殺人的猛暑の夏に、「正しく集団を見捨てること」について考えてみる。

 夏ですね。しかも猛暑です。何年かぶりに身の危険を感じる暑さで、全国の大半が殺人的な暑さになってるということで、皆さんお気をつけてくださいね。
 自分や家族の身を守れるのは、この社会では自分達だけなんだ。と言う事を思い出してくださいね。

酷い猛暑で、多くの人達が救急搬送される。

 さて、その猛暑が、大変なことになってるわけですよ。
mainichi.jp
 ニュースであんまり報道されてない東京都ですら、昨日の時点で、救急車の出動が史上最高となって、その多くが熱中症や日射病だったという事なんですよね。
 これが、テレビなどで多く報じられてる広島・岡山などの被災地や大阪・京都、今日最高気温を記録した岐阜県多治見市などとなれば、もっと凄まじいことになってるであろうことが、簡単に想像できる訳ですよ。
mainichi.jp
 そして、その対策というのに対しては、社会で敏感な人達と、鈍感な人達が、大きく分かれてしまってる訳ですよ。

学校で、猛暑とことなかれ主義に殺される生徒たち。

 昨日あたりから、多くの学校で部活動中や授業中に倒れる人が相次ぎました。死亡した生徒すら出てしまってる訳です。ネットでも、ある程度大きな騒ぎになり始めてて、私の見る範囲では学校やその上の教育委員会・役所などの「鈍感さ」が大きく批判されてはいますが、社会全体で見るとどうなんだろうな?と思う訳です。
togetter.com
熱射病:小1男児死亡 校外学習後「疲れた」 校長「判断甘かった」 愛知・豊田 - 毎日新聞
 こんなひどい猛暑でも、大豪雨・大洪水でも、通勤通学する人が減ったという話は殆ど聞かないし、学校が休みにされるのでもなく、NHKなんかが豪雨被災地の学校が高校野球の予選大会にでてるのを、美談めいて報道したりまでしてる訳で、マトモに人命や個人の健康というのを考える頭があるならば、こんな状況での通勤通学や企業活動を根本から見直すべきという形で自分達から実行したり、被災地の高校が、殺人的な猛暑と照りつける日差しの中で野球やるような事を美談なんかにする前に、そんな自殺行為はやめるべきだ。って論陣貼って批判してると思うんですよね。
www3.nhk.or.jp

 でも、現実はそうなってない。今ひとつ根拠が分かってなくて「いままでそうしてうまく行ってたから」「空気を乱すから」「クレームがつくから」「前例がない」と言う程度の理由しかないような話が、個人の人命とか健康とかに、優先しちゃってる訳ですよ。
 昔は確かに、暑さも今よりある程度緩かったから、どうにかなってた部分があるのでしょうけど、それでも、真夏となれば熱中症や日射病で病院に運ばれる人や、動けなくなって孤独死する人が少なからずいたんですよね。そういう人達を、当時はあんまし問題にしなかったから、社会全体からすると「見えなかった」だけで。
 人命を軽視し・個人の健康や尊厳をことごとく見下げて行くということは、それで困ってしまう立場の人達や困ったことに追い込まれていく人たちのことを、とことんまで無視する事につながるし、そういう形で廻される社会というのが、果たしてよかったのか?と言うと、良くないことが沢山あったように、私は思う訳です。

「コミュ力重視」=忖度重視の社会が、多くの人に悲劇を押し付けてる。

 さて、こんな記事が出てました。
gendai.ismedia.jp
 要は、「コミュ力重視」と言う言葉で言われてる最近の若い人たち(に実際は限らないのですが)のありようというのが、自民党なり政府なり安倍首相なりがメチャクチャなことをやっても支持が減らないで、彼らのやりたい放題を許す結果になってるのではないか。と言う中身の記事なんですが、要は小さい頃から多数派に属してる事や目先の偉い人に気に入られる事が大事だと教育された人達が、世間の空気を過剰に忖度(そんたく)し、現状がダメだと正面から言う人たち(野党など)を露骨に嫌うようになってる。と言う話なんですよ。

