敗戦記念日の「ノモンハン事件」番組から、この国の無責任体質が続いてる事に改めて向き合ってみる。

 今年も、終戦記念日と言われてる敗戦記念日が過ぎていきました。今年のNHKは、ノモンハン事件での関東軍日本陸軍の無責任さをNHKスペシャルで取り上げましたが、これは、改めてドン引きするしかなかった訳ですよ。辻政信という関東軍(当時日本が植民地にしていた満州国を支配していた軍)の参謀が、無理過ぎる作戦を立てて、それを色々強いことを言ったり人脈に訴えたりしてゴリ押しし、そんな事言ってもソ連軍がノモンハンに戦車や大砲を運んでるのを見たから無理だ。とソ連に駐在してた武官の人が訴えたりしてもそれを無視するどころか辻参謀が武官を脅して黙らせようとしたりして、結局国境を超えて日本が爆撃したり、兵隊に国境を超えさせたことでソ連と全面的に衝突し、数カ月間戦った末に、日本側が悲惨な形で惨敗した訳ですよ。
www6.nhk.or.jp

辻政信と言う、非常に邪悪な参謀は、一人だけではなかった。

 で、そのデタラメな作戦を辻参謀やその周囲の関東軍の偉い人たちが取ったか。と言えば、一時期左遷された程度で誰も取らないでいたわけですよ。その反面、戦場の現場で兵隊がバタバタソ連の猛攻に倒されたり餓死寸前になったのを見かねて撤退を決めた指揮官や捕虜になった航空戦隊長なんかが、責任を取れと迫られ、拳銃で自決させられて行った訳です。
 この体質と言うか伝統というのは、結局、太平洋戦争・大東亜戦争に日本が負けるまでずーっと続いてて、去年のNHKでやったインパール作戦にしてもむちゃくちゃな作戦を立てた人達は誰一人責任を取らずに戦後を迎えて、多くの戦場で犬死にと言っていいかどうかすらわからないほどムダでしかもデタラメな死に方・殺され方をした兵隊や民間人が、日本では相次いでた訳です。インパール作戦ガダルカナルニューギニア戦線などでは、無理な作戦を立てられて、それに従うしかなかった兵隊たちが、万の単位で餓死していきました。マラリアなどで病死する兵隊も沢山いた。そんな戦場が非常に多かった。そして、日本軍に関しては、戦場で敵兵や飛行機・戦車などに撃たれて死んでいった兵隊よりも、餓死させられた兵隊のほうが圧倒的に多かったし、戦争末期には、沖縄のように民間人を米軍に引き渡さずに手榴弾で自爆を強要したケースも沢山あったし、最終的に敗戦を受け入れるに至った過程では、沢山の民間人を関東軍将官たちや満鉄などの幹部たちが見捨てて、自分達と家族だけ先に日本に戻り、その直後にソ連軍が侵攻して捕虜にされたりレイプされたりしたことも、珍しくなかった訳ですよ。
半藤 一利さん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス 戦後日本のあゆみ

 そしてその後将官や参謀などが責任をきちんと取ったかと言えば、米軍の追及を逃れるために戸籍を消したり変装したりして逃げ延び・占領軍が日本を出てから出てきた人も多かったし、戦時中やその前、軍だけでなくお役所なんかも何を決めて何をやってたのか、わからなくするために、8月14日からの一週間ほどで書類を焼き捨てたりまでしてた訳です。誰がどのように言ってどういう風に決めたか。ということは、徹底的に消されていってしまった。
www.asahi.com
 辻政信参謀は、結局、こういうことに助けられて、戦後占領軍の目を逃れて逃げ続け、占領軍が去った後、表に現れて手記を発表し、それを何故か当時の人達がもてはやし、彼は結局、国会議員にまでなってしまった訳です。最後は、ビルマ国境あたりで行方不明となったとは言え、本来、畳の上で死なせてはならないような真似をやらかしまくった人が、畳の上で死んでしまったような物です。
辻政信の戦後の潜行と作家・政治家としての活躍
gendai.ismedia.jp

今も、多くの辻政信が日本の社会や政治にのさばってる。

 これは、戦争のときだからそうなってしまっただけだったのでしょうか?実際には、そんなことはない訳ですよ。
 00年代、多くの自治体・特に政令指定都市で、「改革派首長」が誕生しました。聖域なき構造改革と自己責任をテレビなどで訴え、それをテレビが非常にもてはやし、その力を借りるようにして市長や知事になり、自分の思い込みに沿った・多くのことで現実とかけ離れた政策を、やっていった訳です。議会が逆らえばマスコミをうまく操って喧嘩をやり、その政策で不都合を押し付けられたり苦しめられてる人達が文句を言えば、その人達をあざ笑うかのようにして、マスコミをうまく操ってその人達を徹底的に悪者扱いして叩かせたりまでした。
 そして、その事で財政がおかしくなったり、自治体の中の社会が荒れ果てたり苦しむ人が沢山出たりしても、一切責任を取らない。最後に大きな問題を起こしても、自分が辞めるだけで責任を取ったことにし、マスコミもマスコミで、どんだけ酷い・デタラメな真似をその首長がしたのか、全く検証すらしないから、その人が例えば、国会議員やコメンテイターとして出てきてしまうことすら珍しくない。
 横浜市長だった中田宏や、大阪市長大阪府知事を歴任した橋下徹なんかが、代表的ですが、今でも、千葉市長の熊谷俊人なんかも、そういう気配が物凄くする訳ですが。

 そしてなにより、日本のトップ・総理大臣が、そんな事ばっかりな訳ですよ。色んな政策をこの六年間で安倍総理は持ち出してきましたが、その多くが大失敗してるか、日々暮らしてる大多数の普通の人達をひどく苦しめたりする結果を招いてる訳です。その事をマスコミが真面目に報じないから、責任問題が曖昧になってるし、今までの六年ほどの日本の有り様に、うっすら不満やおかしさを感じても、それをなかなか形に出来てない。
 安倍総理は、かなり早い段階から、マスコミの幹部と食事をしたりしてマスコミを取り込もうとすると同時に、自分に批判的な話や報道をする人たちに対しては、マスコミ各社の幹部を呼びつけ・怒鳴りつけるなどして脅し、そのような人達を表に出させないように仕向けていってるわけですよ。
 森友・加計の問題なんてのは、その延長線上の話で、自分の思い込みと自分のワガママかつ勝手な「善意」の押しつけと、自分の身の回りにだけ税金をつぎ込み、えこひいきし、その外側で苦しんでて本当に税金が必要な人達や、将来の教育・科学技術や社会科学の粘り強さを育てると言う部分は、ムダとして切り捨てるのは、彼らの無責任さや自分勝手さと言う部分で、非常に繋がってる。
 ネットの世論やマスコミの論調なんかに多く見られてますけど、「議論してて決められない政治よりも、即断で一気に決めてしまう安倍さんが素晴らしい」「議論を重視してる野党はダメだ」って声が、相変わらず強いんですよね。でも、それは、辻政信的な無責任で冷酷な人達がのさばりやすい風土そのものだし、それを、戦後73年間、この国は維持するどころかかえってひどくしてるように思えてならない訳です。

「良心を持たない人達」が仕切ってる、この日本のありようが続いてる。

 パーソナリティ障害と言う精神疾患のようなものがあります。
 その中には、反社会性パーソナリティ障害というものがあって、その一部がサイコパスとも呼ばれてますが、こんな特徴がある訳ですよ。

良心をもたない人たち
一、社会的規範に順応できない
二、人をだます、操作する
三、衝動的である、計画性がない
四、カッとしやすい、攻撃的である
五、自分や他人の身の安全をまったく考えない
六、一貫した無責任さ
七、ほかの人を傷つけたり虐待したり、ものを盗んだりしたあとで、良心の呵責を感じない
精神医学の専門家の多くは、良心がほとんど、ないしまったくない状態を、「反社会性人格障害」と呼んでいる。
この良心欠如の状態には、べつの名称もある。「社会病質」、ないしはもっと一般的な 「精神病質」。
アメリカ精神医学会発行の『精神疾患の分類と診断の手引』第四版によると、「反社会性人格障害」の臨床診断では、七つの特徴のうち、少なくとも三つをみたすことが条件とされている
http://www.soshisha.com/book_read/htm/1472.html

