ラノベ作家のヘイト書き込みがアニメ化中止に繋がった事から、正義とその腐敗について考える。

 最近、物凄く気分の悪い日が続きますね。お天気もですが、世の中の動きが急変してるのに、その事をみなかったかのようにして続いてる状況を見てると、それが最後にどういう結果を私とか私達に突きつけてくるのか、半分読めてきてしまうような気がして、本当に厳しいものがあります。

ラノベ作者の嫌韓・嫌中ツイートが、アニメ化中止と本の絶版に繋がってしまった。

 さて、「二度目の人生を異世界で」と言う、ネット投稿から始まったラノベがアニメ化されることになり、只、その作家さんが昔中国人や韓国人に対するヘイトスピーチをくりかえしツイートしていたことが発覚して、そこに、中国の「環球時報」紙が「ヘイトスピーチ作品」と言うような形で報道したものですから、中国のアニメファンたちが怒って、声優への脅迫なども起こり、声優が辞めて、結局アニメ化は中止・日本国内で売られてる本も回収。となってしまったのが、色々な議論を呼んでいます。
https://ncode.syosetu.com/n6332bx/
www.huffingtonpost.jp
 この事で、反差別運動に関わってる人たちや支持者たちが一斉に「素晴らしいことだ」と言いはじめて、国内でどんどんやっていこう。的な話も出始めてて、私はその動きやその後起こりかねないことを危険だと思ってツイートしたら、一日で8000以上RTされるという、今まで一度あったかなかったかという事になってる訳ですが、そのような「言葉」「考え」自体もだけど、その裏側にある考え方や物事への態度が、物凄くまずいな。と思うのです。


人を罰するのに「棒」を振り下ろすことは、必ず悪を伴うけど、全て善だと信じる人々。

 これは、少し前から言われてる「ポリコレ棒」「人権棒」と言う言葉に込められてる多くの人の批判的な見られ方とも関わってくるんですが、この手の「棒」を振り回し・正義で人を裁く事を日常的にやってきてるような運動や思想というのが、ほとんどの場合、自分達の価値観は全く正しくて、間違いがない。そして、自分達に裁かれる人や存在は、誰がどう見ても「悪」であり、正しくないのだから、裁かれて当然だ。
 そして、そこに文句を言う人達や裁かれることの苦痛を言う人達は、自分達を理解しておらず、愚かな人達で、甘えてる。甘えるな。

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

20〜21

 こんな態度や言動が、最近、又目立ってきてて、それ自体は大昔から何度も私は見てきてる構図なんですけど、ともあれ、そのような態度というのは、ただごう慢であるだけでなく、極めて危険なんですよ。
 今は、そのような人達が社会で主導権をとりつつあり、それによって救われる人もある程度いるからいいのでしょうけど、しかし、その外側には、膨大な数の「見捨てられる人」「裁かれる必要がないのに裁かれる人」「裁きのとばっちりで、社会的に差別を受けることになる人」が出てるわけです。
 そして、今までの、左派を自称してリベラルだとか左翼の代表だとか市民派だとか言う事を自称してもきてる人達の多くに、その人たちが出て当然であり、そのような人は遅れてる愚かな人たちだから仕方ない。と見捨てる人が、沢山出てるわけです。

 その事は、彼らが抱えてる思想や価値観自体をも腐らせてるし、腐ると同時に、多くの人から見られた場合に、その腐る前の思想や価値観自体を、物凄く嫌わせてしまい、物事の解決や進展を遅らせるという事に繋がってきてる訳ですよ。そして、それは、「彼ら」のやってきたことのほころびが積み重なって、社会を蝕んで壊すのが隠せなくなった時に、一気に仕返ししてくるわけです。「彼ら」自体が、非常に下劣で「大衆の敵」だとして、ヒステリックに近いような排除が始まってしまう。

左派全盛から右派・ネオリベネット右翼の世となり、そして逆転し始めてる流れの中で、考えるべきこと。

 これ自体は、世界の全ての国や地域で歴史的に繰り返されてるだけではなく、日本でも、繰り返されてる訳ですよ。

 1970年代までの左翼運動やその周辺の文化というものが、1980年代位からの「豊かになった日本」と言う風潮でどんどんと時代遅れ扱いされただけではなく、マスコミの報道や学校での管理教育の徹底なんかもあって、根底にあっただいじなものまでもが、無視されるどころか、親のかたきのように嫌われていって、個人が何かを感じたり言ったりすることの多くが、マスコミの広めること以外の考えや価値観が、「時代遅れ」「アカ」などと、嫌われて行った訳です。
 そして、90年代からの20年ほどというのは、豊かではあったけど貧しくされた人や排除された人も沢山出てるんですが、当時の左派やリベラルの多くは、そのような人たちからの訴えを「甘え」といい、自分達の価値観に従わない人を、社会の敵だと言って排除する為に、それこそ「敵」だったはずの自民党や警察にまで取り入って・思い込みだか嘘だかわからないけど事実と全然違うことを世界に発信して「外圧」にして、法律などを作っていた訳です。前回この事は書きましたが。

