森友学園疑獄を、1980年代までさかのぼって考えてみる。

今、森友学園事件は加計学園の問題など、どんどんと新しいことが出てくると同時に、この問題が、実は「保守」を自称してきた極右的な考えの人たちが一部の官僚や企業人と結びついて、この国の多くを喰い物にして蝕んできたことが、現実のことだったという証拠として浮かび上がってきています。これは、まさに、戦後・昭和バブル期以降、どんどんと崩壊していった日本の核心に近いものでもあると思うのです。
確かに、今の内閣が倒れて、すぐに選挙で政権交代とはならなくても、政権が一新されて、今までやりたい放題してきた人たちが後ろに退くことで、生きづらさの面で瀬戸際に追い込まれている多くの人が救われるだろうし、生活の悪化も食い止められていくとは思うのですが…ちょっと、それでもしっくりと来ないことがある訳です。

昭和バブルの裏側で起こっていたこと。

昭和バブルとはなんであったか。ということよりも、昭和バブルの裏側で、それを快く思わないで国のありようを、第二次世界大戦の時のように変えていくことで、「新しい貴族階級」が全てを支配して、他の人々は、奴隷のように従うどころか、宗教的な熱狂に絡め取られて、物事を考えることもなくただただ従っていく事を目指していた人たちというのは、あの頃からいた訳ですよ。
昨年ベストセラーになった、菅野完「日本会議の研究」や青木理日本会議の正体」では、その一端とも言え、今の政権を後ろから支えてると言うより操ってる疑いすらある、「日本会議」の歴史的実情に迫っていましたが、昭和バブルの時代を生きてきた者として注目しているのは、この流れを形作ったのは、中曽根康弘であったのではないか。と言うことなんですよね。

中曽根康弘元総理大臣が社会の崩壊の原点の一つか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%BA%B7%E5%BC%98
中曽根康弘は、1982年から1987年という、まさに、昭和バブルの絶頂期に総理大臣になった人物でした。この人は、「教育改革」と「構造改革」を掲げ、それと同時に「日米の軍事同盟の強化」を行いました。その上で、中曽根の「構造改革」とは、要は、企業が労働者を無視してやりたい放題出来るようにしましょう。ということと、「企業に物申す労働者や労働組合、その他の運動は、社会から排除していこう」と言う事を中心にやった訳ですよ。その象徴的なこととして、「国鉄の分割民営化」要は、国営だった国鉄を、5社のJRに分割すると同時に、経営者によりそわない労働組合の人達をどんどんクビにしたり現場から外して排除していこう。と言う事をやった訳です。

当時のマスコミは、国鉄分割民営化に積極的に賛成し、一部の週刊誌などに至っては、特定の労働組合国労の組合員の「態度の悪さ」をあげつらって(これは、後年多くが捏造だったと判明してる)、国労を排除せよ。と言う世論を盛り上げて行った訳です。その結果として、国鉄の分割民営化全体に対して、反対する人は、物凄い非難された訳です。北海道などでは、分割民営化をやられたら、交通網がずたずたにされて、地域全体が衰退どころか崩壊してしまう。と抗議をする自治体も少なくなかったのですが、「国賊国労」に味方するのか。と言うような言葉すら、マスコミ経由でしきりに吐き出されて、声を上げられなくされたり、声を上げても伝えられなくされたりした訳ですよ。

その結果、どうなったか。

JR北海道は、今や、破産同然になっています。そして、多くの路線をこの五年間で廃止するしないと揉め始めてる。
労働組合は、経営者に寄り添うばかりで労働者の気持ちや待遇・職場改善の想いをとことん潰していく「連合」の右寄りの組合だけが力を持ちすぎて、大半の人が正社員になれず、安い給料といつ首を切られるかわからない状態に怯え続け、消費が低迷するだけではなく、特に製造業の現場の技術力もモラルも下がりきってしまい、十年前では考えられなかったようなトラブルが、特に機械を生産する現場では数多く起こってる。三菱重工が豪華客船受注の後、納期を遅れに遅れさせて大赤字を出したことや、国産旅客機のMRJの完成が遅れに遅れて、やめるかやめないかまで議論されるようになっているのは、もっともわかりやすい象徴でしょう。

森友学園のドン引きする教育の原点は?