 この特徴自体は、アメリカの一世代旧い精神障害の判断基準(DSM-4)によるもので、もう少し特徴がアップデートされてるとは思いますが、日本で褒め称えられる人たちや、偉くなる人たちに、極端にそういう人達が多いように思うのです。

 この手の人たちは、良心がないか非常にいびつであると同時に、人から魅力的に見られやすく、しかも、その本質が酷い邪悪だと見抜く人たちを孤立させるのが非常に上手い。そして、そのような人達が社会の上の方に非常に偏っているのだと言うことは、例えば総理や総理を操ってると言われてる今井尚哉秘書官のように不都合な事実をマスコミに報じさせないように脅したり、色んな所がカネを出してマスコミを黙らせたり、暴力団となぁなぁになって、自分に都合の悪い人達を、社会的にも物理的にも抹殺することに全く怖れをもたない事も抱えてる訳です。
 そして、そのような人たちは、自分達の欲望・自分が何もかもを独占して、人の生き死にまで自分が支配できるようにするために、人並み外れた努力を払ったりもする。
 私達は、良心の支えで社会を廻したり社会に助けられたりしてきてる訳ですが、その上の方に、良心にかけた人達が沢山いてそれが社会を支配しようとしてるというのですから、どんどんと社会の崩壊に拍車がかからなくなって行く訳ですよ。努力したそばから、上の方の良心のない人達がそれを逆手に取って、自分達の都合のいいように物事をゴリ押ししていきますからね。

日本の危機とは、良心のない人達が社会を仕切ってる悲劇そのものだと思う。

 今、日本が抱えてる「危機」と言うのは、末端で真面目に生きてたり、色んな理由で喰うや喰わずの思いをしてその日ぐらししてる人達・色んな理由で苦しみを押し付けられてる人達の真正面の「危機」と同時に、その人達が、「良心のない人達」の身勝手な利益や身勝手な善意によって、より苦しめられ続けてる。と言うことにあるように私は思うのです。
 あらゆる善意や節度が、「良心のない人達」の利益と自己満足のためにだけ働かされて、その外側にいる99.9%の人達を苦しめ・殺しすらすることにすりかられてしまってる。
 私達は、そのような「良心のない人達」をなかなか意識できない。彼らは、社会の表側に対しては非常に魅力的に自分達を演出し、批判を許さないように言葉たくみに振る舞ってますから。
 そうであるから、私達が彼らに苦しめられ続けてるとしても、本当に身近にそういう人がいて振り回されたり苦しめられたりする経験でもない限り、殆ど気が付かないで、自分達の努力不足が原因なんだ。と、勘違いしてしまう。
 そういうひどくいびつで、サイコパスがのさばりやすい社会に私達は生きてるし、私達がそういう社会を作ってしまってる。
 そこをどうにかして乗り越えて、「良心のない人達」に、きちんとその責任と報いを取らせる社会へと変えないと、「ノモンハン事件の悲劇」は、そう遠くない内に沢山起こってしまうと私は思うのです。

2020東京オリンピックに、日本社会の大半が嫌気が差してる殺人的猛暑の2018年夏。

珍しく、2日連続で書いてみることにします。

西日本新聞に、数日前にこんな記事が載ったとツイッターで見かけました。

東京五輪が待ち遠しくない
2018年08月05日 10時41分

 われながら気弱な書き出しだが、今回のコラムは大多数の読者から賛同を得ようなどと大それたことは考えていない。10人に1人ぐらいの読者の共感をいただければ幸いである。
 東京五輪の開催まで2年に迫った。競技会場が予定される各地で「あと2年」のイベントが開かれ、テレビもしきりに「待ち遠しいですね」と呼び掛ける。
 私はといえば、全然待ち遠しくない(個人の感想です)。
 (以下、リンク先で)
www.nishinippon.co.jp

 正直な所、同感と言うか、そもそもオリンピックというものが元々余りに問題がありすぎる上に私に限らず多くの人が困る状態で、相当無理やり・ウソまで沢山ついて誘致して決めた末に、色々不正や問題が起こっても、マスコミを抱き込んでるもんだから日本国内だけ力技で押し切る。と言う事をやりすぎてるんですよね。
 私自身は最初からオリンピックに反対だし、開催地を決める時にテレビで生中継してるのを(「他の所になってほしい」と祈りつつ)見ててウソを並べて誘致してるのを見て、本当に情けなくなったのを思い出すんですが、その後の国会でも、山本太郎参議院議員以外、全ての議員・全ての会派がオリンピックを開くのに賛成をしたのを見て、この人達は、一体何が大事なんだろうか。国会の根回しばかりでロクに議論もしないで…。と更に嫌な気持ちになったのを思い出した訳ですよ。

ひどいことしかなくて人々にメリットがない、2020東京オリンピック

で、今回の東京オリンピック、非常に問題があるわけですよ

  • 数千億円で済ませる「コンパクト五輪」と言いながら、実際には数兆円規模になってる。
  • 一度決まった国立競技場の建て替えデザインを、色々いちゃもんつけてボツにして、その時あった競技場をすぐに取り壊した末に、もっと高価な建物を立てると言い出した。
  • その競技場の建て替えで、都営住宅が取り壊されて、多くの人が追い出されたり、ホームレスの人が追い出されたりなど散々なことになってる。
  • エンブレムデザインにしても、「上級国民」の人が他人のデザインをパクったような物を出して選ばれて、それが指摘されたら白紙にして、それからよくわからない過程で別の人のデザインになった。
  • 電通が最初から噛んでて、新聞やテレビなども巻き込んでる格好になってるので、反対してる人がマスコミで無視されるだけでなく、問題が生じても、なかなか報道されない状態が続いてる。
  • 安倍総理が「原発事故はアンダーコントロールされてる」などと、もう、原発事故が終わったかのようにして演説してたけど、実際にはなんにも解決してないどころか、ひどい話が見えなくされてるだけになってる。
  • オリンピックを誘致するために、多額の裏金をIOC関係者に賄賂としてばらまき、フランスの警察などがマネーロンダリングやヤクザへの利益供与を疑って捜査を続けてる始末。
  • 交通がパンクする上に、人手不足をボランティアといいつつ無理やり引っ張ってきた学生にタダ働きさせてしのごうとしてる。
  • 猛暑で多分死人や病人が沢山出る…。

まだまだ問題は挙げられますが、キリがないのでやめておきますね。

オリンピックは、上級国民の悪どい金儲けの手段になってる。

 昔から・それこそ80年代辺りから、オリンピックは猛烈なお金が飛び交う「ビジネス」とされてきた訳ですよ。そして、オリンピックによって業者が潤うだけでなく、後先考えないで税金をつぎこんで、残ったのが廃墟しか無くなったりする事や、治安目的で警察が無法・やりたい放題を繰り返した末に、オリンピックの後は経済的に破綻して、結局地域や国が荒れ果てるだけだった。ということも、珍しくない訳です。
murakumo25.com
gigazine.net
 だから、オリンピックでそういうことになったのを経験した多くの国では、オリンピックに名乗りを上げるのをやらなくなってる訳ですが、日本の場合は、それで儲かる人が上の方にだけ沢山いるから、度々オリンピックの誘致に動いてる訳です。
 オリンピックを理由にして、警察も役所も、風俗全体の取り締まりを厳しくしてもいる。漫画のエロ表現の取り締まりが厳しくなったり、風俗街で今までやってなかったような「根絶やし」的な取り締まりを繰り返したり。その事で、生活が壊されたり、表現が壊されたりする人達が、猛烈に出始めてもいる。
 今、多くの人が生活に苦しんだり、仕事で厳しいことをやらされ・安い給料と長過ぎる勤務時間を押し付けられ、病気になって壊れる人すら珍しくなくなってる訳ですよ。そのような状況で、何兆円もオリンピックに費やしておきながら・タダ働き頼りだという所からして途中でお金を殆ど抜き取ってる人達がいるとしか言いようがないのですが、とにかく、苦しんでる人達を置き去りにして、オリンピックをやってる余裕なんか、この国にはないと思うんですよ。

