「男女交際する人がスクールカーストの最底辺に追いやられる」現象が起こってる。

 色々と問題が噴き出していて、世情が荒れ始めていますが、このことを取り上げようと思います。
『2017.09.08 「ボイス」宮台真司 「妊娠した生徒を排除する日本の教育のダメさをぶった斬り」』(10/8まで公開)
radiocloud.jp
www.youtube.com

 これは、「荒川強啓デイ・キャッチ!」と言う、TBSラジオ(東京)で夕方に放送してる時事系の番組で、宮台真司教授が今の若者の性に関する意識と性教育の関連を論じた部分なんですが、非常にショッキングな中身だった訳ですよ。
性感染症と望まぬ妊娠のことしか性教育で教えていない」事などにより、「高校生や中学生の中で、恋愛する人が無条件でスクールカーストの最下位に押し込まれるようになり、恋愛から撤退する若者が急増してる」と言う中身の話で、子供の言動やふるまいから薄々感じていた事が、事実であったのか。と思い知らされた訳です。

 要は、この25年間以上・多分40年近くの間、学校教育の場で男女交際を罰則込みで禁止していた事や、この20年間ほどは「青少年の健全育成」を目的として、子どもたちを如何にして性的なものから遠ざけるか・性交渉を犯罪化していくか。と言うことに、各都道府県や国が競争していったことの結果でもあるし、その中で、主に保守派の政治家が、性教育に対して「過激だ」とバッシングし、東京都の七生学園事件のように、自衛の為の性教育が特に必要な人達に対しての教育を止めさせるために圧力をかけ・人事にも介入してクビに追いやる事をしていった事で、性教育が著しく委縮した事がセットになって、このような事態を引き起こしてるのだと思うのです。

女性の権利を主張する人達までもが、「性の全否定」と「性の法規制」に走った結果として…

 それを推し進めたのは、実は、「女性の権利」を主張するはずのフェミニズム運動*でもあった*訳ですよ。1990年前後の「ポルノ漫画バッシング」以降、フェミニズム運動は、「子供の権利」を大義名分にして、性表現の強い規制や検閲制度の推進を、日本各地で進めていきました。
 男女雇用機会均等法に基づく、男女共同参画事業に、フェミニズム運動は参加していったのですが、その中で行われた議論の中には、「ポルノを社会から排除するための検閲推進」や「子どもたちの性交渉や男女交際を、違法化する事が出来ないか」と言う事が、何度も繰り返しあった訳ですよ。
 男女共同参画と言う美名のもとに、女性全体*のみ*を「被害者」として扱い、男性を犯罪者予備軍として懲罰できないか。と言う議論も、沢山行われてきたわけです。
 一時期、盛り上がっていた、若い人たちの「援助交際」に対する、世間の「ふしだら侮蔑」に近いような批判的で極めて保守的ななまなざしが、その動きを後押ししてきました。

 このような状況で、子供が性に対してどのように捉えていくか?と言うことは、相当前から私は指摘してきましたが、性というものの、本来ある面倒臭さを何万倍にも増幅していくだけだと言うことなんですよ。
 「男女交際すれば、社会的に罰を受ける」「男女交際の結果、妊娠でもしようものなら、学校から排除される」「学校教育では、性交渉を怖いこととしか言わない」。こういうメッセージを、若い人たちは社会全体から、長年受け取ってきた訳です。

少子高齢化や人口減の根本は、「性の社会的否定」と「対立煽り」にある。

 今の少子高齢化は、そのような「恐怖による性的行動の抑制」と、後は、「個人が性的であろうとすることの徹底的な否定」によって成り立ってると、私は思うのです。性的存在であることを表明すれば「ビッチ」だなんだと陰口を叩かれ、スクールカーストの最下位に追いやられ・下手に年上と交際して親バレすれば、相手が犯罪者になってしまう。
 しかも、主にフェミニズム運動側が、男性を犯罪者予備軍もしくは加害者として強く叩き続けてる。
 こんな状況で、若い人たちが性に関心を持つ訳がない。

 性に対する面倒くさい事が、40代以前のの人達の何倍にも膨れ上がっていて、多分、60代以上の人には全く理解できないような巨大な所まで、来てるんですよ。
 そんな状態で、お互いを理解することなど出来る訳もなく、対立を煽る人がいれば、そこに乗っかる人は沢山出るし、そもそも自分は一生孤独でなければならないんだという強迫観念すら、広く蔓延する訳です。

若者を「おじろく・おばさ」に追い込む「純潔社会」を変えていこう。

 これは、人々を奴隷以下の存在として、一部にあった風習である「おじろく・おばさ」のように、人々を追いやり・どんなにひどくて先がない社会であっても変わらないようにして利益を得ようとする人たちに取っては、この上ない「地上の楽園」となるでしょう。実際、今の社会状況や、森友・加計に代表される大疑獄や政治家や官僚の犯罪的な行為が表に出ても正されることがないのは、このように「おじろく・おばさ」に追いやられて無力化された人達が大半を占めていて、ストライキ一つ起こらないからだと、思いますし。
おじろく、おばさ

 ここを、きちんと変えていかないといけないと思うのです。分断されてる人達・「おじろく・おばさ」に追いやられて無力感を自覚できない所まで植え付けられてる人達を、何とか個人として引き上げるためにも、「ふしだら侮蔑」や「純潔主義」、その背後にある「ことなかれ主義」を、法律からなくしていくと同時に、学校教育や社会風潮でも、若者の性的行動を当たり前かつ素晴らしいことだと推奨するように、変えていく努力を、この社会にいる一人ひとりが意識していかないといけないと思うのです。

