子宮頸がんワクチン推進の世論に見る、強い危うさと象徴されてる社会の崩壊。

 このブログも、どうにか一周年を迎えました。
 このようなお硬いブログなのに、12150程のPVをいただきました。ありがとうございます。
 今後も、どうかお付き合いくださいませ。

「ジョン・マドックス賞」なる胡散臭い賞から始まった、嫌な流れ。

 さて、子宮頸がんワクチン問題というのが、あります。
 これは、子宮頸がんのワクチンを主に若い女性に対して使用したのはいいのですが、一部の人達が激痛を訴えたり激しい痙攣や知能の後退などの症状を見せるようになり、このワクチンは2012年に公費補助が入った物ですから、その「薬害」(厳密には違いますが)の問題がよりヒートアップしてしまってるという、医学というより科学の倫理に関係する話なのですが。

 その中で、「これら副反応・薬害は、ない」「症状を訴えてる人は精神的な問題を抱えていたから症状を起こしてるんだ」というような、原因に対するきちんとした研究が進んでない状況なのにきっぱり断言することで「人気」を集めてる、医療ジャーナリストを名乗る、村中瑠子と言うペンネームの方がいて、その方は、ワクチンの被害を受けた方の家族や支援されてる方からすれば余りに乱暴で怒りを持って当たり前の記事をWedge誌などに度々掲載していて、その事が、少なくない人から賞賛されてる一方、同じくらいの人達からは非難轟々になってる訳ですよ。

 その事で、「ネイチャー」誌が創設したとされている(実際には違うのではないか。と言う話もありますが調べきれてない)ジョン・マドックス賞を村中氏が受賞したことで、問題が再燃し、ワクチンの義務化に反対する人たちが、「頭のおかしい人・狂人」的な言われ方を再びされ始めてる訳です。

 この賞が出来て五年しか経ってない上に今まで受賞してきてる人が非常に胡散臭い主張をしてきたり、利益相反行為・要はお金をもらったり仕事をしている企業や団体に有利な発言を行ったことで社会的に批判されていたような人達だらけだというのが、大問題としてありますが、それ以上に、賞がどうこうはともかく、賞を村中氏が受賞したことで、最低でもネットの世論が「被害を訴えてる人は嘘つきか頭のおかしい人だから無視して構わない」的な方向に向かっているのを見ていて、胃が痛くなってきてるわけですね。

科学から倫理や科学哲学がなくされてしまった、現代日本。

 科学には、倫理的問題や慎重にすべき事柄というのがある訳ですよ。
 ある科学技術や薬品・商品で被害者が出たとして、それが全体の中からすればごく僅かだから見なくていい。無視して構わない。ましてや、そのような人は「社会の敵」だからうそつき呼ばわりしたりその技術・商品が原因だと言うのを黙らせないといけない。

 こういう「世論」というのは、村中氏の主張に限らず、多くの薬害や公害の被害者に、何度もくりかえし投げられてきてるわけです。いまだの、原子力産業の被害者や被曝を「保守的に」考えてる人達に対しても投げられていますね。例えば、「放射脳」とかそういう感じで。

 水俣病にせよ、イタイイタイ病にせよ、公害病の多くは、精神病扱いされたり伝染病扱いされたりしてきていて、その中で、「実はこの工場の排水が原因ではないか」と言う話が出てきても、それに対して、一部のジャーナリストがひどい誹謗中傷を浴びせ・狂人扱いすらして封じ込めようとして、それを社会全体で信じてきたけど、結局、原因が”そこ”にあるんだとわかり、汚染を取り除くための努力が何年も経ってから始められるということが、普通にあった訳ですよ。

 7年ほど前の福島第一原発の事故にしても、同じような過程を辿っていて、いくつもの被害があっても、それは「気のせい」「放射能が原因ではない」「過剰診療だからたくさん出てきただけだ」などの、大暴論がはびこってる訳ですよ。過去の事故…ウィンズケール核再処理施設の事故やチェルノブィリ原発の事故、秘密都市であったマヤークで度々起こってる核災害など…の被害に対して正直に向き合って出てきた研究成果や「わからなかったこと」との、連続性なんか全く無視して、希望的観測のようなもので話を継ぎ接ぎしたりしてますね。

 そして、子宮頸がんワクチンの被害にまつわるエピソードも、そういう経過を辿り始めてる。

 そういう、危なさに対して、多くの人が「科学の進歩なんだから被害を受けたなんて言うな」「被害を受けたのはあなたの精神的なもので、あなたは精神病者だ」と言う主張にうなづき・それを広め、被害を受けた人の側に立った人達や、被害を危惧する人達を、自分から進んで攻撃してる始末な訳です。
 そこには、被害者の側に立つことが多い「リベラル」「左翼」への感情的反感も見受けられますが。

科学にとっての倫理と、それがない事の結末は。

 科学というより、科学技術の成果であるもの、例えば原子力やワクチンと言うのは、非常に影響範囲が広くて、何か問題を起こした時に、ものすごい数の人や社会を破滅に追い込みかねないという、本質的な問題がある訳ですよ。
 その部分で、科学に携わる人達には、本当ならば「この研究を進めた場合、人や社会を破滅することはないのか・環境汚染を拡げてしまわないか」などの、比較的高い倫理観が求められないといけないはずなんですよ。

 何しろ、自分が関わった研究で、その研究の中身によっては数十万人の人を死に追いやったり廃人に追い込んだり、果ては遺伝的な意味で根絶やしに追い込みかねない訳で。

一歩踏みとどまり、周りを見渡し慎重に考えていくこと。

 その事から考えると、今回の子宮頸がんワクチンにせよ原子力にせよ、「一歩踏みとどまるか、場合によってはやめてしまうべきではないか」ということも、求められてるはずなんですよ。
 しかし、そのような考え方というのは、お金儲けをしている側からすれば非常に都合が悪い。そして、そのような物は古臭くて有害だから、もっと、科学技術を進歩させて、そこで起きた問題なんか見てみぬふりしてしまえばいい。と言う人達が、マスコミでも学界でも持て囃されてきた訳ですよ。

 その言葉の裏には、そこで、何らかの被害を受けた人たちは、うそつきか詐欺師か狂人だから、無視してしまいましょう。と言う物が潜んでいたりすることも、実は多い感じが、私には見えます。

 そこに、多くの人々が同調してしまってる。と言うのが、実は、この日本社会の崩壊を加速させたし、又、崩壊していることの象徴なんだろうな。とすら、私は思うのです。
 きちんと踏みとどまり、周りを見渡して考えるという作業が、余りに笑われることになってしまいました。そして、踏みとどまる人々・学者やジャーナリストなどは、全て愚か者でバカで嘘つきだから信頼するな。と言うことすら、隠さずに言う人が少なからず出てしまってる訳です。

 こんなことをしていたら、どんどんと社会は小さくなっていくんだと思いますし、そこを乗り越えない限りは、この社会が再び栄えることなどないのではないか…そんなことを薄っすらと考えたりも、しています。