【お知らせ】noteで有償文書を公開しました。

この間の韓国の防弾少年団をめぐるゴタゴタについて、ちょっとした文章を公開しました。今回、試しに一部の公開だけで残りについては11月23日くらいまで有料ということにしてみました
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防弾少年団原爆Tシャツ騒動」から、過剰に寄り添わず突き放すことの大事さを考えてみる。

韓国のアイドルグループで来日してドームツアーをやってる防弾少年団が「原爆Tシャツ」を前に着ていたことが問題とされてネットを中心に騒ぎになってる件、色々と議論はあるのですけど気になるのは、防弾少年団を「擁護」する側が、日本に原爆が落とされたことで朝鮮半島が解放された。と言う韓国側の歴史の見方を疑いようのないこととして考え・この問題で浮き彫りになった韓国国内の「世界」に対する見方や歴史観が他のところと食い違いいさかいの原因になってることを「向こうの問題だから干渉しない」として判断をしないでいることなんですよ。

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 これは、確かによその国と韓国が揉めてる場合はそう悪い考えではないのかも知れません。何しろ、よその国とよその国の揉め事の善悪を考えるだけでなくそれでどちらかの国のいい悪いを相手に言うというのは、流石に、おこがましい。
 でも、これが、日本・要は私達の国なり人なりと相手の国の間の揉め事となると、そういう「他人事」のような態度って問題をこじらせるだけの結果にしかならない事が当たり前に起きてしまう訳ですよ。なにしろ、こちら側の人達が怒ってて、その事がなぜそうなってるかというときに、こちら側が一方的に悪いとか、相手の悪いところを批判するのはダメだ。とハナから決める態度は、一部の人達からは歓迎されるかも知れませんが、問題を先送りするだけでなく、問題から逃げる態度ですらあると思うんですよ。

※この文章は、10日間程度全文公開を有料にしてみます。

「原爆」と言う、日本人の喉に刺さった骨を韓国側が刺激してしまった。

「SSSS.GRIDMAN抱き枕事件」と「韓国徴用工訴訟」日本敗訴から見る、落とし所の重要性。

 寒くなってきましたね。私は相変わらず調子がよろしく、何度か腸がよろしくなくて寝込んだりしてたのですが、時折飲んでるジャルジーラマサラをふと思い立って飲んだら、腸の調子が良くなって、気力も戻ってきました。
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※インド関係の食材を扱ってる某店の方曰く「上級者向けすぎて不評の嵐で売れないのでウチでは扱うのを止めた」と言ういわくつきのもののようで。
 みなさんも、本当に健康には気をつけていきましょう。特に、原子力災害がなかったことにされようとしてて、色々な病気で突然亡くなる人もバタバタ出つつありますし。

「SSSS.GRIDMAN」キャラクター抱き枕がきっかけとなり、今まで積もりに積もった怒りが大爆発。

 さて、この一週間、色々と社会的に揉め事があった訳ですよ。昔やっていた「電光超人グリッドマン」と言う特撮番組がアニメ化されたのだけど、その準主人公の二人の女性キャラクターが、抱き枕カバーの絵柄として売られることを知った、自称フェミニストの人が、制作してるアニメ会社や原作の円谷プロなどに対して、販売を止めるように抗議しよう。と呼びかけて、それに対して抗議をしようとする人達が現れるか現れないかの時点で、「また同じような事をやるのか」と多くの人が怒り出して、動き自体に抗議を始め、その中で呼びかけた人の身元を洗うことに成功した人が出て、彼女が某放送局のディレクターで、今は管理職であるらしいという事が流布された訳です。
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 そして、それが本当かウソなのかという議論が同時に起こりだしたのを見てか、抗議を呼びかけた方はアカウントを消したり、復活させたかと思えば「代理人だが彼女は亡くなった」と書き込まれて、それが更に怒りを呼び起こして批判が吹き荒れる中、彼女に立場的に近い、フェミニズム運動系の人達や一部の左派・リベラルを自称する人達が「#オタクもどきを許さない」などのタグで、それまで隠してたはずの自分たちのオタク属性を使って「お前ら(件の呼びかけの人達やフェミニズム運動がやってきたことに批判を浴びせてる)はエセオタクだ」って言い出して、それで批判してた人達を押しつぶそうとしたものだから、更に批判がヒートアップして、「今まで自重してきたが、ここまできたら、全面戦争しかない」って論調が一気に出始めてしまった訳です。
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 そして、件の亡くなったことにしていたはずの方が、アカウントを取り直して、謝罪(といっていいのかどうかわからないけど)と釈明を始めたものの、まだまだ批判が続くし件の彼女は逆ギレしそうでもあって、これを書いてる時点では全面戦争になりかねないような危うい状態が続いてるという訳ですよ。

 これは、まぁ、今までの「ネット抗争」のありがちな状態として片付けるのはどうかと思ってて、元々の背景として、
フェミニズム運動側が男性のオタクを敵視して、社会悪と決めつけるかのような運動や言説を長年続けてた。
・この運動の中で、主に男性オタク向けの表現というものに対して、ジェンダー論や道徳的な観点からの法規制が続いてきてて、その運用を決める場に、フェミニズム運動の人達が入り込んだりなど火種が三十年間近くくすぶってた。
・この数年、「キモオタ○ね」に代表されるような、暴言と言っていいような言葉がフェミニズム運動だけでなくフェミニズムに同調する人達からしきりに浴びせられて、それに反論する人が増えていくという構図が広がってた。
・そして、具体的なキャラクターに対して「差別的」「性暴力を助長する」などの、当事者から見たらあまりにとんでもないデタラメと言っていいような非難がされるだけでなく、署名運動やロビー活動・マスコミへのアピールを通じてキャラクターや表現活動を「葬り去る」事を求めるような運動を、フェミニズムを掲げる人達が中心になって繰り返された。
・それと同時に、韓国から男性を徹底的に憎む事や道徳の強制のために犯罪行為に手を染めることを厭わない「フェミニズム」が日本と韓国の交流の中から日本に輸入され、男性に対するヘイトスピーチや、企業などに対するネット右翼並の暴力的な「抗議」の流れというのが出来始めてた。

 と言うのがあって、最近も、少女向けのアニメの抱き枕カバーに対して、韓国でフェミニズム運動側が抗議して販売中止に追い込み、日本でもそれに続けとばかりにプリキュアなどの抱き枕カバー(これ、男性が使うというよりプリキュア好きな子供たちが使うのが大半のようですね)が販売中止になるかどうかの瀬戸際に追い込まれたりしてた訳ですよ。
そして、前々回に書いたような「キズナアイ」を巡る、あまりに的外れで自分勝手なフェミニストたちの「抗議」や社会学者達のあまりに学術とかけ離れた物事に対する姿勢・仕事に対する姿勢が非常に広い範囲の人達から批判を浴びるという事態になって、今ままで「キモオタ」などとフェミニズム運動家や同調する人々から非難されて・社会悪で差別者だと言いがかりを受けてた人達…大半は男性だけどそれだけではなく女性もかなりいる…が、ギリギリのところで批判はするけど具体的な行動・要は相手の素性を暴いて潰すとか、行政などでの活動に対して攻撃をするとかという「実力行動」については踏みとどまってる。と言う危うい状況になってた訳です。

 そこに、今回の「グリッドマンのキャラ抱き枕」を発端にした、今も続いてる揉め事が噴出してきた訳で、最早、ここまで耐えたし耐えても根絶やしにされるだけなんだから、我慢するのやめよう。って空気が、今まで「キモオタ」などと叩かれてきた人々に一気に広がっちゃった訳です。

 フェミニズム運動家の中にも、「オタク」が少なからずいて、大体は「やおい」であったり「腐女子」であったりと言われるような人達であると思いますが、この人達は、90年代頭の「有害コミック問題」のときから「男性向け性表現は性暴力」「自分たちの好む表現はそれとは無関係」と冷淡な態度を露骨に示したり、表現規制をもっとやれ。と活動する側に立ってたりしてた訳です。この人達の幾らかは、後で過ちを認めて表現規制反対に向かいましたが、大多数は態度をはっきりさせないどころか、「自分たちが好きなものはポルノではない」「男性が好きなものやそれに基づいた萌えなどの表現は性差別で性暴力だ」「向こう側はどんどん規制されて根絶やしにされるべきだが、自分たちの好きなものが規制されるのは理解ができないし弾圧だ」って態度をどんどん示していった訳です。特に、今年に入って。
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根強い叩き合いの末に、全面戦争回避の意思が出てきたことを、見逃してはならない。