 結局、上級国民の・元々カネを持ってて生まれながらにして社会的地位やコネが豊富にあるような人達や、とにかく人々を縛りに縛って何も出来ないようにする事が「正義」なんだと疑ってない警察などのお役人や政治家の人達が、やりたい放題や不法に近い金儲け・税金を吸い取るような金儲けをしつつ、それに文句を言わせない。不都合な話をスルーさせる。と言う、上級国民のボーナスステージとして、オリンピックが行われてしまってるわけですよ。これは、日本に限らず、21世紀に入る少しから・長野大会以降の全てのオリンピックがそういう風になってしまってる。

 野党にせよ与党にせよ、そういう部分を見抜けなかったのか、それとも「空気」に歯向かうのが怖くてなのかはともかく、大半の政党と政治家が、オリンピックの長年の問題を見ないふりをして?賛成したし、マスコミでも、殆どがそうだった。
 ネットで反対だと言う人達には、もれなく袋叩きがされたのが、オリンピックが東京に決まった当時の状況でしたが、最近になって、やっと眼が冷めてきてるようです。覚めてるんではなく、冷めてる。
 最近になって、殺人的な猛暑の問題が表に出てきたことで、やっと、多くの人が「実は反対してた」「やっぱしやめようよ」と言い出してくれてる。遅いと言えば遅いですが、まだ後、二年はあります。

今こそ、「決まったんだから文句言うな」と言う空気を崩せる状況になり始めてる。

 特に野党の政治家の人達や、その支持者の人たちに呼びかけたいのは、「なんで賛成したか」は問わないか問うにしても後にして、とにかく「こんなはずじゃなかった」「騙された」とおおっぴらに言って、東京オリンピックの中止を呼びかけると同時に、次の参議院選挙や衆議院選挙で、オリンピックの中止を大きな公約に掲げてほしいし、政党の周りの人達はそれを政党にお願いし続けてほしいと思います。
 そして、その外側の人たちは、「オリンピックなんていいことがない」「こんなにカネが使われるとは聞いてない」「生活が苦しいのに、何ヶ月も苦しめられるのか」などなど、どうか、自分の言葉で表に出して、身の回りの人達と話をしてみたり、同じ思いの人で繋がったりして、今のオリンピックに賛成しないとダメだみたいな空気を崩していきましょう。政党にも働きかけ、マスコミにも「反対論や問題点を取り上げろ」と言っていきましょう。
 勇気をだして開催反対を言ってくれたマスコミや有名人や政治家に対して、私達ができる形でできる範囲で支えて、孤立させないようにしないといけないとも思います。

 今までの…長野オリンピックのときのような…、「とにかく決まったから文句言うな」と言う形で「賛成しなきゃ非国民」みたいな空気は、崩れ始めてると思います。今こそ、そんな、他のことでも何度も繰り返されてきた「決まったから文句言うな」を、崩していくことが、後々私達にとっていい財産になるとも、思いますので

殺人的猛暑と大豪雨の被災者を見捨ててる社会の有り様から、色々考えてみる。

 死にそうなくらいに暑いですね。私の住んでる関東だと、台風が近づいててこの数日は暑くなくなってはいますが…。台風の影響があまり無い地域では、相変わらずの殺人的な猛暑で大変だと思います。お大事に。自衛をお忘れなく。

 時事問題としてこのブログを書いてきていますが、色々と大きな問題が積み重なってしまい、しかも、そこに対してきちんとした批判なり評価なりというものがほとんどなくなってしまってる訳ですよ。個人がどうこうとか、差別問題がどうこうという話が浮かび上がってきても、その背景にあるものをきちんと考えるんじゃなしに、非常にわかりやすい「まとめ」とか池上彰氏の番組のように非常にわかりやすく解説されてて、しかし、物事の本当の姿というものについては目を向けてない・本当の姿から目をそらさせたいからわかりやすい体裁にしてるだけなんじゃないか。と疑いたくなるようなものばかりがもてはやされてるものだから、問題が解決せずに、特定の個人を叩いて社会的に潰したり・謝罪させたりした所で、問題が全く解決してないのによかったかのように社会が勘違いしてうやむやになっちゃってるのが当たり前になっちゃってる訳ですよ。
news.nifty.com

7月大豪雨に限らず、この6年半の政権は、被災者と庶民を見捨て続けてきた。

 で、7月の大豪雨・大洪水の被災地にしても余りにひどい状況がずっと続いてて、それはこの6年半の中で起こった多くの大災害の被災地や、東日本大震災で酷い被害を受けた沿岸部や汚染地域がこの6年半の間に受けてきたと同じように、「政治から見捨てられた」事で起こされてる部分が相当ある訳ですよ。
 この6年半の政治というのは、被災者に寄り添ってる「ふり」はしていても、実際にやってきてることは被災者を切り捨て・見捨ててることばかりだし、海外や国内の大企業などに売り払って政治家や官僚が利益を得られそうな被災地は、どんどんと、住んでる人達の生活とか考えを無視して、偉い人を取り込んだだけで激安で売り払ってく。
村井嘉浩宮城県知事の“暴走”か――“エセ住民合意”で進む防潮堤 | 週刊金曜日オンライン
www.kahoku.co.jp
 それだけじゃなしに、種子法の廃止とか農家が自分で育てた作物からタネを取ったり接ぎ木したりして又作物を育てるという、当たり前の農業を特別に登録した人以外が出来ないようにしたり、今回は成立しませんでしたけど、水道法を改正して民間企業が水道を牛耳れるようにしたりとか。
wpb.shueisha.co.jp
 とにかく、海外や国内の大企業とか大手の投資家の都合のいいように・後から国がどうなっても関係ない「オレは嫌な思いしてないから」と言わんばかりのひどい真似を、この国の偉い人たちが勧めてる訳ですよ。大災害の被災者達は見捨てたり、救いを求めても自分たちに都合のいい・ごくひとにぎりの人しか助けようとしないのに
ショック・ドクトリン - Wikipedia
www.iwanami.co.jp
 そういう流れの背景には、マスコミがきちんとした批判をしなくなった、それも、この6年半で「忖度(そんたく)」しただけじゃなしに、相当昔から、何がよくて何が悪いのか。と言う部分の価値観や目線が壊れてきてしまってこの国自体が経済的にも社会的にも行き詰まっていた末に、東日本大震災での政官財が揃ってのクーデターがあり、行き詰まってたのをどうにかマシにしようとしてきた・今は野党にいる人達が失脚し、そのクーデターを行った人々が、安倍晋三という暴力団との付き合いもあれば警察もコントロールできるような人脈を、大昔から持っていた人物を担ぎ上げて、ショック・ドクトリンだなんだ報道規制だ対立政治家潰しだ。とやりたい放題やってる訳ですよ。それも、マスコミがそこに積極的に加わって。

