強弁と恫喝は、あまりよくない。

森友学園疑獄事件、どんどんと政治家側の介入を伺わせる話が出てきていて、「安倍総理がんばれ!」と幼稚園児に言わせていたところの動画がマスコミで取り上げられ、国会でも追求に使われるなど、どんどんと追求の手が進んでいます。
特に、まだテレビや国会での追求が始まってないのですが、2015年9月4日に、安倍総理が突如として大阪に行きテレビに出演した事がありましたが、その前日に安倍総理財務省と話し合い、当日はテレビ出演の後に、冬柴鐵三国交相の息子でりそな銀行の支店次長でもあった人物の経営する店で、筆頭秘書官などと会食するなど、今回の疑獄が大きな話になってる訳ですね。しかも、今日のこのタイミングで、安倍総理は、マスコミ各社の政治部キャップを赤坂飯店に呼びつけて、どうやら「わかってるでしょうね?」などと、飴と鞭で黙らせようとしてるようです。

強弁と恫喝をもてはやして腐敗の種を育ててきた、田原総一朗的なマスメディア。

こういう事は、権力を振るうことに対して自制のない人の末路とも言えますが、しかし、そのような人々は、長年社会の色んな所にいたわけですよ。特に、1980年代末からは、立場が強い人や声が大きく相手を罵倒したり中傷したりすることで自分が正しいことをアピールする人達が、物凄くマスコミなどで持て囃されて、政界に進出していった訳です。例えば、「朝まで生テレビ」で舛添要一猪瀬直樹が持て囃され、マスコミ全体でも将来のリーダー候補のようにいわれ、政界に進出し、奇しくも二人共都知事になった後、スキャンダルをばらまかれて失脚してる。
橋下徹中田宏なんかも、この流れに非常に近い。彼らも、田原総一朗の番組で持て囃されていった先に、政界に進出して、知事や市長として強引な政治を行い、結果として、大阪や横浜を、極端に腐らせた訳です。

こういう、自分の「正しさ」を押し付けて私腹を肥やすためには恫喝だろうが言いがかりだろうがどんどんつけていく人が軒並みのし上がり社会の主流になる一方で、「思慮深い」人、慎重に考え・意見を言い、人と話し合いつつ物事を決めていこう。と言う人は、「決められない」「臆病」などと、罵られたりバカにされる対象にされ続けてきました。
民主党政権が、鳩山由紀夫菅直人と、二代ともそのように議論を許してしまった上にメディアに対しても「オープンさ」を認めていったがために、「決められない政治」と言う悪いイメージを付けられたりもして、結局、台無しにされていき、結果として、安倍政権という「安定感のある」(要は対話なんかいらないから自分の言うことにみんな従えと言うのを徹底してる)内閣が出来て、その上で、どんどんと政官財全てが腐り方をエスカレートさせていったんだけど、安倍政権と言うより安倍政権を形作って支えてきた人達はマスコミに強い配慮を求めてきてて、マスコミは自重してきたから、腐り方が極端に加速してしまったわけです。

日本の崩壊は、強弁と恫喝が腐敗を育てたことによるのでは。

その結果として、東芝の破綻や「安倍晋三記念小学校」疑獄こと、森友学園問題が発覚したんですよね。この国が、腐敗を許すどころか、ある種の人たちが腐敗を続けて、自分たちだけで果実を独占した結果として、組織は腐るし、胡散臭い人達がたかるし、周囲と言うか社会全体で見たら、どんどん疲弊して腐るのに巻き込まれて崩壊してる。

今起こってることは、終わりじゃないと思うんですよ。それこそ、「森友学園疑獄」にしても、安倍晋三が総理大臣を辞めたとして、それだけで何かが解決するような話では到底ない。腐っていることや社会のあらゆる崩壊が、ほんの少しだけ現れてきたに過ぎなくて、今年はまだまだロクでもない事が表に出てくるだろうし、その中で、私達一人一人がそれに対してどうしていくことが出来たか。と言うのが、その次の展開にとって大事になる。と、私は思うのです。