小室哲哉への「文春砲」とうなぎ絶滅、そして日韓合意のゴタゴタから考えてみる。

 ここ最近・特にこの一年、取り上げられなくてもどうでもいい話が悪いこととして取り上げられる一方で、これはひどい。とか、これは中の人の権力とか含めてまずいだろう。と言う話は無視していくようなメディアや人々が、余りに大きな顔をするのが、目立ってるように思うんですよ。

 例えば、小室哲哉氏の引退問題を見ていて思うのですが、「不倫」であるからいくらでも叩いていいんだ。的な感じの世の中の空気に乗っかる形で、個人個人の状況とか事情も無視して、ちょっとした「過ち」まで何がなんでも責任を取らせないと気が済まない。と言う人達ののさばりぶりには、正直な所うんざりしますし、小室氏が長年奥さんの介護を続けていく中で、看護師の方との関係を作っていく中で起こった「過ち」なのであるから、例えば山口敬之氏が詩織氏に対してやったような非常にあくどい真似に関して殆ど不問にしている週刊文春が、とりわけこの問題を大きく取り上げて騒いでるのに、違和感を感じるんですよね。
小室哲哉の会見全文1 不倫騒動受けて引退 - ログミー

「日韓合意破棄」にけしからんという前に、知っておいたほうがいいこと。

 さて、「日韓合意」と言うのが、あります。長年日本と韓国や北朝鮮の間で揉めてきた、第二次世界大戦当時の戦争犯罪問題の中でも、慰安婦問題に関して、「不可逆的な解決」とするかわりに、日本が韓国に10億円を渡す。と言う取り決めを、韓国の前の政権の朴槿恵政権の末期に、日本の政府と取り決めたのですが、この中身が非公開とされた訳です。
www.huffingtonpost.jp
www.asahi.com

 とにかく、この「不可逆的な解決」・要は、これ以上韓国は騒ぐな。日本は責任を取らない。と言う部分だけが伝えられ、その周辺の話や曖昧な中身というのは、韓国のマスコミの日本語版である程度は伝えられてはいたものの、日本のマスコミは殆どその中身をつたえないし、いくらなんでも、こんな取り決めがうまく行くわけがないじゃないか。と言う見通しすら、日本側では伝えられなかったわけですよ。

 私は、大昔・25年近く前に、ある程度慰安婦問題や中国で関東軍が行った戦時犯罪に関わってる団体のお手伝いをする機会がありました。その中で、その運動団体の人達が、自分達や自分達と繋がってる・今の挺対協につながる人達が、慰安婦の当事者たちが決めることに対して主導権を取ることばかり大事にしているのに呆れながら手伝っていて、私個人の生活上の問題で、お手伝いどころではなくなって、退いたので、その後のことも含めてある程度状況を見てきましたが、「韓国が反日」なんて単純な話で「日韓合意はうまく行かない」というのではなく、韓国の政治体制や政治システムからして、上で話を付けても、中身が国民を無視する中身だったら無意味どころが火に油を注ぐことになると言う事が、最初から明らかだった訳ですよ。

韓国の政治システムは、日本と全く違う事を考える必要性。

 韓国の大統領は、6年以上は務めることが出来ないですし、二期目はないシステムです。つまり、最悪でも6年毎に、政権がまるまる変わってしまう。そして、大統領が変わると、前の大統領の悪事が徹底的にでてきて、刑務所に入れられたり自殺するのが、当たり前に起こる訳ですよ。この辺り、日本のように長年官僚が殆ど仕切っていて、政権交代しても官僚とマスコミと保守派の人達が、事実を捏造してまで足を引っ張って潰すような「連続性を重視する」国とは、全く違うし、それは、戦後40年近くの間、軍事独裁政権に苦しめられているのを、人々が自分達の手で打ち破って今の制度を作ってきた。と言う歴史があるからです。

 そして、そういう国ですから、日本のように、マスコミが政府に都合いいことを言って、ネットで偉い人たちがそれについてくと、世論の大半が政府に都合いいことしか認めなくなるという国とは、かなり違うんですよね。そういう風土の中で、挺対協などが、半分日本を敵に回すことを使って支持を集めてきたし、旧政権・朴政権や李明博政権は、挺対協や慰安婦像を海外に持ち出した人々に代表される国内外での「反日」の機運を、影にひなたに煽ることで、国民からの支持を集めようとしてきた部分が、否定できない程度には大きかったと思いますが、その反面、反日はどうでもいいから慰安婦問題をきちんと解決してほしい、慰安婦の人達に日本政府も謝罪する一方で、救済をきちんとやってほしい。と言う人たちがいて、実は、この人達が大半ではあるんですよね。
 そして、そういう人達の多くが、今の文在黄政権を支持して、作り上げてたりもするんですよ。

 彼らからすれば、反日とは到底言えないんだけど、「日韓合意」と呼ばれるものに対しては、冗談ではない。となるわけですよ。だって、日本政府と韓国の保守派だけに都合良くて、慰安婦の人達を放り出してしまうようなのを、10億円と言う「はした金」で、両国政府が勝手に決めちゃった上に、どうしてそうなったかという話も、詳しい中身もよくわからないままにされた。
 こんなことは、流石に、民主主義を掲げる国同士でやる取り決めではなく、例えばアメリカと中南米の親米独裁国の独裁者が、勝手にアメリカだけが有利な条約作って国民に押し付けるのと同じようなものですからね。そして、「合意文書もない」となれば、民主主義を求めてる人たちに後押しされてる、文政権としては、認め続けるわけには行かないのですね。

超大国と独裁国の間でやったのと同じことをやってもうまく行くわけがないのだと、知らせないマスコミやネットメディア。

 さて、日本では「日韓合意破棄はけしからん」と言う人が、世論調査では85%位いるようです。
 テレビのニュースなんかを見てると、日本と韓国が決めた事を、韓国が理由もなしに一方的に破棄してきた。と言う報道ばかりが流されているから、それ自体は仕方ないのだと思います。
 韓国の旧政権と日本政府が、民主主義に反するやり方で、問題をもみ消すかのような・民主主義国家にあるまじき取り決めをして、韓国国民に押し付けたから、文政権が破棄したし、それは、韓国の政治システム考えれば、当然の流れなんだ。と言うような、そういう細かい解説というものは、殆どゼロに近い訳ですよ。
 これは、テレビに限らず、ネットメディアや「著名人」のネットでの発言なんかを見ても、殆どそうなんですよね。

うなぎについても、都合悪い話を伝えないマスコミなど。

 少し、話を変えます。
 うなぎが、たべられなくなる。と言う話が、最近騒がれていますが、日本が長年シラスウナギを養殖向けにとってきて、しかも、沢山のウナギを中国などからも輸入し・その「元種」が日本などから輸出されるシラスウナギであるということや、そのシラスウナギが絶滅の危機にあると15年以上前から言われてきて、国際機関が日本などにシラスウナギ漁の強い自粛を求めてきたのを、日本政府が無視し続けてきたから、絶滅の危機になってる訳ですよ。