 この事が、尚更深刻な対立というか怒りの火をともし続ける油を、「叩かれてきた側」に注いできたのですが、不幸というかなんと言うか、その事に気がついてる「フェミニスト」「左派・リベラル」の人達が、殆ど表に出てこないで、出てくる人達と言えば、何を焦ってるのか何を恐れてるのか、「オタクは差別者」「キモオタはいなくなれ」と言う合唱を、自ら進んでやらないと行けないかのような強迫的な感じで、オタクなどを必死に叩くようになってきた訳ですから、叩かれてる側の怒りはどんどん増幅していった。
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 それが、破局を迎えるかどうかの瀬戸際で、件の「死んだことにしてた」方が名乗り出て、釈明し、一定程度に過ぎないとは言え謝罪したというのは、怒ってる人たちに対して特に言いたいのですが、非常に大事だと思うのです。

 全面戦争となれば、人数でも執念深さでも圧倒してる私達「オタク」が勝ってしまうでしょうが、その事で、今まで叩いて来た側はより態度を頑なにするだけでなく、今まで表現規制問題や青少年問題でつながってきた警察やカルト宗教・自民党などと本格的につながり、韓国やカナダ並みの物凄いデタラメで憲法違反の「根絶やし的」な表現規制を進めようとしてくるでしょうね。
 全面戦争の一歩手前で踏みとどまり、叩いてきた相手側に自分たちの何が問題なのか認識して貰い、内側で議論をどんどんやってもらい、変わってもらう・今まで変わることをさまたげてきたような人々を、きちんと切り離してもらう事も含めて、変わってもらう「ゆとり」のようなものが、今、私達に限らず「叩かれてきた側」にとって一番大事なやるべきことじゃないかと、思うのです。

※おしらせまたはおねがい:この文章が気に入られた方、是非、noteの方で投げ銭購入をお願いしますm(_ _)m

韓国での「戦時賠償判決」で見えてきた、お互いを知ることがないが為の不幸な批判合戦。

 話を少し変えますが、日本が第二次世界大戦中に韓国から連れてきて重労働させてた人たちに対して、きちんとした賠償がされてなかった問題で、生き残った人たちが日本の新日鉄住金を相手取って起こしてた裁判で、韓国の最高裁新日鉄住金が負ける判決を出したことで、特に日本側のマスコミが「日韓合意は有効なのに政府の方針を破るのか」って論調で凝り固まって非難してる訳です。
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 この経緯というのはあとにして、問題なのは、この20年ほど日本と韓国が、色々なことで対立を煽られ・煽った人達の思うがままに操られるかのようになり、節目節目で時の政権や与党や一部のグループが不利になった時に「相手国を批判する世論を煽ることで支持を戻す」と言う事が繰り返されてきた、必然的とも言える結末として、私は見てるのです。
 韓国側の運動というのは、例えば慰安婦問題をやってる挺対協にしても日本側の出してくる「アジア女性基金」などでの賠償に対して応じる人達を口汚く罵ったり受け取らないように圧力をかけたりすることを「当然の義務だ」と思える人達だけでどんどん凝り固まっていったのを、90年代だけしか私は直に見聞きしてないし、その後のことは昨年亡くなった・韓国の労働運動との付き合いも深かった母を経由して見聞きする程度だったのですが、そういう形でどんどん「とにかく相手を敵にして世間の人気を取れば運動が進む」と言う方向に行ってしまいましたし、
 その一方で日本の「戦争犯罪はなかった」事にしたい人達にしても北朝鮮拉致問題を追究する人達にしても、全く同じようなことをして「社会の権威」のような物を手に入れて、批判する人が入れば切り捨てて、要は日韓対立や日朝対立を煽ることで運動の権力とか権威とかを増していく。と言う人達で凝り固まっていったわけです。

 その事で、日本にせよ韓国にせよ、自分たちの「内側」しか見えなくなり、自分たちの主張をゴリ押しすることしかやれなくなった訳です。

自分の事情だけゴリ押しして相手の事情を無視した先にあるのは…

 そして、その事は、相手側の事情を知ろうとする空気や気持ちというものにもどんどん矛先が向くこともあったし、そもそも相手のことなんか知ったことではない。自分たちの都合を押し付けて・押し付けたのを呑めない相手側が全て悪いんだ。って空気や風潮につながってしまった訳です。
 その末に、今回の韓国側での判決や日本側が「なんでこんなことになってるのか」自分たちの国の側で起こったことすら、見えなくなるくらいの状態でどんどん感情的な対立をふかめてしまってる訳です。
https://japanese.joins.com/article/896/246896.htmljapanese.joins.com
https://japanese.joins.com/article/843/246843.htmljapanese.joins.com

 これは、悲劇だと思うんです。このような判決が出る前には、日本側で新日鉄住金が賠償に応じて和解しようとしてたのを、今の安倍政権に連なる人達が圧力をかけて「裁判でケリをつけろ」「絶対に勝てるから」って新日鉄住金に、自分たちの希望的観測を押し込んでいったことがあった訳です。
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japan.hani.co.kr

 その事を、日本側のマスコミなどで意見を述べてる人達が知ってるなら、その事を踏まえて言うべきなんでしょうが、今は安倍政権の天下で、安倍総理達の不利益になる事をマスコミなどの人が言うのは、自分の仕事を失うことに直結してますから、そこらへんの話はなかったことにして、韓国を非難して、韓国の裁判所は非常識だ。って叩いて済ませてる訳です。

 勿論、韓国の人達は、多くの場合、新日鉄住金が国から圧力をかけられて裁判させられたのを知ってる一方で、日本の側のマスコミの事情とかは中途半端にしか知らないわけですから、もう、日本側だけが悪いという(まぁ、この問題では、裁判に至った経緯も含めて日本側がどう考えても悪いのですが)、バッシングの風潮に同調せざるを得なくなってるし、その事は、多分、他の問題での深刻な対立の引き金を引くことになるでしょうね。

「おとしどころ」の大事さを、改めて考えよう。

 この2つのことに共通してるのは、「自分たちの事情や”正義”をゴリ押しする人たちによって、物事の解決や前向きな方向への進歩が潰されて、その事で利益を得る人たちに振り回され続けることになり、取り返しのつかない事になってしまう」ってことじゃないかなと思います。

 落とし所を見極めて、一旦足を止めて場合によっては一歩引いて相手の改善をうながし・多少だけ気長に待って、その上でどうすればよりよいかお互いに話し合える状況を作ろうという事ができなくなった末には、もう、お互いに全面戦争して潰し合うしかないわけです。

 そこを、どの問題であれ、私達の側から変えてくしかないんじゃないかな。と思うんです。
対立してる相手の側にそれを求めても、なかなか応じることはないでしょう。だって、向こうには向こうの正義があって、正義を持ってるがために、簡単には引けないわけですから。

 そこを、こちらが一歩押せば相手を滅ぼせる状態でも立ち止まって、揉めてきた物事自体が少しでもマシな形で前に進むようにやっていき、向こう側の良心が残ってる人たちに働きかけて動いて貰い、憎しみや正義に眼が曇って相手を潰せば解決すると考えることしかできない人達から「世代交代」してもらうしか解決できないことって、結構たくさんあるように、思うのです。

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安田純平氏の「解放」を祝いつつ、自己責任論を繰り返すことのダメさを歴史から考えてみる。

 秋になった割には、今日は暑いですね。この一ヶ月、台風が過ぎてから身体がボロボロになって大変です。皆様もお大事に。
 さて、今までに書いてきた文章が相当な分量になったし、私の個人的な事情で貧乏さが酷いところもあるので、noteで、ここに書いたのと同じ文章を掲示して投げ銭したい人に投げ銭お願いする事を試しにやってみることにしました。

