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「豊洲市場反対はゼロリスク信仰だ」と言う言葉にある、気味の悪さ。

 東京都の築地市場を、豊洲に移転するしないで揉めてる件、「豊洲移転に反対する人はゼロリスク信仰だ」という言葉で非難する人が増えているような気がします。しかし、豊洲市場の土地の空気からはシアン系のガスや水銀のような、食品を汚染する可能性の高いガスが出ていて、築地は基本的には土壌の汚染にとどまってるという事が、その手の話からはすっぽり抜けてるんですよね。要は、表面的な数字の多い少ないやらにこだわって、豊洲市場の環境にも、使い勝手の悪さにも、実は議論をやってない。
science.srad.jp

 この背景には、もちろん、豊洲に移転しないと責任を問われる人達が水面下で動いてPA(パブリック・アセプタンス)的なことを、著名人や学者・雑誌などに行っていることに、多くの人が乗っかってしまってるということがあるのでしょうし、それはろくでもない人の手のひらの上で転がされてるという意味で、余りによろしくないとは思うのですが、もう少し考えていくと、科学を永遠に変わらない「真理」として捉えてる人達の絶望的な多さが見えてくるように思えてならないのです。

科学は永久普遍の真理ではないはずなのだが…。

 科学というものは、ニュートンの法則みたいに非常に長い間使われてきて変わらないでいいと判断されてるものはともかく(でも、相対性理論などが出てきてるので不動というわけでもない)、殆どの物事は、後から出た研究で正反対になったりする可能性があるし、更には、色々な利害の関わる問題に関しては、多くの資金が動き・その資金の為に、事実でないことが真理とされたり、事実の一部だけ抜き出して真理扱いしたり、決定的な事実が存在するのに見てみぬふりされたりすることが、結構あるわけですよ。
 例えば、福島第一原発の事故で起こった、深刻な放射能汚染を「除染できたから深刻ではない」と言い張ったり、放射能汚染の健康被害は大したことはない。と言う大前提のために、甲状腺がんの手術数を、国がごまかしていたり。と言うのは、原子力発電を推進してきた人達が、「それでも原子力しかないんだ」と言う世論を固めるためだけではなく、自分たちがやってきたこと・原発を推進し、原発に必要な安全措置をケチったままで運転を認めたりなどしてきた事の責任や、その結果起こった事故での健康被害の責任を逃れる為にやられていることだと思うのです。

「カネで買われた科学」を乗り越えていく必要性。

 豊洲市場に話を戻しましょう。豊洲市場には、非常に不明瞭であやしいお金の動きが沢山あったし、そもそも石原元都知事と一部の都庁官僚が、色々反対論をねじ伏せて強引に決定したという経緯があった訳です。豊洲市場の設計や運営体制には、ゴールドマン・サックスの系列企業が深く関わっていて、市場の利用者は完全に蚊帳の外の状態で、どんどんと建設が進められた訳ですよ。
 大手の会社しか使えないような高額な利用料も設定され、中小零細業者は非常に不利な扱いを受けることが予定されていた。
 最初の頃から、建設予定地はガス工場の跡地ということで、土壌も地下水も汚染されてるからやめるべきという反対運動があったわけです。でも、「決める政治」を半ば掲げていた、石原氏や猪瀬氏は、これを強引に推し進めたし、マスコミもそれに乗っかり続けてきた。バックに、森喜朗元総理がいたという話も、最近出てきましたね。

 結局、非常に大きなお金が・それも、その土地や建物や施設の価値とは大きくかけ離れたお金が、この件では動いているし、それを(元々あった批判を無視して)強引に進めてきた人達からすれば、使えなければ逮捕されて刑務所に送られかねない訳です。ここまで来たら、死なばもろとも、何がなんでも豊洲に完全移転させるしかない。
 そういう、思惑の存在を抜きにして、「科学的なふりをする」ことの中で、「ゼロリスク信仰だ」と言う、非常に乱暴な話が一部の「著名人」から始まり、どんどんネットにも広がり、みんながそれを信じ込み始めてる訳ですよ。

 私達は、このように、著名人と言う存在に対して、物事の判断を預けすぎてるように思うのです。その結果、科学は著しく金に左右されるようになるし、ものによっては生存を脅かされるようなものを安全であると勘違いさせられてしまうし、人々が街に出て・ストライキもちゃんとやって、大統領の首を飛ばした韓国よりも、日本のほうが優れた民主主義だというふざけた話を信じ込んでしまう。
 そして、それらは、この国を壊して私腹を肥やしたり悪いことをした責任を取らずに逃げ延びてる人達を、どんどんのさばらせる結果になってる。


 これが、この国の崩壊の根本にあることだと思うのです。


 日本国内以外の意見もきちんと調べ、色々な見解に触れ、自分の力で考えて、結論を出しつつ、議論していく。と言うくらい、厳しいことをしないと、ここからは回復できないのではないかとすら思うのですが、しかし、この国が崩壊するということは避けようがない状況ですから、回復することを嫌でもやらないと、私達は生きることすらできなくなるのではないか。そういうふうに、最近、思うのです。