韓国ではデモとゼネストで悪い事した大統領が追い出されたが、日本ではその気配もない。

 この一年で、色んな汚職や色んな公文書改ざんなんかも出てきてるのに、それに対して「けじめ」をつけるんじゃなしに、自分達の権力とマスコミ・ネットでの「空気づくり」で押し切ってるケースがほとんどな訳ですよ。で、杉田水脈の「LGBTは生産性がないから税金使うな」発言のように、たしかに酷い差別だけど、それはこの国を今仕切ってる人達の大半が思ってることを言ったに過ぎないとしか言いようがない、「些細な」(あくまで汚職や公文書改ざんにくらべれば。ですが)差別発言に対しては、皆が叩きやすいから叩くもんだから、申し分程度に「処分」して、自民党はちゃんと仕事してますとアピールしたりなんかまでしてる訳ですよ。
 そして、本来ならこのようなひどく腐りきった状況に対して、多くの人が力を出してノーを突きつけるものですが、そのような風土というものがこの40年間ほどでボロボロに壊されて…壊されたからこそ、安倍晋三たちを担ぎ上げて悪事を為す人々がのさばりまくってる訳ですが…、韓国のように労働組合が大規模なストライキを連発させて内閣総辞職に追い込むこともなければ、自民党や与党やその周辺の人々が非常に腐ってるだけでなく酷い真似をしていて皆困ったり怒ったりしてても、社会が廻るのを止めてでも日本から追い出そうとかそういう流れにはならない訳ですよ。
 そして、世の中の空気自体が「いいことは自民党公明党や維新の会のおかげ、悪いことは全部民主党共産党や左翼のせい」って方向のステマが繰り返されて染められちゃってるもんだから、与党が悪いことをしてるのを批判すること自体がタブーになってきてるし、野党を擁護すれば、反日だ非国民だと言われてしまう。
53317837.at.webry.info
iwj.co.jp

「現状をどうにかしようと闘ってる人たち」が二分化されてる?

 で、もっと酷いのは、その「現状をどうにかしようと闘ってる人達」の中でも、最も能力のないような人達が、猛烈に声が大きくて他の真面目にやってる人達を押しのけて自分達が「左翼やリベラルの代表だ」といい続けてるもんだから、彼らが本来無罪な人々を悪人呼ばわりして取り締まりを要求したり、その事が実際に法律になったりして自分達が取り締まられる側になったら、「自分達が取り締まられるのはおかしいから法律の運用を変えろ」みたいな集会をやったりする訳ですよ。
 ある意味、この国の左翼やリベラルは二つに別れてて、目立たないし目立とうにも社会的に後ろ指さされまでしてきたけど、地道に色んな事をやって一歩一歩状況を良くするために闘ってきた、目立たない人達がいる一方、とにかく目立ってて、しかし世間の感覚とひどくずれたことを周りに押し付け・人々に道徳を説いてる一方で、自分達の考えに従わない人達を見下したり、自分達が気に入らない人を非常に簡単に悪人呼ばわりして法律で取り締まらせることを繰り返してきた人達がいる訳ですよ。

 日本で「左翼」「リベラル」と言えば、前の方の人たちではなく、あとの方の人たちな訳ですね。

質の良くない「左派」「リベラル」が、人々を分断し現状維持を強く助けてる。

 この人達が、大きく目立って色んな人の公共の敵・パブリックエネミーだなんだとレッテルを貼り付け、彼らをまず叩け!と煽ってきた結果、彼らがよくしたかった状況はよくならず、悪くなり、それどころか多くの(罪のない)人達に罪を押し付けた結果、左翼やリベラル全体が信頼されなくなってしまってる。
 そして、そういう空気によって、人々は、もっと大きな悪・この国を私物化して食い荒らし・内外の大企業や金持ちに大盤振る舞いバーゲンセールする一方で、明日生きることも厳しいような家計や病気などの人たちに対しては、ガンガンおかねを削るし、教育に必要なお金を削り・学生に教養はいらないからと学校制度をひどくおかしな方向にいじったりしてるような、根本的に「悪」であるとしか言いようのない人々が素晴らしいとかよくやってると勘違いする人が大半になっちゃってる始末なんですよ。
 大きな分断が、元々冷戦崩壊前夜からあって、その分断を悪いことと考えない人たちが左翼やリベラルを代表してるかのような態度を取った一方で、教育からネットの空気まで「偉い人がすばらしい・決める政治は素晴らしい」ってやってったもんだから、人が人としてどうまともに生きていくのか。社会に対してどう付き合っていくべきか。と言う根本の部分がぐちゃぐちゃにされてるわけです。日本人に限らず日本に住んでる人すべてが。

 それでは、崩壊が止められないのは仕方ないとして、その先・崩壊の先を生き残り、二度とこんなアホな扱いを・財産もむしり取られいのちも勝手に操られてきた、私達のような力もカネもないキモい人々が受けないようにする社会を作ることも難しいのだろうかと、思うのです。

 幾つもの価値観があり、幾つもの利益や利害がある。と言う事を最初に考えた上で、自分の目で(誰かが勧めたりするのではなく)見て考え、ステマの類を警戒するようにし、それぞれの問題でゆるく繋がり、幾つもの流れを作り、必要なときだけ交わるようにする。そういう、非常に高度だけど、それこそ知能の高い低いに関係なしに心がけていけば相当部分の人たちができるだろう「高度なこと」を、自分なりのやり方で、今からやり直し始めないといけないのではないか。そう思う訳です。

殺人的猛暑の夏に、「正しく集団を見捨てること」について考えてみる。

 夏ですね。しかも猛暑です。何年かぶりに身の危険を感じる暑さで、全国の大半が殺人的な暑さになってるということで、皆さんお気をつけてくださいね。
 自分や家族の身を守れるのは、この社会では自分達だけなんだ。と言う事を思い出してくださいね。

酷い猛暑で、多くの人達が救急搬送される。

 さて、その猛暑が、大変なことになってるわけですよ。
mainichi.jp
 ニュースであんまり報道されてない東京都ですら、昨日の時点で、救急車の出動が史上最高となって、その多くが熱中症や日射病だったという事なんですよね。
 これが、テレビなどで多く報じられてる広島・岡山などの被災地や大阪・京都、今日最高気温を記録した岐阜県多治見市などとなれば、もっと凄まじいことになってるであろうことが、簡単に想像できる訳ですよ。
mainichi.jp
 そして、その対策というのに対しては、社会で敏感な人達と、鈍感な人達が、大きく分かれてしまってる訳ですよ。

学校で、猛暑とことなかれ主義に殺される生徒たち。

 昨日あたりから、多くの学校で部活動中や授業中に倒れる人が相次ぎました。死亡した生徒すら出てしまってる訳です。ネットでも、ある程度大きな騒ぎになり始めてて、私の見る範囲では学校やその上の教育委員会・役所などの「鈍感さ」が大きく批判されてはいますが、社会全体で見るとどうなんだろうな?と思う訳です。
togetter.com
熱射病:小1男児死亡 校外学習後「疲れた」 校長「判断甘かった」 愛知・豊田 - 毎日新聞
 こんなひどい猛暑でも、大豪雨・大洪水でも、通勤通学する人が減ったという話は殆ど聞かないし、学校が休みにされるのでもなく、NHKなんかが豪雨被災地の学校が高校野球の予選大会にでてるのを、美談めいて報道したりまでしてる訳で、マトモに人命や個人の健康というのを考える頭があるならば、こんな状況での通勤通学や企業活動を根本から見直すべきという形で自分達から実行したり、被災地の高校が、殺人的な猛暑と照りつける日差しの中で野球やるような事を美談なんかにする前に、そんな自殺行為はやめるべきだ。って論陣貼って批判してると思うんですよね。
www3.nhk.or.jp

 でも、現実はそうなってない。今ひとつ根拠が分かってなくて「いままでそうしてうまく行ってたから」「空気を乱すから」「クレームがつくから」「前例がない」と言う程度の理由しかないような話が、個人の人命とか健康とかに、優先しちゃってる訳ですよ。
 昔は確かに、暑さも今よりある程度緩かったから、どうにかなってた部分があるのでしょうけど、それでも、真夏となれば熱中症や日射病で病院に運ばれる人や、動けなくなって孤独死する人が少なからずいたんですよね。そういう人達を、当時はあんまし問題にしなかったから、社会全体からすると「見えなかった」だけで。
 人命を軽視し・個人の健康や尊厳をことごとく見下げて行くということは、それで困ってしまう立場の人達や困ったことに追い込まれていく人たちのことを、とことんまで無視する事につながるし、そういう形で廻される社会というのが、果たしてよかったのか?と言うと、良くないことが沢山あったように、私は思う訳です。

