ラノベ作家のヘイト書き込みがアニメ化中止に繋がった事から、正義とその腐敗について考える。

 最近、物凄く気分の悪い日が続きますね。お天気もですが、世の中の動きが急変してるのに、その事をみなかったかのようにして続いてる状況を見てると、それが最後にどういう結果を私とか私達に突きつけてくるのか、半分読めてきてしまうような気がして、本当に厳しいものがあります。

ラノベ作者の嫌韓・嫌中ツイートが、アニメ化中止と本の絶版に繋がってしまった。

 さて、「二度目の人生を異世界で」と言う、ネット投稿から始まったラノベがアニメ化されることになり、只、その作家さんが昔中国人や韓国人に対するヘイトスピーチをくりかえしツイートしていたことが発覚して、そこに、中国の「環球時報」紙が「ヘイトスピーチ作品」と言うような形で報道したものですから、中国のアニメファンたちが怒って、声優への脅迫なども起こり、声優が辞めて、結局アニメ化は中止・日本国内で売られてる本も回収。となってしまったのが、色々な議論を呼んでいます。
https://ncode.syosetu.com/n6332bx/
www.huffingtonpost.jp
 この事で、反差別運動に関わってる人たちや支持者たちが一斉に「素晴らしいことだ」と言いはじめて、国内でどんどんやっていこう。的な話も出始めてて、私はその動きやその後起こりかねないことを危険だと思ってツイートしたら、一日で8000以上RTされるという、今まで一度あったかなかったかという事になってる訳ですが、そのような「言葉」「考え」自体もだけど、その裏側にある考え方や物事への態度が、物凄くまずいな。と思うのです。


人を罰するのに「棒」を振り下ろすことは、必ず悪を伴うけど、全て善だと信じる人々。

 これは、少し前から言われてる「ポリコレ棒」「人権棒」と言う言葉に込められてる多くの人の批判的な見られ方とも関わってくるんですが、この手の「棒」を振り回し・正義で人を裁く事を日常的にやってきてるような運動や思想というのが、ほとんどの場合、自分達の価値観は全く正しくて、間違いがない。そして、自分達に裁かれる人や存在は、誰がどう見ても「悪」であり、正しくないのだから、裁かれて当然だ。
 そして、そこに文句を言う人達や裁かれることの苦痛を言う人達は、自分達を理解しておらず、愚かな人達で、甘えてる。甘えるな。

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

20〜21

 こんな態度や言動が、最近、又目立ってきてて、それ自体は大昔から何度も私は見てきてる構図なんですけど、ともあれ、そのような態度というのは、ただごう慢であるだけでなく、極めて危険なんですよ。
 今は、そのような人達が社会で主導権をとりつつあり、それによって救われる人もある程度いるからいいのでしょうけど、しかし、その外側には、膨大な数の「見捨てられる人」「裁かれる必要がないのに裁かれる人」「裁きのとばっちりで、社会的に差別を受けることになる人」が出てるわけです。
 そして、今までの、左派を自称してリベラルだとか左翼の代表だとか市民派だとか言う事を自称してもきてる人達の多くに、その人たちが出て当然であり、そのような人は遅れてる愚かな人たちだから仕方ない。と見捨てる人が、沢山出てるわけです。

 その事は、彼らが抱えてる思想や価値観自体をも腐らせてるし、腐ると同時に、多くの人から見られた場合に、その腐る前の思想や価値観自体を、物凄く嫌わせてしまい、物事の解決や進展を遅らせるという事に繋がってきてる訳ですよ。そして、それは、「彼ら」のやってきたことのほころびが積み重なって、社会を蝕んで壊すのが隠せなくなった時に、一気に仕返ししてくるわけです。「彼ら」自体が、非常に下劣で「大衆の敵」だとして、ヒステリックに近いような排除が始まってしまう。

左派全盛から右派・ネオリベネット右翼の世となり、そして逆転し始めてる流れの中で、考えるべきこと。

 これ自体は、世界の全ての国や地域で歴史的に繰り返されてるだけではなく、日本でも、繰り返されてる訳ですよ。

 1970年代までの左翼運動やその周辺の文化というものが、1980年代位からの「豊かになった日本」と言う風潮でどんどんと時代遅れ扱いされただけではなく、マスコミの報道や学校での管理教育の徹底なんかもあって、根底にあっただいじなものまでもが、無視されるどころか、親のかたきのように嫌われていって、個人が何かを感じたり言ったりすることの多くが、マスコミの広めること以外の考えや価値観が、「時代遅れ」「アカ」などと、嫌われて行った訳です。
 そして、90年代からの20年ほどというのは、豊かではあったけど貧しくされた人や排除された人も沢山出てるんですが、当時の左派やリベラルの多くは、そのような人たちからの訴えを「甘え」といい、自分達の価値観に従わない人を、社会の敵だと言って排除する為に、それこそ「敵」だったはずの自民党や警察にまで取り入って・思い込みだか嘘だかわからないけど事実と全然違うことを世界に発信して「外圧」にして、法律などを作っていた訳です。前回この事は書きましたが。

 そういう態度を「左派」「リベラル」が取って、それが人々からどう見られてるか無視するような人たち以外は排除されてしまって、腐っていった中で、00年代頭に、今で言うネトサポのような人達が、数と資金に物を言わせてネットを占領し・お上(自民党や保守)に歯向かったり気に入らない真似をする人達を攻撃したり、社会から排除して当然だ。と言う風潮を作っていったものですから、多くの人が、今まで「左派」などから受けてきた仕打ちへの怒りもあって、乗っかっていった。と言うのが数年前までの状況だったんですよね。
 そして、そのお膳立ての上に出来た安倍内閣がやりたい放題・デタラメ三昧をくりかえし、ウソも平気でつくし責任も完全に取らないというのが、誰の目にもバレバレになった物だから、それに対抗してきた左派やリベラルを自称する人達への人々の支持や希望があつまり、社会の主導権を、再び握りかけてる訳です。

自己を相対化しない怠惰な思想や運動は、必ず腐敗し人々から叩かれるようになる。

…ちょっと待って下さい。
 左派やリベラルと、右派や保守の力関係というのは、長い年月をかけてお互いに逆転し続けてる訳ですよ。そして、右派や保守が、自分達の事を客観的に見ないで・自分達の非常に狭い世間で社会を見て・人々を裁き・言葉を深めていった末に、腐って行って、今や自分達がやってることの責任も取らず、そもそも何をやったかすら自覚してるかどうか怪しい状態になってる事を考えた上で、左派やリベラルとして主流だと自称してる人達のこの数十年間の動きを見てると、抱える正義やイデオロギーは全く違うんだけど、物事や自分に対する態度と、物の考え方は非常によく似てるんですよ。

 つまり、いずれというより、そう遠くない内に、左派で主流だと言われてる人たちは、自分達のやってることの問題点が見えてないが為に、物凄い酷いことを(今の安倍内閣とか取り巻きの人達のように)くりかえし、責任を取らずになんとかしようとする事が積み重なって、多くの人々から恨まれ・嫌われ、奥底に抱えてきた考えや価値観までも全て否定すされるような事になるんじゃないかと、私は思ってる訳ですよ。

 自分をかえりみない・正義が自分にあるからと正義の点検を怠った政治や思想、運動というのは、結局は、そこに行き着いてしまう。
 前々から。と言うか、00年代の半ばくらいから、今の反差別運動や平和運動に繋がってる運動の人達の中から、自分達を相対化する事・要は一歩踏みとどまって、自分達を外から見つめなおす事を凄く悪いことだと言うようになり、その事と、ドイツの「戦う民主主義」の成功を結びつけて正当化するような、物凄くまずい状況が、目立ってくるようになりました。
 その事は、ドイツでヘイトスピーチを違法化して成功してるんだから、日本でも違法化すべき。と言う乱暴な議論がまかり通っていて、その事自体、実際の所今の、イスラム系の移民や難民が沢山入ってイスラエルを批判する人達を排除できなくなってるドイツの現状を物凄く無視してる話なんですが、そこはともかく、よそで「成功」してるからこちらでもそのまま輸入しろ。的な乱暴な議論がまかり通ってるのとセットになって、広まってるんですよね。
ukmedia.exblog.jp
d.hatena.ne.jp