 これ、私が子供だった頃から、学校でも行われてきたことで、乱暴で自分の思い通りにならないと気がすまない教師とか、親が社会的立場の高い子供とそうでない子供を露骨に差別して「そうでない子供」に頻繁に暴力を振るうような教師とかが、何かにつけてやってきたのが「自分が気に入るような結論を出した生徒は贔屓する・内申点も高くつける」と言う事だったし、社会に目を向けてみれば、多くのバラエティとか情報番組とかニュースでも、社会のマジョリティ・多数派に属することが大事で、その多数派に入るには多数派の偉い人の言う事をそのまま受け入れなきゃいけない。ってメッセージを発していた部分が相当あった訳ですよ。
 学校でも、社会でも、そういう「多数派が大事」「多数派の偉い人を忖度しなきゃいけない」「少数派は見下げられて当たり前だし、不都合を受けていいんだ・仕方ない」ってメッセージを、色々な形で発信していたのが、最低でも1970年代以降の日本だったと、思う訳です。

過剰な集団重視・規律重視や前例主義が、この社会をじわじわと腐らせる猛毒へと変化していった。

 そういう中では、「前例主義」がまかり通りやすい訳ですよ。前に同じことをやってうまく行った人が偉くなって、そのやり方がいつも同じでいけるとは限らないどころか、時代や状況が変わったらうまく行かないで犠牲を払うことすら多くあるのに、違うやり方をしてしまうと偉い人の気を損ねるし、そもそもそれがうまく行かなきゃ責任取らされる。うまく行ったとしても、つまらない揚げ足取りや重箱の隅をつつくような事で、簡単に否定され責任問題になる。
 そういう、前例主義を前提にしたシステムというものを、日本では重んじてきました。そこに、80年代以降の「とにかく短期的な成果が大事で、長期的に問題になってもそれは無視する」「今起こってる問題は、徹底的に先送りして、とにかく目先の利益だ」って言う社会風潮や制度の「改革」が入っていった訳です。
blogos.com
 その結果、「偉くなったら、なんでもしていいんだ」「偉くなったら、他の人間を支配していくべきなんだ」っていう人が、より多く、のし上がり偉くなるようになっていった訳ですよ。
 それが、今の日本のひどい崩壊を生み出してる部分が相当あるし、それと同時に、私達一人一人が「多数派に入って偉い人を忖度しないとダメだ」って、ある種の神経症のように「しつけられ」てきてるんですから、どんなにデタラメやっても、文句が出ないし、文句言う人は徹底的に排除して、不都合や被害を受けた人は、努力が足りない・自己責任だから放っておけばいい。って意見が多くを・多数派を占めちゃってる訳ですよね。 

 これこそが、社会の崩壊のどまんなかにあることの一つ・それも、最大のものじゃないかな。と思うんです。
 個人を軽視し、集団をことさらに大事にし、その上で、集団に対して中からそのありようを疑うということ自体を間違いだ。とするのは、確かに、国なり集団なりが火の玉のようになって一つのことに当たり、例えば世界最大の経済大国になるとか、戦争に勝つとかそういう目的の時には、うまく行くものなんですよ。多くの犠牲者を、見捨てるという代償を払うのではありますが
 しかし、そのような目的を達成した後とか、それがうまく行かなくなってくじけてしまった後とかは、そのような考え方・精神論と言うのは、毒として働くんですよね。社会をじわじわと腐らせ、腐ったのに中の人達が気づいた時には呆けて腐るのを見ていくしかなくなるような、猛毒。

集団を正しく「見捨てる」事が、猛毒に侵された日本社会を救う道なのでは。

 今は、第二次世界大戦での敗北から、高度経済成長時代に産まれ育てられ、そしてバブル景気から氷河期にかけてまるまると太らされた「猛毒」に、社会全体が苦しめられ・人々がそれをどうしていいのかわからないまま、現実の腐りようを見過ごし・流される以外の事がわからなくされている状態だと、私は思うのです。