中曽根康弘は、又、「教育臨調」と称して、教育を、戦前のようなギチギチに人を型にはめるようにしようとし、そして、歴史教育では日本が戦時中に悪いことをたくさんしたのを教えないようにしようとしました。要は、今の安倍内閣が第一次内閣から強く推し進めてきて、森友学園・塚本幼稚園の報道で皆がドン引きしたような「教育改革」の、道筋を付けたと言えるでしょう。

長くなるので、続きは別の機会に書きますが、今まさに、社会が崩壊しようとしていて、それに対して、今までとは全く違う人々のありようで、その崩壊を食い止めて建て直していくよりないのではないか。と言う考えでこれを書いてきている事で考えると、中曽根康弘という人物の、大きな責任・人々に対して犯罪的なことを行ってきた事の結末が、この社会の崩壊なんだ。と言う事を、もっと色々な人が掘り下げていったほうがいいのではないかと、私は思うのです。このような時代状況だからこそ。

 

言論や報道をお金で買収すると良くない結果になる。

連日、森友学園の疑獄の話がどんどん大きくなり、疑獄の中心にいる安倍総理は国会では、関係ない話に逸らそうとしたり、怒り出したりして、どうしょうもないものを感じる毎日になってますし、更には、岡山の学校法人・加計学園が2014年に神戸に設立したこども園の名誉園長が安倍昭恵氏で、その加計学園愛媛県今治市に建設中の獣医学部について、「国家戦略特区」の認定を受けて政府の助成を得ていただけではなく、今治市から36億円相当の私有地を無償で譲渡されてた問題が浮上しましたね。しかも、加計学園のトップは、安倍総理と長年の友人で、例の森友学園の籠池理事長を、安倍総理夫妻に引き合わせたとも言われてる。

このように、どんどんと疑獄の範囲は拡大するし、この国の政治家と官僚と財界人の、腐敗・私物化というのが非常に範囲が広く深刻だということが明るみに出ている中、なんで、今までそれらが明るみに出ないか、もしくは、問題があるのをネットだったりフリージャーナリストだったりが指摘したとしても、それがマスコミで取り上げられることが非常に少なかった訳です。

マスコミを、長年「アンダーコントロール」してきた、安倍政権と霞が関と、財界。

その背景には、安倍総理や側近、取り巻きの政治家や官僚が、マスコミ各社の偉い人達や立場の高い記者たちを、高級料理店に呼んで食事をおごりつつ、「情報交換」と称して、オフレコのものも入った「ここだけの情報」を話したりもする(そして、お車代などの名目で、タクシー代では全然余ってしまうようなお金を渡したりもしてた)事があったんですよね。

そういう風に、「ここだけの話し」を得られないでいるジャーナリストは、会社に属してると、他社が取り上げたニュースを取り上げられなかったという責任を負わされるような構造があるものだから、「こういう、官邸とか官僚がお金もくれておごってくれるのを断れない」と参加し、そして、食事おごってもらったりお車代貰ったりし続けてると、「これだけいいことを(自分たちに)やってもらってる人たちなのに、彼らに都合悪いことを表に出せないよね」って感じになっていくんですよ。

後は、官庁の記者クラブのように場所代どころか電気代とか電話代とかも官庁の側が殆ど負担するような形で、特定の会社の記者だけがいられるようなスペースを作るようなことをしてると、偉い人達や官庁にとって、都合の悪い話なんて書けなくなっていくんですよね。
その上、官庁に都合の悪い記事を書いた記者や会社が(一時的に)出入り禁止にされたりもしてる。

そんな状態では、公平な報道・要は政府が都合よくても悪くても関係なしに書く必要のあることを書いていく。なんてのは、できなくなっちゃうんですよ。それどころか、その辺りに関わってないフリーランスの記者が本当の事を書くと、「ウソツキ」とか言われだして、攻撃するのをマスコミが煽ったりまでする。

民主党(+社民党)は、政権を執った時に変えようとしていたが…。

民主党を中心とした連立政権時代、民主党は、「これではダメだ」と言う事で、記者などを呼べるような「居酒屋スペース」を作ったり、豪華な店で会合開くにしても、徹底して「ワリカン」をしていった訳ですよ。そして、フリーランスの記者をどんどん呼んで、記者クラブの独占的なところを治そうとしていた。