Artanejp|note
※今回の「投げ銭版」はこちら: 
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 このブログや文章に引っかかるものがあって、小銭出しても構わない。という方は、どうか、購入していただくなど、よろしくおねがいします。

 シリアの内戦地帯を取材してきたジャーナリストの安田純平氏が地元の武装ゲリラに捕まってから三年以上がたちましたが、やっと、解放されました。
 解放されるらしいとカタール・トルコ経由で話が出始めた辺りから、またぞろ「自己責任」と言う言葉がネットで出始めてる訳ですよ。この「自己責任」と言う言葉、安田氏の安否が報道されると必ずついてまわってきてましたし、それと一緒に「イラク三バカ」なんていう侮辱じゃないかと思うような言葉まで、セットにされてネットでは流れてきてたわけですね。

今の「自己責任論」のルーツは、15年近く前のイラク戦争にはじまってた。

 事の経緯は、15年以上前にアメリカの一方的な言いがかりで始まったイラク戦争で当時のイラクサダム・フセイン政権が倒された後、現地のイラク人の人達の物凄く粘り強い抵抗で、アメリカなどの軍隊が泥沼に引きずり込まれ、戦争が泥沼化してた時期に遡る訳です。
 当時、イラクでは、アメリカやイギリスなどの軍隊が、物凄く傲慢に振る舞っていて、占領した地元の人達の家に押し入って、武器を狩ると称して家財まで持ち出したりとか、学校や病院を「戦闘に必要だ」と言って強引に占領していってた訳ですよ。
 その事で、現地の人達は抗議デモしてたんだけど、途中から、特に米軍がデモしてる人たちに対して銃撃するようになって、イラクの人たちが銃を取って反撃するしかないような状態になってしまった訳です。
 そういう状態で長い間泥沼化し、サダム・フセイン政権が崩れたことで市中に武器が流れてイラクの人達の武装も強化され、そうすると米英軍からするとイラク人が邪魔になるから…という事で、ファルージャで行われたように女子供以外は街に閉じ込めた上で、砲弾や白リン弾を大量に街に降らせて市民を焼き尽くそうとするようなベトナム戦争以降最悪といっていいような戦闘というより大虐殺をやっていく一方、アメリカなどの自国だけでなく日本などの「同盟国」に対してもそれを報道させないように圧力をかけてる状態があったのです。
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/neareast/iraq/falluja/fallujanews.htm

d.hatena.ne.jp

 そういう中で、周辺の国々や(ロシアに事実上滅ばされた)チェチェンなどのカフカス諸国から、「義勇兵」であるイスラムゲリラ達がイラクの抵抗を支援すると称してはいってきて、そこには昔からアメリカに恨みを持ってるアル・カイダ系の人達もたくさんいてその人たちが仕切るような地域がどんどん出来てしまった訳です。
 皮肉な話ですが、アレだけマスコミで「悪」と言われてたサダム・フセイン政権が、あの一体が泥沼の戦争になるのを抑え込んでた訳ですよ。蛇足ですけど、今のシリアのアサド政権も似たような所があると思ってます。

身を張ってイラクの惨状を伝えたり、惨状を少しでも止めたいと考える「義の人々」が平和な日本では「三バカ」などと罵られてしまった。

 当然、ものすごい数の戦災孤児が産まれてて、その人達を支援できないかとイラク現地に入ってた高遠菜穂子氏と、イラクの「本当のこと」を報道するために入ろうとしてた安田純平氏、マスコミが報道しようとしてない「現実」を見ようとしてた今井紀明氏の三人が、陸路でイラクに入ろうとしてたのですが、運悪くゲリラに捕まってしまった訳です。
 この時は、早い段階で日本政府がゲリラに身代金を払い解放されたのですが、この事件が起こった当初から、ネットを中心にして「三バカ」「自己責任だ」という言葉に基づく、超えちゃいけないラインを超えた罵倒とか家晒しなんかが2ちゃんねるの「ニュース速報」板を中心に行われてた訳ですよ。
 当時私は「それはダメだ」と言う風に突っ込んでたけど、なにしろこの「罵倒や家晒し」が、24時間絶えずに、しかも30秒に一個はレスが投稿されて、「三バカ非難」でスレッドどころか板全体が染まってしまったんですよ。そういう中では、「それはダメだ」と言うのは、本当に無力だった。
 当時は、SNSができる前で、mixiですら試験運用が始まる前だったと思いますので、この2ちゃんねるのネット言論への影響力というのは、今の私達の想像を遥かに超えるほど大きかった。

 今問題になってる「自己責任」発言は、実は、この2ちゃんねる側で事前に出てきた話を政治家が利用した形になってたと記憶しています。
www.buzzfeed.com

 そして、この「ネットを入り口にして政治や一部マスコミも一体となって人質たちを叩いた」事で、三人は非常に精神をやられただけでなく、日本国内での生活もできなくなってしまったんですよね。この辺りは、映画「バッシング」が非常に忠実に経緯を描いてますが。
 そして、三人はしかし、そこで完全に心おられることなく、元々自分達がすべきことを見つめ直し、粘り強くやっていった訳です。
eiga.com

http://fallujah-movie.com/

 当時、私の記憶では、官房長官安倍晋三福田康夫でした。どちらにせよ、今の総理大臣である安倍晋三は要職にいた。
 その事と、今回の「安田さん解放」の直前から「自己責任」論が鎌首をもたげて、それをマスコミの多くが「自己責任と言うべきでない」と反論する報道をしてるという今の状態とは、関係があると思うんですよ。

今の安倍総理は、ネットの世論工作で出世した人ではないか。

 安倍晋三という人がのし上がっていった過程には、「ネット世論を後ろ盾にした”反サヨク”ムード」「北朝鮮の脅威を過剰に煽るためにネットとコラボした」と言うのが、それこそ2002年のワールドカップで「嫌韓煽りのためのフェイクニュース」がネットで流されて嫌韓や民族差別がネットの主要コンテンツになる前から、その一二年前からつきまとってる訳です。
 彼は、ネットの言論を操作し・北朝鮮の脅威や「犯罪者」の脅威を煽り、その事で日本からある種の人権意識を根こそぎ焼き払うことで、総理大臣になった人物だと言っていいのです。
 その総理や総理を担ぎ上げている人達からすれば、何年間もバッシングを煽り、社会的に「殺して」やろうとした人達が、どうにか耐えて・折れずに自分のやるべき道を進み続けてる。ということ自体が、許し難いことと思われてるでしょう。
 学校でのいじめとか職場でのパワハラとかでの加害者にも、度々見られる話で、今もジャニーズ事務所の関係なんかだと、事務所とマネージャーが揉めてマネージャーの側についた「新しい地図」の三人をどうにかして潰せないかと、ジャニーズ事務所がえげつない手段で嫌がらせに動いてるのなんかも、おんなじ精神構造だと私は思います。
www.johnnys-watcher.net
www.asagei.com

社会が変わってしまったことで、「自己責任論」が使えなくなってる事をわかった人達も出てきた。

 そして、それを受け止める社会の側はどうか?と言えば、そのような非常にレベルの低い煽りがこの15年間で沢山あって、今は特に多くのものがツイッターなどで意図せず可視化されちゃう上に一方的でないような形で情報を集めることも、さほど難しくない時代ですから、「前の自己責任論でどれだけ世の中狂わされたのか」って反省の気持ちのほうが大きくなってるように見えるんですよね。
 もう、「自己責任論」とかいう程度の低い詭弁に騙されちゃいけない。って多くの人・それも、「保守文化人」ですらそう思ってる人が少なくないし、マスコミも「自己責任論」に加担したという反省があってか、非常にすばやく、「自己責任論良くない」って論調を貼ってますよね。それこそ、産経新聞ですら社説でそう言わないといけなくなってしまってる。
www.sankei.com
blogos.com
 ここには、ある種の希望もあるかな。と思ってます。声の大きな人達が、それこそ24時間・365日交代してネットに貼り付いて自分達と反対側の意見や事実を罵る。と言うのは今はもっと盛んになっちゃってますけど、その手のことで散々な思いした人や良心を痛めた人も沢山いるから、その手の人達を真面目に相手する事なく、理詰めで・論理建てて批判する人達というのが、それぞれの問題で多くいる訳で。
 その手の人達は、嘘八百を並べて人々を惑わそうとする人達からは「差別者」「差別煽ってる」と非難されがちですが、その事があっても、曲げずに粘り強く議論が広がって事実が伝わるようにやっている。
 こういう事がもっと大きくなり、色んな流れで行われることで、「たちのわるい物言い」「権力や権威を嵩に着て脅す人々」と言うのが、単に喚き散らしてるだけで社会的影響力をなくす流れにつながっていくと思うのです。