 だから、ブラック校則や熱中症で学校の生徒が死んだり苦しんだりするし、社会は社会で、死人や病人、貧乏人や被災者に過剰に「自己責任」をあてはめて、自己責任も努力もやりようがない人を叩いて孤独死や自殺に追い込んで反省すらしない。
 それを乗り越えるには、個人がきちんと個人としてやり直していくよりなくて、それには、集団というものをきちんと「見捨てて」行くことから始めてかないといけないのではないか。それでも人は集わないとダメだろうけど、集うならば今までのような集団とは違う・ましてやオウム真理教のようなカルト集団ともちがうようなものを、自分達の心と頭と力で、色々な人と繋がり、交わり合う中で作り直すよりないのではないか、そう思う訳です。

「平成最悪」の豪雨・大水害での被災者見殺しと、オウム幹部「処刑」から、人を人と思わない偉い人たちについて考えてみる。

 台風が接近したことによる、この何十年かで最悪の大雨・そして、大洪水が西日本を中心にありました。亡くなられた方々の無念や苦しみを感じ、合掌させていただこうと思います。

「平成最悪」の豪雨でも、全国の自衛隊を動かさないで被災者を見殺しにしようとしてる、今の政府。

 さて、この大洪水、これを書いている7月9日の23時で、死者117人・行方不明者79人となっていて、まだ捜索が手についてすらいない所も沢山あって、まだまだ死者や行方不明者が増えていくだろう。と言われています。
mainichi.jp

 こんな時に、安倍総理は、フランスの革命記念日の軍事パレードに自衛隊を連れて行って参加させ・今マスコミ報道がほとんどされてない中で無理やり法律にしようとしてる水道の民営化・民間企業が水道を全部支配できるようにする法律で、多くの国で水道を支配することになってるフランスの企業と商談するとまで言われてる事をやるために、フランスなどに行こうとした訳ですよ。結局、フランスの国営テレビからもどうなってるんだという報道がされたりなどあったのと、日本国内のネット世論の反発が半端ないので取りやめになりましたが。
 そして、肝心の災害対策がどうなってるかと言えば、陸上自衛隊の被災地の地元の管区である「中部方面隊」や海上自衛隊航空自衛隊の地元の部隊は動いてますが、他の地域の部隊は、この大雨があった数日間殆ど移動も待機もしないれいるようなんですよね。
 雨が上がり始めた日曜日あたりから、自衛隊のヘリが沢山飛び回って孤立した集落や建物に取り残された人達を救助したり、洪水で土砂が流れ込んで押し流れた人達を、自衛隊の人達が探し出して瓦礫をのけて救出してるか。と言えば、そういう、大きな災害でいつも見られる光景が、今回は殆ど無いわけです。
防衛省・自衛隊:平成30年7月5日からの大雨に係る自衛隊の災害派遣について(08時30分現在)

 何しろ、政府が全国の自衛隊・例えば北海道の部隊を被災地に動かさないものですから、法律でなんとか動くことができる被災地地元の部隊がなんとか動けるだけで、後は消防や警察の人達が頑張るしか無い状態なんですよ。

なんにも真相がわからないままに、無理やり処刑されていくオウム真理教の幹部たち。

 そして、先週は、この大雨が始まった6日に、オウム真理教の幹部たちが、七名も一気に処刑されました。彼らの罪の重さを考えると当然と思う人達もいるのでしょうが、あの一連の事件は、余りに分かってないことが多くて、警察や検察に都合のいい供述を繰り返した井上氏の供述を根拠に、どんどんと死刑が決められ・その後死刑囚たちがなかなか本当のことを世に伝えないという状態で、23年間続いてしまった事件だったのです。
biz-journal.jp
 地下鉄サリン事件があった当時、オウム真理教の背後には、暴力団がいるとか公安機関のスパイがいるとか、カルト宗教である統一教会(今の家族平和連合)が組織運営のノウハウを伝授したとか、そういう色々な噂話がありました。
 そして、石原慎太郎都知事の四男がオウム信者で、国会議員時代の石原慎太郎氏がオウム真理教宗教法人認定に関わっていたとか、北朝鮮政府が組織的に関わってるとか、北朝鮮の作った覚醒剤や麻薬を日本の社会全体に売りさばく流通ルートになってるとか、そういう話も取り沙汰されていた。
オウム帝国の正体

