いきなりの珍事?に、慌てふためくも、性風俗労働者の危機について考えてみる。

 いきなり、一日で4000PVを越える日が出てきたりして、大慌てしていました。どなたが紹介されたかわからないですが、ありがとうございます。そして、こんな「おかしな」ブログがあるということで、眼についた方、どうか、他の記事も時折読んでくださいませm(_ _)m

 さて、最近と言うか、昨日今日になってネットで盛り上がってる問題として「はあちゅう事件」と言うのがあります。電通に勤めてた女性が元の上司のセクハラ・パワハラを告発し、独立していた件の上司を辞職に追い込んだ…が、その女性も曰く付きの人で、過去の暴言や悪行が批判されて、カオス状態にある。と言う話ですが、今回はそれをやりません。やればPV稼げるのでしょうけど、既に、二人の方が私が頷けるような解説や文章を書いてるので、それを紹介するだけにしようと思います。
kyoumoe.hatenablog.com
www.byosoku100.com
追加:これも良く出来は論評なので:
cakes.mu

風俗営業に携わる人達が日々晒されてる「危険」。

 で、それと同時に微妙に話題になってる問題として、昨日大宮であった「風俗ビル」の火災で死者が四人出たという話がある訳です。これについての記事の中で、「風俗営業・特にソープやヘルスなどの売春やそれに準ずる行為が絡む業種では、店や建物が古くなっても、建て替えられないし設備の入れ替えられない場合がかなりある」と言うのがありまして、それを受けて、多分ソープランドで働いてる当事者の方だと思いますが、「建て替えられないし旧い設備を使わないといけなくて、危険な思いをしながら働き続けてるのを助けてほしい」というようなツイートをされた方がいたんですよ。

https://twitter.com/hatarakuossan_n/status/942390037118722048
ソープの建て替えを許可してください。
老朽化した建物とボイラーは危険です。
ソープなんかあるからいけないんだ、ではなくて。 ソープの需要はなくなりません。
ですから、安全に働ける場所を作らせてください。お願いします。

 なかなか、この手の話が話しにくいし、話す機会もなかなかみえないので、ついつい私ですら見落としがちになってしまうのですが、やっぱり、危険な状況で働くことを強要されてる・それも、経営者が悪徳だとかそういうことではなく、店にお金があっても、経営者がなんとかしたくても、法律の制限があってできなくなっている。と言う事がある訳ですよ。

風俗営業法」などの、悪しき法律。

 「風俗営業法」と言う法律があります。この法律は、ソープランドファッションヘルスなどの性的な労働を伴うものから、ラブホテル、そして、ダンスクラブやゲームセンターに至るまで、盛り場の・もう少しいうなら人間の下世話なんだろうけど欠かさずつきまとうことに対する商売全般を規制する法律な訳ですよ。
 その中で、ソープランドに限らずラブホテルなんかもそうなんですが、「盛り場の中でなおかつ、学校や公園から200メートル以上離れている場所にしか新設を認めないし、地元の同意も必要である」「公安委員会や保健所の認可なしに、設備の更新を認めない」などの、ガチガチの項目がある訳ですよ。
 これは、1980年代以降くりかえし強化されグレーゾーンがなくされていったと記憶していますが、その結果、特に、「性」にまつわる商売というものは、新しく立ち上げるのが物凄く困難になってるし、古くなって危険な設備を入れ替えたり、危険な建物を建て替えることも、事実上やれないように追い込まれてる自治体が、大半を占めるようになってるわけですよ。

「街をきれいにする」事が、実は人を切り捨て壊していった。

 それを後押ししたのは、日本で主流であるような類のフェミニズム運動であったり、そのバックにいるような宗教(キリスト教矯風会など)や、右派の宗教、そして、「性を全て綺麗にしないといけない」と突き進んでる一部の警察官僚ではあるのですが、その人達と組んで「道徳的」に振る舞う「一般市民」「町内会」というものが、物凄い厚みであった訳です。

 この人達が、出来レースと言うか殆ど八百長のようにして「街を浄化しないといけない」と警察や保守系の議員だけでなく左派の議員にもに「陳情」し、その他の人達の意見を入れさせないようにして、法律を変えさせたり、規制を強化したりしてきたという歴史があるのです。(これは、暴力団追放運動も同じ構図で、これも、非常に大きなマイナスを今の社会に及ぼしていますが、書くのは機会があれば。)

