東日本大震災の原発災害のてんまつと、森友問題での財務省「陥落」の報道の二つで、考えてみる。

 さて、東日本大震災から七年目になりました。14時57分(訂正)14時46分の地震の後に、15時半前後から壮絶な大津波が、北海道・青森から千葉にかけての太平洋岸だけではなく、東京湾などにも繰り返し押し寄せてきて、非常に多くの方々が流され命を喪いました。
 どうか、14時46分だけではなく、15時30分からの一時間半程度の範囲のどこかで、津波に呑まれていった方々に思いを馳せて黙祷などしてほしいと思ってます。

 最初は、そこから話を始めていこうと思います。

 そして、繰り返しあった大津波での原発設備の破損と杜撰な系統設計だった電源喪失によって、福島第一原発で、最低でも四台の原子炉がメルトダウンメルトスルーし、原子炉の中で臨界暴走をはじめてテレビカメラの前で大爆発を起こしたり、使用済み燃料をおいてあったプールで核燃料がぐちゃぐちゃにかさなり、触発臨界の疑いすらあったような事態にすらなりました。
 この時に、原子力発電所の周囲にいた人達の多くが津波に流されていると訊いていますし、又多くの人は、原子力発電所メルトダウンや臨界暴走、建屋の爆発に巻き込まれたかのような周りの所で、亡くなられて、野犬などに食べられてしまった方までたくさんいたと、「立入禁止区域」に無理やり入って状況をルポした何名かのフリージャーナリストたちの記事では述べられていました。

「絆」と言う言葉が好きだった私が、「絆」が大嫌いになった理由。

 生きて避難できた人々も、原発周囲と言っても郡山やいわき・丸森辺りまでの広範囲な「周囲」の住民たちは、事故時点でいた場所によっては高濃度の汚染をかぶることになり治療など受けてましたし、それ以外の人達も、困窮と放射能汚染の恐怖の中で、なんとかして県外に移住して家族の生命の安全を確保しようとすれば、色々な人達から「放射脳」「卑怯者」などの罵詈雑言を受け、テレビもテレビで何かにつけて「絆」(私はウルトラマンネクサス以来この言葉が凄く好きでしたが、震災後の一ヶ月後からの使われ方を見て、眼にしただけで吐きたくなるくらい嫌いな言葉になってしまいました)とか言って、避難すべき人を、今いる場所なり震災の前まで住んでいた場所なりに縛り付けることばかりに躍起になっていた。

 今や、原発被災者も津波被災者も、昔いた所に戻らなければならない・今まで避難してきた所に居続けるのは、お上に逆らうワガママに過ぎない。と、県職員が県外の被災者を戸別訪問して、補助の打ち切りだけでなく県内に戻るように「説得」してトラブルが起きたりまでしてるんですよね。

 そして、たべもの。
 放射能汚染にせよ、汚染されていても大したことはない。と当時「エア御用」などと皮肉めいたあだ名を付けられていた「科学者」「ジャーナリスト」「文化人」がたくさんいました。彼らからすれば、セシウム同位体ヨウ素同位体だけ測って、国の基準を0.1ベクレルでもクリアしていれば、なんの問題はないんだって、大声で言ってた訳ですが、それに対して、ウクライナベラルーシの現実に起こってきたことと全く違って信用できる話ではないと言う批判が沢山出て、それは、茨城・福島・宮城・岩手の農水産物ボイコットの動きにつながっていたのですが、それに対して片っ端から「福島を差別するのか」みたいな無茶苦茶な攻撃をして、とうとう、彼らの言う話に疑問を投げかける人がほとんどいなくなり、郡山のように土ぼこりなどでの汚染が深刻な状態にあった地域で、道路とかを除染しても除染してもすぐに放射能が増えて戻ってしまう。と居う状態になってたのに、子供にマスクをつけさせない・保護メガネも付けさせない。そう言うようなものすごい同調圧力が働かされたわけです。

東日本大震災原発被災者たちに押し付けられた、四重五重の苦しみ。

 東日本大震災の被災者たちは、地震に苦しめられ、津波で多くの財産と家族や友を奪われ、原発事故で家も奪われた末に、東京あたりが考えたような「わかりやすい」三文芝居で「絆」「郷土の誇り」を押し付けられて、がんじがらめにされて動けなくなってる。甲状腺がんや循環器疾患などの急激な増加や生命の危険に晒されても、そのことがなかったかのようにする「学者」「ジャーナリスト」「政治家」のちからがあまりに強く、実際に被害を訴える人、不安を訴える人、そして、そのような状況を改善して生命と健康を保証しろと迫る政治家達…山本太郎に限らず…の全てに対し、「被災地差別を恥じない放射脳」「放射能デマを並べる放射脳」などの、ものすごい酷いウソと中傷が投げられるという、「四重五重の苦しみ」を、専ら、前から言ってる「自分達の責任を取らないでいようとする人達」によって、無理やり押し付けられて背負わされている。

 この、特定の人々の生命と健康と財産を救うことを考えず、専ら自分達の保身や欲望、イデオロギーのような物が複雑に絡まった何かによって、他の人々・特に自分達が「目下」だと思う人達の人権や権利、生活や生命や健康、そして、ささやかな楽しみを縛り・奪い。更には「目下」の人達を自分達の都合よく操り、それらのために、外側にいる多くの人達を騙し・脅し、恫喝し、さらには都合いい話だけで洗脳までしてしまうような、厄介な人達が、あの大震災以降、どんどんと力を増して、菅直人元総理や菅内閣との権力闘争にはしったのだろうと、私は振り返っています。
それは、大体5月か6月位。地震津波の恐怖が一定程度治まって、ではどうやって復興すべきか。となった時に、マスコミが「食べて応援」「被災地の絆」とかの、ものすごいプロパガンダCMを洪水のように流していたじゃないですか。その少し前辺りから、菅政権の原子力政策のブレが見えてきて、どうもそれは、内閣はブレてないけど、特に経産省の中枢にいるような官僚が「ブレさせ」ようとしてて、その為に、当時の民主党内の一部の議員と組んで、菅内閣潰しと傀儡内閣の樹立に走った…要は、経産省などが菅内閣に対してクーデターを起こし、勝ってしまった事に、この十年間という範囲で考えての、今の崩壊がどうしょうもなくなってる状況につながる道があるのだと、思うのです。

野田内閣とはなんであったのか?そして、安倍内閣は誰によって作られたのか?

 野田内閣は、多分、野田元総理は真面目に求められていたことをやったのだと思います。真面目すぎるくらいに。でも、それは、いわゆる「国民」を向いてなくて、ましてや原発を動かして又生命の危険を感じさせられる人々や、マトモなケアや避難の権利を求めているような、原子力災害の被災者たちのほうはほとんど向いていなかった。クーデターで勝った経産省やその背後にいる政財界の人々の方しか向いていなかった。そのことが、多くの人たちに「民主党ではダメだった」と居う失望をもたらしたと同時に、「政治に関わっても自分の周りは良くならない。政治に関わっていてもしょうがない」と居う人たちを、膨大な数産み出してしまったんですよね。「自分達は自分達の力で何も変えられないんだ。政治については。」と言う、絶望の闇のようなものが広まっていった時に、自民党の中でも「極右」に近いような人たちが台頭し、安倍晋三を相殺に担ぎ上げ、2012年12月の選挙で勝ってしまった。

 その後安倍内閣がやったのは、マスコミと霞が関全体をアメとムチで「飼いならし」、社会システムもネットを含めた言論も、勿論税金や公共財産や法律も、あらゆるものを私物化していくことでした。
 そして、自分達・安倍晋三個人ではなく、彼を担ぎ上げてきたカルト宗教や日本会議原子力業界や経産省、そして、官邸の人事を見ていて気がついたところでは、公安警察も含めた形で、この国を徹底的に私物化し、国民や住んでる人たちから徹底的にお金を吸い上げるだけではなく、色々な権利・特に、健康でおだやかで文化的な生活を送り続けることを国が保証してきたいろんな制度や福祉やなんやを全て「ぶっこわし」、国と言うより国の看板で権力振るってるような人たちの下で文句を言わずに24時間働き、大した教養も現実への疑問も持たず、むりやり背負わされた苦しみを一人で抱えて、それに耐えきれなくなったら孤独に病気や自殺で死んでいく。という「模範的な」国民を、「教育改革」と称して、本格的に大量生産しようとした訳ですよ。