「オプジーボ」の高額医療に関するゴタゴタとキズナアイ問題から、日本の意思を決めてるエリート層の腐敗を乗り越えることについて考えてみる。

※おしらせ(2018年10月30日):「投げ銭有料版」を公開しました。気に入られた方はぜひご購入を。

 秋になりましたね。私は、先週の日曜の台風通過で気圧の変化で身体が痛くなった…と思ったら、こんどは腸(大腸?)が猛烈に痛くなり、汚い話ですが水のような下痢が一日以上止まらないままに寝込んで、連休に入りやっと動けるようになったので、連休明けに内視鏡検査をやってくれるお医者さんの予約を取りました。繁盛してるお医者さんなので、診察すら予約なので、これを書いてる時点では一体何が起こってるのか全くわからないので不安が非常に大きいのですが…みなさんも、お身体にはお気をつけて。

 さて、今はヴァーチャルユーチューバーのキズナアイを巡って、いつものような「フェミニズム的文脈」からの批判というより誹謗中傷が出てきたことに対し、今までそういう光景をさんざん見せられて・自分の好きな作品や作家やキャラクターが闇に葬られる経験をしてきた人達が怒りだし反撃したら、社会学者の方が、自分達の学問である「ジェンダー学」がいかにずさんな物か自白しだして騒ぎが大きくなってますが、その事は、既に多くの人が報じたり論じたりしてもいるので、あとでかければ書くということにします。
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災害が起こっても、被災者を放置し、必要ないものを押し付けていいことだという、政府や一部自治体。

 今回の「社会学」のありようを巡っての問題も含めて、この十年弱・安倍晋三という人が総理大臣になった辺りから、エリートと世の中で言われてる人達が、なんかおかしな事をやったり、政府がおかしなことをするのが多くなったと思うんですよ。
 最近だと、前の熊本の大地震やその前の甲信越地方の大雪で国がきちんとした災害復興対策予算を組まなかった事が、大阪の大震災や台風被害、中国・四国地方の大洪水や北海道の大震災で、完全に。と言ってもいいくらい災害復興の予算をださずに、今ある予算を前倒しにする程度の事しかやらないでいる訳ですよ。
 災害復興のために臨時の予算を組んだり、自衛隊だけでなく色々な設備や人をどう配分するか。と言う事を臨時で国会を開いて話し合おう。森友問題などは災害が一段落するまで棚上げにしますから。と殆どの野党が…維新や希望の党を除いて…一緒になって安倍内閣に呼びかけたのに、内閣は完全に無視してる訳です。
 そして、災害にあった現場からは「ボランティアが足りない」「物資が足りない」って瓦礫だらけのままでどうにもならなくなってる様子の写真や動画付きで救援を訴えてるのに、「もう、災害復興は終わりましたから」と政府が言って、予算を絞り出してる訳ですよ。大阪なんか悲惨で、地元の知事や大阪市長が維新の会だから、ろくろく災害復興事業をやらず、「やってます」と言うアリバイ作りだけやってほったらかしにしてすらいる。
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https://www.excite.co.jp/News/politics_g/20180911/Gendai_488216.htmlwww.excite.co.jp

オプジーボ」が脚光を浴びたことを貧乏人を見捨てるような医療費削減につなげようとしてきた、財務省

 ガンの画期的な治療薬として「オプジーボ」と言うのがあって、その基本的な部分を発見した科学者さんがノーベル化学賞をとりましたが、この手のお薬は、製薬会社が非常に多額のお金をかけて開発したのもあって物凄く高いので、お金持ちしか使えない。と言う批判がされてきた訳ですが、その批判を受けてこの数年間で一気に薬価・国が認めた薬のお値段が下がったり、適用する範囲を増やして製薬会社の利益を損ねないようにする努力が進んできた訳です。
 ところが、財務省が、「高価な薬は健康保険の財政を圧迫するから」と言う理由で、保険を使わないでいくらでも費用がかけられる自由診療以外で使わせないようにすべき。と言うのを、審議会に提出した訳です。
多くの難病なんかでも高価な薬を使わないといけない場合が多いですし、ガンの重粒子線治療のように、最近やっとごくごく一部とは言え保険が使えるようになった、画期的に症状を良くする治療も、そこに含まれていくでしょう。
 それと同時に、かかりつけのお医者さん以外の診察を受けたら、ペナルティ的な追加費用を取れとも言い出した。
 要は、カネを持ってる人以外は、最低限の治療しかうけちゃいけなくて、そこで誤診があったりして病気や怪我が手遅れになったりしても、我慢しなさい。それで死んでも(あなた方が貧乏だという)「自己責任」だから受け入れなさい。と言う方針を取り出してる訳です。それも、国の財政が厳しいから。と。
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物事の前後がデタラメな「財政健全化・財政緊縮」路線が、人々を殺していく時代。

 しかし、よくよく考えてみましょう。余り病気がひどくなってない時に、お金がかかっても効果的な治療をすることで、ほぼ完全に治って(寛解・かんかいといいます)、時々検査したり薬を飲み続けたりすることで、健康な人と変わらないように働いたり税金を納められるような病気は、昔と違って非常に多くなってる訳ですよ。ガンなんかは、我慢して酷くなって手おくれになる前なら、薬や手術や重粒子線治療なんかをちゃんとやっていけば、「ほぼなおる」病気になってる訳です。
 その方が、長い目線と言っても十年程度の範囲で見るなら、国の財政に取ってはプラスになるでしょうね。

 話はそれで終わらずに、「働かせ放題法案」にしても安い賃金で長時間労働させ疲れ果てていたら物を沢山買うという事をできなくなる人々が大半だから、社会にお金が回らなくなるし、長時間労働させれば急激に病気になりやすくなる。病気を我慢して手遅れになるまで働くしかない場合も沢山あるでしょう。しかし、そのような法律を、政府は通してしまった。
 生活保護が、この10月から切り下げられて、生活保護を受けてる人達では「憲法違反の不法行為だ」と審査請求や裁判に訴える動きが盛り上がりつつありますけど、日本の場合は病気や障害がないと働けなくても生活保護を受けられない事が多い上に社会的にさげすむ空気を財務省OBの政治家が先頭に立ってテレビなどで煽ってきてるので、それがブラック企業に人々をしばりつける大きな要素になってますが、これも、働けなくなった人が何ヶ月か数年か働かずに自分を立て直すことで社会復帰出来たら得られた税金などを、目先のお金に眼がくらんで溝に捨ててる部分が大きくあるわけですよ。
mainichi.jp
http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-147.html:embed;cite
www.continue-is-power.com
 何から何まで、「国の財政が大変だ」と煽って福祉や医療、後は教育や科学研究などへの予算をどんどん「タブーなしに」削っていく反面、財務省などの偉い人達が天下る会社に物凄い金額で仕事を発注したり(蛇足かも知れませんが、発注された会社は大まかなことだけ決めて、下請けの会社に安い値段で「丸投げ」してるのが大半だったりします…原発の事故収拾の仕事や除染事業なんかは、10万円で発注した仕事が現場で働く人には7000円しか払われないとか当たり前にある)、総理大臣とお付き合いの深い人達や総理夫人が顧問を勤めてるような会社や法人に対しては、物凄い額の補助金が行ってて、その他の法人には補助金が削られていく。と言う話が普通に出てしまってる訳ですよ。