 しかし、マスコミは一貫して「気候変動かも知れないしわからない」「絶滅するなら今の内に食べろ」「高くなるのが心配だ」としか言わず、このような問題が日本にあるだけでなく、毎年土用の丑の日になるとスーパーやコンビニが大量に仕入れて大量のウナギを廃棄してる問題や、牛丼屋さんですら食べられるお手軽さに関しては、問題だと言わないわけですよ。
 この問題に関して救いがあるとすれば、ネットの側の少なくない人達が「日本のうなぎに対するやりかたが間違ってる」と言ってることでしょうけど。
togetter.com

表面だけ知っても問題はこじれるばかりだから、自分の目と手と足で知っていかないと、いけない。

 小室哲哉・日韓合意、うなぎ。この3つの問題をつなげるのもかなりひどい話ですが、共通してる所があって、

  • マスコミが都合いいところだけつまみ食いして伝えて、都合悪い話をカットする。
  • 都合悪い話を聞かない事になる人が大半を占めてるから、相手が悪いとか自分は悪くないという話になる。
  • したがって、問題の核心・困ってる人はより厳しい状況に置かれるし、外国との揉め事やうなぎの絶滅のような問題は、よりひどい方向に加速してしまう

 と言う、負のスパイラルというか悪循環を繰り返してしまってるのですよ。

 小室氏の問題は、彼一人に介護の責任を負わせてしまったことから来てる問題も相当ありますし、それを小室氏が不倫したのが悪い。と杓子定規に切って捨てては、小室氏に責任をより重くさせるだけだし、「不倫」なる物の中身も見ないといけないと思うのです。
 そうしないと、同じように重病の家族を介護してる人達にかかるプレッシャーが増すばかりになりかねない。

 日韓合意の問題は、「元々上手く行くわけがない中身の取り決めを」「時の権力者が国民を完全に無視して勝手に決めた」と言う、最初の最初でダメだったのをマスコミが完全に無視して伝えないから、韓国側の反発とか合意破棄がなんでそうなってるのかわからずに、「韓国けしからん」と言う世論になってる。

 うなぎの話も、問題の核心部分をぼやかしたり伝えようとせず、外国から長年日本が批判されるような事を改めなかった結果起こってしまったことなんだ。と言う話を伝えないから「高くなる前に食べなきゃ」と言う感じになってる。

 こういう、社会の抱える問題とか、上の方の人達がむちゃくちゃやってる結果起こってくる問題というのを、私達はきちんと見ていく必要があって、なぜなら、その手の問題で苦しむのは、上の人達ではなく、「下」の私達だからなんですよね。
 そういう事が許されてしまう状況が、戦後70年超えたにもかかわらず長年続いてきて、どうも、ここ最近に至ってはより酷くもなっている。
 そこを変えるには、空気にはまらず・空気を作らず、偉い人やマスコミの言う事を鵜呑みにせずに自分で調べたりして、広い範囲の議論を重ねていく中で、きちんと世論とかを作っていく必要があると、私は思うのですね。

立憲民主党が古臭い「人件費削減」政策を掲げたことが批判され直された事から、考えてみる。

 非常に間隔が空いてしまいました。前回書いたように、年末年始A型インフルエンザで苦しみ、今までにないような厳しい状況で殆どの用事や行事をキャンセルし、先週半ばとなってました。今年のインフルエンザ、A型は症状がいつもよりも激しい感じがしますし(足の太ももがが激しい筋肉痛になり苦しむなんてこと初めてでした。)、それ以上に、インフルエンザだと自覚しにくいB型が非常にはやってるようです。皆さん、予防と自衛と、後は、かかってしまった時に病院に行って仕事や学校を休んで療養する踏ん切りをつけるのを、お忘れなく。

 さて、立憲民主党が政策を発表したのですが、その中で「公務員の人件費を削減する」と言う文言が入ってた(後に批判が殺到したことで撤回された)事が、話題になりました。
togetter.com
 このような「政策」というものは、旧民主党民進党では「当たり前」に出されていた話で、それに対して人々が強く批判するというのも、殆どなかった事なので、ある意味感覚が麻痺していて出してしまったのだと思います。

公務員人件費の引き下げと非正規雇用の促進が、地域崩壊まで繋がってしまってる、負の連鎖。

 そもそも、この手の話は、1990年代から繰り返し言われてきた訳ですよ。公務員は給料が高すぎるし怠けてる、国の財政が苦しいのだから人件費を削減しろ。と言う声が、「識者」を中心に、マスコミで繰り返され、労働組合はそれを批判したとは言え、当時は「連合」の最盛期で、国とか財界とか「空気」に対して労働者や労働組合が逆らうことが非常にいけないことだ、罪だ。と言う風潮がすごかったので、結局、どんどんと押し切られ、新しく入った人から給料が下げられ(これは、すでに入った人の給料を下手に下げると、公務員の人事に関する法律や、公務員以外だと労働基準法に違反になって裁判起こされて負けるからですが)、それだけではなく、人手不足になっても、それで雇う人達を正規職員としてではなく、非正規職員として雇い、簡単にクビを切れるし安い月給しか払わなくても違法にならないように、国も自治体も競争するようにやってきたんですよね。

 その影響は、民間企業にもどんどん来ていて、多くの人がご存知のように、民間企業の多くは給料を下げるだけではなく、派遣会社が送り込んでくる人を正社員と入れ替えたり、正社員をその手の会社に出向させて雇うことによって、安月給でもいい加減な理由でクビを切っても責任を取らずに済むような形にどんどんと変えていってしまった訳です。

 そして、公務員の場合には影響はそこでとどまらず、警察が飲酒運転や酒気帯び運転を法外に厳罰化したことの影響もあって、お役所の周辺で営業してギリギリ倒産せずに済んでいた飲食店が、まずバタバタと倒れました。そして、官民競って雇用を不安定化し、福祉も切り下げた事によって、地元の商店や百貨店で物を買う人が激減していきました。これには、大店法の改悪で、イオンやセブンアンドアイのような大規模スーパーが地方に進出し、客を根こそぎ奪って地元商店を壊滅させた後に、採算性が悪いという理由で撤退し、買い物したくてもできない地域を作り上げた問題も伴っていますが。
 今や、地方の老舗の・それも、江戸時代の前半からやってきたような商店や菓子店、百貨店が、どんどんと倒産したり閉店したりする事態に陥ってる訳ですよ。
ひょうご経済+|経済|老舗百貨店ヤマトヤシキ 来年2月末に姫路店閉店

国の計画倒産に至っても未だ、バブル崩壊の歪んだ価値観に引きずられてる、マスコミと政党。

 アベノミクスという、私からすればごまかしとインチキを重ねて、偉い人たちが一方的に国の富を奪ってどこかに(多分タックスヘイブンに)逃してしまうという国の計画倒産のような事で、給料がろくに上がらないし福祉給付は下げられてるのに、税金や年金や国保で取られる金額が爆上げされ、しかも物価まで上がってくるという、「約束されていた大不況」が原因の一つですが、それだけであるなら、戦争やインフレや大恐慌を生き延びてきた老舗の商店がバタバタ倒れると言う状況にはならないと思うんですよ。それ以外にも問題があって、それの一つに、「人件費の切り下げと雇用の不安定化で内需が壊滅した」と言う、90年代から25年以上続いてる状況が、あると思うのです。
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 今も、マスコミはそのような世の中の変化をわかってないのか、「公務員は給料下げろ」「企業が人件費を下げたりコスト削減のために派遣を使うのは当然だ」と言う論調が多くを占めています。日本で暮らす多くの人たちは、そのようないい加減でほんのひとにぎりの人しか得をしない話にのっけられたことで苦しんでるし、地域社会がめちゃくちゃになってきてるのに。です。