一年前に「全国区」になった、森友問題と籠池理事長証人喚問を振り返る。

 その中で、森友学園問題が全国的な問題になり、当時の籠池理事長が安倍総理大阪維新から切り捨てられかけた時に、人のつてで野党の人たちや左側で沖縄などに行ってるような個人活動家の人達が話を訊き、話をし、「自分は素直で勤勉で信仰にも敬虔だったから、悪いのにハメられてたんじゃないか」と気づきはじめて色々マスコミでも言い出したら、国会にいきなし証人喚問で呼び出された訳ですよ。
 証人喚問の中継は、全て通してみてますが、その前後の官邸や自民党の発言を含めて考えると、自民党や維新、公明党は、「愚直すぎるくらいに働き者の籠池氏だから、国会で喋らせた上で追い込みかければ直ぐに土下座するか、土下座しないなら簡単に『公開処刑』できるだろう」と確信して、籠池氏の証人喚問をいきなりやった感じがあるんですよ。籠池氏を「公開処刑」すれば、他の関係者は口を閉ざすし、野党もマスコミも追求できなくなっていくだろう。そういう目論見があったんだと思います。

 しかし、籠池氏にせよ籠池氏に「助言役」で付いた山口貴士弁護士にせよ、彼らのほうが、頭のキレだけではなく能力も胆力も「考える人」としての誠実さも、圧倒的に上だったので、色んな場面で切り替えしたりなんだりして、「公開処刑」を返り討ちにしていったわけですよ。

 ここから、籠池氏夫妻が無理やり牢屋に入れて周囲から隔離されたりなど非常に許せないことが沢山あったし、加計の問題やスパコン詐欺、レイプ隠蔽事件などでも総理と総理の周辺は逃げ回ってますが、証人喚問から一年ほど、色々な人達が諦めず、粘り強くやり続けると同時に、ネットという「場」が中心だったとは言え、色々な議論が深まり、情報交換も進み、集合知の力も発揮され、今まで安倍総理や警察の恫喝などを怖れて「忖度」していた新聞やテレビも、本気でこの内閣を退場させようと始めた結果、財務省が森友問題に関係する決済文書を、国会議員に渡したものに関してねつ造したり、今日になって、「複数の政治家の名前が乗っかっている部分を削除していた」なる財務省からのリークの報道が、始まりました。
https://mainichi.jp/articles/20180311/ddn/001/100/005000cmainichi.jp
www.news24.jp
 なんとも、長かったですし、ここからも、非常に長いと思います。

今の政権は、安倍総理だけの「独裁」ではなく、背後にいる邪な人々による「独裁」だったのではないか?

 今の政権は、安倍晋三という個人や菅(すが)官房長官、麻生財務大臣などの有力政治家だけが悪さをしてるのではなく、彼らを前に出して、その後ろで酷い悪さをしてきた一部官僚や警察の一部、経営者などの経済人や文化人の類の方が、もっとえげつない悪さをしてるようだし、そもそも論で言えば、安倍晋三氏が自民党の総裁になる2012年春辺りまでは、安倍氏自体が注目されてなかったことを含めて、彼が総理大臣になることを、カネで支援してる人達だけでなく、警察などが握ってる「情報」で彼を批判する人々や対立候補をねじ伏せたのではないか。とすら考えてます。
 要は、この国を…このブログで色々な形で書いてきたことですが…壊してきた・人々から色々なものを奪い、社会を息苦しく・動きが取れず、そもそも生き延びることすら辛くなる社会にすることを加速させたような人々が、安倍晋三氏や麻生太郎氏、菅義偉氏を正面に立て、政権を奪わせ、その影で、法律を組み換え・対立する人を警察力も含めて排除し、独裁政治に向かっていたわけです。

 そして、それは、311の原発事故以降、それまで原子力を使ってこの国を食い荒らしてきた官僚や企業人たちが起こしたクーデターを完成させて、この国が後で滅んでもいいから、とにかく自分達だけがこの国の富を吸い尽くし、この国の人々が自分達に向けて立ち上がれないように、学校教育から飼いならしていく。と居う感じに向かっていったんだと思います。

この40年間の、「上」で出鱈目をやる欲深い人々が作り上げた「邯鄲の夢」が覚め始めた今こそ、自分の目と手と足と頭で考え、議論していこう。

 しかし、そのような出鱈目が長続きする訳がないのですよ。国は、上にいる偉い人が作って決めて、その事で下の人達を支配するというやり方だと、どんどんと腐敗するだけでなく、社会が疲れ果てて、子供もできなくなり、犯罪に走るか自殺するかをみんなが迫られ、最終的にはぺしゃんこに潰れるんですよね。
 そういう、教養と言ってもいいような部分の知識が、自分の血肉になってるのならあまりに怖くてやりたくても出来ない事を、この国の「上」の人達は、311以前から、中曽根政権の前後から積み上げて行って、「天下」を掴んだのです。そして、それは、この一年ちょっとで破滅していっている。まるで、天皇が昨年頭に詠んだ句にある「邯鄲の夢」そのもののように。
天皇陛下の御歌に隠された凄み

 311の件にしても、嘘偽りのない・ありのままの汚染情報や被災地の状況、原発が楽観視出来ないことを、正面から逃げずに見た上で、自分の頭で、何らかのイデオロギーとか政治的正しさとか権威とか有名人の物言いとかに絡め取られないように、豪快かつ繊細に、しぶとく考え続けていくことが、今のような「邯鄲の夢」が覚めつつある状況では、その次の社会を私達一人ひとりが、きちんと議論を重ね、いくつもの流れを作っていく中で、殆どの人が幸せだと実感できるような社会にしていく。生命や生活の不安を最低限にするような社会や「国」のありようにしていく。と言う事を、誰かどこかの『エラい人』の「邯鄲の夢」になるような社会に再びおとしめない為にはなおさら、真剣に考え・覚悟する必要があるように、思うのですね。

森友学園問題での公文書ねつ造問題からみる、国への信頼感の裏でうごめく悪い人々の、影。

 色々と書こうとは思いつつつ、別件にかなり力を入れていて、こちらを書くだけの時間を確保できない内に、なんだか色々と世の中がうごいてしまいました。

 森友学園への国有地払い下げ問題で、財務省と近畿財務局が国会に出した書類が、露骨に改ざんされていた。と言う事を、朝日新聞が報道しました。金曜の朝からその話がTwitterでも、多くのテレビ局でも、くり返し飛び交っています。
 これ自体は、この問題が浮上したかなり早い段階から「なんか書類のねつ造みたいなことをやってるんじゃないか」と言う声・意見が、少なからずネットでは言われていたんですよ。多くの人が、国が出してきた「証拠」が胡散臭いと思っていた。
www.asahi.com

 加計学園今治市に無理やり獣医学部を作った件で、情報公開請求した市民団体に対しても、単なる「ノリ弁」・要は黒塗りで何が書かれてるのかわからない公文書に限らず、明らかに中身がおかしい・必要な情報が抜かされてる書類が情報開示されたりしてるわけですよ。


国会の記録を都合よく書き換える人達が、役所に強引に書類を書き換えさせない訳がなかった。

 なんでそんなことを考えるような人が多くでたかと言えば、2012年の末に安倍内閣になって一年もしない内に、国会での内閣側・特に安倍総理の行った問題発言が、与党側の要求で議事録から削除されたり、山本太郎参議院議員の厳しい追及に代表される、安倍総理や政府に対するいくつもの厳しい追及や叱責とも言える議会での発言が、議事録から削除されるという事態が、当たり前のように頻繁に行われてしまっていたからなんですよ。
yuruneto.com