右派や左派、両方がやってきた「失敗」から学ぶことが、大事。

 そこを批判すると、すぐに「どっちもどっち論」「相対化良くない」と批判されます。しかし、それが、運動を腐らせ・多くの罪なき外部の人を無理やり裁いて敵に回す結果になってるのを、中の人達が全く気づいてない。と言う事に、行き着いてる訳です。
 この、「右派と保守の失敗」「左派が犯しつつある失敗」から、私達は学んでいかないといけないと思うのです。自分を相対化・外から見つめ直すように癖を付けて、危ないと思ったら周りがイケイケドンドンでも踏みとどまるし、空気をわざと読まないで意見を出して、絶えず議論を行い、方向性を、外からも内からも絶えず変えていくような、複数の動きを作っていかないと、このような、歴史の裁判に、私達は負けるし、それは、非常に酷い世の中を続けて・繰り返すことにつながると、思うのですね。

日大アメフト部事件や佐川不起訴から、暴力不在の日本を振り返り、今後を考える。

 梅雨に入るか入らないかとなってきました。もう少し前に書きたいとは思ってたのですが、5月の頭から左の腹が異常に痛くなり、痛みがある程度治まってから検査したけど何も出てこず(只、腸に炎症があったけど治りはじめてたのはわかった)、その後もズルズルと微妙に痛くてロクに何もできない状態が続き、やっと数日前に痛みが全くなくなりました。
 病院での問診のことを振り返り、ある日魚屋さんで白エビを勧められて、相当悩んだけど結局季節ものだからと買って、少しだけ刺し身にしたのが引っかかったのかなぁ…アニサキス症とか、大きな魚にしか無いかと思っていたんですが、小さなエビもアニサキス寄生虫)の宿主になるんですね。皆様もお気をつけて。
www.mhlw.go.jp

日大アメフト事件と働き方改革と森友事件から見えてくる、この国の救いようのない腐敗と、社会や道徳の崩壊。

 さて、今月、色々とありました。この国が、壊れてる姿を隠しきれなくなり始めたと言ってもいいと思います。日大アメフト部の不条理な反則強要事件は、日大という大学が今の政権にもべったりで、経営陣が暴力団とべったりで、反則を強要した元監督はその経営陣の中で、学長に気に入られて酷いことを前から繰り返したという話も、取り沙汰され始めてますね。
toyokeizai.net
 そして、「働き方改革」とか言って、実際の所「サービス残業させ放題法案」であるような中身の法案を、自民党公明党が出してきて、出す理由にしてきた資料も何もねつ造だらけで、政府の答弁もデタラメだったものだから野党の大半が答弁拒否したのにもかかわらず、与党と維新の会が無理やり国会を開いて、殆どマトモな質疑がないままに、維新の人達が言い訳をするために、余り意味がないどころか却って中身が悪くなる「対案」の一部を入れさせたからと、衆議院で自公と一緒に賛成してしまいました。
「働き方改革」一括法案の問題点を考える院内集会声明 | 日本労働弁護団

 そして、森友事件で、自分が大きく関わってたのに嘘八百の答弁を繰り返すばかりか、財務省の中の資料を改ざんさせたり、不法に捨てさせようとしていた、佐川前理財局長が、不起訴になってしまいました。
mainichi.jp

 これらは、表面的には、日本の道徳の崩壊であり、法制度の崩壊なわけですが、私には、バブル崩壊の前からあったような「それ」を、必死に見せないようにしてきたのが、どんどんエスカレートしてしまって隠しきれなくなり・隠すのをやめてしまっただけだったのではないか。と思うのです。
 この国は、法治国家であり、法による正義がきちんと行われ、秩序もそれを助けてきた。そういう風に、私達は教え込まれてきました。学校教育だけではなく、会社や職場でも、マスコミでも。

私達は、間違った幻想を何十年も見させられ続けた。

 しかし、今まで色々と書いてきたように、それは、幻想だったと思うのです。
 この国では、ある種の勢力・ある種の人々には法の規制が通用せず、そもそも法律と言うのはその人たちが自分たちに都合のいいように、長年作り変えられ、裁判所はその前に無理やりな解釈でそれが必要であるかのように、現状を正しいという事を屁理屈をこねて正当化することの繰り返しでした。
 そして、幾らかの法律は、その人たちが許せる範囲で「善意」が織り込まれるし、そのような法律の中に、自分達のエゴや思い込みや差別を、どのようにそうでないかのようにして織り込むか。と言う事に必死になってる人達が、今の与党のような人達だけでなく、警察やお役所や、果ては左派の政党にまで取り入って、その人達以外の多くが酷い扱いを受けるように規制され・あるべき人権すら否定されていくように、されていってることがどんどん酷くなってたわけですよ。

 青少年健全育成条例児童ポルノ買春禁止法なんかはそれのいい例で、迷惑防止条例エスカレートぶりもそうでしょう。その中で公平な刑事手続を奪われたまま冤罪や微罪で刑務所に入れられる人が続出してきてるし、冤罪は未だに繰り返されてる。
 そして、少数の人達・世間で力を持ってる人達が一方的に作り上げた「空気」によって苦しめられる人達・居場所を否定されたり存在を否定されたりしてる人達にとって、この国は、無法も同然だったのです。あらゆる言いがかりが、警察からも隣近所からもつけられ、就職は勿論アパートを借りることも容易ではなく、しかも、それらを世間に訴えれば軽蔑されるし、無視もされる。ワガママに過ぎないとけなされたりののしられるくらい、当たり前だった。裁判なんかに訴えても、なかなか勝てないという状況が長年続いてきてます。最近は、裁判で勝てる場合が増えてるように見えますが。
 それでも、法律の保護や世間の理解を受けられない人達は、この日本に、外国人に限らず、今でも沢山いる訳です。
www.newsweekjapan.jp

少数者や異端・困った人々を切り捨て無視するることで維持された幻想が、社会や道徳の崩壊に繋がってる。

 そういう状況、「影」の部分を、私達の多くは見てこなかったわけです。そして、日本が平等で公正で問題がないかのような「幻想」を、この国は、安保闘争が終わった頃から、あたかも「事実」であるかのように振りまき、今につながるような状況であんまし困ることがなかった人たちにすりこんで来た訳ですよ。
 その中で、市井の人たち・立場が本当に苦しい人達に対してだけ、彼らが暴力で世の中を訴え・変えようとすることが、徹底的に否定されていった反面、力のある人達・場の空気を握った人たちに対しては、無制限に近い暴力の「権利」が与えられ、ただ、世間体があるからその「権利」をなかなか使わないできたに過ぎないわけですよ。

 本当の意味で困った人たちは、無色化されて世間から無視されるだけでなく、暴力を使うことも封じられて、結局は、暴力なんてまったくないような形で、ひじょうにかぼそく自分達のことを世間に言ったり問いかけたりするだけでも、世間の大半の人達が総じて袋叩きをしてくるような状況が、1980年代に一気に・そして、非常に強固な形で出来ていきました。

 その後は、少数の人が声を上げたものの、それで空気を握れば最後、他の困った人達や、声を上げた人達のやろうとすることで逆に押しつぶされる少数の人達・立場の弱い多くの人達が疑問をいえば、それ自体が、物凄く酷くて弁護しようのない「悪」なんだと、世間から非難され袋叩きにされる状況にtなっていた訳ですよ。これが、90〜00年代なかば位ですね。その中で、児童ポルノ買春禁止法や迷惑防止条例ができたり、青少年健全育成条例が青少年から人権だけでなく自分が存在価値を認める権利まで奪い尽くすような形に変えられていった訳です。

 その中で、90年代半ば位までは、政治家の汚職にせよ不祥事にせよ、企業の酷い不祥事にせよ、トップの人達が責任を取ることもある程度はあったし、警察や検察や裁判所も真面目に仕事することがそこそこあったのですが、それもどんどんとなくなり、下の人たちに対してだけきつく当たるのに、上の方の問題や不祥事は、見逃す。マスコミだって、多少は非難するけど、責任を取らずに逃げようとする人達を追い込まないようになったし、警察や検察は勿論、裁判所だっていい加減な処罰しかしなくなっていったわけですよ。