 最初の話に出した、立憲民主党の「政策」にも、その事が反映されてるんだと思うんですよ。「ボトムアップの政治」を目指しては見たものの、今までの民進党や民主党が、ボトムアップの政治とかけ離れた人たちによって動かされたり、ボトムアップの動きをそうでない人達が足を引っ張って潰し、場合によっては内閣が潰れたり党が分裂すらしてきたと言う事が、やっぱり強く影響してて臆病になってもいるでしょうし、そもそも、ボトムアップを目指しても今までのような「選挙に勝てるスタイル」では、末端にいて、組織になってないけど困ってる人達や「正しさ」「正義」によってより来る苦しめられてる当事者たちという物にたいして、きちんと向き合ったり落ち着いて考える時間が取れないようになってしまってる。

すでに、世論の半分くらいは人件費や給料を上げろと言い出してる。

 今は、幸いなことに、そのような大半の人が幸せになれない・なることができなかったような、人件費の切り下げのような政策や「常識」に対して、ノーを言う人が非常に増え、その人たちが組織的にではなく、あくまで個人として文句を言う事が沢山重ねられることで、立憲民主党の政策を見直させることができました。
 私から見れば、この事は、この数十年間殆ど出来てなかった事ではありますので、ある意味、日本社会の進歩なんだろうとは、思います。

 このような声を人々が重ね、ネットなどを使い議論し、色々な形の「世論」、一つにまとまらないと言うか何本かにまとまりはするけど統一されてるかと言えばそうも言いにくいような「世論」を作ることで、色々な所に影響を及ぼし、その事で、今まで労働組合・特に個人加盟の労働組合やユニオンが頑張っても出来なかったような「マスコミの軌道修正」「空気の軌道修正」が出来る可能性が出てきたと思うんですよね。

 そして、その事で、金持ちとか大企業とか国際的な投資企業の側に立たないつもりでいる人たちや政党に、「人件費を上げるべきだ」「人件費削減は限界を超えてしまってる」「給料を上げろ。時給1500円でも厳しいぞ」「非正規雇用をやめさせろ」などの、色々な問題や意見があることを示し、そして、議論の中身やなんやをなるべく見せていくことで、向こうに考えさせて、お互いに言い合える環境を作っていい方向性に社会全体も政治も向けていく。と言う流れの入り口を、私達一人ひとりが意識的に作っていくべき時期に来てるんだと、思うのですね・。

種子法改悪からの流れで考える、2018年以降の近未来の日本崩壊。

 さて、2018年となりました。私の身内に昨年不幸があったので、「新年のご挨拶」と言う形は差し控えさせていただきますが、散々な年末でした。母が晩秋に亡くなり、その後の後始末的なことをやっているのですが、そこら辺でそこそこ忙しかったことで身体が弱っていたのか、昨年最後の週に見事にA型インフルエンザが発病し…旧い友人たちと会うことも諦めざるを得なくなるし、未だにウィルスが居座って苦しみすら感じる状況です。
 皆様も、インフルエンザの予防や万が一かかった時の拡散防止には、本当に気をつけてくださいませ。

 昨年は、母が亡くなったことの告知を、「背に腹は変えられない」と載せた辺りから、一気にPVが増え始め、一年目で12,000以上という私が予想だにしないPVを頂き、その後、どうも「アルファツィッタラー」と少し前なら呼ばれていたような方がこのブログを紹介してくださったのかPVが更に急速に増えたりして、未だに慌てています。そんな注目を浴びるつもりもないで始めた物だったし、PVが増えたからもっとPVを取ろうとウケを取るのに走るなら、それは違うだろう。と言う気持ちが非常に強いので、まぁ、今年も前と変わらずに賛否両論溢れて当たり前の事を、マイペースで書いていこうと思います。

2017年を簡単に振り返る。

 世の中の流れとしての2017年を振り返ると、
「普通の人は法律を守らないといけないしその他はみだす・逸脱すると直ぐにネット等で非難が殺到する」
のに、
「偉い立場の人は法律は無視しても罰を受けないし、普通の人がやれないようなあくどいことをしてもやったもの勝ちだし、しかも、法律を自分たちに都合よく変えても罰を与えられない」
と言う構図が、物凄く露骨に出てきた一年だったと思うんですよ。

 世間の人たちは、やれ法律を守れだコンプライアンスを守れだ、ネットで晒されないようにしようだ、ギチギチに締め付けられて疲れ果ててるのに、偉い立場の人たちは八百長もし放題だし賄賂をもらったり法律を無視して国のカネを「おともだち」に沢山流したり、それでいて「カネが足りないから福祉や教育は無駄金扱いして減らします」と言っても、ろくに非難もされない。
 総理大臣のおべっかを書き連ねたり太鼓持ちやったりする人が、本業の立場を悪用して女の人を呼び出し仕事をやると話して酒を呑む場を作り、その場で睡眠薬だか何だか酒に入れて女の人をひっくり返してレイプして訴えられても、警察が逮捕しようとすれば止められるし、検察が起訴しようとすれば、検察お手盛りで不起訴を「合法的に」認めさせる。起訴しようとした人や逮捕しようとした人は、左遷されてしまってもいますね。
 共謀罪や一昨年の戦争法(安保法)、その前の特定秘密保護法に代表される少なくない法律も、「法律の上にある法律」である憲法を完全に無視してるし、批判も多かったし、法律が出来るプロセスの中に沢山の非合法なやり方が繰り返えされてるのに、作ったもの勝ちになってます。

種子法改悪がもたらす、2018〜2020年の食料崩壊。

 昨年末、本当に年の瀬に、「種子法改正に基づき、地方自治体がやってきた種苗の確保事業への国の補助を打ち切る」事が決まりました。

 要は、コシヒカリササニシキのような、元からあった種を都道府県などの農業試験所が改良して、農家の方に安く卸すことで、日本の農業は成り立ってきたのですが、そこに使われてきた税金を使わないようにします。後は、主に国内外の大手バイオ企業が作る「一回きりで、しかも外国で問題を沢山起こしてる」種を買って下さい。いままであった種の維持とかそういうのは、バイオ企業の邪魔だから国は助けません。とう言う感じですね。

 このことや、有害性が高いとされてるグリホサートの規制緩和・それも、土に残る濃さを400倍まで認めるとした「改正」が、12月25日に農水省から出された訳ですよ。

日本の崩壊は、最終段階に入った?