 こんな事をする連中が、国や自治体の書類を書き換えさせないわけがない。そういう疑いを持たれて仕方ないだけのことを、やってきてるわけですよ。それも、半分以上流れ作業っぽい感じで。
 しかし、証拠が掴めてなかったので、そのような事を言ったり書いたりすれば、「妄想だ」「いい加減なことを言うな」と、強い非難を受けてきたわけですよ。その位、世間一般が「国」「自治体」「役所」というものが間違ったことをしない。と言う信頼感や信仰のようなものが非常に強かった訳です。
 でも、実際には、行政とトラブルになった人の裁判とかを見ていても、おかしなねつ造やこじつけを行政(国や自治体、警察など)が行って、それによって、やってもいない罪で捕まって犯罪者にされる人なんてのも、大昔から沢山いたわけですよ。「転び公妨」とかで調べると、色々と見えてくると思います。

 話が横道にそれましたが、この国では「こんなことをやるはずがない」と言う一般のふんわりとした信頼感・でも、そこには昔そうだったという以上の具体的な証拠がない危うい信頼感に支えられて社会が廻ってきて、そうであるが為に、信頼感を逆手に取って、表に出てこないようにして不正を働いたり、不正が表に出てきても被害者を社会的に孤立させ・場合によっては「恥ずかしい」犯罪者に仕立て上げることで孤立させていって、悪いことをしてきた人達というのが、沢山いるんですよね。
 そのような人たちは、大抵の場合自分達の力を過信し、社会を腐らせる先頭に立ってきていたと言えるでしょう・

「不正選挙問題」の内容は間違っていても、そこにある感情や疑いは、正しかったのかもしれない。

 不正選挙問題という話があります。
s01.jazz75.com
www.mag2.com
 2011年の東日本大震災の半年後くらいから、頻繁に眼にするようになった物言いですが、要は、選挙の機材を作っている会社が、安倍総理らの一族が大株主であったりする事などを「具体的証拠」に挙げて、選挙の票の集計やその他のところでの不正が大規模に行われてるのを隠してるのではないか。選挙は信頼できない。と言う話です。
 これ自体、結構色々と穴があって、具体的な信頼性があまり無い話ではあるのですが、しかし、それは、裏返すと、今の自民党政権に繋がってる人達や、原発事故以降の霞が関やマスコミの「おかしさ」「ウソを真実だと言い張って世の中の空気を壊していくさま」みたいなものを敏感に感じ取った人達が、当時の民主党など今の野党勢力議席数が急激に減っていくのを見て、選挙に対する信頼を失っていったことが引き起こしたことだったと思うのです。

 これを、狂人の妄想だと言って切り捨て、排除するのは簡単だったと思うのです。実際、世間の大多数の人たちは、そうした。でも、その背後にある「社会」への不信感は、実は正しかったのではないか。と私は思うのです。この間表に出てきた色々な問題を見ていても、「今まで通りにやってれば間違いない」「この人達は悪いことはしないし間違ったことはしない」と言う社会の信頼を逆手に取って、ひどいことや悪いことをする人達が、あまりにのさばりすぎてるわけですよ。
 そのようなものを、特に東日本大震災以降自分の身に降り掛かったことと世の中の「無関心さ」のギャップの酷さから感じ取ってた人たちのことを無視するどころかあざ笑い・安易に狂人扱いしてしまった事が、この状況を招いてしまった部分が、少なからずあるように、私には見えてるのです。

 あらゆる社会システム・行政などのシステムは、なかなか変わらないように見えるけど、それが揺るぎなく間違っていなくて信頼できる。と考える人が多くなれば多くなるほど、裏で悪いことをする人達がやりやすくなるし、大半の人々が苦しむような形にシステムの中身自体を書き換えてしまうことも、やりやすくなるんですよ。
 「なんとなく」な信頼感は、世の中の関心や危機感を薄れさせ、システムに対する監視がされなくなるどころか、システムやその中の人達によってひどい扱いを受け苦しめられた人達を、「頭のおかしな人」「悪人」などとして、一瞬で社会が切り捨てる事を頻繁に起こすことにつながりますからね。

社会システムの主役がだれか、改めてシステムを書き換える好機。

 今後、この6年間で色々と悪い方向に書き換えられてしまった社会システムと、それをやったろくでもない人たちによって、私達一人ひとりが苦しめられることが多く出るかもしれません。
 苦しめられた事を言ったり、苦しめるのを止めろと「お上」に突きつけたりする人たちに対して「ただのわがまま」「自己責任」だと攻撃して孤立させようとする人たちも少なからず出てくるでしょう。
 しかし、私達はそのような事に抗うと同時に、このような不都合を個人に押し付けるシステムを、私達一人ひとりの議論や行動によって、私達寄り・世間で苦しみもがきながら生きてる人々の側にとりもどしていくようないい機会として、色々やり直していくことが必要になると、思うのです。
 今のシステムの有り様は、森友問題や加計問題に限らず、色々なことで壊れてきています。オリンピックの裏金問題でも、もうすぐ、フランスの警察が国際逮捕状を取る可能性が高まってますし、この一年間は、今まで疑ってこなかったことが疑われるのだから、それは、正しく状況を疑い、私達がシステムの主役なんだと改めて考え直すいい機会になるだろう。と、思うのですね。

下町ボブスレーのグダグダぶりと奨学金問題から見えてくる、日本の産業と社会の崩壊。

 さて、オリンピックが始まりました。私自身は、どうでもいいどころか、次の東京オリンピックが明らかに上級国民が国の富を火事場泥棒みたいに自分のポケットに奪っていくための方便になってしまってる(と言うか、最初からその目論見があったように見えています)から、やめてくれという気持ちしかないのですが。
 その中で、下町ボブスレーと言う話が、美談として取り上げられてきたようですね。
 私は前にちらりと見て、余りの胡散臭さと言うか広告代理店っぽいステマ臭さを感じて、無視するようにしてきていたのですが、作ったボブスレーを使うはずだったジャマイカの選手チームが、使うことを拒否して、日本側から億単位の賠償金が請求されることになりそうだ。と言う事で、先週の金曜日辺りからネットではちょっとした騒動になってる訳ですよ。
togetter.com

「下町ボブスレー」と言う美談の顔をしたステマが、グダグダになった日。

この経緯というのが、無茶苦茶で、

  • 大田区などの町工場がオリンピックで使うボブスレーを作ろうと言う事で、お金を集めだす。
  • なぜか、東レを筆頭とした大企業や研究所が、素材を提供するだけではなく、ボブスレーの本体の設計までやりはじめる。
  • その事で、国からこれまた億単位の補助金が、取りまとめ役の会社(町工場とは全く違う会社)などに支払われる。
  • マスコミでは、大いに盛り上がり、大田区が車の「ご当地ナンバー」として、下町ボブスレーを採用したり、スカイマークが下町ボブスレージェットを企画するなど盛り上がりが加速する。
  • その間に、日本チームは、「出来が悪いから使えない」として、下町ボブスレーの使用を拒否。
  • 仕方ないので、外務省が先頭に立って売り込みを行い、ジャマイカが採用しましょうかと答える。
  • 予選的な世界大会に出来上がったボブスレーを持ち込もうとしたが、安全基準上の問題があるからと拒否された(ストライキで会場に持ち込めなかったとの説もありますが)
  • ジャマイカチームは仕方なしにラトビアの会社の使ったボブスレーを使ったら、非常にいい成績を残せた。
  • そんなこんなで直前には、「使えないものを渡されても困ります」と言う事で、ジャマイカチームは、違約金を覚悟して下町ボブスレーを使わないことにする。
  • そして、なぜか、日本で下町ボブスレーを取りまとめていた会社や周辺の会社が、「ジャマイカに損害賠償請求する」といきり立ち、ゴタゴタ…

www.nikkei.com

 こんな感じだったようですが、出来の悪いものしか作れないのが果たして最初に始めた町工場の問題かと言うと、どうも、この町工場はソリの部分しか作ってなかったようで、その他は最初にも書いた名だたる大企業や有名大学が携わってるわけです。
そして、取りまとめ企業の主は、安倍総理との距離の近さを自慢して講演会を沢山やったり、自民党のネット番組で「安倍総理に一番近い中小企業」とヨイショされたりしてたし、このプロジェクト自体が道徳の教科書に載せられただけでなく、なぜか、使われてた写真が安倍総理が試作品のそりに乗っかってる写真だったりした訳ですよ。

下町ボブスレーの挑戦 ジャマイカ代表とかなえる夢

下町ボブスレーの挑戦 ジャマイカ代表とかなえる夢

blog.goo.ne.jp
togetter.com

 これ、物凄い問題ばかりが見えてくるわけですよ。町工場のイメージとか日本の中小企業が健在だという「美談」を広めるために、有象無象の人達がプロジェクトを異常に大きくし、マスコミやネットメディアもステマよろしく持ち上げて、その後側では、今の政権と密接に関わり(国会でも安倍総理の施政方針演説で取り上げられましたっけ)、「日本はまだまだ優れてる」と言う、メッセージのために使われてしまった。
 それだけではなく、個別の部品を作ってる会社たちはともかく、全体の設計や設計図書いてる人達が技術力がなかったり、お客(今回はボブスレー選手団ですね)が必要としてる事を全くわからず、物を押し付けて優れてるんだから、さぁ、使いなさい。と押し付けようとした。

大企業の国内での高飛車さが、胡散臭い人達を呼び込んだ?