追記:こちらもよろしかったらお読み下さい:
rebuild.hateblo.jp
rebuild.hateblo.jp

北朝鮮のミサイル発射で、ありもしない話を国がばらまき、拡散して大騒ぎした日本社会。

 昨日(8月29日)朝、北朝鮮が、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の試験をして、日本列島の上を飛んだらしいとか、Jアラートが発動してテレビも防災放送も大騒ぎになったということで、色々騒がしくなっています。
北朝鮮は、正確には「朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)」ですが、通りがいい北朝鮮を使います。

 しかし、色々と問題が、物凄い初期から出てる訳ですよ。要は、騒ぐ必要がないのに、わざわざ騒ぎを大きくする方向で政府が情報を出してきたと言う事など、日本側の政治的思惑のようなものが露骨に出てしまってる訳で、そこにマスコミも踊らされて、冷静な議論というのが余り出来なくなっている訳です。
 実際、Jアラートは、日本上空・550キロという領空ではない宇宙空間を、まさにミサイルが飛んでる時に発動されて、「ほとんど意味がない」としか言いようがないタイミングで出てきた上に、中身にしても、実際には津軽海峡の真上・公海上を横断したのに、北海道から群馬・長野までの非常に広い範囲で刑法が出され・その癖、その延長線上にある東京や埼玉・神奈川、静岡・千葉などは、警報が出されなかった。
 漏れ伝わる話だと(ネットの噂話としてしか認識できてませんが)、これら警報出さなかった都県については、人口が多く経済活動も盛んだから、悪影響を怖れて警報から外したと…本当に、警報を出す必要があるなら、余りに本末転倒ででたらめな警報だったとしか言いようがないわけですよ、この段階で。

ミサイル防衛で作られた設備が、国民防護に全く役立たず。

 更に問題なのは、日本は米軍と共同して、ミサイルが発射された直後に、ミサイルが飛ぶコースを予測し、必要ならば撃ち落とすシステムを多重に整備してるわけですよ。それこそ、京都府京丹後市日本海近くに、米軍のミサイル警戒専用レーダを、地元にある批判を押し切る形で置いてもらったりしてるし、ミサイル防衛を日本で担当してる自衛隊と、米軍は、情報ネットワークの殆どを共有していて、特にミサイル警戒に関係する情報が流れてるネットワークは、完全に一体化してるといって過言ではないのです。そこまで、日本の防衛は米軍に握られてるとも言えますが、反面、情報共有の面では、相当細かい情報は共有されてる。
 要は、ミサイルが発射されて一分するかしないかで、ミサイルがどこをどのような高度で飛んで、どの辺りに着弾するか。と言うのは、かなり正確に予測されてると考えられるわけで、なぜ、Jアラートが出るまでに何分もかかったのか?とか、それ以上に、その出てきた警戒情報が、あたかも日本の領土や了解にミサイルが落っこちてくるんじゃないかという、ありもしない危機を煽るような中身で、マスコミもそこに同調して大騒ぎすること自体、技術的に考えたらありえない訳ですよ。そこには、首相官邸など政府の政治的な思惑がふんだんに盛り込まれてる訳です。

 騒ぎになれば、「北朝鮮の脅威」とかいう話が盛り上がるわけですよ。事情をよく知らない大半の人からすれば、北朝鮮が攻めてくるとか、自分の住んでるところにミサイルをバンバン撃ってくるとか、核兵器をすぐにも撃ち込んでくるとか、そういう、非常におかしな危機感や恐怖を書き立てられてしまう。
 そうなれば、今の、森友問題や加計問題のような汚職や横領に限らず、防衛省日報隠蔽問題などメチャクチャな防衛運用をしてる今の政府からすれば、自分たちの抱える問題をごまかせるし、外国へのあらぬ脅威を煽ることで、人々の気持ちを、自分たちの支持回復や選挙で勝てる状況に向けることが出来る。
 このことは、陰謀論でも何でもなく、最低でも1940年代に第二次世界大戦が終わった後には、多くの国で言われ始めてた事な訳ですよ。例えば、ジョージ・オーウェルの「1984年」には、こんな一節があります。少し長くなりますが…

一九八四年 第一部 第八章
突然、通り全体が騒ぎに包まれた。そこら中から警告の叫び声が聞こえる。人々はうさぎのように戸口に飛び込んでいった。ウィンストンの少し前の戸口からは若い女が飛び出し、水たまりで遊んでいた小さな子供をつかむと自分のエプロンで覆い、再び戸口へ飛んで戻った。まるで流れるような早業だ。それと同時にアコーディオンの蛇腹のような黒服を着た男が横の路地から現れると興奮した様子で空を指差しながらウィンストンに向かって走ってきた。

「蒸気船だ!」彼は叫んだ。「見ろ、だんな! 空襲だ! はやく伏せろ!」

「蒸気船」はどういった理由からかプロレがロケット弾につけたあだ名だった。ウィンストンはすぐさま頭から身を投げ出した。何か警告を発している時にはたいていいつだってプロレが正しいのだ。彼らはロケット弾が襲来する数秒前にはそれを察知するある種の本能を備えているようだった。ロケットは音よりも速く飛んでくるというのにだ。ウィンストンは両手で頭をしっかりと抱えた。歩道を持ち上げるような轟音が響き、なにか軽い物体のシャワーが彼の背中に降り注いだ。立ち上がる時になって初めて彼は自分が近くの窓から砕けて散ったガラスの破片に埋もれていることに気づいた。