 専門的な方が解説をされてるでしょうから、専門的な話はそちらに任せますが、この事は、日本の崩壊が、私達が見えない所で最期の段階に入ったのだろうな。と思ってしまうことだったんですよね。
 既に、TPP条約を無理やり批准したり、オリンピックで何兆円もの予算を出しておきながら、現場の作業員にはお金がいかず、過労死も相次いでるし、何かにつけて専門家や学生を「ボランティア」と称してタダで非常に厳しい環境で働かせようとしてる。と言う辺りから露骨になりだしたのですが、
 今まで貯めてきた日本の富のようなものを、ごくごく一部の人たちが、法律に護られる形で奪い、タックスヘイブンなどに逃して、勝ち逃げを図ろうとし始めてるな。と思うわけですよ。

 少子化の問題や、「民営化」「規制緩和」でインフラがメチャクチャになったり労働者がひどい扱いを受け、それらが重なることで、国が滅びかねない。と言うことは、何十年も前から、主に左翼の人たちを中心に警告されていたことだった訳ですよ。
 しかし、バブル景気がすごかった1980年代やその幻想とも言える物が色濃く残っていた1990〜2000年代にかけては、「保守」を自称する・今まさに「勝ち逃げ」をはかってる人たちや代弁者達が「古臭い」「時代遅れ」「共産主義」などと大きな声で攻撃し、マスコミもこの手の警告を非常に小さな形でしか取り上げなくなり、「改革こそ素晴らしい(中身は見ていない)」「新自由主義こそ正しい、企業をもっと優先すべき」「苦しんでる末端の人たちの苦しみは、全て、甘えだ」と言う言葉を出す人をくりかえし重用して来ました。
 このことで、世論が非常におかしな方向に行き、既に問題があると皆がうっすら感じ始めても、なぜそう感じるかということが全くわからなくなり(だって、片方に偏った知識や情報しか、マスコミもネットの主流も見せなかったんだから、当たり前でしょう)、途方に暮れて今日を生きるに精一杯でいるしかなくなり、徹底的に問題を先送りし続けて来た訳です。

「やったもの勝ち」で勝ち逃げしようとしている、ごくわずかの人々。

 そして、「勝ち逃げしようとしている人たち」は、この問題の先送りが、自分の出世や保身のような利益に直結してきた人たちでもありますから、先送りや詐欺師の物言いを奨励してきた。

 その結果、日本には先がなくなってしまった訳ですが、この人たちは責任を取りたくないし、自分や家族の将来だけは安泰にしておきたいものですから、国富・国の富を徹底的に奪い取り、日本の金庫を空っぽにする事に力を注ぎ始めたのだと思います。アベノミクスなんかも、要は、そういう作業でしょう。
 それは、2011年の東日本大震災が大きな後押しをしましたが、実際にはもっと昔からだったと思います。
 何しろ、立場がありお金や資産も膨大に海外に逃してる人たちからすれば、彼らが権力を握ってるし法律も無視できる立場になってるのですから、海外に逃げることは非常に簡単に出来るわけで、日本がその後どうなろうが…それこそ、ソマリアルワンダのようになろうがどうしようが…関係ない訳ですよ。
 やれ「愛国」だ「美しい国」だ言った所で、その国を自分たちが支配できないなら人々を皆殺しにしても構わない。程度の「覚悟」は、第二次世界大戦での日本国内がどうであったかを考えれば・そして、「勝ち逃げする人々」がどのような家系を中心とするか考えれば、容易に想像がつくことですからね。

「国の富を持ち逃げするであろう人々」が壊した社会を建て直すために。

 私個人は、「このような無法者には、人々が、もっぱら無法で対抗するより、解決策はないのではないか」と言ういやな気持ちを相当持っている訳ですが、しかし、どちらにせよ、国富を空っぽにして逃げる人たちをキチンと処罰し、今までの責任を全て取らせる必要があるし、国富を戻していく為に、それこそ、憲法を無視してでも財産を没収し、今後百年以上は再起できないようにする必要性が出てくるでしょうね。
 それも又、「建て直し」の中で、私達一人ひとりが「そうは言うけど、本当はどうしていくべきか」真剣に考え・議論を深め、流れを作っていく必要に迫られると思いますし、そのような非常に厳しい決断を迫られ・社会に対する「問題の先送り」をやめていかないと生き残りようが無くなる状況も、もうすぐ・ひょっとしたら今年中には迫られることになるのだろうとは、私は思いますが。

いきなりの珍事?に、慌てふためくも、性風俗労働者の危機について考えてみる。

 いきなり、一日で4000PVを越える日が出てきたりして、大慌てしていました。どなたが紹介されたかわからないですが、ありがとうございます。そして、こんな「おかしな」ブログがあるということで、眼についた方、どうか、他の記事も時折読んでくださいませm(_ _)m

 さて、最近と言うか、昨日今日になってネットで盛り上がってる問題として「はあちゅう事件」と言うのがあります。電通に勤めてた女性が元の上司のセクハラ・パワハラを告発し、独立していた件の上司を辞職に追い込んだ…が、その女性も曰く付きの人で、過去の暴言や悪行が批判されて、カオス状態にある。と言う話ですが、今回はそれをやりません。やればPV稼げるのでしょうけど、既に、二人の方が私が頷けるような解説や文章を書いてるので、それを紹介するだけにしようと思います。
kyoumoe.hatenablog.com
www.byosoku100.com
追加:これも良く出来は論評なので:
cakes.mu

風俗営業に携わる人達が日々晒されてる「危険」。

 で、それと同時に微妙に話題になってる問題として、昨日大宮であった「風俗ビル」の火災で死者が四人出たという話がある訳です。これについての記事の中で、「風俗営業・特にソープやヘルスなどの売春やそれに準ずる行為が絡む業種では、店や建物が古くなっても、建て替えられないし設備の入れ替えられない場合がかなりある」と言うのがありまして、それを受けて、多分ソープランドで働いてる当事者の方だと思いますが、「建て替えられないし旧い設備を使わないといけなくて、危険な思いをしながら働き続けてるのを助けてほしい」というようなツイートをされた方がいたんですよ。

https://twitter.com/hatarakuossan_n/status/942390037118722048
ソープの建て替えを許可してください。
老朽化した建物とボイラーは危険です。
ソープなんかあるからいけないんだ、ではなくて。 ソープの需要はなくなりません。
ですから、安全に働ける場所を作らせてください。お願いします。

 なかなか、この手の話が話しにくいし、話す機会もなかなかみえないので、ついつい私ですら見落としがちになってしまうのですが、やっぱり、危険な状況で働くことを強要されてる・それも、経営者が悪徳だとかそういうことではなく、店にお金があっても、経営者がなんとかしたくても、法律の制限があってできなくなっている。と言う事がある訳ですよ。