「コミュ力重視」=忖度重視の社会が、多くの人に悲劇を押し付けてる。

 さて、こんな記事が出てました。
gendai.ismedia.jp
 要は、「コミュ力重視」と言う言葉で言われてる最近の若い人たち(に実際は限らないのですが)のありようというのが、自民党なり政府なり安倍首相なりがメチャクチャなことをやっても支持が減らないで、彼らのやりたい放題を許す結果になってるのではないか。と言う中身の記事なんですが、要は小さい頃から多数派に属してる事や目先の偉い人に気に入られる事が大事だと教育された人達が、世間の空気を過剰に忖度(そんたく)し、現状がダメだと正面から言う人たち(野党など)を露骨に嫌うようになってる。と言う話なんですよ。

 これ、私が子供だった頃から、学校でも行われてきたことで、乱暴で自分の思い通りにならないと気がすまない教師とか、親が社会的立場の高い子供とそうでない子供を露骨に差別して「そうでない子供」に頻繁に暴力を振るうような教師とかが、何かにつけてやってきたのが「自分が気に入るような結論を出した生徒は贔屓する・内申点も高くつける」と言う事だったし、社会に目を向けてみれば、多くのバラエティとか情報番組とかニュースでも、社会のマジョリティ・多数派に属することが大事で、その多数派に入るには多数派の偉い人の言う事をそのまま受け入れなきゃいけない。ってメッセージを発していた部分が相当あった訳ですよ。
 学校でも、社会でも、そういう「多数派が大事」「多数派の偉い人を忖度しなきゃいけない」「少数派は見下げられて当たり前だし、不都合を受けていいんだ・仕方ない」ってメッセージを、色々な形で発信していたのが、最低でも1970年代以降の日本だったと、思う訳です。

過剰な集団重視・規律重視や前例主義が、この社会をじわじわと腐らせる猛毒へと変化していった。

 そういう中では、「前例主義」がまかり通りやすい訳ですよ。前に同じことをやってうまく行った人が偉くなって、そのやり方がいつも同じでいけるとは限らないどころか、時代や状況が変わったらうまく行かないで犠牲を払うことすら多くあるのに、違うやり方をしてしまうと偉い人の気を損ねるし、そもそもそれがうまく行かなきゃ責任取らされる。うまく行ったとしても、つまらない揚げ足取りや重箱の隅をつつくような事で、簡単に否定され責任問題になる。
 そういう、前例主義を前提にしたシステムというものを、日本では重んじてきました。そこに、80年代以降の「とにかく短期的な成果が大事で、長期的に問題になってもそれは無視する」「今起こってる問題は、徹底的に先送りして、とにかく目先の利益だ」って言う社会風潮や制度の「改革」が入っていった訳です。
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 その結果、「偉くなったら、なんでもしていいんだ」「偉くなったら、他の人間を支配していくべきなんだ」っていう人が、より多く、のし上がり偉くなるようになっていった訳ですよ。
 それが、今の日本のひどい崩壊を生み出してる部分が相当あるし、それと同時に、私達一人一人が「多数派に入って偉い人を忖度しないとダメだ」って、ある種の神経症のように「しつけられ」てきてるんですから、どんなにデタラメやっても、文句が出ないし、文句言う人は徹底的に排除して、不都合や被害を受けた人は、努力が足りない・自己責任だから放っておけばいい。って意見が多くを・多数派を占めちゃってる訳ですよね。 

 これこそが、社会の崩壊のどまんなかにあることの一つ・それも、最大のものじゃないかな。と思うんです。
 個人を軽視し、集団をことさらに大事にし、その上で、集団に対して中からそのありようを疑うということ自体を間違いだ。とするのは、確かに、国なり集団なりが火の玉のようになって一つのことに当たり、例えば世界最大の経済大国になるとか、戦争に勝つとかそういう目的の時には、うまく行くものなんですよ。多くの犠牲者を、見捨てるという代償を払うのではありますが
 しかし、そのような目的を達成した後とか、それがうまく行かなくなってくじけてしまった後とかは、そのような考え方・精神論と言うのは、毒として働くんですよね。社会をじわじわと腐らせ、腐ったのに中の人達が気づいた時には呆けて腐るのを見ていくしかなくなるような、猛毒。

集団を正しく「見捨てる」事が、猛毒に侵された日本社会を救う道なのでは。

 今は、第二次世界大戦での敗北から、高度経済成長時代に産まれ育てられ、そしてバブル景気から氷河期にかけてまるまると太らされた「猛毒」に、社会全体が苦しめられ・人々がそれをどうしていいのかわからないまま、現実の腐りようを見過ごし・流される以外の事がわからなくされている状態だと、私は思うのです。

 だから、ブラック校則や熱中症で学校の生徒が死んだり苦しんだりするし、社会は社会で、死人や病人、貧乏人や被災者に過剰に「自己責任」をあてはめて、自己責任も努力もやりようがない人を叩いて孤独死や自殺に追い込んで反省すらしない。
 それを乗り越えるには、個人がきちんと個人としてやり直していくよりなくて、それには、集団というものをきちんと「見捨てて」行くことから始めてかないといけないのではないか。それでも人は集わないとダメだろうけど、集うならば今までのような集団とは違う・ましてやオウム真理教のようなカルト集団ともちがうようなものを、自分達の心と頭と力で、色々な人と繋がり、交わり合う中で作り直すよりないのではないか、そう思う訳です。

「平成最悪」の豪雨・大水害での被災者見殺しと、オウム幹部「処刑」から、人を人と思わない偉い人たちについて考えてみる。

 台風が接近したことによる、この何十年かで最悪の大雨・そして、大洪水が西日本を中心にありました。亡くなられた方々の無念や苦しみを感じ、合掌させていただこうと思います。

「平成最悪」の豪雨でも、全国の自衛隊を動かさないで被災者を見殺しにしようとしてる、今の政府。

 さて、この大洪水、これを書いている7月9日の23時で、死者117人・行方不明者79人となっていて、まだ捜索が手についてすらいない所も沢山あって、まだまだ死者や行方不明者が増えていくだろう。と言われています。
mainichi.jp

 こんな時に、安倍総理は、フランスの革命記念日の軍事パレードに自衛隊を連れて行って参加させ・今マスコミ報道がほとんどされてない中で無理やり法律にしようとしてる水道の民営化・民間企業が水道を全部支配できるようにする法律で、多くの国で水道を支配することになってるフランスの企業と商談するとまで言われてる事をやるために、フランスなどに行こうとした訳ですよ。結局、フランスの国営テレビからもどうなってるんだという報道がされたりなどあったのと、日本国内のネット世論の反発が半端ないので取りやめになりましたが。
 そして、肝心の災害対策がどうなってるかと言えば、陸上自衛隊の被災地の地元の管区である「中部方面隊」や海上自衛隊航空自衛隊の地元の部隊は動いてますが、他の地域の部隊は、この大雨があった数日間殆ど移動も待機もしないれいるようなんですよね。
 雨が上がり始めた日曜日あたりから、自衛隊のヘリが沢山飛び回って孤立した集落や建物に取り残された人達を救助したり、洪水で土砂が流れ込んで押し流れた人達を、自衛隊の人達が探し出して瓦礫をのけて救出してるか。と言えば、そういう、大きな災害でいつも見られる光景が、今回は殆ど無いわけです。
防衛省・自衛隊:平成30年7月5日からの大雨に係る自衛隊の災害派遣について(08時30分現在)

 何しろ、政府が全国の自衛隊・例えば北海道の部隊を被災地に動かさないものですから、法律でなんとか動くことができる被災地地元の部隊がなんとか動けるだけで、後は消防や警察の人達が頑張るしか無い状態なんですよ。