彼は歩いていった。爆弾は通りの二百メートルほど先までの家並みを破壊していた。黒い煙の柱が空にそそり立っている。その下の漆喰の埃のもやの中では既に廃墟の周りに人が集まっていた。目の前の歩道には漆喰の残骸でできた小山があり、中央の辺りに鮮やかな赤い線が見えた。近づいてみるとそれは手首で切断された人間の手だった。血の気を失ったその手はまるで石膏像のように真っ白だった。
(中略)
一九八四年 第二部 九章
しかしこれは戦争行為やそれに向けられた戦意高揚の野蛮さが減少し、より文明的になったことを意味しない。それどころか戦争におけるヒステリー状態は全ての国で一般化し、継続し続けている。レイプ、略奪、幼児の虐殺、全人口に対して課せられる重労働、捕虜に対する報復措置としての生茹で、生き埋めは一般的に観察されるし、敵国を唾棄し、自身の国に献身することは大いに賞賛される。しかし物理的な意味においては戦争に携わる人間は減少した。ほとんどの人間は高度な訓練を受けたスペシャリストであり、引き起こされる死傷者数も比較的少なくなっていると言える。戦闘が起きるとしてもそれは普通の人間には想像するしか無いような不確定な国境線上か、シーレーン上の戦略地点を防御する浮動要塞の周りでのことである。文明戦争の主要部分は日用品の継続的な不足や少数の死傷者を出すときたまのロケット弾による空襲以上のことを意味しないのである。実際のところ戦争はその性質を変えたのだ。より正確に言えば戦争が引き起こされる理由においてその重要性の順位が変更されたのだ。二十世紀初頭の大戦においてもわずかながら存在していた動機が支配的になり、意識されるようになり、影響を与えるようになったのだ。
(中略)
戦争の本質的活動は破壊行為だがこれは必ずしも人間の命だけに限定されず、人間による労働の生産物も対象となる。戦争は資材を粉々に砕いたり、成層圏にちりぢりにさせたり、深海に沈めたりするための方法なのだ。そうしなければその資材は大衆を過度に裕福にしてしまい、その長期的な結果として彼らに過度の知性を与えることになってしまうのだ。戦争兵器が実際には破壊されなくとも、その製造は消費に供される製品を一切生産せずに労働力を浪費するためには依然として適した方法であると言えるだろう。例えば一つの浮動要塞は数百隻の貨物船を建造することができるだけの労働を奪い取る。最終的にそれは時代遅れとなったことを理由に誰にも物質的な便益をもたらすこと無く廃棄され、より大量の労働を必要とする別の浮動要塞が建造されるのだ。原則的には人々が最低限必要とする要求が満たされた後に残る余剰を使い尽くすよう、戦争の継続は常に計画されている。実際には人々の需要は常に少なめに見積もられ、結果、生活必需品の半分は慢性的に不足状態に陥る。しかしこれは良いことであると見なされているのだ。恵まれている集団ですらどこか困難の瀬戸際に追いやられてしまうのも意図的な政策である。なぜなら一般化した貧困状態はわずかな特権の重要性を増大させ、これはある集団と別の集団の間の違いを明確するからである。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

戦争や外国の脅威をむりやり煽ることで、色々な利益を得る人々。

 この作品・「1984年」の世界では、核戦争の後に世界が3つの大国に分かれ、どの国も独裁的な体制を維持するために、決して終わることもなければ決して何処かの国を滅ぼしたり制圧したりすることもない戦争をずるずる続けていて、その事は、実は、多くの人達を「ゆるやかかつ回復できない貧困」に追い込み、支配する立場にあるひとにぎりの人達の特権をこの上なく高めているのだ。と言う事が、時折あるけどそんなに人が死ぬわけでもない「中途半端すぎる」ミサイル攻撃を例にして示させてるのですが、何か、今の日本と物凄く似ているように思うんです。
 確かに、総理大臣にせよ官邸にせよ、北朝鮮は許せない・断固たる対応を取る。などと頻繁に言っていて、マスコミもそれをいいことだとして報道してますが、しかし、安倍総理が総理に出世するきっかけになった北朝鮮拉致問題にしても、自分が出世した後は拉致被害者の団体全体を「見捨てる」格好になってたし、そもそも拉致被害者を帰国させなかったのは安倍総理の功績なんかじゃないことが、蓮池透氏によって暴露されてますし、朝鮮総連とか在日朝鮮学生に対する嫌がらせ的な事を、北朝鮮のミサイルとセットにして推し進めてはいますが、それ以上のことはほとんどせず、ただただ北朝鮮が悪いと言うだけで、北朝鮮と真面目に交渉して拉致被害者を帰国させようとか、ミサイル開発を妨害しよう。と言う流れには全くなってないし、そういう動きは非常に自粛してしまってる訳ですよ。

既に、「総理が金正恩に電話してミサイル撃ってもらってる」と皮肉られてる時代を乗り越えないと。

 そして、安倍政権が不利に追い込まれるようになったり、色々な悪法の強行採決で支持率が下がると北朝鮮がミサイル実験や核実験を盛んにやるようになるのが繰り返されたものだから、影でひっそりと「安倍総理北朝鮮にお願いしてミサイル撃ってもらってるのだろう」と言われていたのが、森友疑獄の問題が出て以降は、ツイッターでですらおおっぴらにそういう風に言われるようになり、今や、北朝鮮安倍総理が裏で連携してるという話が、当たり前にネットで飛び交う体たらくになってる訳ですよ。

 それにも拘わらず、政府も官邸も北朝鮮の脅威を煽り・いざミサイルが撃たれたとなれば、昨日のJアラートのように、自分たちが掴んでるであろう事実に近い情報と違うような中身で警報を出して、危機感や恐怖を煽ろうとしている。そして、マスコミも、この間のネット世論の変貌ぶりを知ってか知らずか、大昔と同じように、政府の流すお話を、あたかも事実であるかのように流して大騒ぎしてる。

 これでは、信頼を失うし、そこを(自分からは)変える気もないのでしょうから、私達が変えていかないといけないと思うんですよ。

 ネットの中でも外でも、ミサイルに関する政府の対応は不正確で「狼少年」だ。迅速かつ正確な情報公開をきちんとしなければ、信頼しないぞ。と言う意思表示をしていかないといけない時期に来てると思うんですよ。地元の、与野党の議員の事務所に行って話をして、もっと情報公開を迅速かつ正確にするように迫れと言ってみたり、メール等で要望を出していってもいいでしょう。
 このままでは、何も信頼されなくなってしまうということを、知る義務のある立場の人たちにきちんと知らせて・きちんと今後の行動に踏まえてもらういかないといけないと、思うのですね。