結果、(記者クラブに参加してる会社の)記者たちは、「民主党はドケチだ」と口々に言い、民主党政権の閣僚たちや次官たちの些細な言葉をあげつらって攻撃し、鉢呂大臣のように、言ってもいないことで辞任に追い込まれた人すら、少なからず出てしまった。

そして、野田政権が国民の期待を裏切りまくったのに呼応するように、「民主党はダメだ」「政治全体に期待できない」と言うキャンペーンをマスコミがやって、棄権を煽り、棄権が物凄く増えたものだから、組織票勝負では強い、自民党公明党が、政権に返り咲き、4年以上に渡ってやりたい放題して、この国を喰い荒らした。

まとめ

この国では、言論も報道も、お金で記者を買って都合のいいようにすることこそが「正しい」のだと、政治も財界や企業もやってきました。それを敢えてしないできた人達は、皆が「ドケチ」などと陰口を叩かれるだけではなく、隙あらば、やってもいないことまで書き立てられて、潰されていきました。
その結果、この国は、こんなに崩壊し、政治も官僚も財界も、国を私物化して腐敗するのを全く自重しなくなった訳です。その一方で、わたしたちのくらしも人間らしく生きるためのベースも、どんどんと壊され、社会全体が崩壊してしまってます。
崩壊してしまったこの国を建て直すには、言論人やジャーナリズムに、政治や経済や官僚との「節度を保った付き合い」を続けさせるように、みんなが自分たちのやり方で、やれることで、政治家にもジャーナリストや官庁にも、強く迫り続ける必要があると、思うのですね。

強弁と恫喝は、あまりよくない。

森友学園疑獄事件、どんどんと政治家側の介入を伺わせる話が出てきていて、「安倍総理がんばれ!」と幼稚園児に言わせていたところの動画がマスコミで取り上げられ、国会でも追求に使われるなど、どんどんと追求の手が進んでいます。
特に、まだテレビや国会での追求が始まってないのですが、2015年9月4日に、安倍総理が突如として大阪に行きテレビに出演した事がありましたが、その前日に安倍総理財務省と話し合い、当日はテレビ出演の後に、冬柴鐵三国交相の息子でりそな銀行の支店次長でもあった人物の経営する店で、筆頭秘書官などと会食するなど、今回の疑獄が大きな話になってる訳ですね。しかも、今日のこのタイミングで、安倍総理は、マスコミ各社の政治部キャップを赤坂飯店に呼びつけて、どうやら「わかってるでしょうね?」などと、飴と鞭で黙らせようとしてるようです。

強弁と恫喝をもてはやして腐敗の種を育ててきた、田原総一朗的なマスメディア。

こういう事は、権力を振るうことに対して自制のない人の末路とも言えますが、しかし、そのような人々は、長年社会の色んな所にいたわけですよ。特に、1980年代末からは、立場が強い人や声が大きく相手を罵倒したり中傷したりすることで自分が正しいことをアピールする人達が、物凄くマスコミなどで持て囃されて、政界に進出していった訳です。例えば、「朝まで生テレビ」で舛添要一猪瀬直樹が持て囃され、マスコミ全体でも将来のリーダー候補のようにいわれ、政界に進出し、奇しくも二人共都知事になった後、スキャンダルをばらまかれて失脚してる。
橋下徹中田宏なんかも、この流れに非常に近い。彼らも、田原総一朗の番組で持て囃されていった先に、政界に進出して、知事や市長として強引な政治を行い、結果として、大阪や横浜を、極端に腐らせた訳です。

こういう、自分の「正しさ」を押し付けて私腹を肥やすためには恫喝だろうが言いがかりだろうがどんどんつけていく人が軒並みのし上がり社会の主流になる一方で、「思慮深い」人、慎重に考え・意見を言い、人と話し合いつつ物事を決めていこう。と言う人は、「決められない」「臆病」などと、罵られたりバカにされる対象にされ続けてきました。
民主党政権が、鳩山由紀夫菅直人と、二代ともそのように議論を許してしまった上にメディアに対しても「オープンさ」を認めていったがために、「決められない政治」と言う悪いイメージを付けられたりもして、結局、台無しにされていき、結果として、安倍政権という「安定感のある」(要は対話なんかいらないから自分の言うことにみんな従えと言うのを徹底してる)内閣が出来て、その上で、どんどんと政官財全てが腐り方をエスカレートさせていったんだけど、安倍政権と言うより安倍政権を形作って支えてきた人達はマスコミに強い配慮を求めてきてて、マスコミは自重してきたから、腐り方が極端に加速してしまったわけです。