風俗営業法」などの、悪しき法律。

 「風俗営業法」と言う法律があります。この法律は、ソープランドファッションヘルスなどの性的な労働を伴うものから、ラブホテル、そして、ダンスクラブやゲームセンターに至るまで、盛り場の・もう少しいうなら人間の下世話なんだろうけど欠かさずつきまとうことに対する商売全般を規制する法律な訳ですよ。
 その中で、ソープランドに限らずラブホテルなんかもそうなんですが、「盛り場の中でなおかつ、学校や公園から200メートル以上離れている場所にしか新設を認めないし、地元の同意も必要である」「公安委員会や保健所の認可なしに、設備の更新を認めない」などの、ガチガチの項目がある訳ですよ。
 これは、1980年代以降くりかえし強化されグレーゾーンがなくされていったと記憶していますが、その結果、特に、「性」にまつわる商売というものは、新しく立ち上げるのが物凄く困難になってるし、古くなって危険な設備を入れ替えたり、危険な建物を建て替えることも、事実上やれないように追い込まれてる自治体が、大半を占めるようになってるわけですよ。

「街をきれいにする」事が、実は人を切り捨て壊していった。

 それを後押ししたのは、日本で主流であるような類のフェミニズム運動であったり、そのバックにいるような宗教(キリスト教矯風会など)や、右派の宗教、そして、「性を全て綺麗にしないといけない」と突き進んでる一部の警察官僚ではあるのですが、その人達と組んで「道徳的」に振る舞う「一般市民」「町内会」というものが、物凄い厚みであった訳です。

 この人達が、出来レースと言うか殆ど八百長のようにして「街を浄化しないといけない」と警察や保守系の議員だけでなく左派の議員にもに「陳情」し、その他の人達の意見を入れさせないようにして、法律を変えさせたり、規制を強化したりしてきたという歴史があるのです。(これは、暴力団追放運動も同じ構図で、これも、非常に大きなマイナスを今の社会に及ぼしていますが、書くのは機会があれば。)

 この手の商売を利用する人の大半は、それ自体を後ろめたいと思わされてるから、なかなか意見を出せないですし、そもそも、そこで働く人達ときたら、もっと酷いと言うか低い扱いを社会全体から長年受け続けていて、自分たちの仕事にプライドがあるとか、それでしか喰えないのにどうしてくれるんだ。と言う、働く人として当然の言葉を出すことすら、えげつない攻撃と見下しの標的にされてきた訳です。

 この手の問題を取り上げると、必ず「彼女たちはかわいそうなんだ」「こんな酷い商売から救ってやらないと」と言うような声が出てきて、社会の中で声の大きな人たちは、そこになびいてしまいがちになります。

「かわいそう」と言う言葉や態度が、最大の侮辱となって傷つける事になる。

 しかし、そんな言葉こそ、彼女たちを最も侮辱する言葉だと思うのです。

 私自身、非常に若い頃、性風俗で働く人の権利を獲得しようとしていたり、女性の自立とは何だろうかと苦闘していた、当時の日本のフェミニスト全体から見たら非常に異質な「フェミニスト」の幸渕史氏と接点がありました。その方の運動に、何か参加したというのでもなく、別の事をやる場で、ウダウダと居座って、時折変なことを言って場の受けを獲ろうとしていただけではあるのですが、彼女の発言や主張、姿勢というものは、私のその後の物の見方や物に向き合う態度というものに、大きな影響を及ぼしています。
 彼女は、「運動ムラ」にとことん疲れたのか、「引退する」と言ってどこかへと去っていってしまい、その後接点がなくなったのですが。

 もう一つ、一見関係ないケースを書いておきましょう。

 1990年代なかばから後半。この頃、東京の新宿駅の地下街や駅の周りに、ひじょうに多くのホームレスが住み着いていて、その支援をやっていた人達とも、私は接点がありました。やはり、その人達のいる事務所で別のことをやってる人達とウダウダ話してるだけでしたが、後にノーベル平和賞を獲るICANの日本理事の川崎哲氏も参加していた、ホームレス支援団体がいました。
 その団体の人たちを通して私はホームレスの人たちを見ていたのですが、彼らにも物凄いプライドと、仲間と一緒にいたいという意識があり、それを、「街の浄化」を理由にした「ホームレス村」の強制立ち退き問題やその後の「保護」と称して、実際には晴海のハズレの埋立地にある狭いプレハブの収容所にぶち込んで後は面倒をろくに見ないような酷い事をやってた問題の中で、ずたずたに壊されていく、彼らのプライドや仲間のつながり、そういうものを、眼に耳にする機会がありました。

ホームレス問題と性風俗問題への「視線」に共通した、「意識高い人々」の病理。

 私、この二つに共通してる部分があると思っていて、「その人の行く末を勝手に決めたり、仕事や自分へのプライドや生活をぶち壊すことを、可哀そうだからやってやったんだ。的な言い方するのは、極めて失礼であって恥を知るべきだ」って事を、どちらにも感じるし、本題に戻すと、性的な風俗営業で仕事をしてる人に取って、「安全な職場で、危険を感じずに仕事をちゃんとやっていきたい」と言う気持ちが出てくる人が少なからずいるというのは当たり前のことなのに、それを、今までの社会運動なり「浄化」「きれいさ」を求める世論というのは、どれだけずたずたに踏みにじってきたんだろうか。と思うんですよ。

 そのような、ある意味傲慢な物の見方というのが、この社会を壊していった側面というのが、物凄くあると思ってます。

 今私たちが出来るのは、例えばソープランドで働く人が職場の危険さ・それも、法律があるから危険さが押し付けられてることに対して、嘆いたり「どうにかしてくれ」と嘆いてきたならば、声を上げてみてはどうか、署名を集めてみてはどうかなどと、彼女たちの背中を押す代わりに、私達一人ひとりが、やれる範囲でいいから最大限彼女たち・彼たちの「勇気」を支える姿を示すことなんじゃないかと思うんです。

 その事は、確実に、私達の中でも”そこ”にはいない人達の、仕事の有り様、生活の有り様に困った時に、声を上げることがいい方向に向かう、一つの道にもなるでしょうから。

短期的成果や「競争力」政策が招いた、日本の不正天国。

 やっと、天候が冬らしくなりましたね。何だか、最近は暑いのが長く続いたと思ったら、すぐに寒くなるので、体調も崩れがちになりますね。どうか、おだいじに。

企業も研究者も、不正がたくさんたくさん。

 さて、昨日・12月10日に、「追跡 東大研究不正 ~ゆらぐ科学立国ニッポン~」と言う番組が、NHK(地上波)で放送されました。
www6.nhk.or.jp

 内容をまとめてるサイトも出てるでしょうし、その内どこかに非公式にアップロードする人が出たり、NHKで再放送したりするだろうから見れる方は見てほしいのですが、幾らかの人が危惧して警告もしていたことが、完全と言ってもいいくらいに当たってしまった訳ですよ。
 あらゆる研究に対して短期的でなおかつ目立つような成果を求めると同時に、「競争原理」を要求して、研究費の配分やなんやを決めるようにした結果、大きな成果を出すために、論文や研究自体の不正行為が相次いでしまってる。
 予算配分では、世界的に有名な雑誌に載ることが大事にされて、研究の中身についてはあまり問われない状態になってるので、尚更、不正行為をしてでも目立とうとする研究室が相次いでしまってる。

 これは、今政府が進めている「文系の研究はいらないし、理系の基礎研究も絞っていかないとダメだ」と言う議論や政策とも重なってくる話なんですよね。
 すぐにお金になる研究と、「世界的に有名で権威のある」雑誌や研究者に認められるような研究以外は、直ぐにやめさせてしまえ。
 これが、番組中でも言われてますが、小泉政権以降の自民党政権霞が関の強い考えなわけですよ。

