所得格差が教育格差になっても仕方ないと諦めるよりも、身の回りを皆で自力で変えてく必要性。

 一気に気温が上がったと思ったら下がり、上がり…皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は、冬の間の耐乏生活がたたってか、身体が痛いのです。世の中を見ていても、私よりも若い人が急死したり昨年くらいに発見されたガンなどによって亡くなったりすることが多くなったように思います。七年前の原発事故直後に、チェルノブィリ原発事故の事を踏まえて何人かの人がしていた「予言」が当たってるのではないか。と非常に疑ってますが、今日はその話は後回しにしましょう。

「教育格差は仕方がない」と諦めてしまった半分以上の親たち。

 さて、教育格差に関して朝日新聞とベネッセが行った世論調査が、少し話題になってます。

教育格差「当然」「やむをえない」6割超 保護者に調査

土居新平、編集委員・氏岡真弓

2018年4月5日04時00分
 朝日新聞社とベネッセ教育総合研究所が共同で実施する「学校教育に対する保護者の意識調査」の結果が4日、まとまった。全国の公立小中学校の保護者7400人に聞いたところ、教育格差について「当然だ」「やむをえない」と答えた人は62・3%となり、4回の調査で初めて6割を超えた。また、子どもの通う学校への満足度は83・8%で、過去最高となった。
(以下略)

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 これを格差の容認と考えるべきかどうかと言うと、容認してない人が大半を占めてると見てるんですよね。ただ、格差を容認したくなくても、現実にできてる格差に対して、自分や周りがどうにかできるものではなくなってるから、「現実を受け入れて」あきらめる。格差が開くにしても自分達が何もできないからそのまま受け入れるしかない。と言うムードが、物凄く強くなってるんですよね。
 これは、別に教育の格差に限らず、仕事の格差・給料や収入の格差、そして結婚や交際の格差まで、あらゆることに拡がってると思うんですよね。その上で、同じような「階層」・場所にいる間でちょっとした違いであっても、いい扱いを受ける人がいると許しがたいという話にもなってる。そして、更には、偉い人や空気を掴んでる人がだれそれが許せないと言って煽れば、そうだそうだと思うことが当然だと思ってしまってる。

 こういう中で、「格差は仕方ない」と言う「諦めムード」が、非常に拡がってるというのが、結構困ったことだなと思うんですよ。ある程度以上の地位を掴んだ人や、収入や資産が多い人でないと、身の回りの現実を変える権利もなければ、現実を変えることなんてできやしない。現実を変える資格があるのは、偉い人・空気を掴んだ人・総理大臣くらいのものだ。と言う諦めムードと、森友問題や加計問題のような「お仲間の私物化」問題や自衛隊の日報を隠してた問題なんかが、表現がしにくいんですけど、完全にかぶってるような感じすら、私には見えるんですよね。

国は・社会は、誰のためにあるのか?と言う事を見直さないといけない現在。

 前々から何度か書いてるように、私達がいるこの社会は、非常にわずかの「空気」を握ってる人と大きな権力を持ってる人が、自分達の都合だけで決めたことに対して、文句を言ってはいけないし・変えてもいけない。黙って従わないといけない。と言う事が、産まれてすぐから死ぬまで、叩き込まれ続けてる社会な訳ですよ。個人が自分として何かを考えたり言ったりすることに対しての、非常にふんわりとした形での締め付けというのが凄くて、何かを怖れてしまってる。
 そして、道徳や法律としてあれをしてはいけないこれをしてはいけない、これは犯罪だ。というものが、ものすごい勢いで膨らみ、それも又、ごく一部の人達が自分の都合や価値観で決めつけたものだから、その他の人達は殺気立って足の引っ張り合いをしてしまってもいる。

 その結果として、社会全体が壊れてしまってるわけですよ。非常に酷い労働条件で、物凄く安い給料と物凄く長い労働時間で働き、「福祉に頼るのは恥だし犯罪なんだと思え」みたいな道徳観にもとづく空気がはびこり、更に給料が下げられ、更に長い時間働かされる。
 そんな状況で、人がどうなるかと言えば、つぶしあう事になっていくし、子供も産まれなくなる。最後は、一人で朽ち果てるか自殺するかになる。

 そういう絶望の中で、多くの人が身の回りが勝手に変えられていくことに流されて、子供の格差は仕方ないと諦めてる訳ですよ。

 そうだからこそ、国はなんのためにあるのか?税金や年金はなんのために取られてるのか?ということに、立ち返っていかないといけないと思うんですよ。国は、私やこれを読んでるあなたの上に立って、お金を搾り取って使い捨てるだけのものでいいのか。国にせよ地元のお役所にせよ、会社にせよ、私やあなたが苦しむことを当たり前と言う形で物事が決められてしまってると言う事で、どれだけの大きな損失が出てるか…

集合知を作っていけば、諦めずにやれることはまだまだ沢山あるのでは。

 しかし、頭を使って・誠意と真剣さを常に持ち続けつつ立ち回っていけば、別に権力とかお金とか地位とかなくても、お役所や政治家とつるんでるような団体などのバックがなくても、身の周りを変えられることって、結構あるんですよね。空気を握ってる人達の言うとおりに動かず、かと言って、あからさまにこいつらは潰してしまえなどと怒り狂うことにならずとも、結構いろんなことが変えていけるんですよ。
 選挙だとか投票ではなく、それ以外にあるような色んな形でできることがあるように、私には見えますし、そういう事のノウハウや失敗したこと、成功したことを多くの人の間で融通しあって、この人がうまく行ったから同じようにやってみようとか、同じやり方だと今ひとつ良くないから少し変えてみようとか、こうするとうまく行かないからここは避けておこうとか。

 そういう事を積み重ねて、幾らかの人達が多少でも成果を上げていけば、今度はそれを積み重ねて法律なり条例なりで、そこまでそういう風に苦労して試行錯誤したことをやらなくても、誰もができるようにするように押して行くということも、できるようになる。

 こういうことというのは、日本の学校教育の中で、非常に嫌われてきたことではありますが、しかし、そこができていかないと、格差が広がるのを止めることはできないし、それは、社会が壊れていく時に、止めるのではなく壊すことを煽ることにすらなっていく。

 私達は・私やあなたは、既に、非常に危うい所にたたされていて、今までのように、流されていればどうにかなるという時代ではなくなってる。と言う覚悟をして、生き残りと多少はましな明日の為に、やれることをやっていく必要が出てると、思うのです。