自分の感覚と視点だけで物事を動かしてきた人達と、それに排除されてきた人の、大きな闘いが始まってる。

 又、間が空いてしまいました。
 最近、色々と揉めているな。と思うのです。日本だと、サラリーマンが家族より仕事を取ってしまったことへの反省と言うか自己嫌悪のようなものを描いた牛乳石鹸のコマーシャルが、何故か強い非難をされて「炎上」、大きな議論へと発展し、アメリカでは、Google社で、社内の男性と女性の仕事ぶりを見ていて、女性は(相対的に)ITの仕事に向いてないのではないか?と問題提起したレポートを書いた人が、社外からの批判に晒されて、クビにされてしまった。そして、白人至上主義に反対する集会に白人至上主義を支持する人が自動車で突っ込んだ事件をきっかけに、反対する側が、賛同する側を社会的に完全に抹殺しようとする動きが脚光を浴び、それが、白人至上主義を支持しない人達からも、ひんしゅくを買い始めてる。
togetter.comwww.huffingtonpost.jpwww.bbc.com

自分たちの視線しかない、「政治的正しさ」の暴走。

 これらの事に共通するのは、「政治的正しさ」こそが絶対に正しいということと、「自分たちが正しいと思うこと」が「政治的に正しい」と言う、揺るぎない信念で、その事が、その「政治的正しさ」を共有することのできない人達からの猛烈な批判にさらされ始めてる。ということであろうと思うのです。
 「政治的正しさ」ということは、得てして、自分たちの中で共有されてる感覚で「正しさ」の基準を決めてしまうことに繋がってる側面が物凄く強いんですよね。その「正しさ」に納得しきれない人・「正しさ」によって「悪」と扱われてしまう人達を、総じて「遅れた人達・愚かな人達」とせせら笑ったり、悪人だとして攻撃する事が当たり前に行われていて、そうであるがために、対話しようということは殆どなく、その代わりに、そのような人達を、法律で罰したり、いどころが無くなるように法律を制定したり、時には、暴力で攻撃することすら、「正しい」行為であるとして、人々をそのような方向に駆り立たせてしまう。

 かと言って、何でもかんでも対話してればいいかと言えば、そうでもないことがある訳ですよ。自分たちの生存が脅かされたり、社会的な生存や居場所を奪うような事を、無理やりやってくるような人々や、特定の人達を「正しさ」によって追い出したり、押しつぶそうとしたりする事をやってくる時に、話し合いが通じることは非常に少なくて、大抵は「話し合いが通じた」と思い込ませて、思い込まされた側に一方的な不都合を呑み込ませることになる訳で。

「自分たちの感覚」だけを、社会全体に押し付け・「相対化」を悪だと拒否し続けた運動の、限界。

 横道に話がそれましたが、「自分たちの感覚こそが唯一正しい」と言う人たちに、運動が引っ張られた結果として、外部との対話を拒否するどころか、外部からの「それは流石に問題なんじゃないか」と言う声すら、攻撃対象にしちゃってるわけですよ。要は、自分たちが外部からどう見られてるかとか、一旦自分たちの視点を離れて、どれだけ真っ当な考えか考え直してみる。と言う事自体が、「相対化してる」などといわれて「政治的に悪い」事になってしまっている。
 その結果、自分たちの独りよがりな価値観こそが唯一正しくて、それを受け入れられない人は、悪人で成敗するか、もしくは、無知で愚かな人達だから、教えてやらないといけない。と言う事が、普通になってて、その事で、社会の現状がどんなにひどくても、それがこの人達主導で変えられていくよりも、社会をひどくしてきた人達がよりひどくするほうがまだマシだ。と言う、ひっくり返った状態を望む人が、少なからず出るようになってる訳です。
togetter.com

「タコツボ化した運動」を乗り越えるのは、今までの運動から排除されてきた人達だ。

 私が、25年以上前に提唱した「タコツボ化」と言う言葉があります。タコが入るタコツボや、戦場で兵隊が一人用に掘ってる穴の中に閉じこもり、自分たちの言葉と感覚を共感し合うことで、他の人を見下し・自分たちの正しさを確認し続けてる人達に対して、向けた言葉でした。
 今起こってることは、「相対化」を悪だと考えて自分たちの感情的な感覚にだけ信頼を置いてる人達の「タコツボ化」が、極限まで来たことで、大半の人達との対立関係が激しくなり、社会が変わらないと沢山の人が不幸をより酷くするのにも拘わらず、変えられなくなってしまってるということなんですよね。
 今までの、社会を変えていく運動というのは、ごく少数の、タコツボ化してる人達の中で共感しあった末に決められた事を、その外側にいる立ち多数の人達に押し付けていくことで行われてきました。それは、暴力の形を取ることもあれば、法律の形を取ることもあった。その事は、社会に対する信頼感をなくすと同時に、社会を変える運動自体への、信頼感も壊していったのですね。
 多くの人のいろんな考えをぶつけ合って、その中で話し合いやら何やら沢山やって、その中から一人一人が受け取ると同時に、その流れの中で、社会を変えていくことをしないと、最早、社会が悪い方向・多くの人をより不幸にする方向にしか変わって行かなくなってると、思うのです。
 今まで、社会運動に参加せず、参加するにしても非常に限られたことしかしてこれなかった人達こそが、社会を、今までにないような形で変えていかないと、どうしょうもない。私は、そう思うのです。

人々の義憤につけ込み、誤った道に進ませる事をし続ける人々について。

 終戦と言うより、敗戦の記念日が近づいてきました。昨日(8/6)は、広島に原爆が落とされてしまった日でしたが、安倍総理が「非核三原則の法制化はしない」と言明したことが、その前に、国連核兵器廃絶条約の採決を日本がボイコットしたのとセットにされるような形で批判されたりも、していますね。