15年前の「SLAPP合法化」で、日本の道徳と社会の腐敗と崩壊は、仕上げられていた。

 その、総仕上げになったのは、2000年代前半に、名誉毀損などに対して非常に高額の裁判を簡単に起こせるように法律を変え、名誉毀損などをした人への刑事罰も厳しくした事があったと思うのです。いわゆる、SLAPP(スラップ・恫喝的高額訴訟)を、お金を持ってる人が簡単に起こせて、起こされた方は経済的に厳しくて裁判費用が出せないくらいの額で起こされるし警察がガサ入れに来たりもするものですから、マスコミやミニコミが、どんどんと偉い人たちや企業などの不祥事を書けなくなっていった訳です。

 この事で、00年代なかばには、社会のシステムを使って悪いことをしても、それがお金を使える人なら殆ど表に出なくなってしまったし、 この頃、スキャンダル雑誌の「噂の眞相」がSLAPPを怖れて廃刊してしまったりなんかしたのが、なおさら拍車をかける結果になった訳です。
伝説の暴露雑誌「噂の真相」休刊10年目の真実 | デスク発ウラ話


 そして、10年代には、企業の現場に対してや世間の人達の生活の場では、「遵法意識」「コンプライアンス」が過剰に要求されてるのに、上の方に行くとうやむやになっていて、時折不正行為や汚職がマスコミで報じられても立ち消えになっていく。と言う事が繰り返されました。
 10年代というか00年代の末から後は、そのように「逃れる資格」がある人達を批判するのは、時代遅れだ。時代遅れのことをしてる人達や政治家や団体は、時代遅れなんだから退場しないといけない。と、マスコミで繰り返し流されて、世間の多くの人達は、それをなんとなくそうだと思うようになって行った訳ですが、その時に、東日本大震災原発事故があって、そこで多くの人は自分や家族や友人たちの身の安全を確保したいだけではなく、この事故がどうして起こったのか薄々勘付いて、その原因を作った人達をきちんと罰することを求めていたのですが、それをやろうとした・国民の生命を護り・責任を取るべき人に取らせようとした菅内閣は、責任を取るべき経産省原子力マフィアの人達のクーデターにさらされ・マスコミも早々にその側に握られる格好になり、半年しないで倒されてしまいました。

 そして、その人達が担ぎ上げた安倍政権が出来てからは、「過ちは繰り返さない」「ただし、自分たちが責任を取らされることこそが過ちで、責任を取らずに今まで以上にどんどんデタラメ放題するのが正義なんだ」と、突っ走っていってる訳ですよ。それは、マスコミの多くの人が、それを悪い事と言わず、その人達を批判し、やったことの責任を取らせようとする人達を非難したり笑いものにしたりすることと、セットで来てしまった訳ですね。

「暴力の否定」が世間に広がる反面、暴力を全て合法的に行う人々がのさばりすぎてるのをどう、変えればいいのだろうか?

 さて、これは、非常に繊細な話になってくるのですが、なぜ、東日本大震災で、殆どの人達が「諦め」「無気力になり」、今のさばってるような無責任で後先考えてない人達のなすがままにされたか。と言えば、長い年月をかけて、暴力を奪われ・言葉を奪われ、そして、自分が困ったのは自分だけが悪いからほかは悪くない。と思わないといけないように、重い罰も含めて社会から締め付けられていった事が、大きな理由だったと思うのです。
 そのように、精神的に色々と奪われていったことで、自分達が何をできるか、何をしていけばいいのか、全くわからなくなったし、そのような話を近くの人とするのも半分タブーにされてる状況がセットだったので、手も足も出なくなってるように、私には見えるんですよね。

 そして、レイシストしばき隊やフェミニズム運動家、一部の「リベラル」を自称する人達のように、自分の非常に狭い視野を隠すこともせず、自分達だけの勝手な都合を世間に押し付けることを「たたかい」だと勘違いするような、人間として質が低い人達ばかりが声を上げ、内輪での暴力やセクハラなどは見過ごしまくるのに、外には「自分達の考えた最強の」正しさを押し付けたことがあって、尚更、その他の人達が声を上げることが出来なくされてしまったし、沖縄の辺野古や高江のように声を上げても暴力は振るわない。としてやってきた人たちに警察が襲いかかっても、暴動も起こらなければ、翁長県知事がそれを見過ごして必死になって反対派を護るのから逃げるようなのが、普通にどこでも起こってしまうようになってる訳ですよ。
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 結局、困ってる人も、困ってる人の側に立っててそれなりに権力を持ってる人たちも、何をすべきかわからなくされてて、孤立に追い込まれてる一方、そのような人達を痛めつけることで利益を得ようという人たちは、どんどんと法律を無視しだしたし、そのような法律無視を、警察も裁判所も、マスコミも、当たり前のことだとしか考えなくなりつつある。

 ここを変えていく必要があるというか、そうしないと日本という土地は・社会は、どんどんと滅びて最後にはソマリアのようになっていくより無くなる訳ですが、しかし、それには非常に多くの人が暴力を適切に使う必要があるのかも知れないと思ってるのです。
 しかし、そうなると、暴力というのは非常に暴走していくものだし、特に自分達に正義があると考える暴力は縛りがなくなって酷いことになるのは、1970年代の連合赤軍に限らず、最近のしばき隊や90年代のオウム真理教を見てても明らかなものだから、非常に悩ましいわけですよ。

 そして、前回書いた「革命のジレンマ」と言う問題も、暴力をコントロールして下剋上をある程度出来た後にはつきまとうわけですね。

 私達は、今のままであってはいけないし、この40年間以上続いてきた「公平幻想」「正義幻想」も「非暴力だけしか無い幻想」も捨てていくより、世間にはびこってる無気力の空気を変えて現状を動かすきっかけをつくるのは難しいのですが…この事にも、正解は、全くありません。
 皆で悩んで、皆で話し議論して、その場その場でどうするか真剣に選択し、考え続けるしか無いのだと、私は思うのです。

青地イザンベール真美氏の「パブリックエネミー」舌禍事件から、革命のジレンマを考えてみる。

 天気がコロコロ変わるだけでなく、気温が上がったり下がったり、それも非常に大きな温度差だったりして、大変な思いをされてる人も結構いるのではないかと思います。私も、連休の直前に熱を出した時に、運悪く急性の副鼻腔炎(ちくのう症)を一緒に発病してしまったようで、顔の左半分が痛いだけでなく色々と苦しい思いをするはめになってしまっています。みなさんも、どうか、お気をつけて。

立憲民主党から出ようとしていた政治家候補フェミニストの、舌禍事件。

 前々回触れた話の続きになるのですが、青地イザンベールまみ氏のネットでの発言が、大きな問題になってるわけですよ。彼女は、フェミニズムの学者を自称する方(ただし、本名や所属は出してない)とのやり取りで、「萌え豚(主に男性向けのアニメや漫画、ゲームなどの美少女キャラクターに萌える人達をさげすむ言葉。大抵は男性のみを指す)死ねとは、議員を目指す立場としていいにくいので、あのようなパブリックエネミーとでも言えるような人達を指す言葉がないか」と言う事を、言ってしまった訳ですよ。
togetter.com

