェンダー学にせよ外部からのチェックも働かず・ある種の「流派」に反する意見や学説がムラ社会的な理屈で排除され、どんどんと、浮世離れしたと言うか「優れてる自分達が優れてない人達に価値観を押し付けて当然」と言う態度になっていったんだと思うのです。
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 財務省や今の政府・首相官邸も同じような物でしょう。災害の現場で苦しんでる人達は「努力してない」と考えて「プッシュ型支援」なる自分たちだけに都合のいい「援助」に文句を言うな。とネトサポや御用芸能人経由で言わせたり、予算を組むこともろくにせずにほったらかしにしておけば、後々で雀の涙ほどのお金を投げてやればありがたがるだろうとすら考えてそうですし。

「自分達のことはまず自分達で決めていく」と言う原則を掴み直すこと。

 ある種の人たちにとって、他人の生き死にを支配したり食事を支配したり文化を支配した上で、自分達が富を独占するというのは、ものすごい・この上ない快楽なのでしょうが、その「犠牲」になる、私ら貧乏でいろいろ事情抱えてて、世の中から批判すらされることもあったような人達からすれば、たまったもんじゃないのですね。
 そして、そのような構造を「なすがまま」にしてきたことで、この国は・この社会は・この世界は、どんどんと腐り落ちるように腐敗していってるわけです。中世よりも前に戻り始めてるフシすらある。
 そこを乗り越えるには、「犠牲」にされて当然だ。とされてるような人達が、世の中のことに目を向け必死に考えつつ、身の回りの人達と繋がり直し・話し合い、色々沢山の流れを作ることで社会や政治の有り様に手を突っ込み変えていくことでしか・自分達のことをまずは自分達で決めていくという原則のようなものを掴み直していくことでしかやれないのではないか。そういう風に、思うのですね。