「フクシマの未来予想図」を報じられたくない人達に乗せられた人々。

 さて、そのような「広島原爆の日」に、テレビ朝日が、「ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実〜フクシマの未来予想図〜」と言う番組を放送しようとして、「フクシマの未来予想図」と言う副題が不謹慎だ・福島の人に対する人権侵害だ。などとネットで「炎上」し、結局副題が外されただけではなく、福島の事はほんの一瞬・ビキニ環礁のロンゲラップで被害にあった人が福島の強制避難区域を訪れたと言う1カットだけ入れられる形で放送されるに至りました。

 私は、この番組を見ていたのですが、福島のことをきちんと報じるか。手に汗握ってみていたら、二回目のCMでTOKIOが出演する「ほんとうの福島を知ってほしい、美味しい福島を知ってほしい」と言う、キャンペーンCMが流されたことで、「潰されたな」と思った訳です。
ビキニ事件63年目の真実~フクシマの未来予想図~テレビ朝日が8月6日放送 - Togetterまとめ

 このようなことは、前からあったんですよね。原発建設や核燃サイクル誘致に批判的な番組や論調の番組が、放送直前に差し替えにされて、その番組枠では流れてなかったはずの電力会社や電事連などの、原子力業界のCMが流れるようになるとか、後は、福島第一原発の事故の時までは電力業界のCMや番組をやっていた、ニュース系のCS放送局・朝日ニュースターが、原発事故の少し前から反原発系の運動家や論客を番組に出すようになり、原発事故以降は、反原発系の論客や学者等をきちんと出したことで、電力業界から広告を引き上げられ、経営ができなくなって、翌年にはテレビ朝日に買われてしまった事が、ありました。
books.google.co.jp

 要は、この国では、原子力を推進していくことに対して批判的な番組や、原子力事故での汚染や健康被害をありのままに報じることが、二重三重に「自主規制」を迫られてしまうという、歴史的なものが物凄く大きな壁として、ある訳ですよ。

ネットもマスコミも、原子力業界などの都合のいい状況に。

 前にも書きましたが、ネット言論も同じで、原子力業界の都合のいい言論を展開したり、そのような言論に誘導したりすることを、経産省が主導してるわけですよ。PA(パブリック・アセプタンス)とか言って。
 その中には、当然のことですが、反原発とか放射能の被曝で健康を害したとか言うことに対して、「デマ」「嘘つき」「妄想」「電波」と攻撃することや、一緒に攻撃するように人々を煽ることも入ってると見ていいと思います。
togetter.com

 最近、安倍総理に非常に近いジャーナリストの山口敬之氏が、TBS社員時代に女性のジャーナリストが仕事探ししてるのにつけこんで、サシで呑んだ時に睡眠薬を盛って昏倒させた挙句にレイプした事件で、警察上層部(この人達は、7月の人事異動で更に偉い地位になってる)がもみ消しに動いた事や、この山口氏自体に対する批判を「潰す」為に、内閣調査室(内調)がネットに対しても、言論誘導や被害者等への攻撃を煽るための工作を行っていたことが、週刊新潮によって報じられていましたが、原子力に関して批判的な言説や反原発運動は勿論、原子力業界にとって都合の悪い研究結果や研究者の見解自体に対しても、そのような攻撃が日常的に(ネットが普及し始めた00年代以降は特に)行われてた訳です。

 原子力に限らず、今政権の座にいる人達や、「保守」を自称してる大日本帝国復活願望のある人達、著作権関連などの大きな権益を盛ってる人達、そういう人達や利権に対しての批判や被害報告は、長年ずっと、攻撃の対象になってきた訳ですよ。それも、非常に強引な理屈で、暴力的なやりかたで、とにかく声を上げさせないために物量で押し切ろう。的な事は、1990年代の終わりくらいから、ネットの言論空間では普通にあった光景ですし。

 そういう事の延長線上に、今回のテレ朝のザ・スクープに対する圧力があるのだと、私は考えざるを得ない訳です。

 文句をいいにくい理屈を使って、問題の所在をすり替え、的はずれな「義憤」を煽り、「正義」に目覚めた人々を操るかのようにして、ありのままの姿や報道側の見解を公にさせないように、卑劣な形で動いてく。

他者への「人権侵害」を叫んで人をけなすひとたちが、最も人権侵害をやっている矛盾。

 もう一つ書いておくと、この件を「福島県民に対する人権侵害」と騒いでる人達は、一体何を見てるのだろうと、思うのです。
 声の大きな人達は、言ってます。「汚染が酷いとか健康被害が酷いというのは、福島県民を侮辱してる、嘘をついてる。人権侵害だ」などと。

 よく考えてほしいのですが、福島第一原発の汚染が、チェルノブィリ原発よりも軽いという、具体的な証拠は非常に少ないわけですよ。殆どのデータが、数値を低く見せるために基準を弄ったり測定方法を変えたりなどの「努力」の末に、小さく出てる数値や疫学上の統計の基準を昔とは違うようにしたり、雑な検査でも認めたりとか、ものすごい数の「数字のごまかし」が横行してるのを、見せないように見せないようにして、「汚染は大したことない」「もうすぐ事故は収束できる」と繰り返してる訳です。

 このような状況で、福島県の、特に汚染が酷い地域に人を住まわせ続けるとか飯舘村のように無理やり住民を戻してしまうとか、福島や宮城で、県外などに自主避難した人達への公的な援助を打ち切り・住んでる人達を戸別訪問して脅してまで戻そうとしてると言う事が、果たして「福島県民のプライドを護り」「人権侵害を止める」ことなのか?ということです。
 しかも、「絆」とかそういうきれいな言葉を常にTV等で流すことで、それに疑問を持ってる人達、辛くなってる人たちに、声を上げさせないように暗黙の圧力を、国がかけ続けてる。
 「人権侵害」と言い立ててる人たちのほうが、却って人権侵害の構図を見えなくして、今まさに起こってる人権侵害を推進してしまってるのだ。と言うことに、どうか、皆さん気が付いて欲しいと、思います。