Aum Shinri Kyo and the Japanese Police

 そういう、非常に闇の深い・あの時代の「おり」のような物がオウム真理教には吹き溜まっていたとも言われていますが、世論がパニック・ヒステリーに陥っただけではなく、マスコミがそれを更に煽り・警察がもっと力をつけないといけない!と言って恥じないジャーナリスト(江川紹子とか)までのさばる中で、どんどんと世の中全体がおかしな方向に向かっていった訳です。

 その前から日本社会は著しく狂い始めていましたが、狂ってる中でも、冷静にならないといけないという人達がいて歯止めになっていたのが、オウム真理教の一連の事件があるなかで、そういう人達が排除され・攻撃され、警察に全て任せて安全安心にならないといけない・個人の権利とか命とか、そういうものは治安を護るためにはどこまでも犠牲にしてもいいんだ。と言う、非常に乱暴な意見が幅を利かせるようになっていった訳です。

強引な処刑と被災者見殺しに共通するもの。

 それを無理やり、終わらせようと今の内閣が強引な死刑をするときめた直後に、この大雨と大洪水です。

 この死刑執行がされる前に、大雨が来ることや、その大雨が今までにないような危険な大雨っだということは、予想されてました。しかし、その死刑執行の前日に、安倍総理や政権党の自民党は、幹部や若手議員を集めて「赤坂自民亭」と言う酒盛りをやってる訳です。
mainichi.jp
 死刑執行にサインした上川法務大臣にお酌させたり、安倍総理の地元の「獺祭」と岸田政調会長の「賀茂鶴」、どちらの日本酒を飲むんだと安倍総理が大臣や議員に問いただしたり。
 挙げ句には、上川法務大臣から若手議員から、みんなが親指を立て・死刑執行のボタンを押すかのような身振りをした記念写真を撮ったり。
https://pbs.twimg.com/media/DhWMAD9WkAAARWP.jpg
 そういう、二重三重に不謹慎だし、それ以上に、大雨が降り始めてたのにそんなことをやるのか。と、多くの人達が怒ってるわけです。

「洪水被害者見殺し」をやるような冷血な人達が政治を占領してしまってる。

 この2つのことや、水道の民営化、後は3月末にむりやり可決された種子法の廃止・自治体が作物のタネを護り、過剰に金儲けの道具にしない法律の廃止なんかは、共通したことがあると思うんです。

 「人の命は、自分達の利益のためだけにどこまでも犠牲にしていいんだ」
 「災害が起きても、多くの人が飢えても、自分達には関係ないし、自分達がさらに都合のいいように物事を運ぶための道具にしていいんだ」

 こういう、ものすごい邪悪な物を私は読み取るし、この50年間近く日本を変えていった人達が変えていった末に、こういう人間としてあまりにひどい考えの人達だけが政治の上の方にいて、人々を護らず、ただの都合のいい「道具」にするようになってしまった。
 一時期、「決める政治」と言うのが非常にもてはやされて、話し合いで物事を決めていこう・法律やモラルに基づいて、時間がかかっても確実にやっていこう。と言う、当時与党だった民主党などの人達を「決められない政治」「スピード感のない政治」だといって、貶すことがマスコミの政治報道やワイドショーなどで、非常に多く行われてた訳です。
 その前・小泉純一郎氏が総理だった時代から、そういう、「スピード感のある政治」が持て囃され、そこに反対する人達を笑い飛ばすことが社会常識のようにされてました。
 それが、多くの人たちに不都合を押し付け、不都合を押し付けられた人が苦しむのも、「自己責任」「努力が足りないからそうなる」。そういう、今考えると非常に身勝手なんじゃないかという考え方が、マスコミで広められ、国も地方も、政治の有り様がそういう乱暴でごう慢なものになってしまい、その結果として、当たり前なんですけど、社会が壊れてしまった。

自分の頭と心で考え続けることの大事さ。

 そして、その末に・「スピード感のある決める政治」が持て囃された末に、今の安倍政権のような、人の命を道具以上に見ないで、大震災や大洪水の被害にあって苦しむ人たちを、最初から見捨ててしまうような人達が、政治の場に、本当にたくさんいるようになってしまった。