 日本国内で、特に大企業はそうやって商売をしてきた部分が相当あるわけですよ。外国相手には、真面目に物を作らないとという締め付けがあったでしょうけど、日本国内のお客に対しては、なぁなぁで出来上がったものを押し付けて、不具合が出たり使いにくかったりしても、それはユーザの問題だから知りませんよ。そんな商売が、大手企業に限っては、本当に当たり前のように、最低でも2000年前後からは当たり前のようにあった訳ですよ。
 大企業に部品やなんやを納入したり、IT業界だと現場で実際のプログラムを書いてたりする中小企業に対しては、理不尽すぎるほどの品質要求があって、しかも、大企業の側がマトモに設計書や図面を書いてくれるかと言えば、いい加減に「大体こうしてね」みたいな話しかなかったり、図面にしてもそのままじゃ部品が作れないから製造現場で勝手に図面書き直したり職人さんの努力でアレンジしたりしているのが当たり前な訳ですよ。

 そして、そういういい加減なお仕事で、大企業が取りまとめて、国や自治体であったり、他の企業であったりに、製品を売る。大企業はものすごく高いお値段で売ってても、下請けにはどんどん値下げしろ・値下げしたら、もっと値下げできるはずだ。納期も守れ。納期の何日も前に部品を納入するな。と言う事を、当たり前にやってるわけです。

 そんなだから、ブラック企業がはびこるし、町工場なんかは特に後継者が取れなくて廃業に追い込まれてきた訳ですよ。

 その事や、前にも書いたような「日本の技術は優れ続けてるというおごり」が日本の世論にはびこっていたことで、日本の技術力が急激に衰えていくと同時に、口先と偉い人とのコネだけでカネを集めたり宣伝して行くような、胡散臭い人々が…その中には、暴力団やハングレの人達も少なくないでしょう…、はびこり、一番お金を持っていってしまう。という構図が当たり前になってしまってる。

 東京オリンピックでは、他人のデザインを「パクって」適当にでっち上げたエンブレムがバレた件に限らず、沢山の胡散臭い人達や偉い人たちとのコネだけで仕事してる人達がお金を持っていって、末端で働く人達には「ボランティア」と称するタダ働きを無理やり強要する動きすら、普通に出てしまってるから、もっとひどいことになるでしょう、

奨学金問題も、貧困の連鎖も、「階級」の固定化と、国の衰退を招いてる。

 もう一つの事を書いておきましょう。

 生活保護を取ってる人や、その他の事情で非常に貧しい人たちなどの子どもたちが、大学などに行くと(場合によっては高校でも必要になるようです)、奨学金を取らないといけなくて、日本の場合は基本的に利子付きの貸付ですから、返すことが困難な金額になってしまい、返せなくなって本人だけでなく親も破産しないといけない。という話が、万単位の人に対して起こってしまってる訳ですよ。
www.asahi.com
togetter.com

 「マトモな」就職のためには、大学をでないとどうしょうもない。と言う問題が、より話をこじれさせてるのですが、その部分は置いておいて、奨学金を貸付で行い・利子まで回収する。と言う事が当たり前になってる国というのは、そんなには多くないんですよね。アメリカみたいに学生ローン破産が深刻になってる国は、あまり無いのに、日本はアメリカの真似をしようしようとしてる。
 ヨーロッパの多くの国など、長年技術的な競争力を保ってる国では、大半が、高等教育は無料であり、誰にでも生活費などを貸し付ける。と言うのが当たり前になっているのと比べても、日本やアメリカのようなやり方というのは、異常としか言いようがないのです。

 高等教育を国民に広く「施す」と言うのは、国民が教養を持つことでもあるのですが、日本では「貧乏人や一般人の子供に教養をもたせるのは無駄」「奨学金も返せないのに借りるな」と言うような、あまりに乱暴と言うか第二次世界大戦の前ではないかと錯覚しそうな意見が大半で、国と保守政治家達がそれの先頭に立ってしまってる訳ですよ。
 人々が教養を持つということは、無駄でも何でもなく、「下町ボブスレー」にたかってたような胡散臭い人達のウソや、ステマを見抜いて、騙されないようにする。振り回されたり財産などをむしり取られたりしないようにするためにも、大事なことだと思うのです。

 しかし、この国では、それは贅沢であり無駄だという意見が非常に強く、「下々の一般人や貧乏人たちは、自分たちの言う事を黙って聞いて、文句言わずに江戸時代の牛や馬のように働き、辛くなったら自殺しなさい。自分達は責任持ちませんからね」という事が「社会常識」であるかのように、はびこってしまってるんですよね。

「だまされないための教養」がない国だから、このグダグダな崩壊に至ってる。

 そして、なぜか、この国の人達の多くは…そういう「騙されないための教養」と無縁の教育を小学校から大学などまで施され続けたからでしょうけど…、その事を怒るでもなく、そもそも気づくこともなく、黙って働き黙って朽ち果てるだけでなく、たちの悪い人達がばらまいてる「ウソ」や「いいがかり」にハメられて、やれ誰それが悪いだ誰それに罰を与えるべきだと、小説「1984年」の「二分間憎悪」よろしく、いきり立ってネットに書いたり世間話のネタにしたりしてる。
二分間憎悪 - Wikipedia

 これでは、この国は衰退して当たり前なんですよ。社会が衰退するのを薄々感じていても、それがなんで起こるのか。ということに対しては、それを見据えるような・見抜くような教養的な態度と教養を、国の側が与えないようにしてきたのもあって、胡散臭い人々が、あたかも正しいかのようにばらまいてる、おかしな解釈やウソに乗っかってしまい、そうであるがために、胡散臭い人々やたちの悪い人々に騙されたり、ステマに騙されたりしてもそれが自覚できない。
 そういう中で、私達は生きてしまってるんですよね。そして、そのような状況を良しとし続けることは、実は、この急激に崩壊してる社会の中では、自分自身や家族などの命に関わることに簡単になってしまうわけです。私達は、自分のやり方で・いろいろな人と話したりネットなどでコミュニケーションしていく中で、教養を身に着け、教養を深めていかないといけないと思うのです。

 それが、実は、このひどい乱世を、崩壊している社会と言う時代を、なんとかして生き抜くために最低限やらないといけないことでもあると、思うのです。

名護市の選挙や陸自ヘリの墜落を後回しにして、バレンタインデーと日本社会のブラックさを考えてみる。

 色々と忙しく、間が空いてしまいました。いくつか書かないといけないな。と思うことがあれど、書こうかと重い腰を上げて中身を考え始めた途端に、大きな事件があり…と言うのを、繰り返してきてズルズルとここまで来てしまいました。沖縄の名護市長選で、現職だった稲嶺氏が負けたことや、昨日起こった陸上自衛隊のアパッチ攻撃ヘリが墜落したことを書こうかと思いましたが、それは書いていて余裕が出たら書くことにして、まずは、これを書いてみます。

バレンタインデーに無理やり義理チョコをばらまくのをやめよう。と唱えたゴディバの広告の波紋。

 もうすぐ、バレンタインデーがありますね。2月の14日。日本の場合は、物凄くややこしい日になってて、やれ、本命チョコだ義理チョコだ友チョコだ、挙句の果てはもらった人は3月の14日のホワイトデーにお返ししなきゃいけないだ、更にはお返しの金額が二倍返しだ三倍返しだ。正直、私自身はあんまし貰わない人ですし、世間の風潮見ていて呆れてすらいるのですが、チョコレートの大手(高級)ブランドゴディバ社が、日経新聞にこんな広告を出した訳ですよ。(引用は、話題にしたねとらぼの記事の一部から)
togetter.com