 この発言は、またたく間に広がり、今までそのような扱い・要はいわれもなく「死ね」と言われたり、暴力を振るわれた経験を持ってたり、実際に「パブリックエネミーだから排除せよ・規制せよ」と言う人たちによって、事実に反する話を沢山、外国にまでばらまかれた挙げ句に「外圧」や「人権」を理由にして排除や規制をするような法律や条例を通されてしまった人たちが、揃って激怒して、青地氏が「炎上」する事になった訳ですよ。
togetter.com
 ちょうど運が悪いことに、この人たち・オタクと呼ばれてて、差別する側からはキモオタとか豚とか言われてるような人たちに対して、あろうことか、レイシストしばき隊のような反差別を掲げてヘイトスピーチ規制法を作らせたような人たちと、その支持者たちから、「オタク差別はない」と言う発言を繰り返し受け、いやいやそんなことはない。私はオタクだということだけで酷い差別を受けてるし暴力も振るわれた。と実例をだしてるのに、それを無視して「それでもオタク差別はない」。と言い続けてきたものだから、大揉めになってた。と言う事があった所に、青地氏の発言問題と言うか舌禍(ぜっか)問題が起こってしまった訳です。
 色々と酷いことを言われ、自分達が就職や結婚に対する差別だけでなく、家に押し込まれて好きなものを捨てられたとかクラスメイトや目上の人から暴力を振るわれたとか、そういう経験を否定される形で差別を正当化されてきたのを、又繰り返された人たちの火に油を注いでしまった。
 しかも、青地氏は自分の言う事にうなづいてくれるような人の意見をリツイートしまくったり、差別されてきた側に身をおいてた議員さんの苦言に対して青地氏の支持者が無理にもほどがある擁護を繰り返してるのと一緒になって議員さんに絡んでたりして、話をするという状態では無いわけですよ。
togetter.com

青地氏や支持者の言い分は許す余地がないが、私達は立場を逆転しつつあるのも事実なので。

 私は、どのような言い訳をしても、青地氏の言うことも、この件で青地氏を支持されてる方々の言い分についても、全く支持できないし正統性がないと思っています。政治家になろうとしてる・それも、人権派を自称してる人が、言っていいことではないし、言い訳も見苦しすぎる。

 私も、色々と「オタク差別」を受けてきましたし、その中には、川崎市立の中学校で、私の家が貧しいばかりに、教師と一部生徒から受けてきた暴力や内申書での成績に対する差別的と言ってもいい不当な扱いを、教師が、私がオタク的であるから悪いのだ。と正当化してきたことなど、酷い差別で人格を壊されるところまで行ったことがあった訳です。

 被差別経験があると、被差別経験が無いか、非常に軽かった人達が無神経に吐き捨てる言葉や、「善意」でも無神経や差別性を秘めたものに対して、非常に敏感になりますし、実際、第三者が見ても差別にほかならない話だと言う事があって、それに対して差別ではない。と言えてしまうような無神経な物言いや差別性をわかってない人々の物言いというのに対しては、非常に怒りが向いてしまうものなのです。
 だから、そのような経験をする人々が「パブリックエネミーと議員になろうと立憲民主党に近づいてる人が言うとは何事か、撤回してきちんと謝罪するだけでなく、同じこと繰り返してきてるんだから政治家になるのから退場しろ」となるのは、当たり前なんですよ。
togetter.com

 そして、青地氏と、その支持者達は、そのような深刻な話に対して、見てみぬふりをして、開き直ってる。

「怒られてる人達」から「怒ってる」人達に眼を移す。

 さて、今度は、「怒ってる人々」に眼を移していきましょう。
 怒ってる人々は、前に書いたように、個人それぞれに対する、非常に深刻な暴力や暴言だけでなく、就職や家さがし、結婚なども含めた差別を受けてきた経験を持ってる人が大半だと思われますが、しかし、今の怒りが即座に叩き潰されずに却って人の繋がりで拡大して大きな騒動になってる。ということは、考えておかないといけないことだと思うんです。

 1980年代以前や1990年代、「オタク」と呼ばれる人達でも男性のオタクは異質で気持ち悪くているだけで犯罪者だ。と言うような「社会的常識」があり、それがマスコミで繰り返し報道されたり、お笑い番組やワイドショーで心無い言葉が投げつけられ、差別を煽られるのも当たり前でした。男性のオタクは、オタクであることを徹底的に外に隠すか、もしくは、「オタク業界」の仕事に就いて、内輪だけで生活するかしか、道がなかったと言ってもいいでしょう。
 当時の女性の「オタク」、今で言う腐女子につながる人たちは、男性のオタクに対する扱いを見て、徹底的に自分達の内輪で閉じこもって社会に向けてはオタクを隠すことで、そのコミュニティを維持してきましたね。

 しかし、今は、彼ら彼女らが2000年代の後半に、オタク差別的な法律や条例がエスカレートし、行政の審議会でオタク差別的な発言が相次いだのもあって、本気になって闘って、議会に働きかけて東京都の条例改悪を一回止めただけでなく、今の立憲民主党社民党に比較的強い繋がりを確保し、自民党や維新の会にすら繋がりを確保していき、2010年代中盤には、落選したとは言え山田太郎氏という世間的には無名の人に30万票弱を与えて社会的なインパクトを与え・自民党が山田氏にすり寄るという事まで起こってる訳です。
東京都青少年の健全な育成に関する条例 - Wikipedia

 有り体に言えば、日本での、「オタク」と「反オタク」の社会的立場は、特にこの一二年に関しては、完全に逆転していて、あとは、この構図をどのようにして固定化できるか・「反オタク」の巻き返しや揺り戻しでのダメージを、「オタク」がどのように最小にしていくか。と言う構図になってきてる訳ですね。
 新しい理解と新しい考え方が、必要になり始めてるな。とは思うわけですが、それは、「反オタクをゆるせ」とか、「反オタク的な法律や条例を放置せよ」というのではなく、今までやりたい放題を政治的正しさや正義を理由にしてやってきた人たちに、今までの社会の荒廃に関わった結果責任を取らせることも含まれるし、法律や条例は、「オタク」に対してではとどまってないような、深刻な人権侵害要素を込めてるものが大半ですから、どんどん廃止したり中身を根本的に変えさせて行く必要がある訳ですね。
 そして、「オタク」の側は、これから、それらに向けて力を更に付けていく必要がある。

「革命のジレンマ」が、私達に向けられ始めてる。

 「革命のジレンマ」と言う言葉を、私が数日前に提唱しました。

 今まで、立場が強い人たちに虐げられてきた人たちが、革命とか下剋上などで強い立場につくと、まずは、今まで虐げてきた人たちを排除したり今までの責任を取らせて追放したり刑務所に入れたり、場合によっては死刑にしていくわけですが、それが続いていくとエスカレートし、今度は立場を逆転させた人達が、その他大多数の「今まで虐げてもいないし虐げられてきたけど、立場が逆転出来なかった人たち」を、虐げはじめて、しまいには、立場を逆転させる前とおんなじ状態になってしまう。文学作品だと、オーウェルの「動物農場」なんかが面白いでしょう。

動物農場 (角川文庫)

動物農場 (角川文庫)

 この手のことで、一番象徴的なのが、ソ連の革命・ロシア革命だった訳です。
www12.plala.or.jp

 昔、ロシアは、皇帝が治める帝国でした。しかし、帝国の上の方は栄えたものの、下の方の農民や労働者なんかは非常に酷い扱いを受け続けていて、しかも、革命が起こる少し前から戦争にのめり込んでいたので、どんどん国が壊れていた。そこに、レーニンたち社会主義者が中心になって革命を起こし、一度皇帝側にひっくり返されたものの、再び革命を起こしてソビエトを作り、ロシア全土だけでなく周辺諸国も吸収して行った訳です。
 その中で、「反革命」を取り締まり排除しないことにはソビエト体制が帝国に後戻りしてしまう…旧帝国の役人たちはサボタージュしたり暴動を起こすし、アメリカやイギリス、日本などがソビエト切り崩しの為に、限られた戦争も含めてえげつないことをたくさんしてきてる…ので、秘密警察を作ったり、ソビエト組織内の締め付けを強化したりして、乗り切っていったわけです。
 で、その状況がズルズル続いてる間に、スターリンがのし上がってきて、トロツキーたちが逃げるしかなくなり、レーニンも、暗殺され、スターリンが完全な独裁者として君臨して、大粛清で何千万も死んだり、刑務所やシベリアの収容所に押し込まれ、その後、スターリンが急死しても(一説には毒殺と言われてますが)60年間ほどズルズルと恐怖政治体制が続いて行った挙げ句に、国が壊れてしまった訳ですね。