日本の崩壊は、強弁と恫喝が腐敗を育てたことによるのでは。

その結果として、東芝の破綻や「安倍晋三記念小学校」疑獄こと、森友学園問題が発覚したんですよね。この国が、腐敗を許すどころか、ある種の人たちが腐敗を続けて、自分たちだけで果実を独占した結果として、組織は腐るし、胡散臭い人達がたかるし、周囲と言うか社会全体で見たら、どんどん疲弊して腐るのに巻き込まれて崩壊してる。

今起こってることは、終わりじゃないと思うんですよ。それこそ、「森友学園疑獄」にしても、安倍晋三が総理大臣を辞めたとして、それだけで何かが解決するような話では到底ない。腐っていることや社会のあらゆる崩壊が、ほんの少しだけ現れてきたに過ぎなくて、今年はまだまだロクでもない事が表に出てくるだろうし、その中で、私達一人一人がそれに対してどうしていくことが出来たか。と言うのが、その次の展開にとって大事になる。と、私は思うのです。

号外:大阪・森友学園(安倍晋三記念小学校疑獄事件)と、名古屋で起こった殺人事件との数奇な因果。

はじめに

これは、昨日(2/23)にTwitterFacebookで書いたところ、「そういうのを少しこちらに載せてみてはどうか」と言う助言を頂いたので、文章自体はブラッシュアップして、備忘録のような感じで書いておこうと思います。経緯とか出てきた情報を、なるべく細かく・整理した上で載っけていこうとおもいますので、非常に長くなりました。

件の「瑞穂の国小学院」、要は「安倍晋三記念小学校」としようとしていたのがストップがかかったのでやめた、大阪府豊中市に建設中の小学校、建設のための土地が国から払い下げられた時の経緯や、「前例がない」多くの優遇・とりわけ、時価を大幅に値引きしただけではなく、諸々の名目で財務省から森友学園にお金が渡って実質200万円の負担で森友は入手できた訳です。
その上で、具体的に事業が固まってない段階から国の各省庁の補助金を、要件を満たしているかどうか非常に怪しいものを幾つも貰っていたと言う話が出てきて、更には、森友が経営してる幼稚園の「愛国」を掲げて行なう、ヘイトスピーチも含めるような教育方針や日常的な児童虐待、その他諸々の周辺住民とのトラブルが、2月の後半になって、立て続けにマスコミで報道され続けてると言う状態になってる訳ですが…

大阪府による、認可強行?のキーパーソンを、調べてみた。

その「瑞穂の国小学校」、未だ正式な開校認可が下りていなくて、3月末近くの、開校ギリギリの段階まで、大阪府の私立学校審議会の委員(委員名簿はこちら(Excel注意))の審議が引きずられてしまってる状態ですが、23日に、この審議会のトップである、梶田叡一会長が、「よほどのことがない限り、認可するのは変わらない」とマスコミ各社の前で言明しておりまして、そこに色々引っかかるものを感じたので、まずは梶田氏とその周辺について調べてみようと、Wikipediaを調べたのです。

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異なる文化や民族を尊重することのない社会。

少し、話を変えましょう。

こんな事が話題になっています。

【「マジョリティ民族は許可なくマイノリティ民族の民族衣装を着てはならない」が、現在主流の考えになりつつある】との現状解説に、様々な反応〜丹菊逸治氏の解説を中心に - Togetterまとめ


要は、アメリカのファッション雑誌で、白人のモデルさんが、着物などの「日本のイメージ」をモチーフにした写真を撮って、その一部をネットに載せたら、「日本人に対する差別だ」と、*黒人を中心に*批判が起こり、日系人の一部を含めてアメリカの*白人や黒人が*猛烈にモデルさんや雑誌のアカウントを非難して、モデルさんが謝罪に追い込まれたという話なんですよ。

