「政治を持ち込むな」と叫ぶ人々が、正反対の政治的意見を同じ場で言う、ダブルスタンダード。

 Facebookに、「きのこ部」という、きのこについての色々を取り上げる、写真中心のコミュニティがあります。
https://www.facebook.com/groups/287379671368261/

 ここで、4月17日(月)に、「共謀罪について、法務大臣が『きのこや山菜を取りに行くのも監視や処罰の対象になりうる』と答弁していたが、私達も処罰されるんだろうか」旨、不安を表明するために記事へのリンクを掲示した人がいました。
https://www.facebook.com/groups/287379671368261/permalink/1106154922824061/

 ところが、「趣味のコミュニティに政治を持ち込むな」という、声の大きな人達がその書き込みに非難のコメントを連ね始め、それに対して「現実的な問題ではないか』と自重を求める人達も出たんですが、政治を持ち込むな。政治を持ち込むやつは排除すべき。という合唱が起こり始めました。
 しかし、その合唱をした人達は、同じスレッドで野党はダメだとか、左翼を排除するために監視しないといけないとか言う事を書いてる訳ですよ。

 この、二重基準ダブルスタンダードダブスタ)が広くまかり通ってしまってることについて、少し考えてみようと思います。

ダブルスタンダードは、冷戦崩壊の頃から拡がっている?

 こういう、政治的に特定の方向の意見を持っていて、それに反する意見を排除したり貶めたりするために、「☓☓に政治を持ち込むな」と言うのは、日本でインターネットが一般化し始めた2000年代の初頭・大体2003年あたりには、既にネットでかなり猛威を振るっていたと思います。もう少し遡ると、政治家が日の丸君が代の強制であったり歴史教科書に対して都合の悪い記述を削除させたことであったりに対して反対する人達・特にその意思表示を国旗国歌の強制の場や教科書選定の場で行う人に対して、「政治を教育に持ち込むな」と恫喝も入った感じの強い調子で、TV等で非難するというのがあったと思います。
 要は、最初に、自称「保守」の右派政治家がそういう事を言い出し、それを、ネットの人達・大体は後に自民党ネットサポーターズに参加してるような人たちによって、四六時中声高に言われ・些細な書き込みも監視し見つけ次第袋叩きにしていくような形で行われていったことが、最低でも冷戦崩壊以降に関しては、根本にあったのだと思うのです。



1970年代から急激に悪くなった、日本社会の風通し。

 日本の社会というのは、何度か書いていますが、「場の空気」を握った人たちが言う事を、議論をさせないようにして呑み込ませて、それによって呑み込んだ個人に降りかかる不都合は、もっぱら呑み込んだ人が背負うことになり、「場の空気」を握って結論を押し付けた人達は、それが起こしたことの結果責任を一切取らないどころか出世したり財産を増やしたりしてしまうという、非常におかしな構造で固まっています。
 これは、私は、繰り返しになるけど、遅くとも1970年代以降の学校教育がそのような「道徳観」を校則や体罰・諸々の班行動などの形で身体感覚として刷り込んでいったことと、問題のある道徳観をや1980年代の「中曽根構造改革」が社会の構造を劇的に悪い方向に変えてしまったことの、大きな成果であったと思うわけです。
 私達は、確かに風通しが悪いどころか全然風が通らない社会に置かれているけど、それは大昔からそうだったと言うよりも、戦争に負けて多少経ってから1970年代の半ばくらいまでは風通しが結構あったのに、それを拙いと思った人たちによって、風通しのない社会位にされてしまってるし、風通しがないから、皆が窮屈だと思っても、それを変えるにはどうすればいいのかすらわからなくなってる。
 そういうなかで「☓☓に政治を持ち込むな」と、スシポリス並に重箱の隅をつついて、今の政治や社会の有り様や自分たちの行く先に対して不安や不満を述べる人たちを非難し・言葉を言わせないようにする人達が、それとは正反対の政治的意見を何ら恥じずに同じ場で言ってしまうということが、認められてしまってるんだと思うんですよ。



「負の成功体験」を振り回して場の空気を握ろうとする人達を乗り越えるために。

 彼らからすれば、その場の空気を握って、気に入らない意見や人物を黙らせ・叩き潰せるという「負の成功体験」をたくさん抱えてもいるわけですから。
 こういう事を長年認めてしまってるから、社会が破滅し始めてるわけで、風通しを良くするためには、「水戸黄門」を待っていたんではダメで、問題を感じた人達が自分の意見をきちんと言うようにしないとダメで、それは、その意見を気に入らない人からは「電波」「妄想」「陰謀論」という、非常に悪い言われ方・レッテル貼りをされてしまう場合が非常に多いのだけど、それでも、言うことは言うし、それと一緒に、なんでそう考えるのかということを,なるべく論理的に・もしくは丁寧に言ってくしかないと、私は思うのです。