 予算配分を決めるのは、事実上財務省である。と言うのが、日本の予算制度の大きな問題な訳ですよ。そして財務省は、「取りやすいところから税金を獲る」「個別の予算はとにかく削るのが偉い」と言うポリシーで、最低でも小渕政権以降の20年間ほどやってきました。
 これは学術研究に限らず、例えば、生活保護を無理やり削減し、その事で色々な貧困者向けの助成制度や支援制度が酷いことになって、(生活保護を受けてない人も含めた)貧困な人の貧困が悪化してる。というのも、この財務省の有り様が、非常に大きく影響してると言っていいでしょう。

 そして、この25年以上、民間企業も、人を削るのが偉い。直ぐにカネにならない研究をしてる奴は排除しろ、カネになる研究が出来たら、それは二束三文で会社が独占して研究者から奪ってしまえ。と言う事でやってきましたし、今の(第二次以降の)安倍政権は、その事を法律の面でバックアップしてきた訳ですよ。例えば、会社員の研究者が行った成果の特許を、企業が独占できるように法律を変えたりとか。

 その事が何をもたらしたか。まさに、このような不正が当たり前になってしまった事と同時に、技術のある技術者や研究者が会社にいられなくされ、外国に流出し、彼らは高額の給料と破格の待遇で外国企業に雇われ、技術指導をしたり研究をして、日本企業を越える製品を作って市場を奪っていった。
 それだけでなく、日本企業自体が風通しが悪くなり、根本にある力も衰え・不正が当たり前になって、タカタのように一個の事故で破産する会社まで少なからず出るようになってしまった。

中国の事を軽視し、日本の問題を無視してきたネット世論がもたらした、いまの日本。

 少し、話を変えます。
 2001年位に「先行者」と言う、中国のロボット研究の基礎部分に当たる試作ロボットが、日本のネットで話題になりました。
 「中華キャノン」などと言って、「中国はこんなにしょぼいものしか出来ないんだ」「こんなものを作らずAIBOを作る日本の技術は素晴らしい」。
 そんな感じの事が非常に広く言われていました。
 当時、私は、出来たばかりのスラッシュドット日本(今のスラド)で、
 ・中国をバカにすべきではない。
 ・中国の兵器開発の状況や工業の裾野の広さを見ていても、中国の科学技術にかける力の入れようを考えても、10年〜15年位で日本は追い越される。
 ・日本で技術者のリストラや新規採用を絞って、技術者が韓国などに流出するのを止めない限り、日本は世界全体から完全に置いていかれる。
 こんな感じのことを書いたんですよ。未だ、小泉政権の「研究者いじめ」が始まったか始まらないかの頃に。

 ネットの反応は…
 「妄想」「そんなわけがない」「き○がいの戯言だ」。
 まぁ、こんな物ばかりでしたよ。他のところにも書いたけど、反応は似たようなものかもっとひどかった。

衰退を食いとどめるためにすべきことを皆が考えよう。

 それ見たことか。などと言っても何も始まらないから言いませんが、ミクロばかり見ていることが正しくて素晴らしい。と言う社会風潮や、予算配分のありようだけではなく、私達自身の視点や視野の狭さというものを、今の状況であるから尚更見直していかないといけないと思うんですよ。
 そして、目の前の成果ばかり大事にして、数十年かけてじわじわと効いてくるようなとりくみや、直接お金には繋がらないけどお金につながる事の行き過ぎへの歯止めになったり、その事が本当にいいことなのかどうか考える機会を与えてくれるような、文系的な研究も含めて、きちんと「それがあるべきだし、お金もちゃんと出さないといけない」っていう風に、私達自身がきちんと考えを持っていかないといけないように思うんですよ。

 マスコミにせよマスコミをいいように「操って」る一部の官僚や政治家や企業にせよ、目先のお金と自分たちの金儲けや天下り先の事ばかりで、その後世の中がおかしくなったとしても責任を取らないし、責任を取らないで済むように、この70年間を使って制度や法律をいじくり倒してきたのですから。

 ここを、変えさせる必要もあると思うのです。
 それをするには、水戸黄門を待望していたのでは、無理だろうな。水戸黄門として出てくる人は、皆「向こう側」なんだし…などとも、思うのですね。

子宮頸がんワクチン推進の世論に見る、強い危うさと象徴されてる社会の崩壊。

 このブログも、どうにか一周年を迎えました。
 このようなお硬いブログなのに、12150程のPVをいただきました。ありがとうございます。
 今後も、どうかお付き合いくださいませ。

「ジョン・マドックス賞」なる胡散臭い賞から始まった、嫌な流れ。

 さて、子宮頸がんワクチン問題というのが、あります。
 これは、子宮頸がんのワクチンを主に若い女性に対して使用したのはいいのですが、一部の人達が激痛を訴えたり激しい痙攣や知能の後退などの症状を見せるようになり、このワクチンは2012年に公費補助が入った物ですから、その「薬害」(厳密には違いますが)の問題がよりヒートアップしてしまってるという、医学というより科学の倫理に関係する話なのですが。

 その中で、「これら副反応・薬害は、ない」「症状を訴えてる人は精神的な問題を抱えていたから症状を起こしてるんだ」というような、原因に対するきちんとした研究が進んでない状況なのにきっぱり断言することで「人気」を集めてる、医療ジャーナリストを名乗る、村中瑠子と言うペンネームの方がいて、その方は、ワクチンの被害を受けた方の家族や支援されてる方からすれば余りに乱暴で怒りを持って当たり前の記事をWedge誌などに度々掲載していて、その事が、少なくない人から賞賛されてる一方、同じくらいの人達からは非難轟々になってる訳ですよ。

 その事で、「ネイチャー」誌が創設したとされている(実際には違うのではないか。と言う話もありますが調べきれてない)ジョン・マドックス賞を村中氏が受賞したことで、問題が再燃し、ワクチンの義務化に反対する人たちが、「頭のおかしい人・狂人」的な言われ方を再びされ始めてる訳です。

 この賞が出来て五年しか経ってない上に今まで受賞してきてる人が非常に胡散臭い主張をしてきたり、利益相反行為・要はお金をもらったり仕事をしている企業や団体に有利な発言を行ったことで社会的に批判されていたような人達だらけだというのが、大問題としてありますが、それ以上に、賞がどうこうはともかく、賞を村中氏が受賞したことで、最低でもネットの世論が「被害を訴えてる人は嘘つきか頭のおかしい人だから無視して構わない」的な方向に向かっているのを見ていて、胃が痛くなってきてるわけですね。

科学から倫理や科学哲学がなくされてしまった、現代日本。

 科学には、倫理的問題や慎重にすべき事柄というのがある訳ですよ。
 ある科学技術や薬品・商品で被害者が出たとして、それが全体の中からすればごく僅かだから見なくていい。無視して構わない。ましてや、そのような人は「社会の敵」だからうそつき呼ばわりしたりその技術・商品が原因だと言うのを黙らせないといけない。