明治時代から昭和の後半までの「豊かな国造り」をぶち壊した、自分を勘違いしてるエリートたち。

 今、政府と内閣と中央のお役所・特に財務省がやってるのは、「日本という国が十年後に少しでも豊かになるために・世界での国の地位を上げるために自分達が多少痩せ我慢する」のではなく、「自分達や周りのお仲間がもっと豊かになるために、世の中の大半の普通の人達や貧乏な人達・死にかけてる人達や災害で大変な人達を見捨てて、お金をもっとしぼり取る」と言うことではないかと思うんですよ。
 このようなことは、流石に明治政府ですらなかなかやらなかったことだと思うんです。明治政府は自分達が欧米諸国に負けないために「富国強兵」を掲げて、鉄道を整備し・農業を改革したりもしてて、ただ食糧政策や経済政策のやり方があまりに悪かったので昭和の大飢饉を引き起こし、中国大陸を侵略してどうにかしようとしたのが裏目に出て、アメリカとの戦争に突っ込んでいって、破滅した訳で。
 その後の米軍が日本に進駐した後の政府は、その反省があって「基本的人権は変えてはいけない普遍的な権利」と憲法に入れて、人々が健康で文化的に生活し生きられるように国があらゆる手段をやらなきゃいけない。とまで憲法に入れさせた訳ですよ。貧困や飢餓・病気への恐怖が戦争を待望する世論につながり、国の方向を誤らせ破滅させましたからね。
 それから色々政府も頑張って・人々も頑張って、非常に大変な状況の人でも見捨てないような国がある程度出来た訳です。

 しかし、それがある程度続くと、明治政府のように自分達がとことん豊かになることが出来ないのは、貧乏人のせいだ。田舎のせいだ。って昔を思い出して考え出す人達が、特に戦争でいい思いをしていた人達の中から出てきた訳ですよ。大体70年代辺りから。
 その人たちが、色々な、今まで昔の人達が頑張ってきたことをぶち壊したり・タダ同然で民間に売り払うような「改革」を言い出し、中曽根内閣以降、アメリカの後押しもあってそのような事が非常に素晴らしいことだと政府が言ったりマスコミに言わせたりして、そこに受験エリート上がりの「意識高い人達」が加わることで、人々が「そうなんだ」「貧困は自己責任なんだ」みたいな誤った常識を身に着けてしまい、社会が一気に破壊されていった訳ですね。

受験エリートの暴走と差別的なまなざしの横行が、社会の崩壊を加速させている。

 もう一つ、「キズナアイ」の問題とも絡んでくるんですが、70年代に受験競争が一気に激しくなった事が、この問題や財務省のやってることなどに繋がってくるように思うんですよ。
 今の財務省の上の方にいる人たちや、早めに財務省を辞めて政治家になってる人達は、70年代の激しくなった受験競争を生き残り・東大の法学部などの難関に「勝ち残った」人達が多くなってるわけです。この前の時代のように受験で負けてもやりようがある。というのではなく、「受験に勝つことこそ素晴らしい」「受験に負けたら人間としても終わりだ」と言う社会的メッセージと一緒にやってきて、当然、自分達のようにやれなかった人達を「汚いもののように見下してる」、そういうエリートな訳です。

 そして、「キズナアイ」を批判してる人達の中で旗を振ってる人達を見てると、東大を出て大学教授になったとか、東大に限らず旧帝大早慶などの上位の私立大学を出て大学教員や学者・マスコミに入ったり弁護士や社会運動家になった人が大半を占めてる訳です。
 この人達は、「自分達のように努力しなかった人間は軽蔑する」と言うマインドを、表向き隠してはいても実際にはダダ漏れになってしまうくらいに抱えてる人が多く見受けられます。
 そのような人達は、例えば財務省の関係ならば「自分のように努力して勝てなかった人間の生活や生き死にを自分が支配して富を搾り取るのは、自分が与えられた当然の権利」と思うし、キズナアイのような物を批判する人達は「自分達のように努力してきてない人達ごときの価値観に従う必要はないし、優れてる自分達の価値観で差別だと言うなら、差別なんだから受け入れて、”差別表現”は排除されないといけない」って感じで凝り固まってるんだろうと思います。
 そういう中で、社会学と言うかジェンダー学にせよ外部からのチェックも働かず・ある種の「流派」に反する意見や学説がムラ社会的な理屈で排除され、どんどんと、浮世離れしたと言うか「優れてる自分達が優れてない人達に価値観を押し付けて当然」と言う態度になっていったんだと思うのです。
togetter.com
togetter.com
sociology.jugem.jp
www.tenrikyo-seinenkai.jp
kusunoki456.blogspot.com

 財務省や今の政府・首相官邸も同じような物でしょう。災害の現場で苦しんでる人達は「努力してない」と考えて「プッシュ型支援」なる自分たちだけに都合のいい「援助」に文句を言うな。とネトサポや御用芸能人経由で言わせたり、予算を組むこともろくにせずにほったらかしにしておけば、後々で雀の涙ほどのお金を投げてやればありがたがるだろうとすら考えてそうですし。

「自分達のことはまず自分達で決めていく」と言う原則を掴み直すこと。

 ある種の人たちにとって、他人の生き死にを支配したり食事を支配したり文化を支配した上で、自分達が富を独占するというのは、ものすごい・この上ない快楽なのでしょうが、その「犠牲」になる、私ら貧乏でいろいろ事情抱えてて、世の中から批判すらされることもあったような人達からすれば、たまったもんじゃないのですね。
 そして、そのような構造を「なすがまま」にしてきたことで、この国は・この社会は・この世界は、どんどんと腐り落ちるように腐敗していってるわけです。中世よりも前に戻り始めてるフシすらある。
 そこを乗り越えるには、「犠牲」にされて当然だ。とされてるような人達が、世の中のことに目を向け必死に考えつつ、身の回りの人達と繋がり直し・話し合い、色々沢山の流れを作ることで社会や政治の有り様に手を突っ込み変えていくことでしか・自分達のことをまずは自分達で決めていくという原則のようなものを掴み直していくことでしかやれないのではないか。そういう風に、思うのですね。

「新潮45」廃刊騒動とサロン商法なる物から、みんな教養を身に着けようと考えてみる。

 LGBT(同性愛者や両性愛者やトランスジェンダー)を巡って、ボロクソにけなしたと言ってもいい杉田水脈議員を擁護する特集を組んだ雑誌「新潮45」が猛烈な抗議で休刊・事実上廃刊になりました。杉田議員の発言にしても、その前後に同じような理屈で色々言った人達にせよ、言ってる中身にはいいことがないと言うか酷い中身だな。とは思うのですが、その一方で、廃刊を要求した人達の強引さや、自分たちに都合のいい人達だけを担ぎ上げて要求を押し切ろうとするやり方に対しては、更にまずいなとか酷いなと思ったわけですよ。
news.yahoo.co.jp
biz-journal.jp
 今回の件では、特に「新潮45」の廃刊を求める人々が出だしたあたりから、LGBTの当事者の人達の間で真っ二つに分かれたんですよ。「そこまでしなくてもいいじゃないか」「きちんと議論をやるべきだ」と言う多くの人たちと、「差別だから潰せ!廃刊にしろ!」と煽ってた少数の人たちに。
 そこに、「レイシストしばき隊」などに集ってきた反差別運動の人たちやフェミニズム運動をやってきた人たち・その周辺の「リベラル」「市民運動」を自称してる人たちが雪玉の雪のようにどんどん重なっていって、その雪玉で新潮社を糾弾し・マスコミや一部のネットメディアを動かし、問答無用に追い込んでいった訳ですね。
togetter.com