 ソ連は、「革命のジレンマ」に囚われ・翻弄されて、しまいには国が壊れるまで突き進んでいった訳ですが、「オタク」に限らず、私達がそれと同じような事をしてしまっていいのだろうか?自分達は正義とか怒りで突っ走ってるだけでも、そうなりやしないか?ということは、いつも・ずっと・四六時中考えて振り返りながら動いていかないといけないんじゃないか。と薄っすらと長年思ってきた訳ですよ。
 確かに、巻き返される・自分達が立場を落とされて再び差別をされないために、相手を排除し・社会的な立場を全て叩き潰し、数十年は出てこれないようにすることは、絶対に必要なんです。
 が、そこで、それだけで進めば、いつの間にか自分達が恐怖や怒りを「普通の人々」から向けられるだけになってしまう。

 この矛盾というかジレンマには全く正解はありません。しかし、考えていくことで、立場が「逆転」してる状況は長く続くし、社会が私らを受け入れバランスを取って、今のままなら新しく差別されてたかもしれない人達を、差別させないで済むし、その事で、今まで差別や恐怖や偏見で法律を作ってきたような事が、止められるかも知れないと思うのです。
 オタクに限らず私達は、どんなに頭が良くても頭が悪くても関係なしに、このジレンマを考え続けていかないといけないと、思うのです。

北朝鮮と米中韓の「歩み寄りの輪」から、外された「幼稚で粗暴な日本」。

 一気に本題に入ります。
 北朝鮮金正恩労働党委員長が、朝鮮戦争の停戦ラインである38度線のラインを徒歩でまたいで韓国を訪問しています。この時に、金正恩委員長は、韓国の文在黄大統領が「北に行けるだろうか」などと話したのに対して、「一緒に渡りましょう」と言って、手をつなぎ38度線を北朝鮮側に二人で渡り、再び韓国側に戻る。なんていう、アピールをしたり、「未来志向で考える」「平和な時代にする」など、色々なことをアピールしていってます。
 この北朝鮮の「変化」、今に始まったものでもなく、半年くらい前から日本語放送(朝鮮の声)で「先軍政治」と言う言葉が使われなくなり、「主体思想」というのも余り使われなくなり…と言う「なんだろうこれは」と言う兆候はあったんですよね。で、この数ヶ月で、弾道ミサイル核兵器の開発が「完成した」として、アメリカとの対話に入ることを言い出し、それから雪崩が起きるように、アメリカとの対話もCIA長官が行って金正恩と話を付けたり、金正恩が鉄道で北京に赴いて、習近平と会談し、非常に手篤くおもてなしを受けたり、最大級に褒め称えるような報道を中国のマスコミがやったりするような事になってたわけですよ。
 その中で、韓国と北朝鮮の首脳会談という、一回二回あっても、韓国側が「保守派」・要は軍事政権の生き残りのような人達に政権交代してひっくり返されたりして話が進まなかった事を、文政権が安定してる今の内に、一気に話を進めよう。と言う事になってるわけです。

さて、日本は…?

 この十五年以上、「拉致問題」を理由にして、北朝鮮はすぐにでも日本に攻めてくる!みたいに、日本に住んでる人たちの中に不安や恐怖を煽るような動きばかりが大きな顔をしてのさばり、その人達は、拉致問題の解決には、とにかく圧力だ!解決するまで圧力をゆるめるな!と叫び実行して、その「後ろ盾」として、拉致問題での「被害者家族」を担ぎ上げてきた訳ですよ。
 そして、それが拙いのではないか。そもそも、北朝鮮と約束して「一度被害者を帰国させる」と約束したのを反故にして、北朝鮮に戻さなかったのは、後々まずいんじゃないか。と言う、冷静な意見に対して、「こいつらは北朝鮮の味方だ!」みたいな事をマスコミも「保守派」の口を借りてくりかえし広めてましたし、ネットなんかは、それこそ、自民党ネットサポーターズにつながるような人達が、非常に大きな顔をして自分達の意見以外を黙らせ・孤立させ始めた時代でしたから、なおさらそういう事が言えなくなっていた訳です。

 こういう「空気」が作り上げられ、強硬な圧力路線を主張する政治家や「拉致家族会」に対して、少しの批判も疑問も許されないという、怖ろしい空気が、作られていったわけですが、それが、2018年の今どきまで続いたことで、今回の朝鮮半島の平和化の流れから、日本だけが積極的に外されてしまう。と言う、最悪の結果になってしまった訳ですよ。

 小泉元総理大臣が北朝鮮に訪問し、当時の金正日総書記が拉致問題を認めた時(2002年)に、私はこんな事を書いて、当時の2ちゃんねるなどで散々な言われようをされてるわけです。(載せていたプロバイダが、夜逃げ倒産してしまってアーカイブリンクを探すのがめんどうくさいので、リンクを張りません。)

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拉致問題

今まで、日本では「北朝鮮」が人をさらって奴隷同然にしていると言う、荒唐無稽な話が真実だと信じられ続けてきましたが、しかし、それを「北朝鮮」政府が認めてしまった。

このことを単純に「”北朝鮮”がやっぱしやっていた」とするのは、愚直な反応です。

確かに拉致はあったかも知れないが本当はなかったのかもしれない

今更、何故こんな事を言うのか?

それは、拉致問題はじめ色々な日本と「北朝鮮」の間のしこりとなっていた事を「我々が全てやっていました」と言う事により、外交の主導権を日本から全て奪う事が出来る…そしてそれはピョンヤン政府の延命を日本に支援させる事を意味する…と言う計算があったからです。

政権延命と言う「大義」と比べれば、汚名を着る事や人を殺す事などなんでもない。と言うのが、政権につくような人間の常です。

ピョンヤンは日本政府が「”北”が拉致を認めなければ支援を打ち切る」と言う方向で固まっていた事を把握していた。

逆に、日本政府の言う事を全て認めて形だけでも頭を下げれば大量の支援が見込める事も計算していた筈だ。

それらを考えると、ピョンヤンが全てを率直かつ正確に語ったかどうかと言うのは、非常に疑問が残ります。

今後の事務的なやりとりや民間レベルでの情報ややりとりなどを、冷静かつ熱く見続けていく必要がありそうに思います。

北朝鮮」出身者への差別

この「会談」の結果を受けて、在日「北朝鮮」出身者や「北朝鮮」と交流があった人々に対するいやがらせが続出しています。

元々、http://news2.2ch.net/newsplus/2ちゃんねる」などでは、元々朝鮮半島や中国の人への差別が渦巻いていましたが、今回の「会談」の結果はそういう鬱屈した日本人の卑屈な根性に火を注いでしまったようだ。

我々日本人は、潔さや寛容さを失ってしまったのだろうか?非常に嘆かわしい事です。

結局、2002年の私の警句通りに、ろくでもないことになってる日本国内。

 まぁ、この時危惧していたとおりに日本国内が流れてしまい、マスコミもきちんとその事にくさびを打つどころか、くさびを打てばすぐに拉致家族会やそこに連なる政治家が、ひどい言葉で脅すようなことを言うものだから忖度して言うがままになってしまい、結局は在特会みたいな人達が「北朝鮮への恐怖」と「韓国への嫌悪」、「外国人への恐怖」なんかが煽られてる世相を背景にのし上がって、今のぐちゃぐちゃな世の中の有り様が出来上がってしまった訳ですよ。
 そして、それらのことが、そもそも拉致家族会を味方につけることで第一次内閣の総理大臣になったと言ってもおかしくない、安倍晋三という、今再び総理大臣になってむちゃくちゃやりたい放題してる人物を大出世させることに、ダイレクトに繋がった訳です。

 しかし、その事は、特に韓国や中国などの、日本の周辺各国にとっては、非常に不安要素になってる訳ですよ。
 とにかく外国の脅威を煽ってくる上に、外交センスがなく、札束で相手国をねじ伏せる以上の「芸」のない、日本の外交姿勢や、北朝鮮や中国の脅威を、必要以上に煽り、国際法で認められてることまで大騒ぎするようなことで、無茶苦茶な軍事拡大(でも、兵器を買ったり使いみちに困る部隊を作るだけで、自衛隊全体の現場全体が疲弊してる)を押し通しだしたりするような、今の政権というのは、いつなにをするかわからない。と言う意味で、北朝鮮以上に得体が知れない、言い方は悪いけど「狂犬」みたいな見られ方をされるようになってしまってる。

