「幸色のワンルーム事件」と、児童養護施設廃止を後押しするリベラル側の動きに共通した、身勝手で無責任な「善意」。 

 最近、寒くなったり暑くなったりで、本当に、困ったものですね。
 暑いからとエアコンを仕方無しにつければ寒くなるし、寒くなったからと切れば、暑くなる。
 もうすぐ夏なんだろうと、諦めていくより無いのでしょうね。

勝手に作品を決めつけ・潰し・そして、批判を悪魔だと言う人々。

 「幸色のワンルーム」と言う漫画作品があって、その作品がドラマ化されることになったのですが、「誘拐をいいことのように描いてる」などとして、反対の声を上げる人達が出た訳ですよ。その結果、制作する朝日放送(大阪)以外では、放送がされないことになってしまった。
その人たちの多くは、フェミニズムに対する支持を表明していたりするんですが、この作品が本当に「誘拐をいいことのように描いてる」化と言えば、そういうことはなかった訳です。

 そして、「誘拐」に至る過程で、誘拐された側の少女が親から虐待を受けていて、助けを求めていたのに対して、別の犯罪にも手を染めていた男性が応じて、同居生活になる。と言う、非常に複雑かつ、最近の社会を反映するような流れで話が始まってた訳です。
 その辺りの話の筋やその後の話の展開と言うのを、まるまる無視する形で「誘拐を称賛してる」「性暴力を称賛してる」と、主にフェミニズム運動に関わってる方々やそれに「連帯」する方々が、テレビ局に抗議し、その事で、抗議を怖れたテレビ局が「自粛」して放送中止を決めたわけです。

 最近、こういう事が非常に多くなってると思います。
 自分達の思い込みで、外の人達や関わってる人達が「それは違う、的外れだ」と言っても、「差別を助長してる」「犯罪を助長してる」と決めつけ、作品や事実、報道を表に出さないように仕向けていく。
 これは、日本に限らずアメリカでも頻繁に起こってて、それが、あろうことか「MeToo」と言うセクハラ批判キャンペーンと、リンクしてたりする訳ですよ。

表現の自由に限らず、子供の「社会的養育」でも、同じようなハラスメントが起こり始めてる。

 もう一つ。虐待を受けたり、家庭が崩壊したり、親がいなくなったりした子どもたちの居場所として、児童養護施設というのがあるのですが、これについて、国が廃止をしていくという方針になってる訳です。

 そして、「善意ある」里親が養育するように、全て一本化していくと。

 これ自体は、HRWなど一部の人権団体やNPOが、「児童養護施設中心の日本は世界と較べて時代遅れ」「児童養護施設児童虐待の温床」「児童相談所は悪魔的な組織」といった、非常に偏った批判を、この数年特に強めていて、それを厚労省が受けて、ちょうど予算を削減したかったのもあって、乗っかってしまってる。と言う構図なんですよ。
子どもの家庭養護原則掲げる改正児童福祉法 成立 | Human Rights Watch

世界から批判される日本の児童養護施設について知っておくべき5つのこと - マダム・リリー

 里親に一本化した場合、それまで児童養護施設で暮らしてきた子どもたちが本当にマシな生活になるのか。と言う問題もありますが、それ以上に、里親が本当に善意ある人々だけで、虐待などを行わないか。と言えば、そんなことは無いわけです。専門的な教育をろくろく受けてない分、虐待や強制労働、暴力などを起こすケースが少なくないという話も、長年で続けてますし、児童養護施設のように専門的な教育を受けた職員が沢山いるところのほうが、生活が安定して幸せに近づける子どもたちだって、沢山いる訳ですよ。
eureka74.hatenablog.com
 子供を「社会的に育てる」時に、どれか、一本にするというのは、非常にまずい話で、子供や親の状況にあった形で、色々な支援や育て方をやっていかないといけない訳ですよ。
 この社会では、長いこと「どれか一本の道しか無い」と言う事で、多くの子どもたちが、児童養護施設や里親の世話にならない状況の子供は特に、ひどい不都合を背負わされて、排除されたり押し込まれたりしてきてる訳です。いま問題になり始めてる「高齢ニート」「高齢引きこもり」の多くは、その人たちがネットなどで書いてる事を見れば尚更、そういう「一本の道しか無い」社会のしわ寄せと犠牲を受けて、一部の成功した人たちの踏み台よろしく踏みにじられた青春を送ってる場合が、非常に多い。