 この手の商売を利用する人の大半は、それ自体を後ろめたいと思わされてるから、なかなか意見を出せないですし、そもそも、そこで働く人達ときたら、もっと酷いと言うか低い扱いを社会全体から長年受け続けていて、自分たちの仕事にプライドがあるとか、それでしか喰えないのにどうしてくれるんだ。と言う、働く人として当然の言葉を出すことすら、えげつない攻撃と見下しの標的にされてきた訳です。

 この手の問題を取り上げると、必ず「彼女たちはかわいそうなんだ」「こんな酷い商売から救ってやらないと」と言うような声が出てきて、社会の中で声の大きな人たちは、そこになびいてしまいがちになります。

「かわいそう」と言う言葉や態度が、最大の侮辱となって傷つける事になる。

 しかし、そんな言葉こそ、彼女たちを最も侮辱する言葉だと思うのです。

 私自身、非常に若い頃、性風俗で働く人の権利を獲得しようとしていたり、女性の自立とは何だろうかと苦闘していた、当時の日本のフェミニスト全体から見たら非常に異質な「フェミニスト」の幸渕史氏と接点がありました。その方の運動に、何か参加したというのでもなく、別の事をやる場で、ウダウダと居座って、時折変なことを言って場の受けを獲ろうとしていただけではあるのですが、彼女の発言や主張、姿勢というものは、私のその後の物の見方や物に向き合う態度というものに、大きな影響を及ぼしています。
 彼女は、「運動ムラ」にとことん疲れたのか、「引退する」と言ってどこかへと去っていってしまい、その後接点がなくなったのですが。

 もう一つ、一見関係ないケースを書いておきましょう。

 1990年代なかばから後半。この頃、東京の新宿駅の地下街や駅の周りに、ひじょうに多くのホームレスが住み着いていて、その支援をやっていた人達とも、私は接点がありました。やはり、その人達のいる事務所で別のことをやってる人達とウダウダ話してるだけでしたが、後にノーベル平和賞を獲るICANの日本理事の川崎哲氏も参加していた、ホームレス支援団体がいました。
 その団体の人たちを通して私はホームレスの人たちを見ていたのですが、彼らにも物凄いプライドと、仲間と一緒にいたいという意識があり、それを、「街の浄化」を理由にした「ホームレス村」の強制立ち退き問題やその後の「保護」と称して、実際には晴海のハズレの埋立地にある狭いプレハブの収容所にぶち込んで後は面倒をろくに見ないような酷い事をやってた問題の中で、ずたずたに壊されていく、彼らのプライドや仲間のつながり、そういうものを、眼に耳にする機会がありました。

ホームレス問題と性風俗問題への「視線」に共通した、「意識高い人々」の病理。

 私、この二つに共通してる部分があると思っていて、「その人の行く末を勝手に決めたり、仕事や自分へのプライドや生活をぶち壊すことを、可哀そうだからやってやったんだ。的な言い方するのは、極めて失礼であって恥を知るべきだ」って事を、どちらにも感じるし、本題に戻すと、性的な風俗営業で仕事をしてる人に取って、「安全な職場で、危険を感じずに仕事をちゃんとやっていきたい」と言う気持ちが出てくる人が少なからずいるというのは当たり前のことなのに、それを、今までの社会運動なり「浄化」「きれいさ」を求める世論というのは、どれだけずたずたに踏みにじってきたんだろうか。と思うんですよ。

 そのような、ある意味傲慢な物の見方というのが、この社会を壊していった側面というのが、物凄くあると思ってます。

 今私たちが出来るのは、例えばソープランドで働く人が職場の危険さ・それも、法律があるから危険さが押し付けられてることに対して、嘆いたり「どうにかしてくれ」と嘆いてきたならば、声を上げてみてはどうか、署名を集めてみてはどうかなどと、彼女たちの背中を押す代わりに、私達一人ひとりが、やれる範囲でいいから最大限彼女たち・彼たちの「勇気」を支える姿を示すことなんじゃないかと思うんです。

 その事は、確実に、私達の中でも”そこ”にはいない人達の、仕事の有り様、生活の有り様に困った時に、声を上げることがいい方向に向かう、一つの道にもなるでしょうから。