 そういう事を、きちんと、改めて行かないといけないと、思います。

 この国の政府も、霞が関の官僚たちも、この件では「人々のため」には全く動いてない。「自分たちが間違ってない」事を証明することばかりに明け暮れて、そのためには放射能などの被害を受けた人たちは全て見殺しにしていいとすら思ってるのだと疑いたくなるのですから、私達「下々」が、きちんと状況を見て、口先の言葉や強い言葉に惑わされない「芯棒」を自分の心の中に持ちつつ、きちんと人々の下に政治や行政を取り戻していかない限り、社会の滅びは加速するだけだと、思うのです。

物言う人々を追い出し、物言わぬ組織が腐り、社会全体の崩壊に繋がってる。

少し、間が空いてしまいました。
間が開いてる間に、

などなど、たくさんのことがありましたし、それら一つ一つについて書いていきたいところではあるのですが、おいおい書いていきましょう。

「残業代ゼロ法案」をゴリ押ししようとした「労働組合」連合の幹部たち。

 最近、再び「残業代ゼロ法案」と呼ばれてる、高度プロフェッショナル法・一部の職種に対し、残業代無しでタダ働きさせ放題にしようという法改正案に、労働組合の「連合」が賛成しようとして、それが連合の外側の人たちの大きな批判を向けられただけではなく、そもそも首脳部以外の末端の組合から「そんなもの認めると言った覚えはないぞ」と言う話が噴きだして、当面は賛成しないことになりました。

 なんでこんなことになったかと言えば、「連合」自体が、1980年代後半に、右派系の組合(同盟)が左派系の組合(総評)を吸収する形で出来たと言う経緯が影響している訳ですね。日本の労働組合は、戦後、多くのストライキなどをやってきましたが、1960〜70年代に企業の経営者や財界が主導して、別の組合を、「同盟」などの右派系組合と組んで作っていった訳です。その「新しい組合」は、ストライキをしていた組合と違い、「経営者目線に立つ」事を働いてる労働者に求めただけではなく、他の組合に対して暴力的なやり方で攻撃して吸収したり、会社に物申す人々に対しても暴力を繰り返し、しまいには、「ユニオンショップ協定」によって、他の組合に加入したら解雇する。と言う協定を会社と結びました。
 そして、会社に対して不満を持つ従業員を暴力的に排除したり、会社から受けた不都合をどうにかしてくれといった従業員を、会社と一緒になって追い出したりということを、当たり前に続ける一方で、組合の幹部になることが出世コースの典型になるような状況を作っていった訳です。

「物言わぬ労働組合」が風通しの悪い会社組織を作り、会社組織は崩壊した。

 そして、間違った方針を会社が行ってもそれに意見することも出来ず、とにかく上が言う事が正しいんだ。と言う事が積み重なり、会社が疲弊し・お金の使い方がおかしくなった上に経営方針もおかしくなり、それは、シャープの倒産や東芝の破綻と言ったことを、多くの企業や役所などで既に起こしてしまってる訳です。
 シャープが一番象徴的で、倒産する前の経営陣は、社内政治にばかり力を入れ、経営が厳しくなったら、従業員のことを指して「膿は出さないといけない」といい、実際過激なリストラでどんどん従業員を辞めさせた末に、倒産したのですが、その後中国のホンハイが会社を買い取り経営権を取って社風がガラリと変わり、「実力主義」を徹底させたことで風通しも良くなり、一年もしない内に経営が立て直され、商品展開も地に足の付いた形で増やし始めてる訳です。

 今回、末端の組合の意見を無視して、「残業代ゼロ法案」に賛成したのは、このような形で出世していった人々であったわけですが、彼らがやったことというのは、結局、会社などの組織を腐らせることにほかなりませんでした。
 ストライキなどの労働争議を完全に否定して、経営者目線だけが正しいと言い、末端の組合員などは「上が言う通りに動く手駒」以外としては認めない。そういう姿勢が、労働組合だけではなく、この国全てを腐らせてしまった。
 選挙に関しても、原発再稼働問題などについても、「連合」の中枢部の出す方針は、基本的に政府や財界の思うように社会を動かそうというものであって、そのためには民進党を始めとした野党があまり増えても困る。自民党過半数を占めて与党でないと困る。と言う事を実践してるわけですよ。
 この間の、民進党蓮舫代表辞任までの外側とのゴタゴタや国会の迷走ぶりと言うのは、この人達の発言力が、不当に大きくなってしまったことと深く繋がってると、思うのです。

「上の人達」の言うとおりでは、もうダメだ。

 社会を、「上の人達」の言うとおりにしておけば間違いない。と言う時代は、とっくの昔におわってるのに、それを続けることで、この国は腐り・崩壊しています。そして、崩壊の末に、「上の人達」は自分たちだけが世の中を動かす権利があると、未だに勘違いしている。
 これを、乗り越えていかないと、いい加減いけないと思うのです。
 上の人達は、お金や地位も持ってるから、国が崩壊するまでの間にタックスヘイブンなどにお金や財産を逃したり、いざとなれば、どこかの外国に逃げ出すことが出来ますが、私達の大半は、そんなことは出来ないわけです。何処かの国の大使館に逃げ込んで亡命するか、この国自体の有り様を根っこから変えていくかの、どちらかでしか、私達や子孫は生き残れない。
 そういう状況に、私達は、むりやり置かれてしまっている事を、見つめていく必要があると思うのです。