 しかも、アメリカやロシアみたいに元々強気に出てくる国に対しては、国のおかねも市場も人々の生活も大盤振る舞いで明け渡すだけでなく、北方領土みたいな長年もめてるところを、なんのこともなくロシアに引き渡したりまでする訳です。

 日本の外交が、尊敬されるわけがなく、軽蔑しか産まれてない。

「幼稚で粗暴な狂犬みたいな人々」にされるがままの、日本の不幸と堕落。

 しかも、森友問題以降、この国を全て来た人々のでたらめさ・法治国家を自称してるのに全く法に縛られずに、わがまましてもわがままが押し切られてるような幼稚な人達に、この国が支配されてるに等しいと言うのが、どんどんあからさまになってる訳です。
 オリンピックの裏金問題や、東芝の破産に代表される、大企業の数々の不祥事と、そこに経産省という今の政府を仕切ってると言ってもいい省庁が主導的役割を担ってる事なんかもそうだし、株や円の相場の市場に、今までなら許されないような多額のおかねを投入して、無理やり価格を吊り上げてきたことなんかも、そうでしょう(このことは、アメリカからもヤメロと繰り返し警告されて、今はできなくなりつつありますが)。

 だからこそ、今回の「朝鮮半島平和」で、露骨な「日本外し」が行われてしまった訳ですよ。

 幼稚で粗暴な「狂犬」みたいな人達が、朝鮮半島の平和化にも、核廃絶にも、大きな障害になってる。このことで、アメリカだけでなく、中国・韓国・ロシアなどが、一致してしまってる訳です。

みんな一人一人が長期的に物事を考え、きちんと考え、意思表示することの、大事さ。

 日本のマスコミは、このような非常に長い時間で物事を考えて、書いていく。と言う態度自体を、この三十年間で、どんどんと捨て去ってしまいました。
 だから、目先のことばかりが洪水のように報道され、そして、それが後々間違っていた。となっても、そのことは、本当にわずかな時間しか、報道されない。
 今も、日本が露骨に外されてる。と言う事は、なかなかマスコミで出てこないし、ネットでは最近やっと言っても許される空気になりましたが、その前は、そんな事を言ったら「北朝鮮の手先」みたいに攻撃されるのがお約束でした。

 今こそ、今まで朝鮮半島のことや在日韓国・朝鮮人の事をやってきた人達が、今の政権や自称保守のような「圧力をかけるしかない」でやってきた人々に対して「あなた方の幼稚な外交が失敗したことで、日本は大変なことになった」と、声を上げ、レッドカードを突きつけてほしいと思います。

 私達一人ひとりが考えていかないといけないことは、今回のことだけでもたくさんあります。

 只、今言えるのは、日本の「幼稚で粗暴な狂犬みたいな人達」が、このまま黙ってはいないだろうし、裏からアメリカや韓国を切り崩そうとしたり、最悪の場合、北朝鮮の「不満分子」に手を伸ばして、クーデターをけしかけるかも知れないな。と言う不安はあります。
 その事を防げるのも、日本の人々・日本の国民がきちんと「もう、北朝鮮の脅威がどうこうとかミサイルがどうこうで振り回されたくない」「振り回されない」って意思表示をして、世間話から議員などへの話などまで、ネットでのつぶやきとかも含めてあらゆる範囲で示していくしかないんじゃないのかなぁ。と、思うんですね。

社会がもてはやす「正義の人々」が、酷い差別や無視をすることでの、社会の大きな損失。

 なんとも、気候の変動が凄まじくて、身体が弱りすぎてる昨今ですが、いかがお過ごしでしょうか。
 更には足の筋肉が弱ってきてるようで、これをどうしたものか、ずっと考えてしまっております。
 みなさんも、お大事に。

「わたし達は買われた展」が称賛されてる影で起こり始めた「#MeToo」。

 「私達は買われた展」と言うのが、NHK Eテレで特集されたのもあって、非常に持て囃されてはいるのですが、この展を主宰してた仁藤夢乃氏が、いわゆる「オタク」的な人たちに対する悪意的なウソをつく人達と一緒になって「オタク」を誹謗中傷したり、秋葉原では児童買春や児童ポルノが野放しになってる。的な出鱈目極まりない話にのっかって、男性たたきなどをやってきていて、その事で、元から批判がされてきていた訳ですよ。
 で、仁藤氏が、中学生時代に非常にグレていて、いじめの被害にあった。と言う当事者の告発が、最近あったわけです。
 彼女は当時非常にグレていて、学校に携帯を持ち込んで男性客にこびた電話してたり、自分に対して酷いいじめを仕掛けて煽り、自分は散々な人生を送る羽目に追い込まれた。今、マスコミなどが彼女をもてはやしていい人のように扱っているのが許せない。
buzz-plus.com
 この告発の前に、被害者は謝罪を要求したりしたようですが、仁藤氏は無視してた。
 被害当事者にとって、非常に大変な告発と暴露であったと思うのですが、これに対して、仁藤氏と一緒に活動をしてきた人々・人権活動家たちが、揃って「顔を出せ、出せないなら黙れ」「嘘つきだから相手にするな」などの、誹謗中傷を始めてる訳ですよ。
togetter.com

 非常に「面白い」事に、この人達は、伊藤詩織氏の性暴力被害事件では加害者を非難し(これは事の経緯を見ても、当然のところだろうと私も思うのではありますが)、最近だと、財務省事務次官が酷い下品な発言や行動を、テレビ朝日の女性記者などに繰り返してるのに対して、財務省や麻生財務大臣が「本当ならば顔を出して言え」とか挑発していたことに対しては、けしからん、人権問題だから顔を出す必要はない。と言ってるわけですよ。
www.huffingtonpost.jp
 要は、自分達の「仲間」の蛮行とか酷い行いに対する活動に対して、被害を名乗り出た人に酷い脅しや圧力、中傷をかけてきてる人達が、「女性」それも、自分達が「仲間」だと思ってる「女性」が被害にあったら、手のひら返して「仲間の被害者」にやってるのと同じことをやってるのはけしからん!となってる訳です。

 こういう行いは、一つ二つならまだしも、何度も繰り返してるものですから、多くの人からは信用されなくなっちゃってる部分が相当あるわけですよ。

根強くある、「オタクは差別されてない」説に基づく、差別発言や差別行動。

 もう一つ。
 「反差別運動vsオタク」と言う、ネットでの対立がどんどん悪化してる訳ですよ。
togetter.com
※これを書いてる4/19、現在進行系で問題が進んでいるので、まとめがまだないようです。

 反差別運動というのは、「レイシストしばき隊」であったり「ANTIFA」であったりするのですが、その人達が、前から「オタクはキモい」「キモオタ死ね」「キモオタを取り締まれ」と繰り返してきてる訳です。
 そして、その理由というのが、大昔とはいっても十数年前に、オタクっぽい感じにしている・だけど、実際には、当時非常に差別を受けていた「オタク」の人達を取り込むために、オタクのフリをして世間を騙していたような、自民党ネットサポーターズにつながるような人達が、「嫌韓」であったり「朝鮮人へのヘイトスピーチ」であったりを、ひどく煽って暴れていたから、「男のオタクとは、全てレイシストだ」と言う、非常に間違った認識をしてしまい、その認識から全く認識を上書きせずに長年来続けてるからだ。というのですから、まるで、「韓国人はどうこう」と、20年前の話を未だに持ち出してバカにしたり嫌ったりしてるのと変わらないのですよね。