 この広告は2月1日の日経新聞に掲載された一面広告。「バレンタインは純粋に気持ちを伝える日」「この時代、義理チョコはないほうがいい」とバレンタインにチョコレートを用意してきた日本の女性をねぎらいつつ、男性に対しても「“義理チョコ、無理しないで”と伝えてほしい」と呼びかけるものでした。世界的に有名なチョコレートブランドが出したこの広告は、SNSを中心に大きな話題となることに。

 チョコレートメーカーにとってはビジネスチャンスとなるはずのバレンタインデーですが、なぜゴディバジャパンはこの広告を出したのでしょうか。この広告についてゴディバジャパンに取材を申し込んだところ、社長を務めるジェローム・シュシャン氏から回答がありました。

―― なぜこの広告を出したのでしょうか。

シュシャン:まず、私たちが大切にしたいのは、バレンタインデーの主役は、「もらうひと」ではなく、「あげるひと」ではないか、ということです。「あげるひと」にとって「楽しい」バレンタインデーかどうか、それがもっとも重要なことではないかと考えました。

 ですから、義理チョコをあげるのが楽しいと考える人、ごあいさつとして知り合いの方に配る、それが自分にとっても楽しい、と考えている方には、今後ともぜひ続けていただきたいですし、そのような方のための商品開発は続けていきたいと考えます。でも、もし義理チョコが少しでも苦痛になっている人がいるのであれば、それはやめたしまったほうがいいのではないか、と私たちは思います。それが今回の新聞広告の趣旨です。
「義理チョコをやめよう」バレンタインに向けたゴディバの広告が話題 ゴディバジャパン社長が広告に込めた思いは - ねとらぼ

 詳しい歴史的経緯は後にして、職場とか学校によっては、義理チョコを女性の間でお金を集めたりしてまとめて買ったりする場合が結構昔からありましたし、「義理チョコを出さないと、職場などの空気が悪くなるのではないか・自分が裏で非難されるんじゃないか」的な、怖れと言うか同調圧力を感じてる人が、結構いるでしょうし、「お返し」をする男性にしても、同じようなものを…チョコを貰ったのだから、、なおさら強く…感じてる人も多いでしょう。
 結局、単なるイベントで任意参加のはずが、参加しない人は頭がおかしいか人付き合いする気のない偏屈者だ。と言う空気が、物凄く拡がってる様に、私には見えるのです。そして、その空気は、場の雰囲気を和ませるどころか、一人ひとりの心情のようなものを、ささくれ立たせすらしてる。
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チョコレートの材料の「ブラックさ」をスルーして、私達の社会もどんどんブラックになった。

 この広告が出た背景には、もう一つの理由があるのではないかと思うのですよ。
 チョコレートの原料のカカオマスは、この20年ほど、欧米諸国では、「児童に対する強制労働や人身売買で連れてこられた人を働かせて作ってる」「そうでなくても、農民に非常に安い報酬しか渡さず、長時間働かせてる場合が多い」と言う批判が、繰り返しされてる訳ですよ。特に、義理チョコとして大量に流れてるような、安いチョコレートは、そういう原材料が使われてる可能性が非常に高いし、では、「フェアトレード」と称してきちんとした価格で買い上げてそれなりのお値段を付けているチョコレートがどうか?と言えば、それはそれで、フェアトレードのやり方のまずさから、末端の農民にお金が行かなかったり、農民が商社などと直に取引するのを組合が妨害していたりで、トラブルになることがあるようですね。
acejapan.org
 フェアトレードの場合は、フェアトレードと認定するやり方に問題の原因があったりするのでそこは今回は棚上げしますが、問題なのは、大半のチョコレートが非常に拙いやりかたで作られていて、現場にお金が行かないし、無理な働かさせられ方から働いてる人が抜け出せないという構図を、義理チョコにせよ私達が気づかずに後押ししてる。ということなんですよね。
seize-stone.com
 かと言って、高いものを買えば、この悪循環の構図に加担しないで済むわけでもなく、せいぜい出来ることと言えば、安いチョコレートを買った時に構図について考えることやむやみに買わないこと、後は、そのような行為をやってるメーカに対して改善するよう突きつけていく程度しかやりようがないのですけどね。

全ては、円のようにつながってるのかも知れない。

 このような構図、私達日本に住んでる人も、大半の人は無縁ではない訳ですよ。ブラック企業の問題や、ブラック企業に適応させることが目的に入ってるように見えるブラック部活の問題は、大多数の個人を不幸に追い込むことで、ごく一部の人達が大きな利益を挙げるだけではなく、それの「言い訳」的な理由にもなってる、低賃金カルテルや低価格競争、際限ない品質向上要求を含めた形で、この社会全体をブルドーザーのようなもので、めちゃくちゃに破壊し尽くしてる。

 そのような状況が形作られていく中で、バレンタインデーの際限ない高級化とか同調圧力化があったと思うんですよ。
 1970年代の終わりくらいまでは、義理チョコなんて言葉もなく、本命チョコだけはあったけど…と居う感じで、70年代と80年代の間くらいから、「チョコを貰えない男子はどうするんだ?」的な話が出てきて、義理チョコに相当するものが急激に広まり、80年代のバブル景気の中で、広告代理店の後押しもあって、チョコレートの高級化が進み、その中で、義理チョコが定着していきました。
 そして、90年代の頭くらいから、ホワイトデーの話が広告代理店主導で出てきて、二倍返しだ三倍返しだと煽られた末に定着したわけです。
 その流れの中で、大体80年代の終わりくらいから、職場でもなんでも、空気を悪くしないために女性が義理チョコをばらまくという風習が出てきたように、私は記憶しています。

誰が作った同調圧力でも、それを一人ひとりが壊していく努力をしないと社会も身の回りも、壊れたままだ。

 なので、日本の、最低でも80年代以降のバレンタインデーというのは、「広告代理店が作って、人々が同調圧力に転化する」というのの繰り返しだった訳ですよ。
 そのような同調圧力で、安いカカオマスが沢山買われて沢山消費されるというのは、私は「ロハス」的なものや主要な「脱成長論」は余りにスノッブで醜いから余り好きではないのですが、やっぱし、なんかなぁ…と思うんですよ。
 今も幾らかはありますが、ステマ的なやり方で拡がった分、こんな拙いことが伴ってるからちょっと立ち止まって考えようとか周りを見よう。と言うことを、言いにくくされてしまってる。今はともかく、少し前までなら、そのようなことを言う人間は「頭のおかしな非国民」扱いすら平気でされてきてました。

 結局、その事が社会の荒廃の一部になってしまってるように見えますし、そうならば、やっぱし、同調圧力をきちんとはねのけて、自分の考えを他人に説明して、バレンタインデーに乗る乗らないとか、義理チョコばらまくのに乗る乗らないとかやってかないといけないように思うんですよ。
 身近な関係性・職場などの人間関係に関わる話ではあるんですが、そこの部分からそういう事をやっていける状態をつくっていかないと、やれ総理が誰だとかどこそこの市長がどうだとか動きがあったとしても、世の中を、これを読んでる一人ひとりの人が多少は今より楽しく・楽に暮らせるようにすることすら、実はうまく行かないのではないかと、思うのですね。

小室哲哉への「文春砲」とうなぎ絶滅、そして日韓合意のゴタゴタから考えてみる。

 ここ最近・特にこの一年、取り上げられなくてもどうでもいい話が悪いこととして取り上げられる一方で、これはひどい。とか、これは中の人の権力とか含めてまずいだろう。と言う話は無視していくようなメディアや人々が、余りに大きな顔をするのが、目立ってるように思うんですよ。