民進党の「惨敗」から、この国の政治の欠陥を、考えてみる。

※こちらもどうぞ:「共謀罪が出来た今、絶対にすべきこと。

 都議選で、民進党がどうにか壊滅は免れたものの、議席を減らしてしまったことから、民進党内で、色々と批判が出てるようです。
digital.asahi.com
 これを読んでいると、「共産党との連携をやめろ」とか、「執行部・特に野田幹事長は退任して、若手でやり直すべきだ」などの意見が噴出したようです。
 民進党や、その前身である民主党がなぜ、支持を失ったかと言えば、「態度の決まらなさ」があまりにひどすぎることと、元総理でもある野田幹事長や蓮舫代表ら執行部が、誰の方を向いてるのか全くわからない態度や政策を繰り返してる。と言うことにあると思うんですよ。
 要は、目先の事に飛びつくのはいいけれど、鳩山政権や菅政権の時のように、「まずは国民(日本に住む全ての人。と言う程度の意味です。国籍ではなく)の方を向いて政治をやろう」というのではなく、目先の政治・今の与党との裏取引的な駆け引きばかりをやって、何をやろうとしてるのか全く見えなくされてる上に、国民の期待を裏切ったり、国民を苦しめる政策や選択を、平気でやってしまうという、ダメさが、ひんしゅくを買ったままである。と言うことになるかと思います。
 つまりは、自分たちの保身を最優先で考えるような人達ばかりが、執行部や国対などの、党のありようを決めるところにいる上に、連合中央のように、大半の国民の意思や要望と正反対のことを求め続けてきた「御用組合」の人達の意見を、過剰に取り入れたりもしたお陰で、「この人達は自分が可愛いだけなんだ」と言う失望に繋がってきたと思うのです。

 何故こんなことになったかと言えば、この国の選挙制度に問題がありすぎるからだと思うのです。
 この国の、衆議院選挙制度は、「小選挙区制」「比例代表制」をミックスしたものになっています。小選挙区制では、一つの選挙区に対して、一人しか当選できません。そして、比例代表制では、政党や団体に対して投票して、票の数に応じて(ただし、日本の場合は得票が多い政党ほど、票の割合よりも多い候補を当選させられる)当選させることが出来ます。
 そして、衆議院参議院も、そして、都道府県や市町村の議会も、議員定数が非常に少なくなっています。一定人口あたりの議員数は、いわゆる「先進国」「民主主義国」の中でも、最低ランクになってしまってます。
これらのことから何が起こるかと言えば、

  • 強い組織の後ろ盾がある人が、当選しやすくなる。
  • 政党の力が強くなり、なかなか政党の執行部や党首の言うことに対して逆らえなくなる。
  • 政策や実績があっても、組織の後ろ盾がない人は、当選が非常に難しくなってる。

と言う事が出てるわけです。

貧乏人や普通の人が、選挙に出られないような酷い日本の制度。

 そして、更には、日本の場合には供託金を積まないといけないという制度があって、国会議員ともなると、300万円から600万円のお金を、選挙管理委員会に預けないといけない。そして、法律で決められた割合の投票を得られなくなると、没収される。
www.facebook.com
 その上で、選挙に出て仕事を辞めてしまうと、再就職も非常に難しくなると言う問題もある訳ですよ。再就職が難しくなるから、議員の椅子にしがみつく。議員の椅子にしがみつくためには、連合の執行部派や宗教団体・日本会議のような、動員力のある組織の顔色を伺い続けないといけなくなる。
 更には、政党助成金の問題も出てくる。政党助成金のお陰で、政党の中枢の意見に反する動きをすると、お金の配分や組織動員の支援が減らされるだけでなく、最悪の場合、次の選挙での公認もされなくなってしまうから、政党の中枢の意見と自分の考えが全く違っても、逆らうことができなくなってしまう。

 これらの事は、末端の人の事を見ない・見てもその人達のために動くことの難しい政治家や、そのような人達をはなから切り捨てるような執行部、国民の要望に答えるよりも、政党間の取引や身の回りの議員やスポンサーとの関係を重視する政党執行部。と言う、ひどい状況を作りだしてるのです。
 そして、それらが組み合わさることで、そもそも「水戸黄門願望」が異常に強い日本の国民性がそれらに噛み合って、「おまかせ民主主義」と言うか、「政治は面倒だから、政治家に任せっきりにしておけばいい」と言う空気のようなものが蔓延することになりました。
 そして、マスコミも、その事を煽り続け、今ある選挙や政治家の大問題を、報道しないどころか、特定の人達・例えば、財界であったり、霞が関の官僚の中でも、今安倍政権を操ってるとされてる経産省などの高級官僚などの利益や意見を、中立な意見に見せかけて、報道する事が、つい最近まで非常に多かった。

政治の主役は、政党ではない一人一人である。

 こういう事が、この日本を、壊していってるのです。そして、上の方では景気のいい話があっても、下の方では全く景気が良くないどころか、どんどん物価が上がり・国保や年金も含めた税金が上がり、どんどんと生活が苦しくなっている。

 いい加減、この手のことを、私達が主役になって変えていかないといけないと思うのです。
 衆議院小選挙区制はやめ、比例代表制も見直させる。議員定数は、国も地方も、せめて、今の二倍にはさせる。供託金制度は、廃止させる。そして、民進党には、国民の方を見てる共産党などの政党との連携を強化させ、与党との裏取引を許させないようにする。
 そういう事を、民進党だけではなく、共産党社民党自由党を含めた野党四党に、まずはひとりひとりの人が働きかけ、その他の政党でも、維新の会のように自民党のアリバイのためにあるような政党以外の政党の人へと働きかけていかないといけないと思うのです。
 私達が、政治を変える。野党に期待するしない以前に、野党に対しては、こちらから意見を言う事を沢山の人が、自分の言葉と考えで伝えることで、野党を変えていく。という心意気が、崩壊を迎えてしまった今の少し後を、今よりマシにしていくために必要なことだと、思うのです。