なんにも真相がわからないままに、無理やり処刑されていくオウム真理教の幹部たち。

 そして、先週は、この大雨が始まった6日に、オウム真理教の幹部たちが、七名も一気に処刑されました。彼らの罪の重さを考えると当然と思う人達もいるのでしょうが、あの一連の事件は、余りに分かってないことが多くて、警察や検察に都合のいい供述を繰り返した井上氏の供述を根拠に、どんどんと死刑が決められ・その後死刑囚たちがなかなか本当のことを世に伝えないという状態で、23年間続いてしまった事件だったのです。
biz-journal.jp
 地下鉄サリン事件があった当時、オウム真理教の背後には、暴力団がいるとか公安機関のスパイがいるとか、カルト宗教である統一教会(今の家族平和連合)が組織運営のノウハウを伝授したとか、そういう色々な噂話がありました。
 そして、石原慎太郎都知事の四男がオウム信者で、国会議員時代の石原慎太郎氏がオウム真理教宗教法人認定に関わっていたとか、北朝鮮政府が組織的に関わってるとか、北朝鮮の作った覚醒剤や麻薬を日本の社会全体に売りさばく流通ルートになってるとか、そういう話も取り沙汰されていた。
オウム帝国の正体

Aum Shinri Kyo and the Japanese Police

 そういう、非常に闇の深い・あの時代の「おり」のような物がオウム真理教には吹き溜まっていたとも言われていますが、世論がパニック・ヒステリーに陥っただけではなく、マスコミがそれを更に煽り・警察がもっと力をつけないといけない!と言って恥じないジャーナリスト(江川紹子とか)までのさばる中で、どんどんと世の中全体がおかしな方向に向かっていった訳です。

 その前から日本社会は著しく狂い始めていましたが、狂ってる中でも、冷静にならないといけないという人達がいて歯止めになっていたのが、オウム真理教の一連の事件があるなかで、そういう人達が排除され・攻撃され、警察に全て任せて安全安心にならないといけない・個人の権利とか命とか、そういうものは治安を護るためにはどこまでも犠牲にしてもいいんだ。と言う、非常に乱暴な意見が幅を利かせるようになっていった訳です。

強引な処刑と被災者見殺しに共通するもの。

 それを無理やり、終わらせようと今の内閣が強引な死刑をするときめた直後に、この大雨と大洪水です。

 この死刑執行がされる前に、大雨が来ることや、その大雨が今までにないような危険な大雨っだということは、予想されてました。しかし、その死刑執行の前日に、安倍総理や政権党の自民党は、幹部や若手議員を集めて「赤坂自民亭」と言う酒盛りをやってる訳です。
mainichi.jp
 死刑執行にサインした上川法務大臣にお酌させたり、安倍総理の地元の「獺祭」と岸田政調会長の「賀茂鶴」、どちらの日本酒を飲むんだと安倍総理が大臣や議員に問いただしたり。
 挙げ句には、上川法務大臣から若手議員から、みんなが親指を立て・死刑執行のボタンを押すかのような身振りをした記念写真を撮ったり。
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 そういう、二重三重に不謹慎だし、それ以上に、大雨が降り始めてたのにそんなことをやるのか。と、多くの人達が怒ってるわけです。

「洪水被害者見殺し」をやるような冷血な人達が政治を占領してしまってる。

 この2つのことや、水道の民営化、後は3月末にむりやり可決された種子法の廃止・自治体が作物のタネを護り、過剰に金儲けの道具にしない法律の廃止なんかは、共通したことがあると思うんです。

 「人の命は、自分達の利益のためだけにどこまでも犠牲にしていいんだ」
 「災害が起きても、多くの人が飢えても、自分達には関係ないし、自分達がさらに都合のいいように物事を運ぶための道具にしていいんだ」

 こういう、ものすごい邪悪な物を私は読み取るし、この50年間近く日本を変えていった人達が変えていった末に、こういう人間としてあまりにひどい考えの人達だけが政治の上の方にいて、人々を護らず、ただの都合のいい「道具」にするようになってしまった。
 一時期、「決める政治」と言うのが非常にもてはやされて、話し合いで物事を決めていこう・法律やモラルに基づいて、時間がかかっても確実にやっていこう。と言う、当時与党だった民主党などの人達を「決められない政治」「スピード感のない政治」だといって、貶すことがマスコミの政治報道やワイドショーなどで、非常に多く行われてた訳です。
 その前・小泉純一郎氏が総理だった時代から、そういう、「スピード感のある政治」が持て囃され、そこに反対する人達を笑い飛ばすことが社会常識のようにされてました。
 それが、多くの人たちに不都合を押し付け、不都合を押し付けられた人が苦しむのも、「自己責任」「努力が足りないからそうなる」。そういう、今考えると非常に身勝手なんじゃないかという考え方が、マスコミで広められ、国も地方も、政治の有り様がそういう乱暴でごう慢なものになってしまい、その結果として、当たり前なんですけど、社会が壊れてしまった。

自分の頭と心で考え続けることの大事さ。

 そして、その末に・「スピード感のある決める政治」が持て囃された末に、今の安倍政権のような、人の命を道具以上に見ないで、大震災や大洪水の被害にあって苦しむ人たちを、最初から見捨ててしまうような人達が、政治の場に、本当にたくさんいるようになってしまった。

 この大洪水の間、ネットを見ていると、「野党が悪い」「事業仕分けが悪い」などと言って、総理大臣たちが被災者を見捨てようとしてるのをなかったことにしたいかのようなツイートや書き込みが、目立ちました。
 被災者が「孤立してる、自衛隊も役所もこない、助けてくれ!」って写真付きで投稿しようものなら、「そんなところに住んだあんたらの自己責任だ」と袋叩きにされてるケースも目立った。
 半分以上は、安倍総理が責任を取らされないように、世間の空気を捻じ曲げようとする人達なんでしょう。
 それに多くの外野の人が「反撃」していて、それはは、数年前とは全く違うことで良いことだと思います。
 本当に、空気を考え・配慮して自分の頭と心で考えるようにしないできたことを、私達一人一人が乗り越えないと、国とか社会とか以前に私達自体が滅んでしまうと思いますので。

「幸色のワンルーム事件」と、児童養護施設廃止を後押しするリベラル側の動きに共通した、身勝手で無責任な「善意」。 

 最近、寒くなったり暑くなったりで、本当に、困ったものですね。
 暑いからとエアコンを仕方無しにつければ寒くなるし、寒くなったからと切れば、暑くなる。
 もうすぐ夏なんだろうと、諦めていくより無いのでしょうね。

勝手に作品を決めつけ・潰し・そして、批判を悪魔だと言う人々。

 「幸色のワンルーム」と言う漫画作品があって、その作品がドラマ化されることになったのですが、「誘拐をいいことのように描いてる」などとして、反対の声を上げる人達が出た訳ですよ。その結果、制作する朝日放送(大阪)以外では、放送がされないことになってしまった。
その人たちの多くは、フェミニズムに対する支持を表明していたりするんですが、この作品が本当に「誘拐をいいことのように描いてる」化と言えば、そういうことはなかった訳です。

 そして、「誘拐」に至る過程で、誘拐された側の少女が親から虐待を受けていて、助けを求めていたのに対して、別の犯罪にも手を染めていた男性が応じて、同居生活になる。と言う、非常に複雑かつ、最近の社会を反映するような流れで話が始まってた訳です。
 その辺りの話の筋やその後の話の展開と言うのを、まるまる無視する形で「誘拐を称賛してる」「性暴力を称賛してる」と、主にフェミニズム運動に関わってる方々やそれに「連帯」する方々が、テレビ局に抗議し、その事で、抗議を怖れたテレビ局が「自粛」して放送中止を決めたわけです。