この中で言われてるのは、「少数民族の衣装や風俗・文化をそうでない人たちが模倣するのは、少数民族に対する差別だ」と言う理屈で、その理屈を世界規模にまで拡げてしまってる事なんですよね。

「世界の警察」から抜け出していない、欧米の「リベラル」。

私は、ここに、この人達・要は米国や西欧諸国の、「リベラル」などを自称する人達の、救いがたい傲慢を感じるし、日本でも、この人達に同調する人達が少なからずいるということに、その手の人達の思想的な怠慢や傲慢さをも感じて嘆かわしく思うのです。
アメリカ国内で、少数民族に対して同化を迫って白人と同じであるか、もしくは社会から排除されよと迫ると同時に、固有の文化や服装・肌の色などを「バカにする」目的であげつらったりすらして、それが差別や排除を拡げて行ってた歴史があったことは知っているし、その歴史に対する反省として、そのような話が出てきてるというのも承知はしていますが、しかし、この問題のように、他国の「差別された」と言われてしまってる人々がどう感じ取るか。と言う視点を抜きにして、正しくない行為だと糾弾しているというのは、逆に、「差別されたと言われてしまってる人々」を無視し、侮辱してるのではないかと疑わざるを得ない。

後、もう一つ大事なところとしては、人の感じ取り方は様々ですから、アメリカ国内に限っても「差別だ」と思う日系人の人とそうは全く思わない日系人の人に分かれると思うのですが、「差別された」と言う側の声ばかりが大きくて、まるで、それだけで日系人が全て凝り固まってるように外からは見えてしまう事なんですよね。

でも、日本にいる大半の人は、この「差別」とされる写真を面白がったり歓迎したりしてる。大半の人は、日本文化が諸外国で、地元の人によってアレンジされたりして独自のものとして枝分かれして定着するのを、面白がってしまってる。そして、米国の「リベラル」や彼らに同調している日本の人たちに対して「やりすぎだ」「当事者無視だ」と批判をする人まで少なからず出始めてる。

要は、「差別」と言うキーワードに囚われてると同時に、米国の、ある意味特殊過ぎる歴史的経緯が世界共通のものだという勘違いとか、米国の「正しさ」が正しくて、それ以外に正しいものはないんだ。と言う、言い方変えれば、「帝国主義」や「世界新秩序」を掲げて世界中に戦争を仕掛けていったり、内戦をけしかけていったりした「保守派」の人々と全く変わらないような傲慢さを自分たちが持ち続けていて、しかもそれを「世界共通の正義」と信じ切ってしまってるのを、「リベラル」の側が全く自覚できてないという話なんですよね。

日本の場合。

このような事は、日本でも起こってる訳ですよ。
例えば、「レイシストしばき隊」と言う人たちがいます。要は、民族差別やヘイトスピーチをしたり煽ったりしている「行動保守」の人たちの動きをなんとか止めたい。として集まった人たちなのですが、この人達や支持者たちは、在日韓国・朝鮮人の代弁者であるかのように振る舞い、少しでも「差別」だと思えば、物凄い勢いで口汚く罵り・リアルでの暴力すらためらわない。
そして、その物言いで在日韓国・朝鮮人に関わる部分やジェンダー問題の部分以外では、えげつない差別的な物言いを繰り返してるわけですね。「キモオタ死ね」「オタクはレイシスト」後、精神病者を口汚く罵ったり、自分と相反する意見の人たちに対して、いとも簡単に「キ○ガイ」などの言葉を投げつけてる訳です。
しかも、そのような言葉は、在日韓国・朝鮮人全体がそう思ってるという話に、頻繁に結び付けられる。
しかし、在日韓国・朝鮮人の少なくない人達は、彼らや彼らの周辺の人達が代表者もしくは代弁者として大きな声を上げて「暴れて」いることに、けしていい顔をしていない。彼らの、狭いコミュニティの中で大きな声でしばき隊の類を批判することは難しいようですが、しかし、彼らのおかげで差別がよりひどくなったという声すら、時折眼にしてる訳ですよ。

彼らからすれば、何が差別なのかとか日本人との距離のとり方とか、全く違うんだけど、それを言うと「差別者である日本人の犬」みたいな物言いをされてしまうので、議論がなかなか起こってないようなんですよね。