 もっと厄介なのは、その非常におかしな状況認識を、彼らの周囲にいる「リベラル」を自称してる人達が一緒になって持ってて、それは違うんじゃないか。という人が、殆どいないということなんですよね。
 この人達は、フェミニズム運動とも距離が近く、一緒にやってきた人も多くいますし、韓国の方で、「メガリア掲示板」と言う、フェミニズムを支持してるのはいいんだけど、男性に対する罵詈雑言・ヘイトスピーチを繰り返し、実社会でのテロに近いような真似もくりかえしたことから、韓国のネット社会を酷い対立に追い込んでる人々と、非常に深いつながりを持ってる人も少なくないという事もあって、「男オタク」に対しての、嫌悪感というよりも憎悪・憎しみのような物がはびこりやすくなってるのも、多分この「ヘイトスピーチ」の何がおかしいのかわからない「風土」に繋がってるのでしょう。
女性嫌悪もすごいが男性嫌悪もすごい メガリアのキムチ女子とイルベの韓国男虫の戦い – コリアのリアル
togetter.com
 で、この人達からすると「オタクは差別されたことはない」(注:この人達の「オタク」とは、男のオタクの事を指してると思ったほうがいいです)の一点張りで、今まで何度も、オタクの当事者たちが「こんな差別を具体的に受けた」と例を挙げてるのに、全く無視してる上に、ヘイトスピーチをくりかえし、警察や行政などに取り締まりを要求する動きに「連帯」したり、男オタクに限らず、男性全般に対する、目を覆いたくなるようなヘイトスピーチや憎悪感情(男性憎悪・ミサンドリー)を向ける人達の側に立って、言われた側からの批判を、罵倒して攻撃し続けてる。

 この二つの問題は、同じ「界隈」の人達が引き起こしてる訳ですよ。「仲間」がいじめの加害者だと告発されたら告発した側をうそつきなどと非難しつつ、「仲間」?がセクハラにあって加害者が嘘つきと言い出したら非難する。特定の人達への差別を批判し法律での差別取り締まりを要求している人達が、別の差別をしてるのを批判されたら、開き直る。
 こういう、ダブルスタンダード、自分勝手に基準を動かすことをくりかえしていたら、支持されるわけがない。と言う感覚・危機感が、全く無く、まるで、その場その場の感情とか衝動だけで、物事の善悪を決めて、それがいさめられたら、お前らは差別者だ悪だと非難するばかりで、場合によっては暴力も振るうし、いさめる人達や被害を受けたという人たちのことを、誹謗中傷してののしり、「勝った」気になってる。

自分達の理屈や感性だけで人々を決めつけないことが、社会を押し付けずに変える為に必要ではないか?

 こういう感性・品性では、人々に「善意」を押し付けることは出来ても、彼らを納得させたり、よかったと思ってもらうことは出来ないわけですよ。「善意」の範囲が一緒の人というのは、どんな思想であったりつながりであったり、価値観であったりするかに関係なしに、非常に狭い範囲でしか無いと私は思うし、実際、私が見てきた色んな人達の感じだと、あんまし間違ってないだろう。という程度には思えますし。

 ここを、私達自身が何かを動かそうという時に、きちんと考えていかないといけないし、私達自身が、「あのような人たちになってはいけない。なったら、後は無限の地獄の対立しか無い」って、腹を括っていくしか無いと思うのです。
 あのようなありようは、社会を壊すことは出来ても変えることは出来ないのだと。

所得格差が教育格差になっても仕方ないと諦めるよりも、身の回りを皆で自力で変えてく必要性。

 一気に気温が上がったと思ったら下がり、上がり…皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は、冬の間の耐乏生活がたたってか、身体が痛いのです。世の中を見ていても、私よりも若い人が急死したり昨年くらいに発見されたガンなどによって亡くなったりすることが多くなったように思います。七年前の原発事故直後に、チェルノブィリ原発事故の事を踏まえて何人かの人がしていた「予言」が当たってるのではないか。と非常に疑ってますが、今日はその話は後回しにしましょう。

「教育格差は仕方がない」と諦めてしまった半分以上の親たち。

 さて、教育格差に関して朝日新聞とベネッセが行った世論調査が、少し話題になってます。

教育格差「当然」「やむをえない」6割超 保護者に調査

土居新平、編集委員・氏岡真弓

2018年4月5日04時00分
 朝日新聞社とベネッセ教育総合研究所が共同で実施する「学校教育に対する保護者の意識調査」の結果が4日、まとまった。全国の公立小中学校の保護者7400人に聞いたところ、教育格差について「当然だ」「やむをえない」と答えた人は62・3%となり、4回の調査で初めて6割を超えた。また、子どもの通う学校への満足度は83・8%で、過去最高となった。
(以下略)

www.asahi.com

 これを格差の容認と考えるべきかどうかと言うと、容認してない人が大半を占めてると見てるんですよね。ただ、格差を容認したくなくても、現実にできてる格差に対して、自分や周りがどうにかできるものではなくなってるから、「現実を受け入れて」あきらめる。格差が開くにしても自分達が何もできないからそのまま受け入れるしかない。と言うムードが、物凄く強くなってるんですよね。
 これは、別に教育の格差に限らず、仕事の格差・給料や収入の格差、そして結婚や交際の格差まで、あらゆることに拡がってると思うんですよね。その上で、同じような「階層」・場所にいる間でちょっとした違いであっても、いい扱いを受ける人がいると許しがたいという話にもなってる。そして、更には、偉い人や空気を掴んでる人がだれそれが許せないと言って煽れば、そうだそうだと思うことが当然だと思ってしまってる。

 こういう中で、「格差は仕方ない」と言う「諦めムード」が、非常に拡がってるというのが、結構困ったことだなと思うんですよ。ある程度以上の地位を掴んだ人や、収入や資産が多い人でないと、身の回りの現実を変える権利もなければ、現実を変えることなんてできやしない。現実を変える資格があるのは、偉い人・空気を掴んだ人・総理大臣くらいのものだ。と言う諦めムードと、森友問題や加計問題のような「お仲間の私物化」問題や自衛隊の日報を隠してた問題なんかが、表現がしにくいんですけど、完全にかぶってるような感じすら、私には見えるんですよね。

国は・社会は、誰のためにあるのか?と言う事を見直さないといけない現在。

 前々から何度か書いてるように、私達がいるこの社会は、非常にわずかの「空気」を握ってる人と大きな権力を持ってる人が、自分達の都合だけで決めたことに対して、文句を言ってはいけないし・変えてもいけない。黙って従わないといけない。と言う事が、産まれてすぐから死ぬまで、叩き込まれ続けてる社会な訳ですよ。個人が自分として何かを考えたり言ったりすることに対しての、非常にふんわりとした形での締め付けというのが凄くて、何かを怖れてしまってる。
 そして、道徳や法律としてあれをしてはいけないこれをしてはいけない、これは犯罪だ。というものが、ものすごい勢いで膨らみ、それも又、ごく一部の人達が自分の都合や価値観で決めつけたものだから、その他の人達は殺気立って足の引っ張り合いをしてしまってもいる。

 その結果として、社会全体が壊れてしまってるわけですよ。非常に酷い労働条件で、物凄く安い給料と物凄く長い労働時間で働き、「福祉に頼るのは恥だし犯罪なんだと思え」みたいな道徳観にもとづく空気がはびこり、更に給料が下げられ、更に長い時間働かされる。
 そんな状況で、人がどうなるかと言えば、つぶしあう事になっていくし、子供も産まれなくなる。最後は、一人で朽ち果てるか自殺するかになる。

 そういう絶望の中で、多くの人が身の回りが勝手に変えられていくことに流されて、子供の格差は仕方ないと諦めてる訳ですよ。

 そうだからこそ、国はなんのためにあるのか?税金や年金はなんのために取られてるのか?ということに、立ち返っていかないといけないと思うんですよ。国は、私やこれを読んでるあなたの上に立って、お金を搾り取って使い捨てるだけのものでいいのか。国にせよ地元のお役所にせよ、会社にせよ、私やあなたが苦しむことを当たり前と言う形で物事が決められてしまってると言う事で、どれだけの大きな損失が出てるか…

集合知を作っていけば、諦めずにやれることはまだまだ沢山あるのでは。

 しかし、頭を使って・誠意と真剣さを常に持ち続けつつ立ち回っていけば、別に権力とかお金とか地位とかなくても、お役所や政治家とつるんでるような団体などのバックがなくても、身の周りを変えられることって、結構あるんですよね。空気を握ってる人達の言うとおりに動かず、かと言って、あからさまにこいつらは潰してしまえなどと怒り狂うことにならずとも、結構いろんなことが変えていけるんですよ。
 選挙だとか投票ではなく、それ以外にあるような色んな形でできることがあるように、私には見えますし、そういう事のノウハウや失敗したこと、成功したことを多くの人の間で融通しあって、この人がうまく行ったから同じようにやってみようとか、同じやり方だと今ひとつ良くないから少し変えてみようとか、こうするとうまく行かないからここは避けておこうとか。