 最近、こういう事が非常に多くなってると思います。
 自分達の思い込みで、外の人達や関わってる人達が「それは違う、的外れだ」と言っても、「差別を助長してる」「犯罪を助長してる」と決めつけ、作品や事実、報道を表に出さないように仕向けていく。
 これは、日本に限らずアメリカでも頻繁に起こってて、それが、あろうことか「MeToo」と言うセクハラ批判キャンペーンと、リンクしてたりする訳ですよ。

表現の自由に限らず、子供の「社会的養育」でも、同じようなハラスメントが起こり始めてる。

 もう一つ。虐待を受けたり、家庭が崩壊したり、親がいなくなったりした子どもたちの居場所として、児童養護施設というのがあるのですが、これについて、国が廃止をしていくという方針になってる訳です。

 そして、「善意ある」里親が養育するように、全て一本化していくと。

 これ自体は、HRWなど一部の人権団体やNPOが、「児童養護施設中心の日本は世界と較べて時代遅れ」「児童養護施設児童虐待の温床」「児童相談所は悪魔的な組織」といった、非常に偏った批判を、この数年特に強めていて、それを厚労省が受けて、ちょうど予算を削減したかったのもあって、乗っかってしまってる。と言う構図なんですよ。
子どもの家庭養護原則掲げる改正児童福祉法 成立 | Human Rights Watch

世界から批判される日本の児童養護施設について知っておくべき5つのこと - マダム・リリー

 里親に一本化した場合、それまで児童養護施設で暮らしてきた子どもたちが本当にマシな生活になるのか。と言う問題もありますが、それ以上に、里親が本当に善意ある人々だけで、虐待などを行わないか。と言えば、そんなことは無いわけです。専門的な教育をろくろく受けてない分、虐待や強制労働、暴力などを起こすケースが少なくないという話も、長年で続けてますし、児童養護施設のように専門的な教育を受けた職員が沢山いるところのほうが、生活が安定して幸せに近づける子どもたちだって、沢山いる訳ですよ。
eureka74.hatenablog.com
 子供を「社会的に育てる」時に、どれか、一本にするというのは、非常にまずい話で、子供や親の状況にあった形で、色々な支援や育て方をやっていかないといけない訳ですよ。
 この社会では、長いこと「どれか一本の道しか無い」と言う事で、多くの子どもたちが、児童養護施設や里親の世話にならない状況の子供は特に、ひどい不都合を背負わされて、排除されたり押し込まれたりしてきてる訳です。いま問題になり始めてる「高齢ニート」「高齢引きこもり」の多くは、その人たちがネットなどで書いてる事を見れば尚更、そういう「一本の道しか無い」社会のしわ寄せと犠牲を受けて、一部の成功した人たちの踏み台よろしく踏みにじられた青春を送ってる場合が、非常に多い。

非常に偏った目線の運動と経済的利益が結びついて、現場の努力を台無しにしてる。

 それではまずい。と、この二十年ほどは、児童相談所児童養護施設に限らず、心ある人達が何本もの道を作ろうとして頑張ってきてた訳ですよ。
 それにも拘らず、人権団体を名乗ってるHRWや人権活動家を名乗ってる一部の人達が、「里親一本化以外に解決策はない」「外国は里親だけでやってるのに、日本は時代遅れだ」と大声を上げ、厚労省や今の政権に取り入って、しかも、今までの心ある人達の努力を台無しにするどころかその人たちが悪人だ私利私欲にまみれた利権勢力だと大声で叫んで、里親への一本化を押し切ろうとしてる訳です。
 この人達の中には、里親あっせんの仲介で、非常に高額のおかねを「手数料」として貰ってるNPOの関係者もいるようです。

 つまり、大阪などでこの20年ほど起こってるような、
「今まで住民のために頑張ってどうにか制度の中でやってきた良心ある人々」を、
既得権益とか悪人と決めつけ・権力にありついたうえで、住民の利益を自分達やスポンサーの利益に全て付け替え」、
そして、
「住民が不都合を起こすだけでなく、命を落としたり社会が廻らなくなっても、一切責任を取らず”既得権益のせいだ”と言い逃れを続ける」

と言う、ろくでもない構図が、子どもたちの教育や社会的養育という問題でも起こり始めてて、それをやってるのが、あろうことか、「人権団体」や「リベラル」を自称する「意識の高い人々」だと言うことに、なってしまってる訳です。
 そこでは、現場で養育されてる子どもたちの意見は殆ど入ってこないし、職員たちの意見も入らない。入ってくるにしても、それは、既に決まってる方針に都合のいい意見だけで、それ以外は無視されるし、無視するなと外部に声を上げれば、徹底的に攻撃される。
 したがって、現場で働いてる人とサービスを受けてる子どもたちが、完全に置き去りにされてる。

「そんなつもりはなかった」で、責任を取らずに言い逃れする、声の大きな人達。

 「幸色のワンルーム」騒動でも、同じでした。実際に作品を途中まですら読んでもいない人達が、話の頭の部分だけどころか、舞台設定の本当に表面のところだけ目にして「誘拐を称賛してる」とかそういう話をぶち上げ、そこに「共感」した人達が、「こんな作品をテレビでやるな」と湧き上がり、抗議を呼びかけ、「全く違うだろ」と言ってたしなめた人たちに対して、「おまえは児童誘拐を称賛する悪魔だ」と言わんばかりの非難を浴びせて、攻撃する。
 そして、実際に放映中止となって、放映されるのを楽しみにしていた・子どもたちも含めた多くの若い人たちから、中止に追い込んだ人たちが非難され始めたら、「こんなことになるとは思ってなかった」と言って、言い訳を繰り広げて、謝罪することも、真剣に反省することもなく、別の問題で同じ様に作品や人を非難し始める。
消された文章ですが:
archive.is
元の文章は:https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768
 児童養護施設の廃止と里親への一本化に向けた動きで、それを「左側から」強く推し進めた「人権団体」「リベラル」も、同じことを、じきに言い出すでしょう。一本化に向けて審査がゆるくされたことで酷い里親が増えて、それが悲惨な虐待事件や暴力・強制労働事件に発展したのが発覚した時に、HRWやその他のNPOがこの政策を推進するためにメディアに対して書いたことや政治家に働きかけたことの責任を問われたら、ほぼ確実に「自分達は関係ない」「悪いのは里親であって制度ではない」と開き直るでしょうね。

 そういう、無責任な状況を、続けさせるというのは、良くないことなんですよね。結局、子供であったり番組制作に携わった人たちであったりを犠牲にする状態が、いまよりひどくなる。ということなんですよ。
 そういう状況を防ぐには、多くの議論と、それを具体的な力に変える流れというのが、どうしても必要になるし、それは、一つでなくて良くて、逆に沢山あったほうが、ごくごく一部の身勝手で凝り固まった人達が社会全体を悪くするのを止める力になるのだろう。と、私は実感してるのです。

ラノベ作家のヘイト書き込みがアニメ化中止に繋がった事から、正義とその腐敗について考える。

 最近、物凄く気分の悪い日が続きますね。お天気もですが、世の中の動きが急変してるのに、その事をみなかったかのようにして続いてる状況を見てると、それが最後にどういう結果を私とか私達に突きつけてくるのか、半分読めてきてしまうような気がして、本当に厳しいものがあります。

ラノベ作者の嫌韓・嫌中ツイートが、アニメ化中止と本の絶版に繋がってしまった。

 さて、「二度目の人生を異世界で」と言う、ネット投稿から始まったラノベがアニメ化されることになり、只、その作家さんが昔中国人や韓国人に対するヘイトスピーチをくりかえしツイートしていたことが発覚して、そこに、中国の「環球時報」紙が「ヘイトスピーチ作品」と言うような形で報道したものですから、中国のアニメファンたちが怒って、声優への脅迫なども起こり、声優が辞めて、結局アニメ化は中止・日本国内で売られてる本も回収。となってしまったのが、色々な議論を呼んでいます。
https://ncode.syosetu.com/n6332bx/
www.huffingtonpost.jp
 この事で、反差別運動に関わってる人たちや支持者たちが一斉に「素晴らしいことだ」と言いはじめて、国内でどんどんやっていこう。的な話も出始めてて、私はその動きやその後起こりかねないことを危険だと思ってツイートしたら、一日で8000以上RTされるという、今まで一度あったかなかったかという事になってる訳ですが、そのような「言葉」「考え」自体もだけど、その裏側にある考え方や物事への態度が、物凄くまずいな。と思うのです。