新潮45」廃刊への道は、今までも度々と言ってきた道だった。

 このやり方、今までも色んな形でやられてきました。90年代頭の「有害コミック騒動」でも繰り返し見られたし、同時期の「ちびくろサンボ問題」では、非常に限られた・家族数名が作った「反差別運動」の要求で、本が一旦絶版になった訳です。その前には、被差別部落を巡って、部落解放同盟が「自分達が差別だと思ったものは差別だ」として、1960年代から度々マスコミの人や作家を呼びつけたり押しかけたりして「糾弾会」を開き、長時間取り囲んでののしって「自己批判」「反省」を要求する事を繰り返して「成果」を挙げてきたということもありました。
 それぞれ、要求する側には「ゆらぎない正義」があると自分達は思っててその事でどんどんやり方がエスカレートしただけでなく、「仲間のだれかが差別だと思ったら差別だ」と言う考え方でどんどん突き進み・社会全体が糾弾されないようにと萎縮していったんですよね。
 1989年の正月に、昭和の天皇が死んで今の天皇に代替わりしたときなんかはもっとひどくて、死ぬ数ヶ月前から多少でも「元気」をほのめかすようなCMや番組が軒並み批判されて、どんどん自粛してしまった訳です。天皇が死にかけてるから・死んだから、祝い事なんかするな、歌や踊りなんてもってのほかだ。という感じで、多くのコンサートなどがやめさせられた訳ですね。(蛇足ですけど、今の天皇が「生前退位」にこだわった理由の一つが、この時の「自粛ムード」で社会に色々押し付けたことへの彼なりの反省があったのでしょう)
www.huffingtonpost.jp
togetter.com

目先の快楽を優先して、社会を壊しても気にしない人々。

 それらは、目先の数年間は非常によく働く訳ですよ。「差別を批判する側が差別だと思ったら全て差別」「性暴力だと思ったら性暴力」などという理論は、差別だと思う表現や言葉を、表向きなくすし、ついうっかりと公の場で出してしまった人達に抗議して、「責任をとらせ」見えなく出来ますからね。しかしそうすると、今度は、何が差別なのかとか何を差別と考えるべきなのか。と言う、本来やらないといけない部分が、どんどんやられなくなっていく訳ですよ。「トラブル」を防止するために当たり障りないことしか言わないようにしよう、当たり障りありそうな話や中身は自粛しよう。
 平成と呼ばれてるこの30年間の、最初の25年間というのは、まさにそういう時代だったと私は思うのです。最近だと民族差別や原発事故での放射能汚染や健康被害なんかでも散々眼にしてる訳で。
朝田理論 - Wikipedia
saikamituo.exblog.jp
togetter.com
 しかし、その事で、もう少し理性的な議論や何が問題なのかと突き止めていく作業というのが、ほとんど全てと言っていいくらい「差別的と言われかねないから自粛しよう」と言う事でやられなくなっちゃってる訳ですよ。そして、話はそこで済まなくなっていて、そのように「差別だと思うのは全て差別」と言う形で要求する運動してきた人達が「差別だと思わない」ところにも、色々と深刻な差別があって、でも、その深刻な差別にあってる人達が声を上げたら「差別されてないくせに甘えるな」「お前らこそ差別者だ」とボロクソに声の大きな人達がけなしていくわけです。
 今起こってる、「(主に男性の)オタクvs自称フェミニスト+自称反差別運動」の争いはこの構図ですし、「キモくてカネのないおっさん」問題とかもそう。
togetter.com
 そしてもう少し見る所を広げると、ワーキングプアの問題なんかも散々そういう言われ方して問題が酷いことになったし、親の経済力の格差が子供の学歴に響くばかりか就職問題にまでなってしまうという「貧困の連鎖」「階層固定化」と言う深刻な問題も、こういう「見捨てられてた差別」の問題が相当部分あるわけですよ。「十分稼ぐ働き方しないお前が悪い」「貧困は自己責任」。こういう言葉は、2000年代の終わりか10年代の頭くらいまで、あろうことか「反差別運動」「リベラル」などを自称する人達からも繰り返し言われてましたし、貧困というものが差別そのものなんだ。と言う考えじゃないから、自己責任論を受け入れて、「自分達が差別だと思うことの”被害者”だけ差別だといい改善を要求する」ことは、この国の差別というものの有り様をものすごく歪めて、社会全体を壊してしまいました。

「サロン商法」なる所に人寄せするために「大学なんて行かなくていい」と言い出した人々。

 もう一つ、ネットの一部でホットな話題になってるのが「大学なんか行くな」と言う話なんですよ。これを言い出した人達は「大学に行くより自分や仲間の運営してるサロンに入ったほうが、就職に有利だぞ」みたいなことを言って、大学進学するかどうか迷ってる若い人たちに大学に行くお金で自分達が運営してるような、月一万円とかの月謝を払う必要があるサロンに行かせようとしてる訳ですね。
delete-all.hatenablog.com
togetter.com
 あろうことか、落合陽一氏のような、国立大学でバリバリ働かれてる方まで、その合唱に加わってるものですから、驚きましたが、まぁ、彼は自分の「サロン」と言うか私塾をやってるようなんで(ここにはリンクを貼りませんが)、その事もあるのでしょう。
 大学というのは、長年、「就職予備校」とされ、今の安倍政権はその方向でもっと就職予備校化を進めてる所があるのですが、しかし、実際には教養を身に着け・視野を広めていくことで、変な人に騙されたり嘘八百並べて騙したり脅したりするようなレベルの低い事にはめられないようにする力をつけるところであると思う訳です。
 確かに、特に私立大学の文系学部だと今は就活とか出席管理が厳しいですけど、30年くらい前は「出席は代返・試験は知り合いの持ってる過去問で適当にやって、レポートは丸写し」でどうにかやって、サークル活動や「遊び」に集中してたほうが就職しやすい。なんて平気で言われてた事もありましたが。
 でも、それで(そのような文系学部出身者が出世コースに乗せられてた)日本企業全般が物凄くおかしなことになって一気に落ちぶれたし、教養がろくにない人が企業やお役所の上の方に固まってしまい、選挙制度の問題なんかもあって国会や地方の議会もそんな感じになってしまい、どんどんと社会が壊されていくだけでなく、なんでそんな事になってるのか、私達一人一人が危険さのどまんなかにあることを見れないようになっちゃってきた訳ですよ。

なんでも「陰謀論」にしてしまって考えることをやめた、教養を捨ててしまった人々が日本の上の方には多い。

 私のことになってしまいますが、かなり昔から、物事の裏側にあることを見ることが多かったせいか、物事の裏側にあるものを見ようとしたり、どうしてそうなってるのか必死に考えたりしてきて、それをパソコン通信などのネットでかいたりすることが多かったのです。が、大抵「陰謀論」「電波」などと笑われてきたんですね。
 一寸待て、私は「ムー」で「ユダヤフリーメーソン陰謀論」書いてるような人達(太田龍とか宇野正美とか)と同類なのか?と毎度がっくりしたり怒ってたりしましたが。
月刊ムー アーカイブ | ムー PLUS
宇野正美 - Wikipedia
 そういう、考える能力を徹底的に捨てていった人達が、80年代の終わりか90年代の頭には沢山社会の上の方を占めてて、間違ってても必死に考えようとか必死に調べようとか、そういうあたりの事を「むだ」「余計なもの」とする風潮ばかりがのさばるようになった訳ですよ。00年代以降の「維新フィーバー」や「ネット右翼現象」「嫌韓ブーム」と言うのは、まさにこの「むだな物を捨てていく・筋肉質であるべき」と言う社会の風潮が起こした部分が相当ある。今となっては、反対側のはずの「リベラル」「左派」を自称する人達の中でも・学者さんであっても、そのような人が増えつつある。

 全くいやな時代ですが、そのような時代というのは社会が壊れていく状態だし、そうなると、どこかで限度が来るんだと思うんです。たて直すチャンスというのがそこで出てきて、その時に、そのような「筋肉質」になれなかった人達がどれだけ多くいるか。どれだけの人が自分で必死に考えていろいろ見ようとするようになるか。で、その社会が地獄になるか地獄にならずどうにか人々が生き延びるか決まってくると思います。
 皆さん、どうか、間違ってても正しくなくても、どんなに幼稚でもいいのだから、自分で沢山のものを見て感じ取り、教養も考えも深めていきましょうよ。