 例えば、小室哲哉氏の引退問題を見ていて思うのですが、「不倫」であるからいくらでも叩いていいんだ。的な感じの世の中の空気に乗っかる形で、個人個人の状況とか事情も無視して、ちょっとした「過ち」まで何がなんでも責任を取らせないと気が済まない。と言う人達ののさばりぶりには、正直な所うんざりしますし、小室氏が長年奥さんの介護を続けていく中で、看護師の方との関係を作っていく中で起こった「過ち」なのであるから、例えば山口敬之氏が詩織氏に対してやったような非常にあくどい真似に関して殆ど不問にしている週刊文春が、とりわけこの問題を大きく取り上げて騒いでるのに、違和感を感じるんですよね。
小室哲哉の会見全文1 不倫騒動受けて引退 - ログミー

「日韓合意破棄」にけしからんという前に、知っておいたほうがいいこと。

 さて、「日韓合意」と言うのが、あります。長年日本と韓国や北朝鮮の間で揉めてきた、第二次世界大戦当時の戦争犯罪問題の中でも、慰安婦問題に関して、「不可逆的な解決」とするかわりに、日本が韓国に10億円を渡す。と言う取り決めを、韓国の前の政権の朴槿恵政権の末期に、日本の政府と取り決めたのですが、この中身が非公開とされた訳です。
www.huffingtonpost.jp
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 とにかく、この「不可逆的な解決」・要は、これ以上韓国は騒ぐな。日本は責任を取らない。と言う部分だけが伝えられ、その周辺の話や曖昧な中身というのは、韓国のマスコミの日本語版である程度は伝えられてはいたものの、日本のマスコミは殆どその中身をつたえないし、いくらなんでも、こんな取り決めがうまく行くわけがないじゃないか。と言う見通しすら、日本側では伝えられなかったわけですよ。

 私は、大昔・25年近く前に、ある程度慰安婦問題や中国で関東軍が行った戦時犯罪に関わってる団体のお手伝いをする機会がありました。その中で、その運動団体の人達が、自分達や自分達と繋がってる・今の挺対協につながる人達が、慰安婦の当事者たちが決めることに対して主導権を取ることばかり大事にしているのに呆れながら手伝っていて、私個人の生活上の問題で、お手伝いどころではなくなって、退いたので、その後のことも含めてある程度状況を見てきましたが、「韓国が反日」なんて単純な話で「日韓合意はうまく行かない」というのではなく、韓国の政治体制や政治システムからして、上で話を付けても、中身が国民を無視する中身だったら無意味どころが火に油を注ぐことになると言う事が、最初から明らかだった訳ですよ。

韓国の政治システムは、日本と全く違う事を考える必要性。

 韓国の大統領は、6年以上は務めることが出来ないですし、二期目はないシステムです。つまり、最悪でも6年毎に、政権がまるまる変わってしまう。そして、大統領が変わると、前の大統領の悪事が徹底的にでてきて、刑務所に入れられたり自殺するのが、当たり前に起こる訳ですよ。この辺り、日本のように長年官僚が殆ど仕切っていて、政権交代しても官僚とマスコミと保守派の人達が、事実を捏造してまで足を引っ張って潰すような「連続性を重視する」国とは、全く違うし、それは、戦後40年近くの間、軍事独裁政権に苦しめられているのを、人々が自分達の手で打ち破って今の制度を作ってきた。と言う歴史があるからです。

 そして、そういう国ですから、日本のように、マスコミが政府に都合いいことを言って、ネットで偉い人たちがそれについてくと、世論の大半が政府に都合いいことしか認めなくなるという国とは、かなり違うんですよね。そういう風土の中で、挺対協などが、半分日本を敵に回すことを使って支持を集めてきたし、旧政権・朴政権や李明博政権は、挺対協や慰安婦像を海外に持ち出した人々に代表される国内外での「反日」の機運を、影にひなたに煽ることで、国民からの支持を集めようとしてきた部分が、否定できない程度には大きかったと思いますが、その反面、反日はどうでもいいから慰安婦問題をきちんと解決してほしい、慰安婦の人達に日本政府も謝罪する一方で、救済をきちんとやってほしい。と言う人たちがいて、実は、この人達が大半ではあるんですよね。
 そして、そういう人達の多くが、今の文在黄政権を支持して、作り上げてたりもするんですよ。

 彼らからすれば、反日とは到底言えないんだけど、「日韓合意」と呼ばれるものに対しては、冗談ではない。となるわけですよ。だって、日本政府と韓国の保守派だけに都合良くて、慰安婦の人達を放り出してしまうようなのを、10億円と言う「はした金」で、両国政府が勝手に決めちゃった上に、どうしてそうなったかという話も、詳しい中身もよくわからないままにされた。
 こんなことは、流石に、民主主義を掲げる国同士でやる取り決めではなく、例えばアメリカと中南米の親米独裁国の独裁者が、勝手にアメリカだけが有利な条約作って国民に押し付けるのと同じようなものですからね。そして、「合意文書もない」となれば、民主主義を求めてる人たちに後押しされてる、文政権としては、認め続けるわけには行かないのですね。

超大国と独裁国の間でやったのと同じことをやってもうまく行くわけがないのだと、知らせないマスコミやネットメディア。

 さて、日本では「日韓合意破棄はけしからん」と言う人が、世論調査では85%位いるようです。
 テレビのニュースなんかを見てると、日本と韓国が決めた事を、韓国が理由もなしに一方的に破棄してきた。と言う報道ばかりが流されているから、それ自体は仕方ないのだと思います。
 韓国の旧政権と日本政府が、民主主義に反するやり方で、問題をもみ消すかのような・民主主義国家にあるまじき取り決めをして、韓国国民に押し付けたから、文政権が破棄したし、それは、韓国の政治システム考えれば、当然の流れなんだ。と言うような、そういう細かい解説というものは、殆どゼロに近い訳ですよ。
 これは、テレビに限らず、ネットメディアや「著名人」のネットでの発言なんかを見ても、殆どそうなんですよね。

うなぎについても、都合悪い話を伝えないマスコミなど。

 少し、話を変えます。
 うなぎが、たべられなくなる。と言う話が、最近騒がれていますが、日本が長年シラスウナギを養殖向けにとってきて、しかも、沢山のウナギを中国などからも輸入し・その「元種」が日本などから輸出されるシラスウナギであるということや、そのシラスウナギが絶滅の危機にあると15年以上前から言われてきて、国際機関が日本などにシラスウナギ漁の強い自粛を求めてきたのを、日本政府が無視し続けてきたから、絶滅の危機になってる訳ですよ。

 しかし、マスコミは一貫して「気候変動かも知れないしわからない」「絶滅するなら今の内に食べろ」「高くなるのが心配だ」としか言わず、このような問題が日本にあるだけでなく、毎年土用の丑の日になるとスーパーやコンビニが大量に仕入れて大量のウナギを廃棄してる問題や、牛丼屋さんですら食べられるお手軽さに関しては、問題だと言わないわけですよ。
 この問題に関して救いがあるとすれば、ネットの側の少なくない人達が「日本のうなぎに対するやりかたが間違ってる」と言ってることでしょうけど。
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表面だけ知っても問題はこじれるばかりだから、自分の目と手と足で知っていかないと、いけない。

 小室哲哉・日韓合意、うなぎ。この3つの問題をつなげるのもかなりひどい話ですが、共通してる所があって、

  • マスコミが都合いいところだけつまみ食いして伝えて、都合悪い話をカットする。
  • 都合悪い話を聞かない事になる人が大半を占めてるから、相手が悪いとか自分は悪くないという話になる。
  • したがって、問題の核心・困ってる人はより厳しい状況に置かれるし、外国との揉め事やうなぎの絶滅のような問題は、よりひどい方向に加速してしまう

 と言う、負のスパイラルというか悪循環を繰り返してしまってるのですよ。

 小室氏の問題は、彼一人に介護の責任を負わせてしまったことから来てる問題も相当ありますし、それを小室氏が不倫したのが悪い。と杓子定規に切って捨てては、小室氏に責任をより重くさせるだけだし、「不倫」なる物の中身も見ないといけないと思うのです。
 そうしないと、同じように重病の家族を介護してる人達にかかるプレッシャーが増すばかりになりかねない。

 日韓合意の問題は、「元々上手く行くわけがない中身の取り決めを」「時の権力者が国民を完全に無視して勝手に決めた」と言う、最初の最初でダメだったのをマスコミが完全に無視して伝えないから、韓国側の反発とか合意破棄がなんでそうなってるのかわからずに、「韓国けしからん」と言う世論になってる。

