自分たちの思い込みだけで社会を動かそうとする厄介な人々。

 週刊少年ジャンプという、中学生か小学生高学年から中年程度の広い年齢層の、主に男性を主な「お客」としている(実際の所、女性も沢山買ってるし女性をお客とするページも結構ある)漫画の週刊誌があります。
 ここで連載されてる「ゆらぎ荘の幽子さん」と言う作品で、女の子のセミヌードが出てきていることなどが、セクシャルハラスメント・セクハラだとか、性暴力を賞賛してるなどと、今更ながらバッシングを受け始めています。この事は、非常に問題があるな。と思うのです。これは、今年の5月18日に書いた「声の大きな人達だけに、社会を任せては、社会がダメになる。」の続きです。

週刊少年ジャンプ批判」の経緯。

このような主張をし、週刊少年ジャンプ編集部に「申し入れ」をするという人達の動きを見ていると、以下のように整理できると思います。

  • 偶然、週刊少年ジャンプの扉絵を(多分、出版社等に無許可でアップロードされた写真で)目にする。
  • 扉絵の女の子たちが半裸であったことに憤慨し、漫画の本体を読むが、そこではいわゆる「ラッキースケベ」が多く用いられており、これは「性暴力」を賞賛してるなどと怒りが湧いた。
  • こんな「性暴力」を賞賛する作品が少年向けに許されるのか!子供に対する悪影響を考えろ!と、主にフェミニストフェミニストよりの左翼運動家に拡散し、その人たちが更に拡散する。
  • この、「怒り」が共有されてしまう。
  • そして、出版社に抗議しよう!ネットの中と外で糾弾しよう!と、「怒り」を共有した中で盛り上がる。
  • 当然、事実に反する話が沢山あって、しかも、作品の文脈をかなり捻じ曲げてる形で共有されてるので、その手のことで「無実の罪」を着せられてきた経験を持つ人たちから、批判が殺到する。
  • 「怒り」を共有した人達は、この批判を「差別者」「子供の敵」「性暴力を認める」など、全く事実と反するレッテルを貼る。
  • 対立状態が長期間続く。

 こんな経緯を辿っています。そして、この経緯は、この30年間何度も繰り替えされてきたわけですよ。創作してる側も、編集や出版してる側も、大半の受け手も、全く意図していないような「差別」「暴力」を「直感的に」見出した人達が、作品の文脈や意図やストーリーを無視して、怒りをぶつけ、出版社に圧力をかけてやめさせようとしたり、警察や役所に働きかけて青少年健全育成条例の類で「自主規制」をさせようとしたり、はては、そのような事が自動的にやられるように、条例や法律を変えるように動き・その運用の現場に自分たちの代表を送り込む。

「怒りの共有」が、日本の性を狂わせ・少子化や孤立化に追い込んだ。

 そのことで、日本の文化や青少年の「性」に対する意識は、非常におかしなことに追い込まれてきました。
 ある表現や性的な行動全般を、「青少年のため」「子供のため」と言うきれいな言葉やなんやで、法律で取り締まらせる。そのことが、人々を「性」から遠ざけ、「性」に対するややこしさを不当に大きくし、そして、「それならば『性』に触れないほうが政治的に正しいのだ」と言う事が当たり前のように社会で共有されて、少子化孤独死・高齢の孤独者という問題が、無視できなくなってる。

 このような事が、ある種の人達の「自分がそう思うから」で推し進められたことの中では、事実に反する事を諸外国に流し・それによって、日本に対する批判の声を強め・その「声」をバックに法制度が作られてしまうという事が、当たり前のように行われてきました。1996年のストックホルム会議では、「日本は児童ポルノ大国」「漫画も含めた児童ポルノによって、青少年が汚染されている」と言う、非常に一方的で・しかも、事実と著しくかけ離れた報告が、日本のフェミニズム団体によって行われました。これを基調にして、諸外国からの圧力が強まり、1999年の「児童ポルノ・買春禁止法」の制定や、2000年代の各都道府県等での、青少年健全育成条例の強化につながるわけです。
d.hatena.ne.jp

これが、何をもたらしたかと言えば、

  • 「自分の写真を撮ってネットにアップロードしたり、知人等に渡した中高生が、”児童ポルノ製造罪”で逮捕される事例が、物凄く多くなった」
  • 「18歳以上の男性と真面目に交際していた中高生が、交際が親にバレて、親の意向で警察に告発され、男性が処罰される」

などの、明らかに、人権侵害としか言いようのない事態が沢山起こった上に、過剰な検閲が正当化されて、表現等も著しく委縮してる。ということなんですよ。
 そして、問題の児童虐待や性暴力事件については、この数年間は運用の改善がされて処罰なり保護なりがある程度はされるようになってきましたが、しかし、そこまでは放置されてる話が非常に沢山あったし、今だってそんなに改善はされてない。

「自分たちの思い込みで社会を動かす人々」を乗り越えるために。

 こういう、「自分たちの思い込みで事実にないことをあると考え・その事を押し通すためにウソまでついて外国を動かし・結果達成されても多くの問題は却って悪化する」と言うサイクルを、もうそろそろやめにしないといけないと、私は思うんですよ。
 こういうサイクルの中には、ごくごく少数の人達の「怒り」や「情念」が、社会全体を動かすだけではなく、その事に疑問を持つ人や内容ややり方に批判的な人達を「悪」「抵抗勢力」として、過剰なスティグマや悪のレッテル貼りをする事が含まれてる。
 このことで、後で何か重大な問題が起きた時に、その被害者達の声が、全く届かない・全く社会に反映されない構図を作ってしまってるのですから。

 それを、乗り越えるのは、「怒り」「情念」を共有しようにも共有できない、大半の人達がきちんと声を上げ・社会や政治に対する影響力を行使し、可能ならば何人でも政治家や行政官を代表者として送り込むことと同時に、常時議論を絶やさず・間違ってる人に間違ってると突きつけ続けることでしか、出来ないのだと思うのですね。