自民党総裁選や沖縄基地問題から見る、「法律をまもること」の限界について考えてみる。

 今まで暑かったのが、急に寒くなってきました。どういう天気なんだろうか…と思いつつ、皆さん。お体おだいじに。北海道でも大地震があり、関西地方や北陸地方は物凄い台風で大変なことになってますが、皆さんどうかお気をつけて…。
北海道震度7:死者数、政府も41人に 北海道認定に従う - 毎日新聞
大災害列島「ニッポンの異常事態」:関西ルポ 「第3室戸台風」の巨大な爪痕 関西国際空港、神戸… - 毎日新聞

 さて、自民党の総裁選や沖縄県知事選挙が話題になってます。で、両方で共通して起こってることとして、安倍総理であったり自民党側が立てた候補であったりが、徹底的に「討論会」から逃げ回り・裏工作と言ってもいいような「票固め」に専念して、要は選挙で投票する権利がある人達が候補の言いたいこと・やりたいことや実際の人柄のようなものを見極めることが出来ないで、とにかく「上」の言うことや望むことに従うかどうか。だけで選挙が行われてしまってることなんですよ。
総裁選恒例の東京街頭演説が見送り 日程調整できず - 社会 : 日刊スポーツ

選挙で討論することから逃げて違法行為すら厭わずに選挙に勝つ人々。

 これ、「民主主義の危機だ」とかしたり顔で言う気にもならないのですが、この七八年、多くの選挙でおんなじことが行われてきてる訳ですよ。私が最初に目にしたのは、確か2012年の東京都知事選のときで、その時私はささやかながら宇都宮健児氏の選対のお手伝いを少しだけしてたんですが、そこで問題と言うか話題になってたのは、「公開討論会を色んな人達がやろうとするんだけど、猪瀬氏や一部の候補が拒否し続けてて、開けない」って事だったんですよ。最終的に、今までより少ない公開討論会…私の記憶では青年会議所主宰のものしかやらなかったと思うけど、多分もう少しはやってた…で、投票となり、猪瀬氏が当選し、猪瀬氏の後押しで都営地下鉄の民営化や東京オリンピック招致をやっていった訳です。
 そこが始まりだったのかなんだったのか、2013年の衆院選でも似たような話が飛び交いましたし、猪瀬氏が降ろされた後の都知事選でもおんなじ状態でしたし、その後の衆院選参院選や各都道府県の知事選では、もはや、討論会を自公政権側の人達が拒否して青年会議所主宰のだけやるような状況が当たり前になってしまった。
 政権についてる側の人達があらを見せない為に討論とか対話とかそういうのから逃げ回り、組織票を固めて積み増すために偉い人が色んな組織を廻って裏工作よろしく「投票しなかったらどうなるかわかりますよね?」みたいな感じで半分脅すようにして行って、新潟県知事選とか沖縄の選挙では誰が誰に投票したか、投票所で見たり写真に取らせて後で見たりまでした。って噂話が飛び交う状況が出来てしまい(この手の話は、00年代の沖縄の選挙では毎回裏で言われてた話なので、それが全国に広がった感じがありますが)、その状況によって投票率が下がったりまでして政権与党側の候補が多く勝ってしまう。と言う、本当に情けない状況が全国で出来上がってしまってるっぽいんですよ。
 そして、今回の沖縄県知事選なんかだと、既に一部の新聞が玉城デニー候補の「選挙違反」をでっち上げたり(実際には数万円のミスを百万円規模の不法支出だと”印象操作”しようとしたり)、玉城候補について根拠のない話を集めたサイトが立ち上げられたりまでしてるし、自民党総裁選だと、安倍総理が勝つはずなのに、地方議員に対して脅しとも取れるような圧力を官邸や内閣府の偉い人達が各地方に行い、神戸市の市議会議員達がさすがにやってられない。と表に出てきて対立候補の石破氏の側に廻ると公に言い出した訳ですよ。
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「左派」を自称する人達が市井の人達に牙をむいたことで、状況がより混乱している。

 こういう話というのは、マスコミの側も「ささいなこと」と考えてるのか、なかなかきちんとまとまって報道されることが今まで殆どなく、流石に最近は度が過ぎるせいか多少は出始めてますが、やっぱり、そう大きくは出てこない訳ですよ。
 その事によって、当然、私達には知られるべき話は知られないし、今起こってる問題に対しても知ることが出来ないだけではなく、今の政権や社会で立場の偉い人たちというのがネットで「空気」を作るためにウソも何もフル活用して、事実にないこと・実際には起こってないことを大きな声で広めて拡散していく一方、都合の悪い話は徹底的に押さえ込むことで「えらさ」を掴んだり維持したりしてる人達ですから、私達が知るべき話が、実際のこととは正反対の話だったりまでする訳ですよ。
 そして、それが薄々うさんくさいとかウソっぽいとか思ってる人達は「どうせ何やってもムダ」と投票を諦めたり、「政権に歯向かってデモとかしてる人が気に入らない」って煽ってる(多分今の政権側のネット工作にも関わってそうな)人達に煽られて、いくらダメな政権でも、今の政権しか選択肢がないんだと思う羽目になっている。
www.nishinippon.co.jp

 そういう、私からすれば相当ひどい悪事を以て、今の政権なり原発再稼働を目指してる人達なりが社会的な影響力や政治的な力を持ち・強めてるという部分が相当あって、それに対抗する側は、最近のフェミニズム関連の人達や「しばき隊」の人達のように、やたらと普通の人たちに「ネトウヨ」「レイシスト」「差別者」などのいいがかりをつけたり、ある種の他人に危害を加えない人たちやある種の表現を差別的だと攻撃することにばかり力を入れて、その一方で今の政権とか原発とかを批判するものだから、政権批判や原発批判自体まで悪いイメージがはびこる始末なんですよね。
 そして、都知事選で細川元首相や小泉元首相や鳥越俊太郎氏を担ぎ上げて「宇都宮おろし」に奮闘した人達が、またぞろ「石破さん待望論」とか言い出してて、それが単純な「水戸黄門待望論」でしかないことを多くの人が見抜くものだから、前よりもっと「左派やリベラルには期待できない」と言う声が大きくなる始末な訳ですよ。
チラシの裏:小宮青識論争観戦記 – 江口某の不如意研究室
d.hatena.ne.jp
dot.asahi.com

沖縄の基地問題で浮き彫りになった「無法者には法を護っても仕方ない」事。

 そして、先程亡くなられた翁長沖縄県知事ではないけど、何かにつけて「法律をまもる」と言う点にこだわり続けてそれ自体が目的になってるから、法律をとことん破ってとことん歪めてでも目的を達成しようとする、今の政権やその周りにいる人達のむちゃくちゃぶりに押し切られてばかりで、結局何も出来ないままに自分達が努力した。と言うアリバイだけが積み重なって、現場で苦しんでる人達の状況が悪くなる一方なんですよね。
 私からすれば、翁長県知事のような方というのは、「保身最優先のペテン師」の部分が相当あるんじゃないか?と疑ってる部分がどうしても消せないわけですよ。彼が頑張ったのは確かにそうですが、彼は状況を余りに見誤ってた。いまの状況が安倍政権以前と変わらないと勘違いして(そもそも、安倍政権以前が法律が護られたとも思えないのですが)、法の範囲内でしか動いてなかったわけですよ。首相官邸が法をねじまげて警察を無理やり動かして辺野古や高江で基地建設に反対してる人たちに暴力を加えさせたときなんかが一番象徴的だったんですが、翁長知事の権限で(法をねじ曲げてでも)沖縄県警や県庁職員を動かして、反対派の住民と住民や反対派を攻撃してるよその警察の間に入らせることすら、彼はしなかった訳ですからね。
gendai.ismedia.jp
 そういう状況では、「政治には何も期待できない」「自分が政治にひどい目に合わされても、政治も行政も助けてくれない」って諦めるしかなくなる人が、猛烈に出てくるし、多分それは、今の安倍総理をトップに据えて・彼を担ぎ上げてやりたい放題して国や国民のおかねを多分数百兆単位で盗み取ってる人たちのおもうつぼそのものなんですよね。
 私が見てきた「世の中」は、80年代末の「昭和バブル」の頃から、そういう光景をいろいろ目にしてはいましたが。
 それを当時の「普通の人たち」(念のために書いておきますが、ネット右翼とかではなく、本当に普通の人たち)には、全く理解が出来なかったし、言ってみたところでおかしな人だと思われることがほとんどでしたが、今や、そういう世の中を仕込んできたような人たちが表に出てきて、そういう世の中を隠さなくなってしまい、多くの人達が、どうしていいのかわからないし誰を信じていいのかわからなくなってしまってる。

