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「日本の美徳」は本当に美徳なのか?

当面は、問題提起的でテーマにまとまりがない状況が続きます。ご容赦を。

美徳が、社会を腐らせる。

日本での美徳として、「決まったものはなんでも守る」というのがあると思うのですが、これが、日本社会をこれだけ劣化させたのだと思うのですね。

問題点としては2つあって、
①決まった途端に決定に至る過程が不問にされ、強制力だけが独り歩きしてる。
②決定に至る過程で、なるべく多くの意見を取り込もうという努力がまったくなくて、一方的な話だけで決められてしまう。
この2つは、それぞれが問題点が相当ある訳ですが、2つ合わさった場合の破壊力というのが相当ある訳ですよ。
この日本社会では、「なんでこんなこと決まってるんだろうか」という話が非常に多い訳ですよ。誰も得するとは思えないどころか殆どの人が損してるのが明白なのに、決まりとして決まってるから、決まりは守らないといけない。と言う、あまりにトートロジーな話が多くなってる。
そして、そういう「決まり」が条例であったり法律であったり、校則であったりして強制力を持ってるのはともかく、そこに疑問をさし挟んだり・その決まりでこれだけ困ってます。とでも言おうものなら、世間が袋叩きにしてくることも非常に多い。
この事が、実は、日本社会の硬直性とか、検証可能性の少なさを裏付けてる最大の要因ではないかと思うのです。微に入り細に渡りそういう「きまりごと」が、なんでそういうものが出来たのかきちんと筋道立てて説明できるわけでもないのに決まってて、それを守ることが自己目的化しているのが、それこそ小さな頃の学校教育から徹底されて「当たり前のこと」と思うようにしつけられた結果として、社会のもう少し大きな枠組みでの「決まり」自体を疑問に思うことや自分が実害を受けてるのだと告発する事自体が半ばタブーとされるようになり、結局、社会の規制の有り様を考える機会に恵まれなくなり、社会がどんどん「なぜできたのかすら定かではない決まりを守ること」それ自体に最適化されて、多少そこからはみ出せば警察が罰を与えたり・最近だとネットでそういうのを見つけてきては晒して袋叩きにする人が後を絶たなくなってる。

「きまりごと」で本当に大事なのは何か

実は、社会の「きまりごと」で大事なことって、「なんでそんな決まりがあるのか」「誰が得をして誰が損をするのか」って事と同時に、「損する人が出た場合に、それをどう変えていくべきか・もしくは変えないほうがいいのか議論できる状況であること」だと思うんですよね。
日本社会では、「議論できない状況」の方が圧倒的に多いんですよね。私が長年問題視してる「性表現規制」とか「青少年健全育成」と言う物を制度化した条例や法律・社会常識なんかは、それが一気に(異論や批判を力づくで押さえ込んで)推し進められてから、20年経って、やっと、そういう議論がある程度社会的に認められ始める状態になってるという状態で、他の問題がどうかと言えば、そういう状態になれてないものが大半ですよね。

最近ホットな問題だと、「カジノ法案」。多くの人が反対してて、しかも殆どの人にメリットがなくて、一部の人達の贈収賄とかマネーロンダリングが捗るだけだ。って指摘すら多く出されてるのに、国会で一応審議の格好取ったから採決ね。で、強行採決しちゃって法律化する。こんな法律が、日本には結構あるだけじゃなしに、それで困ってるとかこれは間違ってるだろう。と表明したりすると、「決まったことに文句を言うな」と袋叩きにされるもんだからなかなか言えず、言えても、マスコミなどが「決まったことだから」と無視することが殆どだから、議論自体が存在しないかのような扱いになってしまう。


欧米社会は褒められないところも相当ありますが、しかし「議論できる状況にあること」を何がなんでも護らないといけないという態度を多くの人が持ち続けてるという一点で、非常に偉いと思う訳です。まぁ、最近の「政治的正しさ」の蔓延ぶりとその反動としての極右的なものへの支持の集まりを見ていると、非常に危うい局面に立ちつつあるなと思うのですが。

結局、日本社会に欠けてるのは「一度決まったことでも、絶えず検証し・不都合が出たら直していく」と言う態度だと思うのです。何かが「きまりごと」として決まる時には、一方の都合であったり世の中で勢いを持ってる側の思い入れであったりで、決まってしまうものなんですが、それに対して反対の意思を表明した人達がその後検証を続けても、そこで「やっぱりこれは拙いでしょう」と言う話を出してきても、結局「反対したからいちゃもんつけてるだけだろう」とか、もっと下品で救いのない誹謗中傷(スティグマと言ってもいいでしょう)がぶつけられて、世の中から排除される傾向が、ものすごく日本社会では強くなっている。

歴史的に見たらどうか

 
私の見ている範囲では、昔からこうであったのではなく、1980年代・要は中曽根康弘が政権を握って色々「改革」していった辺りから、マスコミの論調も社会的な風潮も、そういう「異論を排除し・議論を拒否する」傾向が、ものすごく強くなってきている感じがしていて、田原総一朗という人物が一つのキーマンであると思いますが、そこは省くとして、異論や議論を排除する風潮が1980〜2000年代に急激に進み、この社会の硬直性を加速させて、2010年代後半に日本が急激に衰退する下地均しをする結果になったと、思うわけですよね。

ここを克服して、議論や対話を尊重しつつ、一度決まったことでもきちんと文句を言える状況を建て直していかない限り、日本が再び世界的な地位をとるなんてことはないし、そもそも、日本の社会全体が窮屈かつ貧しくこすっからいままで、みんなストレスを過剰に抱えてギスギスしてる状態を抜け出すことは出来ないのではないかと、思うのです。

さて、どうしたものでしょうか。