自分たちの思い込みだけで社会を動かそうとする厄介な人々。

 週刊少年ジャンプという、中学生か小学生高学年から中年程度の広い年齢層の、主に男性を主な「お客」としている(実際の所、女性も沢山買ってるし女性をお客とするページも結構ある)漫画の週刊誌があります。
 ここで連載されてる「ゆらぎ荘の幽子さん」と言う作品で、女の子のセミヌードが出てきていることなどが、セクシャルハラスメント・セクハラだとか、性暴力を賞賛してるなどと、今更ながらバッシングを受け始めています。この事は、非常に問題があるな。と思うのです。これは、今年の5月18日に書いた「声の大きな人達だけに、社会を任せては、社会がダメになる。」の続きです。

週刊少年ジャンプ批判」の経緯。

このような主張をし、週刊少年ジャンプ編集部に「申し入れ」をするという人達の動きを見ていると、以下のように整理できると思います。

  • 偶然、週刊少年ジャンプの扉絵を(多分、出版社等に無許可でアップロードされた写真で)目にする。
  • 扉絵の女の子たちが半裸であったことに憤慨し、漫画の本体を読むが、そこではいわゆる「ラッキースケベ」が多く用いられており、これは「性暴力」を賞賛してるなどと怒りが湧いた。
  • こんな「性暴力」を賞賛する作品が少年向けに許されるのか!子供に対する悪影響を考えろ!と、主にフェミニストフェミニストよりの左翼運動家に拡散し、その人たちが更に拡散する。
  • この、「怒り」が共有されてしまう。
  • そして、出版社に抗議しよう!ネットの中と外で糾弾しよう!と、「怒り」を共有した中で盛り上がる。
  • 当然、事実に反する話が沢山あって、しかも、作品の文脈をかなり捻じ曲げてる形で共有されてるので、その手のことで「無実の罪」を着せられてきた経験を持つ人たちから、批判が殺到する。
  • 「怒り」を共有した人達は、この批判を「差別者」「子供の敵」「性暴力を認める」など、全く事実と反するレッテルを貼る。
  • 対立状態が長期間続く。

 こんな経緯を辿っています。そして、この経緯は、この30年間何度も繰り替えされてきたわけですよ。創作してる側も、編集や出版してる側も、大半の受け手も、全く意図していないような「差別」「暴力」を「直感的に」見出した人達が、作品の文脈や意図やストーリーを無視して、怒りをぶつけ、出版社に圧力をかけてやめさせようとしたり、警察や役所に働きかけて青少年健全育成条例の類で「自主規制」をさせようとしたり、はては、そのような事が自動的にやられるように、条例や法律を変えるように動き・その運用の現場に自分たちの代表を送り込む。

「怒りの共有」が、日本の性を狂わせ・少子化や孤立化に追い込んだ。

 そのことで、日本の文化や青少年の「性」に対する意識は、非常におかしなことに追い込まれてきました。
 ある表現や性的な行動全般を、「青少年のため」「子供のため」と言うきれいな言葉やなんやで、法律で取り締まらせる。そのことが、人々を「性」から遠ざけ、「性」に対するややこしさを不当に大きくし、そして、「それならば『性』に触れないほうが政治的に正しいのだ」と言う事が当たり前のように社会で共有されて、少子化孤独死・高齢の孤独者という問題が、無視できなくなってる。

 このような事が、ある種の人達の「自分がそう思うから」で推し進められたことの中では、事実に反する事を諸外国に流し・それによって、日本に対する批判の声を強め・その「声」をバックに法制度が作られてしまうという事が、当たり前のように行われてきました。1996年のストックホルム会議では、「日本は児童ポルノ大国」「漫画も含めた児童ポルノによって、青少年が汚染されている」と言う、非常に一方的で・しかも、事実と著しくかけ離れた報告が、日本のフェミニズム団体によって行われました。これを基調にして、諸外国からの圧力が強まり、1999年の「児童ポルノ・買春禁止法」の制定や、2000年代の各都道府県等での、青少年健全育成条例の強化につながるわけです。
d.hatena.ne.jp

これが、何をもたらしたかと言えば、

  • 「自分の写真を撮ってネットにアップロードしたり、知人等に渡した中高生が、”児童ポルノ製造罪”で逮捕される事例が、物凄く多くなった」
  • 「18歳以上の男性と真面目に交際していた中高生が、交際が親にバレて、親の意向で警察に告発され、男性が処罰される」

などの、明らかに、人権侵害としか言いようのない事態が沢山起こった上に、過剰な検閲が正当化されて、表現等も著しく委縮してる。ということなんですよ。
 そして、問題の児童虐待や性暴力事件については、この数年間は運用の改善がされて処罰なり保護なりがある程度はされるようになってきましたが、しかし、そこまでは放置されてる話が非常に沢山あったし、今だってそんなに改善はされてない。

「自分たちの思い込みで社会を動かす人々」を乗り越えるために。

 こういう、「自分たちの思い込みで事実にないことをあると考え・その事を押し通すためにウソまでついて外国を動かし・結果達成されても多くの問題は却って悪化する」と言うサイクルを、もうそろそろやめにしないといけないと、私は思うんですよ。
 こういうサイクルの中には、ごくごく少数の人達の「怒り」や「情念」が、社会全体を動かすだけではなく、その事に疑問を持つ人や内容ややり方に批判的な人達を「悪」「抵抗勢力」として、過剰なスティグマや悪のレッテル貼りをする事が含まれてる。
 このことで、後で何か重大な問題が起きた時に、その被害者達の声が、全く届かない・全く社会に反映されない構図を作ってしまってるのですから。

 それを、乗り越えるのは、「怒り」「情念」を共有しようにも共有できない、大半の人達がきちんと声を上げ・社会や政治に対する影響力を行使し、可能ならば何人でも政治家や行政官を代表者として送り込むことと同時に、常時議論を絶やさず・間違ってる人に間違ってると突きつけ続けることでしか、出来ないのだと思うのですね。