自分自身を見つめ直して信じ直し・繋がり直す事の大事さ。

 そこを乗り越えないことには、私達一人一人が「人間として」生きる事ができなくなってしまうわけですが、どうすればいいかといえば、自分自体の誰の色にも染まってない部分を見直して、自分自身を信じて・周りの人達を信じて、どうにかして身の回りから変えていけないかと周りと繋がっていくというあたりからやり直すしかないのかなぁ。と思うんですよ。その中には、法律を護ることだけが本当にいいことなのか?それが却って世の中全体とまでいかなくても身の回りの状況を悪くしてしまったんじゃないか?と言う問いかけも必要だと思います。
そういう形で繋がってく流れがたくさん出来て、反発し合ったり交わり合ったりする中でしか、この社会がきちんと「人間が人間として生きられる」ようにはならないんじゃないか。と、私は思うのです。

中国の検閲を理想という、角川グループ社長の「海賊版排除の為にネットを検閲しろ」発言から見る、この国のエリートの崩壊ぶり。

 台風がすごいことになってますね。今も外は風がすごくて、下手に外に出られない感じになってます。みなさんも、お気をつけて。

角川グループ社長の「OP53Bを徹底せよ」発言の波紋。

※2018/09/05昼 おことわり:この文は、角川CTOの川上氏の経歴を、iモードについての部分でドワンゴ取締役の夏野剛氏の経歴とごっちゃにして書いてしまった物です。お詫びして訂正…しようと思いましたが、iモード云々の部分を削るとぐちゃぐちゃになりそうなので、申し訳ございませんが注釈を付けて・訂正線を引いた上でそのまま置いておきます。本当に申し訳ございません。

 さて、この二週間ほどで、世の中いろいろありました。角川の代表取締役ニコニコ動画を運営しているドワンゴの社長でもある川上量生氏が、「海賊版サイトを撲滅するために、日本のネットユーザがプロバイダの外にあるDNS(ネットのアドレス帳検索サーバー)に繋げないようにしろ」などと、政府の会議で発言し、監督官庁総務省のお役人が「流石にそれはダメではないか」と抵抗した事が、話題になってました。
togetter.com
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news.yahoo.co.jp
 川上氏は、前から「中国の厳しい検閲こそが、ネットのあるべき姿だ」などと著書で書いてたようで、彼からするとネットで国民なりユーザなりが自由に情報に不アクセスして自由に使ってたら、色んな「利益」を失うから、中国のようにどんどんしめつけて、自分達の「おすすめの」情報以外は得られないようにしないといけない。と言う考えのようなんですよね。
 川上氏ご自身が、今となっては日本のケータイネット技術を大きく遅らせた、NTTドコモの「iモード」で著作権管理をガチガチにやって、音楽や動画を自分でケータイに入れることすらままならない機械を押し付け・ネットワークを閉じたものにして、ユーザにものすごい不便を強いる中でぼったくり商売をまかり通らせて、ボロ儲けする。と言う商売のやり方を組み立てた張本人な訳ですよ。(注:iモードをやったのは夏野剛氏です。お詫びします。)
toyokeizai.net
 彼からすれば、日本のネットユーザは「養分」であって、徹底的に締め付けやれることも制限した上で、そこでコンテンツ会社などが法外に高いお値段で質の悪いものを押し売り同然に売りつけられるシステムを作った成功経験が忘れられないのでしょう。
 しかし、そのようなビジネスモデルが、ケータイに限らずテレビのB-CASカードや携帯音楽プレイヤーのガチガチ過ぎる著作権保護、CCCDなどの悪名高い物がはびこる形で蔓延してた00年代によって、人々がテレビからも音楽自体からも離れて、このビジネスモデルを取った業界が、軒並み落ちぶれちゃってるわけですよ。CCCDが出る前後くらいまでは、CDにせよ「AKB商法」みたいにしなくても100万枚超えるのが当たり前に出てたし、テレビだって物凄い社会的な影響力があった。
 それを支えてたのは、実は、「お手軽コピー」でもあったんですよね。簡単に(パソコンなども使って)複製し、「これいいよ」って友達に流すことで、「いいから買おうか」「いいから見ようか」「同じ製作者の他の音楽や番組を買ったり借りたりしてみよう」。こういう感じで、どんどんと人の輪を通じて「良さ」が広がり、それがコンテンツを作る側のお金儲けの基になってた。
 そこの部分を根絶やしにすれば、もっと儲けることができる。ってやったのが、00年代の音楽業界やテレビ業界と、NTTドコモに代表されるケータイ三社だったんですよね。焼畑農業を繰り返した挙げ句に、儲ける源すら焼き払ってしまった。
news.livedoor.com
www.pseudo-hacks.com
shelter.exblog.jp

非常に狭い範囲の競争で勝った「エリート」の傲慢が、戦後日本を壊し続けてる。

 川上氏の今回の発言は、彼の「イデオロギー」・思想なんでしょう。しかしそれは、この国を壊した、非常に幼稚で短絡的な事そのもので、なんでそんな事が理系文系問わず、この国の偉い人達の多くにはびこってるのか。と言う事を考えると、要は、この国の「エリート」のありようというものが非常にいびつで、表面的な知識の量と短い時間に与えられた問題をこなす能力ばかりが訓練されて、そこで「勝ち残った」人たちが東大に行ったり、霞が関の省庁や大企業の幹部職員として採用されたりする。と言うシステム自体の歪さでもあるんじゃないかと思う訳ですよ。
 幅広すぎる教養や自分の身の回りと全く違うところもきちんと見て考える広い視野。というものが、彼らからはすっぽり抜け落ちてて、その上で、非常に狭い範囲の「競争」で自分が勝ったんだから、勝てなかった人間や競争に参加しなかった人間は「格下」なんだ。自分達は「格下」の人達をとことん支配して構わないし、その為には時の権力と密接に結びついて彼らを動かしていく「権利」を持ってる。
 そんな感じの、非常に歪んだものが、この国では最低でも昭和のバブルが弾けてオウム事件なんかがあって混乱し始めた95年前後から、この国のエリート層に汎くはびこってるのではないか。と思うんですよ。

教養のないエリートのわがままを乗り越えるには、私達がきちんと流れを作って行くしかない。

 彼らからすれば、「教養」や「ひろく物を見て自分の力で考えて悩むこと」は、「余計なこと」「お遊び」でしかないんですよ。その事が、原発事故のことや放射能汚染の被害・いろいろな薬害や公害で、被害者の人達が被害を訴えたりしたのを「嘘つき」「放射脳」などとバカにし、真面目に物事を考えないで「日本の中でしか通用してない”常識”」から外れた考えやその”常識”がもたらす問題や過ちを指摘する人達に対して「嘘つき」「頭がおかしい人」と貶して排除してなにかいいことをやったつもりになれるような、非常にあさはか極まりない「エリート」が、分野を問わずにのさばる事に繋がってると思うんです。
 そのようなあさはか極まりない人達の中には、「愚かな大半の人達を、自分達が啓蒙して導かないといけない」と思う人も多くて、それが、例えば今回の川上量生氏の「中国が理想のネット」思想に基づいた「海賊版撲滅」と言う物言いに繋がってるのではないか。
 そういう事で、多くのことが廻らなくなり、苦しんでしまうのは、私達「エリートになれなかった人々」で、その人達が新しい流れを、一つではなく沢山作って、その事で社会の方向を決めていくようにしていく必要があると思うんですよ。
 エリートも大事かも知れないけど、エリートの外側にいる人達がきちんと世の中に関わって、世の中の動きを決めていかないと、この社会はどんどんとやせ衰えてしまう一方ではないかと、思うのです。