 うなぎの話も、問題の核心部分をぼやかしたり伝えようとせず、外国から長年日本が批判されるような事を改めなかった結果起こってしまったことなんだ。と言う話を伝えないから「高くなる前に食べなきゃ」と言う感じになってる。

 こういう、社会の抱える問題とか、上の方の人達がむちゃくちゃやってる結果起こってくる問題というのを、私達はきちんと見ていく必要があって、なぜなら、その手の問題で苦しむのは、上の人達ではなく、「下」の私達だからなんですよね。
 そういう事が許されてしまう状況が、戦後70年超えたにもかかわらず長年続いてきて、どうも、ここ最近に至ってはより酷くもなっている。
 そこを変えるには、空気にはまらず・空気を作らず、偉い人やマスコミの言う事を鵜呑みにせずに自分で調べたりして、広い範囲の議論を重ねていく中で、きちんと世論とかを作っていく必要があると、私は思うのですね。

立憲民主党が古臭い「人件費削減」政策を掲げたことが批判され直された事から、考えてみる。

 非常に間隔が空いてしまいました。前回書いたように、年末年始A型インフルエンザで苦しみ、今までにないような厳しい状況で殆どの用事や行事をキャンセルし、先週半ばとなってました。今年のインフルエンザ、A型は症状がいつもよりも激しい感じがしますし(足の太ももがが激しい筋肉痛になり苦しむなんてこと初めてでした。)、それ以上に、インフルエンザだと自覚しにくいB型が非常にはやってるようです。皆さん、予防と自衛と、後は、かかってしまった時に病院に行って仕事や学校を休んで療養する踏ん切りをつけるのを、お忘れなく。

 さて、立憲民主党が政策を発表したのですが、その中で「公務員の人件費を削減する」と言う文言が入ってた(後に批判が殺到したことで撤回された)事が、話題になりました。
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 このような「政策」というものは、旧民主党民進党では「当たり前」に出されていた話で、それに対して人々が強く批判するというのも、殆どなかった事なので、ある意味感覚が麻痺していて出してしまったのだと思います。

公務員人件費の引き下げと非正規雇用の促進が、地域崩壊まで繋がってしまってる、負の連鎖。

 そもそも、この手の話は、1990年代から繰り返し言われてきた訳ですよ。公務員は給料が高すぎるし怠けてる、国の財政が苦しいのだから人件費を削減しろ。と言う声が、「識者」を中心に、マスコミで繰り返され、労働組合はそれを批判したとは言え、当時は「連合」の最盛期で、国とか財界とか「空気」に対して労働者や労働組合が逆らうことが非常にいけないことだ、罪だ。と言う風潮がすごかったので、結局、どんどんと押し切られ、新しく入った人から給料が下げられ(これは、すでに入った人の給料を下手に下げると、公務員の人事に関する法律や、公務員以外だと労働基準法に違反になって裁判起こされて負けるからですが)、それだけではなく、人手不足になっても、それで雇う人達を正規職員としてではなく、非正規職員として雇い、簡単にクビを切れるし安い月給しか払わなくても違法にならないように、国も自治体も競争するようにやってきたんですよね。

 その影響は、民間企業にもどんどん来ていて、多くの人がご存知のように、民間企業の多くは給料を下げるだけではなく、派遣会社が送り込んでくる人を正社員と入れ替えたり、正社員をその手の会社に出向させて雇うことによって、安月給でもいい加減な理由でクビを切っても責任を取らずに済むような形にどんどんと変えていってしまった訳です。

 そして、公務員の場合には影響はそこでとどまらず、警察が飲酒運転や酒気帯び運転を法外に厳罰化したことの影響もあって、お役所の周辺で営業してギリギリ倒産せずに済んでいた飲食店が、まずバタバタと倒れました。そして、官民競って雇用を不安定化し、福祉も切り下げた事によって、地元の商店や百貨店で物を買う人が激減していきました。これには、大店法の改悪で、イオンやセブンアンドアイのような大規模スーパーが地方に進出し、客を根こそぎ奪って地元商店を壊滅させた後に、採算性が悪いという理由で撤退し、買い物したくてもできない地域を作り上げた問題も伴っていますが。
 今や、地方の老舗の・それも、江戸時代の前半からやってきたような商店や菓子店、百貨店が、どんどんと倒産したり閉店したりする事態に陥ってる訳ですよ。
ひょうご経済+|経済|老舗百貨店ヤマトヤシキ 来年2月末に姫路店閉店

国の計画倒産に至っても未だ、バブル崩壊の歪んだ価値観に引きずられてる、マスコミと政党。

 アベノミクスという、私からすればごまかしとインチキを重ねて、偉い人たちが一方的に国の富を奪ってどこかに(多分タックスヘイブンに)逃してしまうという国の計画倒産のような事で、給料がろくに上がらないし福祉給付は下げられてるのに、税金や年金や国保で取られる金額が爆上げされ、しかも物価まで上がってくるという、「約束されていた大不況」が原因の一つですが、それだけであるなら、戦争やインフレや大恐慌を生き延びてきた老舗の商店がバタバタ倒れると言う状況にはならないと思うんですよ。それ以外にも問題があって、それの一つに、「人件費の切り下げと雇用の不安定化で内需が壊滅した」と言う、90年代から25年以上続いてる状況が、あると思うのです。
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 今も、マスコミはそのような世の中の変化をわかってないのか、「公務員は給料下げろ」「企業が人件費を下げたりコスト削減のために派遣を使うのは当然だ」と言う論調が多くを占めています。日本で暮らす多くの人たちは、そのようないい加減でほんのひとにぎりの人しか得をしない話にのっけられたことで苦しんでるし、地域社会がめちゃくちゃになってきてるのに。です。

 最初の話に出した、立憲民主党の「政策」にも、その事が反映されてるんだと思うんですよ。「ボトムアップの政治」を目指しては見たものの、今までの民進党や民主党が、ボトムアップの政治とかけ離れた人たちによって動かされたり、ボトムアップの動きをそうでない人達が足を引っ張って潰し、場合によっては内閣が潰れたり党が分裂すらしてきたと言う事が、やっぱり強く影響してて臆病になってもいるでしょうし、そもそも、ボトムアップを目指しても今までのような「選挙に勝てるスタイル」では、末端にいて、組織になってないけど困ってる人達や「正しさ」「正義」によってより来る苦しめられてる当事者たちという物にたいして、きちんと向き合ったり落ち着いて考える時間が取れないようになってしまってる。

すでに、世論の半分くらいは人件費や給料を上げろと言い出してる。

 今は、幸いなことに、そのような大半の人が幸せになれない・なることができなかったような、人件費の切り下げのような政策や「常識」に対して、ノーを言う人が非常に増え、その人たちが組織的にではなく、あくまで個人として文句を言う事が沢山重ねられることで、立憲民主党の政策を見直させることができました。
 私から見れば、この事は、この数十年間殆ど出来てなかった事ではありますので、ある意味、日本社会の進歩なんだろうとは、思います。

 このような声を人々が重ね、ネットなどを使い議論し、色々な形の「世論」、一つにまとまらないと言うか何本かにまとまりはするけど統一されてるかと言えばそうも言いにくいような「世論」を作ることで、色々な所に影響を及ぼし、その事で、今まで労働組合・特に個人加盟の労働組合やユニオンが頑張っても出来なかったような「マスコミの軌道修正」「空気の軌道修正」が出来る可能性が出てきたと思うんですよね。

 そして、その事で、金持ちとか大企業とか国際的な投資企業の側に立たないつもりでいる人たちや政党に、「人件費を上げるべきだ」「人件費削減は限界を超えてしまってる」「給料を上げろ。時給1500円でも厳しいぞ」「非正規雇用をやめさせろ」などの、色々な問題や意見があることを示し、そして、議論の中身やなんやをなるべく見せていくことで、向こうに考えさせて、お互いに言い合える環境を作っていい方向性に社会全体も政治も向けていく。と言う流れの入り口を、私達一人ひとりが意識的に作っていくべき時期に来てるんだと、思うのですね・。