価値観の押しつけと、議論の拒否を乗り越えねば。

「独裁」「民主主義の無視」に対して対抗する側の方でも、「常識」を盾にして、大きな声の人が全てを代表するかのような事になって、内部で微調整が効かないで議論もされないという状況になっているし、そのことで、アメリカではトランプがのし上がるし、日本だと野党への支持がなかなか高まらないという話になってるんじゃないかと思うんですよね。

ここを、乗り越えていかないといけないと思うんですよ、私達の場合。この、崩壊してしまってる世の中を建て直したりしていく力として、リベラルで主流の人達のように「自分の正義」にだけ依存してるような人達は、全く力にならないと思うんです。彼らは、議論を本質的に嫌ってるという意味で、この社会を崩壊に追い込んだ人達となんにも変わらないし、彼らのやり方ではダメだという風に、私は思うのです。議論が自由にでき、色々な立場や趣味嗜好・文化を抱えた人達が、きちんと尊重(もしくは相手に噛みつかないで)される状況がないと、又、簡単におかしなことになりますからね。

何ができるのだろうか

「真面目に怒りましょうよ」「出来ることからやりましょうよ」と書いてるけど、でも、何を出来るのかというのがわからない人も多いのではないかと思います。何かやれば、マスコミもネットも袋叩きにする時代が長く続いてきてますし、その前は何かやる人は反社会的だ。と言う刷り込みをマスコミや学校教育などを通じて行なう時代が非常に長く続いてきたから、それ自体は仕方のないことです。
しかし、何もやれなかった・何もしなかった事が、今のどうしょうもない状況・社会が完全に詰んだ状況を作り出してしまってるのも、逃げようのない事実なのですから…

私が思いつく範囲で、幾つか書いていきます。これが全てではないし、全てが正しいかどうかも、実は自信がないのですが。

誰に対して行なうか

  1. 多くの人々に、事実を知らせて何かしようと呼びかける。盛り場や駅前などで、プラカードを持ったり抱えたりして立つ。
  2. 家族や隣近所、同僚や同級生と問題に思うことについて話して、その上で何かできないかなという話ができればやる。
  3. (特に野党の)議員や政治家の事務所に対して、頑張って欲しい、この事が今問題なんだと話しに行く。もしくは手紙などの仕事の邪魔にならない方法で考えや気持ちを伝える。
  4. マスコミに対して、事実を報道して欲しいとプレッシャーをかける。
  5. 事実を報道したマスコミに対して、頑張り続けてほしいと呼びかける。
  6. デモなどの場に出ていって、そのデモとの関係がなかったとしても、このことを問題に思う。もしくはこのことで辛いという気持ちを、プラカードやチラシの形で出していく。(エキスパート向け?)
  7. 何人か地元で同じ思いの人で集まれたのなら、少しのお金を出し合って、可能ならリソグラフのような安い印刷機を使える場所とツテを作って、自分たちの思いをビラなどにしてポスティングしてみる。(エキスパート向け?)


1.についてもう少し書いておくと、「自分はこれをやった/これをやりたいんだ」と言うのを、ネットなどを通じて出していくのが大事だと思うのです。知識を共有したり、実績を共有することで、もっといいやり方を考え出す人が出てくるし、勇気づけられて全く別の場所でやる人も出てくるでしょうから。

知識の共有とトラブル回避

知識の共有と言うところで行くと、

  1. プラカードの図版を、PDFなどで作っておいて、アップローダネットプリントにアップロードし、それをネット(Twitterや匿名掲示板など)で告知して、ばらまきまくる。
  2. やりましたよ。と言う写真をネットにアップする。(モザイク等推奨)
  3. 色々トラブルにされることもあるので(警備員が文句言ってきたり、通行人が文句言ったりなど)、生中継可能なら生中継しておく。


警備員などとトラブルになる場合やポスティングで揉めるというのは、どうしても出てくることがあるのですが、その場合は、頭下げて一旦引っ込めて、別の場所で少しやってみてどうなるか様子を見て、続けるかやめるか判断してみましょう。そのくらい、図々しくないと物事は動かせない。