非常に偏った目線の運動と経済的利益が結びついて、現場の努力を台無しにしてる。

 それではまずい。と、この二十年ほどは、児童相談所児童養護施設に限らず、心ある人達が何本もの道を作ろうとして頑張ってきてた訳ですよ。
 それにも拘らず、人権団体を名乗ってるHRWや人権活動家を名乗ってる一部の人達が、「里親一本化以外に解決策はない」「外国は里親だけでやってるのに、日本は時代遅れだ」と大声を上げ、厚労省や今の政権に取り入って、しかも、今までの心ある人達の努力を台無しにするどころかその人たちが悪人だ私利私欲にまみれた利権勢力だと大声で叫んで、里親への一本化を押し切ろうとしてる訳です。
 この人達の中には、里親あっせんの仲介で、非常に高額のおかねを「手数料」として貰ってるNPOの関係者もいるようです。

 つまり、大阪などでこの20年ほど起こってるような、
「今まで住民のために頑張ってどうにか制度の中でやってきた良心ある人々」を、
既得権益とか悪人と決めつけ・権力にありついたうえで、住民の利益を自分達やスポンサーの利益に全て付け替え」、
そして、
「住民が不都合を起こすだけでなく、命を落としたり社会が廻らなくなっても、一切責任を取らず”既得権益のせいだ”と言い逃れを続ける」

と言う、ろくでもない構図が、子どもたちの教育や社会的養育という問題でも起こり始めてて、それをやってるのが、あろうことか、「人権団体」や「リベラル」を自称する「意識の高い人々」だと言うことに、なってしまってる訳です。
 そこでは、現場で養育されてる子どもたちの意見は殆ど入ってこないし、職員たちの意見も入らない。入ってくるにしても、それは、既に決まってる方針に都合のいい意見だけで、それ以外は無視されるし、無視するなと外部に声を上げれば、徹底的に攻撃される。
 したがって、現場で働いてる人とサービスを受けてる子どもたちが、完全に置き去りにされてる。

「そんなつもりはなかった」で、責任を取らずに言い逃れする、声の大きな人達。

 「幸色のワンルーム」騒動でも、同じでした。実際に作品を途中まですら読んでもいない人達が、話の頭の部分だけどころか、舞台設定の本当に表面のところだけ目にして「誘拐を称賛してる」とかそういう話をぶち上げ、そこに「共感」した人達が、「こんな作品をテレビでやるな」と湧き上がり、抗議を呼びかけ、「全く違うだろ」と言ってたしなめた人たちに対して、「おまえは児童誘拐を称賛する悪魔だ」と言わんばかりの非難を浴びせて、攻撃する。
 そして、実際に放映中止となって、放映されるのを楽しみにしていた・子どもたちも含めた多くの若い人たちから、中止に追い込んだ人たちが非難され始めたら、「こんなことになるとは思ってなかった」と言って、言い訳を繰り広げて、謝罪することも、真剣に反省することもなく、別の問題で同じ様に作品や人を非難し始める。
消された文章ですが:
archive.is
元の文章は:https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768
 児童養護施設の廃止と里親への一本化に向けた動きで、それを「左側から」強く推し進めた「人権団体」「リベラル」も、同じことを、じきに言い出すでしょう。一本化に向けて審査がゆるくされたことで酷い里親が増えて、それが悲惨な虐待事件や暴力・強制労働事件に発展したのが発覚した時に、HRWやその他のNPOがこの政策を推進するためにメディアに対して書いたことや政治家に働きかけたことの責任を問われたら、ほぼ確実に「自分達は関係ない」「悪いのは里親であって制度ではない」と開き直るでしょうね。

 そういう、無責任な状況を、続けさせるというのは、良くないことなんですよね。結局、子供であったり番組制作に携わった人たちであったりを犠牲にする状態が、いまよりひどくなる。ということなんですよ。
 そういう状況を防ぐには、多くの議論と、それを具体的な力に変える流れというのが、どうしても必要になるし、それは、一つでなくて良くて、逆に沢山あったほうが、ごくごく一部の身勝手で凝り固まった人達が社会全体を悪くするのを止める力になるのだろう。と、私は実感してるのです。