エリートが壊れすぎている。

 最近、政治家・とりわけ、自民党の政治家の暴言や裏献金がいくつも表に出てきただけではなく、公明党が都議選で共産党を(第三者が見てもそうだと思えるようなずさんな形で)誹謗中傷するのを表の広報がしたりなど、ろくでもない話が幾つも出てきています。
 企業も企業で、東芝の破綻問題について、何故か中国資本からの買収を拒み続け、「日米韓連合」での買収を推し進めたのはいいのですが、半導体事業の買収を検討していた合弁相手のウエスタン・デジタルの働きかけを固辞しつづけ、メモリ事業の業務で使っていたネットワークを遮断してウエスタン・デジタルの技術者を締め出すようなことになっている。
www.nikkei.com
 更には、FIFAワールドカップの招致に際して、規定の何十倍もの高額な商品などを開催先を決める人々に、日本側から送ったりなど賄賂攻勢をしていたことが、FIFA側から明らかにされた。
www.asahi.com
 色々と見ていると、この国の中枢を担ってきた人々が、まだまだ隠したいことや表に出したら罪に問われて偉い人たちが皆刑務所に入るよりなくなるような、巨大な犯罪を、複数犯しているのだろう。としか言い様のない状況ですし、それに対して人々がどこまで怒ってるのか。と言うのが見えにくい状況でもある。

「積極的に自民党支持」の次世代のエリートたち。

 さて、四月ですから森友事件が盛り上がっていて加計事件はまだ本格化するかしないかの頃ですが、東大生に対して、あるアンケートが取られて、その結果が話題になっています。
 「東大生の約四割が自民党支持で、野党支持者は、その十分の一くらいしかいない」。
 こんな結果だったのですが、今の内閣だけではなく、統治構造そのものが、長期間続いてきたことでの著しい腐敗や傲りの自重に耐えきれなくなり始めてるのは、夜のニュースであったり国会中継であったりを見ているなら相当部分感じ取れるはずなのですが、なぜ?と言う事を考えるわけですよ。
www.businessinsider.jp
 数年前から、若い人たちの間で「自民党を支持してないと恥ずかしいから、自民党に投票する」と言う言葉が結構出てるらしいという事を目にしていて、それも含めて、非常に危ういなと思っていたのですが、上に挙げた記事の中身を見ていると、更に拍車をかけて危ういな。と思うのです。

 結局、場の空気や目先の利益ばかりが大事で、それが長期的にどういうことをもたらすかとか、歴史的に、どのような役割を果たし、この社会がどのように変化し・壊されていったか。と言う部分への視線がごっそり抜け落ちている。
 これは、今の若い人に限ったことではなく、私が若かった30年前も、殆ど変わってなかったんですよね。その前の世代では、まだ空気に呑み込まれてはいけないという風潮が相当残っていたのですが、私の世代になってくると、場の空気であったりサル山のボスであったりの言う事が正しく、それが酷い結果を産んだり著しい不正や汚職の結果行われたとしても、それはどうでもいい。と言う風潮が、非常に強くなっていた。

 しかし、少し将来のエリートが、ここまで現状肯定と言うより、腐敗してる上に「下」にいる、「仲間」でもない普通の・沢山の人々を大事にしないでサル山のボスの利益のために使い捨てにするのが当たり前のような構造に全部乗っかって、そこにしがみつくことこそが正しいと、曇りなく信じているというのは、非常に恐ろしいことだと思うのです。

過剰に現状を肯定して流されることで、この国は壊されていった。

 まぁ、私が学生であった30〜25年前とさほど変わらない気もしますし、それ故に、今の日本の崩壊に対して、社会の実務を主導してる私達の世代が有効な策を講じることなく、その少し上の世代が作った腐敗や日本破壊の構造を唯々諾々と受け入れて流されてるとも、私は思うのですが。

 国にせよ社会にせよ、うまく廻っていて、98%の人にまともな暮らしと人間らしい生活を保証できているならば、現状を丸呑みするのでもいいでしょうけど、そのような状況というのは、ものすごく意識して続けていかないと長続きしないし、すぐに腐敗する。そして、今の日本はと言えば、団塊世代の引退によって起きた人手不足のお陰で新規採用やアルバイトは増えてきたものの、未だに給料は安く、給料が上がる 以上に税金や公共料金が値上げさせられ、仕事に就けたはいいけど長時間のサービス残業や休日出勤は当たり前・結婚できても子供を産み育てるための育児休暇を取れば罰を受け、そもそも結婚相手を見つける気力すら残らない。と言う人が大半を占めていて、しかも、働くのが容易ではない人たちへの福祉はどんどん削られて、生きづらさが増すばかり。
 これは若い人に限らず、メディア露出を頻繁に行ってる、東大在学中に若い時に革新的な見解を出したはずの「哲学者」「思想家」やその他の多くの「文化人」ですら、現状肯定に過剰に傾いていて、政権批判や一部の官庁批判は間違ってるだなんだと屁理屈中心に話を捏ねて、それを老若男女問わず多くの人が拡散してる始末ですので。

知識人にもエリートにも「教養」が欠けている状況を、乗り越えないと。

 ある程度、現状を見通して、それが一体何であるか考え・何が大事であるかという哲学があるならば…それは、エリート予備軍であるからこそ強く求められている「教養」なのですが…、現状は徹底的に変えられねばならないし、今の与党や内閣や内閣に付いている官僚というものが、支持すべき対象ではなく、排除されるべき対象だと言う事が、感じ取れると思うのですが。
 しかし、そうではないということが、この国の「知」の崩壊を象徴しているように思うのです。

 私達に必要なのは、現状が苦しいなら・辛いなら、それを変えたいという意思表示し、動ける能力のある人は積極的に動いていくということだと思うのです。市民運動だなんだと徒党を組むだけがやり方でもないし、政治家にロビー活動するだけがやり方でもなく、もっと色々と未開拓なことがあるとも思うのです。「知識人」「偉い人」に流され、彼らの意見の受け売りをするのではなく、彼らの言うことは耳に入れつつ、間違ってるなら間違ってると意思表示し、彼らをも乗り越えようとしてみる。
 できるだけ多くの人が、自分が出来る場所で、自分が出来る範囲で色々とやっていくことが、繋がっていき、時には激しい嵐となり、時には穏やかな波となって、社会の有り様や行く先を「流されない」ように軌道修正していく。

 そういうことを、やっていくのが一番いいのではないかと、私は思うのです。