 こういう「世論」というのは、村中氏の主張に限らず、多くの薬害や公害の被害者に、何度もくりかえし投げられてきてるわけです。いまだの、原子力産業の被害者や被曝を「保守的に」考えてる人達に対しても投げられていますね。例えば、「放射脳」とかそういう感じで。

 水俣病にせよ、イタイイタイ病にせよ、公害病の多くは、精神病扱いされたり伝染病扱いされたりしてきていて、その中で、「実はこの工場の排水が原因ではないか」と言う話が出てきても、それに対して、一部のジャーナリストがひどい誹謗中傷を浴びせ・狂人扱いすらして封じ込めようとして、それを社会全体で信じてきたけど、結局、原因が”そこ”にあるんだとわかり、汚染を取り除くための努力が何年も経ってから始められるということが、普通にあった訳ですよ。

 7年ほど前の福島第一原発の事故にしても、同じような過程を辿っていて、いくつもの被害があっても、それは「気のせい」「放射能が原因ではない」「過剰診療だからたくさん出てきただけだ」などの、大暴論がはびこってる訳ですよ。過去の事故…ウィンズケール核再処理施設の事故やチェルノブィリ原発の事故、秘密都市であったマヤークで度々起こってる核災害など…の被害に対して正直に向き合って出てきた研究成果や「わからなかったこと」との、連続性なんか全く無視して、希望的観測のようなもので話を継ぎ接ぎしたりしてますね。

 そして、子宮頸がんワクチンの被害にまつわるエピソードも、そういう経過を辿り始めてる。

 そういう、危なさに対して、多くの人が「科学の進歩なんだから被害を受けたなんて言うな」「被害を受けたのはあなたの精神的なもので、あなたは精神病者だ」と言う主張にうなづき・それを広め、被害を受けた人の側に立った人達や、被害を危惧する人達を、自分から進んで攻撃してる始末な訳です。
 そこには、被害者の側に立つことが多い「リベラル」「左翼」への感情的反感も見受けられますが。

科学にとっての倫理と、それがない事の結末は。

 科学というより、科学技術の成果であるもの、例えば原子力やワクチンと言うのは、非常に影響範囲が広くて、何か問題を起こした時に、ものすごい数の人や社会を破滅に追い込みかねないという、本質的な問題がある訳ですよ。
 その部分で、科学に携わる人達には、本当ならば「この研究を進めた場合、人や社会を破滅することはないのか・環境汚染を拡げてしまわないか」などの、比較的高い倫理観が求められないといけないはずなんですよ。

 何しろ、自分が関わった研究で、その研究の中身によっては数十万人の人を死に追いやったり廃人に追い込んだり、果ては遺伝的な意味で根絶やしに追い込みかねない訳で。

一歩踏みとどまり、周りを見渡し慎重に考えていくこと。

 その事から考えると、今回の子宮頸がんワクチンにせよ原子力にせよ、「一歩踏みとどまるか、場合によってはやめてしまうべきではないか」ということも、求められてるはずなんですよ。
 しかし、そのような考え方というのは、お金儲けをしている側からすれば非常に都合が悪い。そして、そのような物は古臭くて有害だから、もっと、科学技術を進歩させて、そこで起きた問題なんか見てみぬふりしてしまえばいい。と言う人達が、マスコミでも学界でも持て囃されてきた訳ですよ。

 その言葉の裏には、そこで、何らかの被害を受けた人たちは、うそつきか詐欺師か狂人だから、無視してしまいましょう。と言う物が潜んでいたりすることも、実は多い感じが、私には見えます。

 そこに、多くの人々が同調してしまってる。と言うのが、実は、この日本社会の崩壊を加速させたし、又、崩壊していることの象徴なんだろうな。とすら、私は思うのです。
 きちんと踏みとどまり、周りを見渡して考えるという作業が、余りに笑われることになってしまいました。そして、踏みとどまる人々・学者やジャーナリストなどは、全て愚か者でバカで嘘つきだから信頼するな。と言うことすら、隠さずに言う人が少なからず出てしまってる訳です。

 こんなことをしていたら、どんどんと社会は小さくなっていくんだと思いますし、そこを乗り越えない限りは、この社会が再び栄えることなどないのではないか…そんなことを薄っすらと考えたりも、しています。

「北原みのり・香山リカ対談本」問題から、当事者不在の社会/政治運動について考えてみる。

 母の死に伴う葬儀を、先々週末に行うことができました。20名弱ほどのご参列を頂きました。本当にありがとうございます。
 まだまだ、残された事をやっていかないといけないので、法的な関係だけでも多分一年くらいはかかってしまいそうですが、葬儀の後エネルギーが完全に抜け落ちたのもある程度溜まり直してますので、少し書いてみましょう。

又、フェミニズム運動と反差別運動(のそれぞれ主流派)がやり玉に挙げられてる。

 この数年間、ネット上で特にホットな問題として、「(主に男性の)オタクの文化と、フェミニズム運動や反差別運動を筆頭にする左派リベラルの対立」と言うのがあって、それ自体は度々書いてきたと思います。
で、又、そのような話が噴き出し始めたわけですよ。
togetter.com
 「フェミニスト」であり、最近PAPS(ポルノ被害と性暴力を考える会)の理事となった北原みのり氏と、反差別運動にのめり込んで、別の方向に対する差別発言をくりかえし問題になってきた香山リカ氏の対談本が、その事実誤認の酷さや差別的な発言のオンパレードで、問題になり始めてるのです。
 これ、非常に困った話で、さんざん指摘されてる中では「反差別や人権を主張してる人達が、自分たちの都合で『敵』を決め、罵詈雑言や差別に満ちた言葉をぶつけるだけでなく、隙きあらば法制度の形でその差別を合法化しようとしてる」ということに対して、そのスケープゴートに長年上げられることが多かった、主に男性の「オタク」が苦言を呈したり怒りを表明するのに対して、更に逆ギレしたり、自分たちの差別的な部分を正当化することをくりかえして揉めてる。ということの一エピソードなんですよね。
 巷では、なんで今の時期にこのような事を「蒸し返す」ような本を出したのか不可解だ。と言う話もあるんですが、私には非常に単純に見えてるんですよ。

1960年代以降の、左翼の迷走の歴史から、この批判の根本を考えてみる。

 「批判が相次いだり自分たちのやり方と違う形で目的を達成しようとする組織が出てくるような組織や運動体は、組織や運動体の内側を締め付けて、『新しい運動』に人が流れたり、自分たちの運動から人が離れないようにするために、『敵』を増やすと同時に、『敵』をムダすぎるくらいにあざ笑ったり罵ったりする」

 こういう歴史が、日本に限らず世界の多くの政治運動や社会運動には起こってきてるわけですよ。
 「運動」に限らず、内部分裂をした宗教組織や、オウム的な意味での大犯罪をやって追い詰められたカルトなんかも、そういう形で締め付けることが結構あるのです。