 そういう事を積み重ねて、幾らかの人達が多少でも成果を上げていけば、今度はそれを積み重ねて法律なり条例なりで、そこまでそういう風に苦労して試行錯誤したことをやらなくても、誰もができるようにするように押して行くということも、できるようになる。

 こういうことというのは、日本の学校教育の中で、非常に嫌われてきたことではありますが、しかし、そこができていかないと、格差が広がるのを止めることはできないし、それは、社会が壊れていく時に、止めるのではなく壊すことを煽ることにすらなっていく。

 私達は・私やあなたは、既に、非常に危うい所にたたされていて、今までのように、流されていればどうにかなるという時代ではなくなってる。と言う覚悟をして、生き残りと多少はましな明日の為に、やれることをやっていく必要が出てると、思うのです。

森友問題での「被差別部落デマ」から、この国の言葉のありようを考えてみる。

 春になりました。この時期は、どうも天気やなんやの影響を受けやすいようで、色々身体的に困ってる間に三週間近く過ぎてしまいました。みなさんも、お気をつけて。

佐川元理財局長は、何を守ろうとしてるのか。

 さて、今、森友事件での財務省・佐川元理財局長の証人喚問が行われていて、この間の報道でどんどんと「ウソ」が本当にウソだったということが暴かれてるのに、佐川氏は必死になってウソを支えてしまってる訳ですよ。ここまで加担してしまっては、確かに、今更引くに引けないという気持ちもわかりますし、そもそも、これが、政権与党や一部野党(維新の会など)だけではなく、大阪の地方財界の経済犯罪と「保守」を自称してる人達の思想を人々に広める…強制と言ったほうがいいかも知れません…事が、複雑に絡み合って、引き剥がしようがなくなってる事件である。と言う事を考えると、まぁ、ここで「良心」を出して事実を言い出せば、それを良くないと考えて報復に出て危害を加えたりする人達も少なくないでしょから、仕方ないのでしょうね。
mainichi.jp

 ただ、私が思うのは、この間の事件での「保守」を自称してる人たちに限らず、与党もそうだし、更には、左派とかリベラルを自称する側にも、「ウソを並べて人を動かして、結果がどうなっても知ったことではない」と言う事をやることが、あまりに多くなりすぎてる事が気になって仕方ないということなんですよ。最近だと、森友学園が「安倍晋三記念小学校」を建てようとした土地を財務省が格安で払い下げたのは、あの土地が被差別部落が関わってる土地だからだ。と言う、何重にもありえない上に人として流石にいけないだろう。と言うウソを、「保守」を自称する学者さんやジャーナリストやタレントが、派手に、本当に派手に拡散していった事があった訳ですよ。
須田慎一郎氏、森友問題に関連する『関西3つのタブー(アンタッチャブル)』解説 「この3つに一番毒されているのは既存メディア」 【虎ノ門ニュース】: テレビにだまされないぞぉⅡ

「ウソも大声で拡散すれば真実になる」社会で、殆どの私達は疲れ切っている。

 こういう、人の道としてどうなのか。と言うウソが、昔から、威勢のいい人たちによってばらまかれ、ウソがウソで事実じゃないと、ウソで被害に遭う立場の人が言おう物なら、「お前は差別的だ」「反日だ」などの、色んな暴言を有り難くいただくということが繰り返されてきたわけですよ。
 これは、「保守」「右翼」に限らず、一部の左翼・特に、フェミニズムを掲げる人達が、そういう事をくりかえして、世の中の流れや議会や警察などを、自分達の都合よく動かしてきたのが、日本の、特に1990年代以降のありようだったと、私は振り返る訳ですよ。

 その結果、日本は、壊れてしまったわけです。みんな疲れ果ててもまだ、何かに怯えるかのように暮らし、些細な違いを叩く人達の間で潰し合い、片方の側に立って、人として言っちゃいけないような事を大声で言う人をやんややんやと囃し立てるばかりか、自分もそうならないといけないとばかりに、大声で言う人の輪に飛び込んでいく。
 つぶしあいとお互いを監視し合うこと、そして、その上にいる人々や組織…警察であったり、今の与党や官邸にいるような人達であったり…だけは、どんだけむちゃくちゃやっても見逃されるし、酷いことをしても裁判所すらお墨付きを与えるし、そうなるから、子供が生まれなくなるし、経済はどんどんとやせ細る。

 経済なんかにしても、大半の人の生活は物凄い勢いで苦しくなってるのに、国は経済が良くなってるといい続け、経済が良くなってるから税金も上げます、福祉は下げます。とくりかえして、尚更生活が苦しくなってる。でも、その苦しさを言えば、「威勢のいい人たち」が「そんなことはない、お前は嘘つきか反日だ」と叩きに来るのを何年間も繰り返してきたから、苦しさを言う事を、殆どの人が控えてしまってる。

 日本は風通しが悪くなってる訳ですよ。ただ、昔は、少数派や世の中の空気・それもマスコミが言ってることそのままの事を写しただけの空気に対して批判したり、苦しめられたりする人達には、本当に情け容赦ない攻撃がされていて、それは、警察やお役所が法律を破ってすることから、「村八分」まであった訳で。
 風通しの悪さで言うなら、昔よりはマシと言えなくはないのですが、しかし、今は、それとは別の意味で、風通しが悪くなりすぎてる。まるで、少数派が無視できなくなったから・マスコミの作った空気が万能ではなくなったから、別の「圧力」で風通しが悪いままにしておきたい人達が、人々を煽ってるかのようにして。

「ウソが一番強い社会」を、どうやって乗り越えていくか。

 今、そういう「ウソが一番強い社会」「風通しが悪くないといけない社会」が、長年続いたことのツケと責任を、私達全てが払うことを迫られてるように私には見えるんですよ。
 森友問題や加計問題、後、今日の「週刊朝日」が後追い報道した、渋谷区の社会福祉法人・福田会(ふくでんかい)への、不可解な国有地払い下げ問題なんかもそうですが、この国が、あまりに少数の人たちによって…別に今の政権や取り巻きの人たちに限らず、フェミニズムを自称する人などの、一部の左翼やリベラルも加担してるわけですが…、その人達の都合いいように・その人たちが「正しい」と独りよがりに思う「正義」の為に、沢山の人達が、苦しまなくていいことまで苦しむことになり、それが「あまりに少数の人達」が勝手放題してるからそうなった。と言う事に、やっとのことで多くの人が気が付き始めたのが、今という時代なんだと、思うのです。
publications.asahi.com
www.accessjournal.jp
 結局、この「あまりに少数の人たち」がやった事に対して、きちんと罰を与えてやらせないことや、今までのように社会を仕切るかのような事が出来ないような立場に追い込むことも大事ですし、これからの社会の有り様として、「少数の人たちに任せる」「少数の人たちが言う事を、あんまし考えないで素晴らしいとかくだらないと言ってしまう」と言うところを、徹底的に減らしていかないといけないと思うんです。それができなければ、数十年もしない内に、今のようなことが繰り返されるどころか、もっと悲惨なことに簡単になってしまう。

集団が何かをすることから、小さな個人が集まったり離れたりして、大河を作っていくようにしよう。

 その為には、今のような「安倍辞めろデモ」に集まってる人たちのような有り様でもまだまだダメで(あのやり方を突き進めると、結局、「あまりに少数の人たち」が入れ替わっただけで終わってしまいますよ)、もう少し広い人が、政治とか関係ない身の回りのことでも、一つ一つの事だけ物事を決める輪に入り、他のことでは外れたり、反対側に廻ったりする。と言う、非常に細かいつながりを作っていき、それが大きないくつかの流れになって、ぶつかり合ったり交わったりすることで、社会が動いていく・社会が決まっていくように、私達一人ひとりが、物凄く注意しながらやってくようにしてかないといけないと思うのです。

 もう、水戸黄門にまかせておこうなんてのは、やめてしまおう。と言う覚悟が、私達に一番求められてるように、思うのですね。