 そういう態度を「左派」「リベラル」が取って、それが人々からどう見られてるか無視するような人たち以外は排除されてしまって、腐っていった中で、00年代頭に、今で言うネトサポのような人達が、数と資金に物を言わせてネットを占領し・お上(自民党や保守)に歯向かったり気に入らない真似をする人達を攻撃したり、社会から排除して当然だ。と言う風潮を作っていったものですから、多くの人が、今まで「左派」などから受けてきた仕打ちへの怒りもあって、乗っかっていった。と言うのが数年前までの状況だったんですよね。
 そして、そのお膳立ての上に出来た安倍内閣がやりたい放題・デタラメ三昧をくりかえし、ウソも平気でつくし責任も完全に取らないというのが、誰の目にもバレバレになった物だから、それに対抗してきた左派やリベラルを自称する人達への人々の支持や希望があつまり、社会の主導権を、再び握りかけてる訳です。

自己を相対化しない怠惰な思想や運動は、必ず腐敗し人々から叩かれるようになる。

…ちょっと待って下さい。
 左派やリベラルと、右派や保守の力関係というのは、長い年月をかけてお互いに逆転し続けてる訳ですよ。そして、右派や保守が、自分達の事を客観的に見ないで・自分達の非常に狭い世間で社会を見て・人々を裁き・言葉を深めていった末に、腐って行って、今や自分達がやってることの責任も取らず、そもそも何をやったかすら自覚してるかどうか怪しい状態になってる事を考えた上で、左派やリベラルとして主流だと自称してる人達のこの数十年間の動きを見てると、抱える正義やイデオロギーは全く違うんだけど、物事や自分に対する態度と、物の考え方は非常によく似てるんですよ。

 つまり、いずれというより、そう遠くない内に、左派で主流だと言われてる人たちは、自分達のやってることの問題点が見えてないが為に、物凄い酷いことを(今の安倍内閣とか取り巻きの人達のように)くりかえし、責任を取らずになんとかしようとする事が積み重なって、多くの人々から恨まれ・嫌われ、奥底に抱えてきた考えや価値観までも全て否定すされるような事になるんじゃないかと、私は思ってる訳ですよ。

 自分をかえりみない・正義が自分にあるからと正義の点検を怠った政治や思想、運動というのは、結局は、そこに行き着いてしまう。
 前々から。と言うか、00年代の半ばくらいから、今の反差別運動や平和運動に繋がってる運動の人達の中から、自分達を相対化する事・要は一歩踏みとどまって、自分達を外から見つめなおす事を凄く悪いことだと言うようになり、その事と、ドイツの「戦う民主主義」の成功を結びつけて正当化するような、物凄くまずい状況が、目立ってくるようになりました。
 その事は、ドイツでヘイトスピーチを違法化して成功してるんだから、日本でも違法化すべき。と言う乱暴な議論がまかり通っていて、その事自体、実際の所今の、イスラム系の移民や難民が沢山入ってイスラエルを批判する人達を排除できなくなってるドイツの現状を物凄く無視してる話なんですが、そこはともかく、よそで「成功」してるからこちらでもそのまま輸入しろ。的な乱暴な議論がまかり通ってるのとセットになって、広まってるんですよね。
ukmedia.exblog.jp
d.hatena.ne.jp

右派や左派、両方がやってきた「失敗」から学ぶことが、大事。

 そこを批判すると、すぐに「どっちもどっち論」「相対化良くない」と批判されます。しかし、それが、運動を腐らせ・多くの罪なき外部の人を無理やり裁いて敵に回す結果になってるのを、中の人達が全く気づいてない。と言う事に、行き着いてる訳です。
 この、「右派と保守の失敗」「左派が犯しつつある失敗」から、私達は学んでいかないといけないと思うのです。自分を相対化・外から見つめ直すように癖を付けて、危ないと思ったら周りがイケイケドンドンでも踏みとどまるし、空気をわざと読まないで意見を出して、絶えず議論を行い、方向性を、外からも内からも絶えず変えていくような、複数の動きを作っていかないと、このような、歴史の裁判に、私達は負けるし、それは、非常に酷い世の中を続けて・繰り返すことにつながると、思うのですね。