 一つ例を挙げましょう。 
 1960年代、日本の反安保闘争を担ってきた新左翼の人たちは、主導権争いや運動路線の違いなどで、分裂に分裂を重ねていきました。この分裂が決定的になったのは、1970年代半ば以降の成田空港反対闘争での、現場の農民の態度の違いに対して「だれにつくか」で分裂した辺りなんですが、その前に、革共同革命的共産主義者同盟)と言う新左翼組織は、路線の違いなどで複数に分列した訳です。
 例えば、中核派革マル派など。

 その一つ、革マル派が、「解放」と言う機関紙を発行していて、一部はネットでも見れるはずですが、その革マル派は、中核派に限らず他の新左翼組織や日本共産党(今国会に議席が有る共産党)に対して、機関紙や活動家の発言の中で、繰り返し罵倒していた訳ですよ。
 中核派に対して「ウジ虫」と言ったり、動労千葉に対して「うどん屋の駄馬」と言ったり、解放派に対して「青虫」と言ったり、政治党派に属さず左翼運動に参加してきたノンセクトと呼ばれてた人たちに対して「ゴキブリ」と言ったり。
 それら、他の組織の主要人物に対する、目を背けたくなるような罵倒やおちょくりも普通にあったし、何より、新年号には見開きでマンガ絵巻が載っていて、その絵巻は、最近は非常におとなしくなりましたが、昔は、他の左翼党派や運動家を、非常にバカにして道化にし、自分たちこそが正しいのだと主張するものでした。

 このようなことにならないようにするには、運動組織の内部の道徳的な意識の共有とか、新しく入ってきた人たちに対する教育をきちんとやって引き継いでいかないといかんともしがたい所が、あったりするのですよ。

フェミニズム」が、当事者である女性自身のプライドを折ってるという、おかしな状態。

 さて、本題に戻りましょう。
 最近の、日本で主流派と主張するフェミニズム運動の人たちは、長年、「男性は男性であるだけで性暴力の加害者である」「わたしたち女が性暴力と思うものは、絵や写真であっても性暴力だ」と言う世界認識を深めていったと同時に、「女性とは唯一の性暴力の被害者であり、男性と違う弱者なんだ」と言う論理を、一緒に深めてきた訳です。

 そして、今の女性の多くが困ってる問題として、「(コンドームなどでの)避妊に失敗したときの緊急避妊薬の値段が高すぎて、しかも、薬局で買えずに医者に行かないといけないから、危険を覚悟して予め個人輸入するか、避妊に失敗したら諦めるかしないといけないように追い込まれてる」と言う話があるわけですよ。
 この問題は、一部のフェミニストが、「薬を外国並みに安くしろ」「薬局で簡単に買えるように指定しろ」と、やってきてはいましたが、しかし、こともあろうに、大多数のフェミニストたちは「性暴力を許すことになる」などの理由で、それを潰そうとしてきて、実際、政治や右翼的な宗教や警察とのパイプを確保してる人たちなどが動いて潰してる訳ですよ。
togetter.com
ascii.jp
 日本のフェミニズムの中で、「女性にも自分で自分の行き先を決めるプライドを保証しろ」「フーゾクなどで働く人たちを、差別するな。デスクワークなどと同じ、仕事をするプロとして尊重しろ。」などということを言ってきた人は、最低でもこの35年間に関しては、非常に少なかったのです。おかしな話に聞こえますが、それが、現実なのです。

おかしな状態を乗り越えようとして「ネオ・リブ」を名乗り始めた人々。

 大半の人は、「かわいそうな被害者としての女性」「許せない加害者としての男性」と言う、非常に旧く・そもそもそんなに単純化出来ないような構図を持ち続け、その事で、夫(連れ合いと言ってますね)に対する暴力を正当化する人まで運動家には少なからずいたし、法制度の中でもそのような条文や運用をするように、行政に入ったり、政治家や警察に働きかけてやってきました。
 それは、今「保守」を自称してるような右寄りすぎの政治家や、彼らのバックにいる宗教勢力、国民をとことん縛って自由を奪うことが治安のために必要だと考えてるような警察の一部にいる人たちにとって、非常に相性が良かったので、この手のフェミニズムが、日本では、非常に政治力を持ち、発言力を持ち続けてきました。

 しかし、その事で日本社会は疲弊しました。
 多くの男性は、痴漢冤罪に限らず色々なことに怯えざるを得ない所に追い込まれ、女性も、疑心暗鬼を拡げてしまい、そもそも、個人を個人として尊重する事を徹底的にぶち壊す教育を長年やってきたのですから、人・特に異性と繋がったりすることよりも、生涯孤独であるほうがいいのだ。と、ある部分では人生を諦める人もたくさん出始めてしまってる。
 そして、女性が自分で自分の行く先を決めたくても、男性から圧力を受けるだけではなく、女性・特に「進歩的な」女性からの圧力や彼女らが決めた法制度に阻まれ、自分の行く先を自分で決めるのを諦めることすら、当たり前の光景になってしまってます。

 そのような中で、「男性オタクとフェミニズムの対立」「オタクと反差別運動の対立」(このことはまた後日)と言う問題が、特にこの数年表面に出て盛り上がってる訳ですよ。
 その中での、フェミニズム運動家やフェミニズム学者達の発言や行動に対して、「フェミニズムとは、女性が自分のことを自分自身で決めることではないか?」と言う考えでやってきた人達が、フェミニズムやめます。ネオリブって名乗るようにします」と、今年の半ば辺りから表の場でいい出した訳ですよ。
togetter.com

「ネオリブ」への人の流出を押さえたい、フェミニズム運動の人々。

 そして、その主張の論理的な真っ当さや、今までのフェミニズム運動の姿勢的なことへの反感から、多くの「オタク」が支持するだけではなく、フェミニズム運動に関わってきた人達の中からも、「フェミニズムをやめてネオリブになる」って人がちらほらと出始めてる訳です。
 それへの危機感は、多くのフェミニズム運動家や学者たちから、出始めてて、それは、ネットで可視化されてる範囲に限れば、ネオリブの人達への誹謗中傷であったり、罵倒であったりが中心な訳ですよ。
 きちんと議論をして、お互いのすり合わせをしていこう。と言う姿勢で議論を働きかけてるのは、どうも、見えてこない。

 そういう中で、最初に出した、北原みのり氏と香山リカ氏の対談本が出てきて、非常に批判されるような差別や罵詈雑言が並んだ中身になってる…と、私は読み解くわけですよ。
 これは、外に向けて何某か理解を求めるための本ではなく、内側に対して、運動がバラバラになってしまうのを防ぐ・新しい動きに人が動かないようにする為の本なんだな。

 そう、私は思うし、そのような事に頼るよりなくなるような運動というのは、その外側にいる人だけでなく、内側にいる、人間の心が残ってる人たちによって、乗り越えられ、作り変えられ、きちんと議論をして議論がきちんと表に出てきて、絶えず自分たちの事を買えていけるような動きにされていかないといけないと、思うのです。

 そのためには、「当事者」である、多くの男性も女性も、必要な時に議論に入ったり動かしたりするようにしてかないといけないのだろうな。私は、そんなことを考えて、社会をそういう風に向けてほしいな。と、これを読んでる全ての人たちに対して思うのです。