種子法改悪からの流れで考える、2018年以降の近未来の日本崩壊。

 さて、2018年となりました。私の身内に昨年不幸があったので、「新年のご挨拶」と言う形は差し控えさせていただきますが、散々な年末でした。母が晩秋に亡くなり、その後の後始末的なことをやっているのですが、そこら辺でそこそこ忙しかったことで身体が弱っていたのか、昨年最後の週に見事にA型インフルエンザが発病し…旧い友人たちと会うことも諦めざるを得なくなるし、未だにウィルスが居座って苦しみすら感じる状況です。
 皆様も、インフルエンザの予防や万が一かかった時の拡散防止には、本当に気をつけてくださいませ。

 昨年は、母が亡くなったことの告知を、「背に腹は変えられない」と載せた辺りから、一気にPVが増え始め、一年目で12,000以上という私が予想だにしないPVを頂き、その後、どうも「アルファツィッタラー」と少し前なら呼ばれていたような方がこのブログを紹介してくださったのかPVが更に急速に増えたりして、未だに慌てています。そんな注目を浴びるつもりもないで始めた物だったし、PVが増えたからもっとPVを取ろうとウケを取るのに走るなら、それは違うだろう。と言う気持ちが非常に強いので、まぁ、今年も前と変わらずに賛否両論溢れて当たり前の事を、マイペースで書いていこうと思います。

2017年を簡単に振り返る。

 世の中の流れとしての2017年を振り返ると、
「普通の人は法律を守らないといけないしその他はみだす・逸脱すると直ぐにネット等で非難が殺到する」
のに、
「偉い立場の人は法律は無視しても罰を受けないし、普通の人がやれないようなあくどいことをしてもやったもの勝ちだし、しかも、法律を自分たちに都合よく変えても罰を与えられない」
と言う構図が、物凄く露骨に出てきた一年だったと思うんですよ。

 世間の人たちは、やれ法律を守れだコンプライアンスを守れだ、ネットで晒されないようにしようだ、ギチギチに締め付けられて疲れ果ててるのに、偉い立場の人たちは八百長もし放題だし賄賂をもらったり法律を無視して国のカネを「おともだち」に沢山流したり、それでいて「カネが足りないから福祉や教育は無駄金扱いして減らします」と言っても、ろくに非難もされない。
 総理大臣のおべっかを書き連ねたり太鼓持ちやったりする人が、本業の立場を悪用して女の人を呼び出し仕事をやると話して酒を呑む場を作り、その場で睡眠薬だか何だか酒に入れて女の人をひっくり返してレイプして訴えられても、警察が逮捕しようとすれば止められるし、検察が起訴しようとすれば、検察お手盛りで不起訴を「合法的に」認めさせる。起訴しようとした人や逮捕しようとした人は、左遷されてしまってもいますね。
 共謀罪や一昨年の戦争法(安保法)、その前の特定秘密保護法に代表される少なくない法律も、「法律の上にある法律」である憲法を完全に無視してるし、批判も多かったし、法律が出来るプロセスの中に沢山の非合法なやり方が繰り返えされてるのに、作ったもの勝ちになってます。

種子法改悪がもたらす、2018〜2020年の食料崩壊。

 昨年末、本当に年の瀬に、「種子法改正に基づき、地方自治体がやってきた種苗の確保事業への国の補助を打ち切る」事が決まりました。

 要は、コシヒカリササニシキのような、元からあった種を都道府県などの農業試験所が改良して、農家の方に安く卸すことで、日本の農業は成り立ってきたのですが、そこに使われてきた税金を使わないようにします。後は、主に国内外の大手バイオ企業が作る「一回きりで、しかも外国で問題を沢山起こしてる」種を買って下さい。いままであった種の維持とかそういうのは、バイオ企業の邪魔だから国は助けません。とう言う感じですね。

 このことや、有害性が高いとされてるグリホサートの規制緩和・それも、土に残る濃さを400倍まで認めるとした「改正」が、12月25日に農水省から出された訳ですよ。

日本の崩壊は、最終段階に入った?

 専門的な方が解説をされてるでしょうから、専門的な話はそちらに任せますが、この事は、日本の崩壊が、私達が見えない所で最期の段階に入ったのだろうな。と思ってしまうことだったんですよね。
 既に、TPP条約を無理やり批准したり、オリンピックで何兆円もの予算を出しておきながら、現場の作業員にはお金がいかず、過労死も相次いでるし、何かにつけて専門家や学生を「ボランティア」と称してタダで非常に厳しい環境で働かせようとしてる。と言う辺りから露骨になりだしたのですが、
 今まで貯めてきた日本の富のようなものを、ごくごく一部の人たちが、法律に護られる形で奪い、タックスヘイブンなどに逃して、勝ち逃げを図ろうとし始めてるな。と思うわけですよ。

 少子化の問題や、「民営化」「規制緩和」でインフラがメチャクチャになったり労働者がひどい扱いを受け、それらが重なることで、国が滅びかねない。と言うことは、何十年も前から、主に左翼の人たちを中心に警告されていたことだった訳ですよ。
 しかし、バブル景気がすごかった1980年代やその幻想とも言える物が色濃く残っていた1990〜2000年代にかけては、「保守」を自称する・今まさに「勝ち逃げ」をはかってる人たちや代弁者達が「古臭い」「時代遅れ」「共産主義」などと大きな声で攻撃し、マスコミもこの手の警告を非常に小さな形でしか取り上げなくなり、「改革こそ素晴らしい(中身は見ていない)」「新自由主義こそ正しい、企業をもっと優先すべき」「苦しんでる末端の人たちの苦しみは、全て、甘えだ」と言う言葉を出す人をくりかえし重用して来ました。
 このことで、世論が非常におかしな方向に行き、既に問題があると皆がうっすら感じ始めても、なぜそう感じるかということが全くわからなくなり(だって、片方に偏った知識や情報しか、マスコミもネットの主流も見せなかったんだから、当たり前でしょう)、途方に暮れて今日を生きるに精一杯でいるしかなくなり、徹底的に問題を先送りし続けて来た訳です。

「やったもの勝ち」で勝ち逃げしようとしている、ごくわずかの人々。

 そして、「勝ち逃げしようとしている人たち」は、この問題の先送りが、自分の出世や保身のような利益に直結してきた人たちでもありますから、先送りや詐欺師の物言いを奨励してきた。

 その結果、日本には先がなくなってしまった訳ですが、この人たちは責任を取りたくないし、自分や家族の将来だけは安泰にしておきたいものですから、国富・国の富を徹底的に奪い取り、日本の金庫を空っぽにする事に力を注ぎ始めたのだと思います。アベノミクスなんかも、要は、そういう作業でしょう。
 それは、2011年の東日本大震災が大きな後押しをしましたが、実際にはもっと昔からだったと思います。
 何しろ、立場がありお金や資産も膨大に海外に逃してる人たちからすれば、彼らが権力を握ってるし法律も無視できる立場になってるのですから、海外に逃げることは非常に簡単に出来るわけで、日本がその後どうなろうが…それこそ、ソマリアルワンダのようになろうがどうしようが…関係ない訳ですよ。
 やれ「愛国」だ「美しい国」だ言った所で、その国を自分たちが支配できないなら人々を皆殺しにしても構わない。程度の「覚悟」は、第二次世界大戦での日本国内がどうであったかを考えれば・そして、「勝ち逃げする人々」がどのような家系を中心とするか考えれば、容易に想像がつくことですからね。

「国の富を持ち逃げするであろう人々」が壊した社会を建て直すために。

 私個人は、「このような無法者には、人々が、もっぱら無法で対抗するより、解決策はないのではないか」と言ういやな気持ちを相当持っている訳ですが、しかし、どちらにせよ、国富を空っぽにして逃げる人たちをキチンと処罰し、今までの責任を全て取らせる必要があるし、国富を戻していく為に、それこそ、憲法を無視してでも財産を没収し、今後百年以上は再起できないようにする必要性が出てくるでしょうね。
 それも又、「建て直し」の中で、私達一人ひとりが「そうは言うけど、本当はどうしていくべきか」真剣に考え・議論を深め、流れを作っていく必要に迫られると思いますし、そのような非常に厳しい決断を迫られ・社会に対する「問題の先送り」をやめていかないと生き残りようが無くなる状況も、もうすぐ・ひょっとしたら今年中には迫られることになるのだろうとは、私は思いますが。