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「政治が就職活動に不利」と言う社会風潮が、森友疑獄や東芝破綻などの社会の崩壊を招いてる。

最近、こんな記事が出て、一部で話題になってます。
ちょっと長くなりますが、一部引用します。

政治アカのフォローは就活に不利。 都議選候補予定者が若者の解説に「そりゃ政治離れするよ」


政治アカウントをフォローすると就職活動に不利になる。

こんな若者の意見を聞いたと紹介するツイートが話題になっている。投稿したのは、2016年の都議選補選(大田区)に無所属で立候補した写真家の溝口晃一さんだ。
(中略)

 

——「政治的な意見を表明することが就活に悪影響になる」問題についてどうお考えですか?

私も経営者でしたから、多少の「色が付いている」は理解しますが、デモに出て捕まって社名まで出てしまうような行為をしそうな人なら、遠慮するでしょう。

今は、JCや商工会などの小規模商業者の集まりでも自民党推しをするか、無関心を装うかしないと、どこでどう取引に関わることで理不尽な目に合うかわからないから、と警戒しているように見えます。

中小零細企業は、景気が悪くなってからの一強の政治になって、定期的に仕事のあるところは「官」であることから、取引上の上流に「官」の影がある事業なら、非政権側にいるとは思われたくないと思うのが当然ですし、そのような従業員を抱えていると思われたくないのも理解します。

なんとなく監視されている社会のようで、出来うる限りの不安要素は取り除きたいというのが、透けて見えます。

代議士選挙が中選挙区制度の頃は、同じ自民党でも違う候補を推しても「同じ自民だから」と許されている面があって、おおっぴらに支持を表明していた人もいたように思いますが、今は、どちらかしかないので、表明には覚悟がいるのではないでしょうか。

 

 
 基本的に、「若い人たち」の政治への関わり方が、政治を全て拒否しないと就職に非常に不利になるから、今の状況に問題があっても関わらない。という事について、溝口氏が色々な切り口からインタビューに答えてるのですが、これは、状況として深刻だと思うと同時に、実のところ、私が若かった30年ほど前も、余り変わらなかったなと思うのです。多くの人間が政治への不満や不安を表明していても、表面上無関心を装わないと、就職だけではなく日常生活でも不都合を強いられる。と居う漠然とした怖れを抱えていたのを、私はいろいろな人と話していく中で耳にすることが多かったと記憶しています。

「保身から来る政治嫌い」は、30年前から続いてる。

 それは、実は、社会のありようや政治の動きに対して何らかの異議を唱えたり文句を言ったりして、あまつさえデモなどする人を、小さな芽であっても見逃さずに警察の暴力で排除すると同時に、公安警察などを使い・就職でも「まともな会社」から排除させていって、総じて社会からも排除していく・表通りからは無色化して、社会の底辺に追いやっていく。という、高度経済成長後期の流れがあってのことだったし、そこには、度々このブログで書いている、管理教育の過激化や集団重視の教育というものもセットにされていった事だと、私は思っています。
 しかし、その事は、私は「排除される側」に近かったからこそ書けていたことだと思いますが、非常に危ういものを感じていた訳ですし、そして、その危機感は表明し続けてきましたが、「妄想」「考えすぎ」などと嘲笑されるよりなかった訳です。その位、1990年代当時の人々の意識と言うのは、1995年の地下鉄サリン事件を経てもなお。どころか経たらなおさら、その傾向が強くなるくらいには、表通りにいる人々は「天下泰平」を享受し、その裏側にある、一部の人達の悪意のようなものを見えないまま・又は見てみぬふりしていた訳ですよ。
 その、長年の積み重ねの結果として、「政治に関心を持つことや表明することは就職の大きなリスクだから一切やらない」という若い人たちが非常に多くなり、「忙しいしわからないから、選挙にも行かないし関心も持たない」と言うことに代表される、「政治に関心を持たないことこそが社会的に正しい」と言う風潮だと思うのです。そして、それを半ばデザインした人々やそこに乗ることで巨万の富や権力を握ってる人々は、「悪意」の積み重ねの成果だ。とばかりに、日本の経済も人々の生活も、喰い荒らして、それが長くは続けられないのを予感してるのか、特定秘密保護法で都合の悪い証拠を見られないようにし、共謀罪で、国民の大半をギチギチに締め付けたり脅しをかけたりしようとし始めてる。



人々から政治を引き剥がしたことで、犯罪やり放題になった一部の人々。

 更には、政治を社会から引き剥がし、特権にしてしまったことで、一部の人達がやりたい放題出来て、犯罪も一部の人達は無制限に近くなってるわけですよ。普通の人々が、喰うに困るなりしてやむなくした数百円の万引きですら、テレビのニュースで曝されるし運が悪ければネットで袋叩きにされて、その後の更生なんか知ったことか。とされるのに、偉い人達の子息は集団強姦や強盗や殺人をしても色々理由を付けられて不起訴になったり、起訴されてももっともらしい理由で無罪にされる。
 森友疑獄にしても、自衛隊の日報問題にせよ、国会に出てきた役人が、あからさまなウソの答弁を続け、都合が悪くなると答弁拒否していて、それは与党の偉い人たちを「忖度」したものだと言われているけど、誰も、その責任を取ろうとしないし、責任を取らせようという世論の盛り上がりもあまりない。
 東芝の破綻問題にせよ、数日前に浮上した日本郵政の巨額損失にせよ、高給官僚の集団が特定の企業人と結託して巨額の損失を起こすような経営判断を現場の反対を無視して押し付け、そこにまつわるキックバックなんかを、多分タックスヘイブンの裏口座に入れた上で、いざ問題が表に出始めた頃には逃げて、誰も責任を取れとは言えなくなってる。

「地上の楽園」と「この世の生き地獄」。

 そういう、社会の崩壊。というのと、「普通の人たちが政治を拒否する」と言うのは、私は密接な関係があると思うのです。
 身近なこと・不満な事を変えろという声が、普通の人たちから出ず・政治や社会の動きに影響が及ぼせず、そこから出る不都合は、専ら末端の・「下の」人達が甘んじて受ける。ということは、上の方に行けた人達や親の代から上の方の人達にとっては、非常に都合がいいわけですよ。自分の思い通りに殆どのことを動かせて、しかもそれが失敗しても刑務所に入ることもなければ、財産を没収されることも、破産して首を吊るよりなくなることもないし、そういう心配なんかしないでも、「下」の人達にそういう責任を押し付けて取らせ再起不能にし、自分は適当に「みそぎ」しておけばやり直しがいくらでも効くわけですから。「上」の人達にとっては、こんな「地上の楽園」はない。ひょっとしたら、北朝鮮以上の楽園なのではないかと思います。

 しかし、それでは、もう、たくさんのことが立ち行かなくなってるし、このままでは滅んだ後も更に滅ぶよりないいのだと言うことを、私達こそがきちんと正面から見ていくよりないと思うのです。自分でおそるおそるでも出来る範囲からでも、政治に対して意見を表明したり、何らかの形で関わって行かないと、上の人達は、この世の生き地獄である日本をより生き地獄にするだけだし、最後には何もかもうまく行かなくなって海外に逃げるかもしれない。
 社会を私達のために変えられるのは、「上」の人達ではなく、水戸黄門でもなく、私達のみである。と言う事を、覚悟していくよりないと思うのです。