ここで大事なのは、下手に事を荒立ててしまうと、警察が出てきてカモがネギ背負って出てきたとばかりに色々言いがかりを付けて逮捕だなんだとやりかねないので、そこら辺は上手いことかわす必要があるということですね。
真面目に話ができそうなら、二言三言話して理解を求めてみてもいいでしょうが、警察は、警察官個人の考えで動いてなくて、上の方の意向とかで警察官が自分を殺して動かされるように教育が厳しくされてる組織ですので、この手の動きに対しては、上のほうが潰せと言えば、必死になって、やってもないことまでやったと言い張って潰してくるものですから、距離をきちんと置いてかないと、後々非常に大変なことになる。

総理夫人が汚職に関わったのがバレても、動かない世の中の腐敗の酷さ。

色々と、社会全体の状況が急変したので、上野千鶴子氏のインタビューに関する話は、少し後に廻します。

社会の当事者だという意識を奪われた、日本人。

私達が、社会を支えるどころか社会を形作っているのだ。という意識が、日本人には非常に薄いのではないかと思うのです。だから、総理大臣やその奥さんが関わってる学校法人に対して、政府や大阪府が非常にすごい「えこひいき」を重ねていても怒りの声がなかなかネットの外側には出てこないし、色々な問題があっても、黙って我慢するだけで改善しないままどんどん進んでしまってる。

でも、それが長く続きすぎたことで、物凄く沢山の問題が隠しきれなくなってるし、身の回りをふりかえれば、色々立ち行かなくなっていっている。

いい加減、そこを変えていきましょう。世の中が崩れるのはもう避けられないけど、でも、その先崩れたままではだめだから、あらゆる人達一人一人が社会の主役に返り咲けるようにやれることをやり直していきましょう。という事を、くどくどと書いていくのが、このブログなのですが。

貧すれば鈍する。

今までは、社会全体でみればそれなりに豊かだったし、上の方で豊かならば、多少は下の方にもお金などを廻して下も潤わせようとするような遠慮というものが、上にありました。
でも、それは、今やなくなってしまった。上がどんどん儲けて儲けを抱えて離さないことが「効率重視」で「正しい」んだ。という考え方が余りに社会に広まりすぎて、貧しい人・稼ぐに稼げない人にカネを廻すことも、カネを廻してくれと嘆くことも、まるで万引きかなんかをやるかのような「悪いこと」として袋叩きにされる「正当な理由」にされるようになってる。

みんな、そういう辺りに関しての善悪の感覚が麻痺してるのでしょうね。だから、総理大臣の奥さんが関わってる学校法人への官民挙げての「えこひいき」やそこにまつわる不正な金儲けがバレても、ろくろく動かない。
しかも、 マスコミはマスコミで、一旦取り上げた中身を、総理の奥さんが関わってる部分だけ削除したりしてる(https://www.youtube.com/watch?v=BK5eVCB7KXI 著作権を盾に消されるかもしれません)し、これだけあからさまな疑獄事件なのに、非常に軽くしか取り上げないから、このような問題がおこってる事自体を知らないままの人も多い。

この事件や東芝の破綻に代表される、「原子力」を巡る経産省と一部企業人の暴走というのは、日本の崩壊の中でも、「上」の崩壊と腐敗がどれだけ酷いか。「下」の側が無力化され尽くし、物言わぬ人々に追いやられ続けた結果として、それ以外の人達がどれだけ腐ることが出来たのか。と言う事を物語っていると思うのです。。

やれることをやっていきましょう。

このような、非常にふざけた状況を知ってる人、状況に対しておかしいのではないかと思ってる人が、ネットの中でも外でも、自分がやれることだけでいいからやっていき、事の存在を一人でも多くの人に知ってもらうように広げ、こんなことばかりでふざけるなと言う気持ちをも伝えて広げていくよりないのではないでしょうか。

そういう、「身近な・細かい所のネットワーク」が完全に壊されてるのだから、そこを作り直していくより、社会を建て直すために私達が動けることはありえないのではないかと思うのです。
社会が最早壊れだして回復しようがなくなってる時に、政治家の偉い人達や官僚の人達が、私達一人一人が納得できるような形で建て直すことができるとは全く思えないし(それが出来たのなら、とっくの昔に…それこそ、鳩山政権時代に…相当部分が成し遂げられていたでしょう)、私達が、多少は善意や理性のある政治家などの背中を押して、私達こそが主役なんだという形で、人とふとのつながりの中から色々やっていくしかないんじゃないかと、思うのです。