人を罰するのに「棒」を振り下ろすことは、必ず悪を伴うけど、全て善だと信じる人々。

 これは、少し前から言われてる「ポリコレ棒」「人権棒」と言う言葉に込められてる多くの人の批判的な見られ方とも関わってくるんですが、この手の「棒」を振り回し・正義で人を裁く事を日常的にやってきてるような運動や思想というのが、ほとんどの場合、自分達の価値観は全く正しくて、間違いがない。そして、自分達に裁かれる人や存在は、誰がどう見ても「悪」であり、正しくないのだから、裁かれて当然だ。
 そして、そこに文句を言う人達や裁かれることの苦痛を言う人達は、自分達を理解しておらず、愚かな人達で、甘えてる。甘えるな。

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

20〜21

 こんな態度や言動が、最近、又目立ってきてて、それ自体は大昔から何度も私は見てきてる構図なんですけど、ともあれ、そのような態度というのは、ただごう慢であるだけでなく、極めて危険なんですよ。
 今は、そのような人達が社会で主導権をとりつつあり、それによって救われる人もある程度いるからいいのでしょうけど、しかし、その外側には、膨大な数の「見捨てられる人」「裁かれる必要がないのに裁かれる人」「裁きのとばっちりで、社会的に差別を受けることになる人」が出てるわけです。
 そして、今までの、左派を自称してリベラルだとか左翼の代表だとか市民派だとか言う事を自称してもきてる人達の多くに、その人たちが出て当然であり、そのような人は遅れてる愚かな人たちだから仕方ない。と見捨てる人が、沢山出てるわけです。

 その事は、彼らが抱えてる思想や価値観自体をも腐らせてるし、腐ると同時に、多くの人から見られた場合に、その腐る前の思想や価値観自体を、物凄く嫌わせてしまい、物事の解決や進展を遅らせるという事に繋がってきてる訳ですよ。そして、それは、「彼ら」のやってきたことのほころびが積み重なって、社会を蝕んで壊すのが隠せなくなった時に、一気に仕返ししてくるわけです。「彼ら」自体が、非常に下劣で「大衆の敵」だとして、ヒステリックに近いような排除が始まってしまう。

左派全盛から右派・ネオリベネット右翼の世となり、そして逆転し始めてる流れの中で、考えるべきこと。

 これ自体は、世界の全ての国や地域で歴史的に繰り返されてるだけではなく、日本でも、繰り返されてる訳ですよ。

 1970年代までの左翼運動やその周辺の文化というものが、1980年代位からの「豊かになった日本」と言う風潮でどんどんと時代遅れ扱いされただけではなく、マスコミの報道や学校での管理教育の徹底なんかもあって、根底にあっただいじなものまでもが、無視されるどころか、親のかたきのように嫌われていって、個人が何かを感じたり言ったりすることの多くが、マスコミの広めること以外の考えや価値観が、「時代遅れ」「アカ」などと、嫌われて行った訳です。
 そして、90年代からの20年ほどというのは、豊かではあったけど貧しくされた人や排除された人も沢山出てるんですが、当時の左派やリベラルの多くは、そのような人たちからの訴えを「甘え」といい、自分達の価値観に従わない人を、社会の敵だと言って排除する為に、それこそ「敵」だったはずの自民党や警察にまで取り入って・思い込みだか嘘だかわからないけど事実と全然違うことを世界に発信して「外圧」にして、法律などを作っていた訳です。前回この事は書きましたが。

 そういう態度を「左派」「リベラル」が取って、それが人々からどう見られてるか無視するような人たち以外は排除されてしまって、腐っていった中で、00年代頭に、今で言うネトサポのような人達が、数と資金に物を言わせてネットを占領し・お上(自民党や保守)に歯向かったり気に入らない真似をする人達を攻撃したり、社会から排除して当然だ。と言う風潮を作っていったものですから、多くの人が、今まで「左派」などから受けてきた仕打ちへの怒りもあって、乗っかっていった。と言うのが数年前までの状況だったんですよね。
 そして、そのお膳立ての上に出来た安倍内閣がやりたい放題・デタラメ三昧をくりかえし、ウソも平気でつくし責任も完全に取らないというのが、誰の目にもバレバレになった物だから、それに対抗してきた左派やリベラルを自称する人達への人々の支持や希望があつまり、社会の主導権を、再び握りかけてる訳です。

自己を相対化しない怠惰な思想や運動は、必ず腐敗し人々から叩かれるようになる。

…ちょっと待って下さい。
 左派やリベラルと、右派や保守の力関係というのは、長い年月をかけてお互いに逆転し続けてる訳ですよ。そして、右派や保守が、自分達の事を客観的に見ないで・自分達の非常に狭い世間で社会を見て・人々を裁き・言葉を深めていった末に、腐って行って、今や自分達がやってることの責任も取らず、そもそも何をやったかすら自覚してるかどうか怪しい状態になってる事を考えた上で、左派やリベラルとして主流だと自称してる人達のこの数十年間の動きを見てると、抱える正義やイデオロギーは全く違うんだけど、物事や自分に対する態度と、物の考え方は非常によく似てるんですよ。

 つまり、いずれというより、そう遠くない内に、左派で主流だと言われてる人たちは、自分達のやってることの問題点が見えてないが為に、物凄い酷いことを(今の安倍内閣とか取り巻きの人達のように)くりかえし、責任を取らずになんとかしようとする事が積み重なって、多くの人々から恨まれ・嫌われ、奥底に抱えてきた考えや価値観までも全て否定すされるような事になるんじゃないかと、私は思ってる訳ですよ。

 自分をかえりみない・正義が自分にあるからと正義の点検を怠った政治や思想、運動というのは、結局は、そこに行き着いてしまう。
 前々から。と言うか、00年代の半ばくらいから、今の反差別運動や平和運動に繋がってる運動の人達の中から、自分達を相対化する事・要は一歩踏みとどまって、自分達を外から見つめなおす事を凄く悪いことだと言うようになり、その事と、ドイツの「戦う民主主義」の成功を結びつけて正当化するような、物凄くまずい状況が、目立ってくるようになりました。
 その事は、ドイツでヘイトスピーチを違法化して成功してるんだから、日本でも違法化すべき。と言う乱暴な議論がまかり通っていて、その事自体、実際の所今の、イスラム系の移民や難民が沢山入ってイスラエルを批判する人達を排除できなくなってるドイツの現状を物凄く無視してる話なんですが、そこはともかく、よそで「成功」してるからこちらでもそのまま輸入しろ。的な乱暴な議論がまかり通ってるのとセットになって、広まってるんですよね。
ukmedia.exblog.jp
d.hatena.ne.jp

右派や左派、両方がやってきた「失敗」から学ぶことが、大事。

 そこを批判すると、すぐに「どっちもどっち論」「相対化良くない」と批判されます。しかし、それが、運動を腐らせ・多くの罪なき外部の人を無理やり裁いて敵に回す結果になってるのを、中の人達が全く気づいてない。と言う事に、行き着いてる訳です。
 この、「右派と保守の失敗」「左派が犯しつつある失敗」から、私達は学んでいかないといけないと思うのです。自分を相対化・外から見つめ直すように癖を付けて、危ないと思ったら周りがイケイケドンドンでも踏みとどまるし、空気をわざと読まないで意見を出して、絶えず議論を行い、方向性を、外からも内からも絶えず変えていくような、複数の動きを作っていかないと、このような、歴史の裁判に、私達は負けるし、それは、非常に酷い世の中を続けて・繰り返すことにつながると、思うのですね。