 この大洪水の間、ネットを見ていると、「野党が悪い」「事業仕分けが悪い」などと言って、総理大臣たちが被災者を見捨てようとしてるのをなかったことにしたいかのようなツイートや書き込みが、目立ちました。
 被災者が「孤立してる、自衛隊も役所もこない、助けてくれ!」って写真付きで投稿しようものなら、「そんなところに住んだあんたらの自己責任だ」と袋叩きにされてるケースも目立った。
 半分以上は、安倍総理が責任を取らされないように、世間の空気を捻じ曲げようとする人達なんでしょう。
 それに多くの外野の人が「反撃」していて、それはは、数年前とは全く違うことで良いことだと思います。
 本当に、空気を考え・配慮して自分の頭と心で考えるようにしないできたことを、私達一人一人が乗り越えないと、国とか社会とか以前に私達自体が滅んでしまうと思いますので。

「幸色のワンルーム事件」と、児童養護施設廃止を後押しするリベラル側の動きに共通した、身勝手で無責任な「善意」。 

 最近、寒くなったり暑くなったりで、本当に、困ったものですね。
 暑いからとエアコンを仕方無しにつければ寒くなるし、寒くなったからと切れば、暑くなる。
 もうすぐ夏なんだろうと、諦めていくより無いのでしょうね。

勝手に作品を決めつけ・潰し・そして、批判を悪魔だと言う人々。

 「幸色のワンルーム」と言う漫画作品があって、その作品がドラマ化されることになったのですが、「誘拐をいいことのように描いてる」などとして、反対の声を上げる人達が出た訳ですよ。その結果、制作する朝日放送(大阪)以外では、放送がされないことになってしまった。
その人たちの多くは、フェミニズムに対する支持を表明していたりするんですが、この作品が本当に「誘拐をいいことのように描いてる」化と言えば、そういうことはなかった訳です。

 そして、「誘拐」に至る過程で、誘拐された側の少女が親から虐待を受けていて、助けを求めていたのに対して、別の犯罪にも手を染めていた男性が応じて、同居生活になる。と言う、非常に複雑かつ、最近の社会を反映するような流れで話が始まってた訳です。
 その辺りの話の筋やその後の話の展開と言うのを、まるまる無視する形で「誘拐を称賛してる」「性暴力を称賛してる」と、主にフェミニズム運動に関わってる方々やそれに「連帯」する方々が、テレビ局に抗議し、その事で、抗議を怖れたテレビ局が「自粛」して放送中止を決めたわけです。

 最近、こういう事が非常に多くなってると思います。
 自分達の思い込みで、外の人達や関わってる人達が「それは違う、的外れだ」と言っても、「差別を助長してる」「犯罪を助長してる」と決めつけ、作品や事実、報道を表に出さないように仕向けていく。
 これは、日本に限らずアメリカでも頻繁に起こってて、それが、あろうことか「MeToo」と言うセクハラ批判キャンペーンと、リンクしてたりする訳ですよ。

表現の自由に限らず、子供の「社会的養育」でも、同じようなハラスメントが起こり始めてる。

 もう一つ。虐待を受けたり、家庭が崩壊したり、親がいなくなったりした子どもたちの居場所として、児童養護施設というのがあるのですが、これについて、国が廃止をしていくという方針になってる訳です。

 そして、「善意ある」里親が養育するように、全て一本化していくと。

 これ自体は、HRWなど一部の人権団体やNPOが、「児童養護施設中心の日本は世界と較べて時代遅れ」「児童養護施設児童虐待の温床」「児童相談所は悪魔的な組織」といった、非常に偏った批判を、この数年特に強めていて、それを厚労省が受けて、ちょうど予算を削減したかったのもあって、乗っかってしまってる。と言う構図なんですよ。
子どもの家庭養護原則掲げる改正児童福祉法 成立 | Human Rights Watch

世界から批判される日本の児童養護施設について知っておくべき5つのこと - マダム・リリー

 里親に一本化した場合、それまで児童養護施設で暮らしてきた子どもたちが本当にマシな生活になるのか。と言う問題もありますが、それ以上に、里親が本当に善意ある人々だけで、虐待などを行わないか。と言えば、そんなことは無いわけです。専門的な教育をろくろく受けてない分、虐待や強制労働、暴力などを起こすケースが少なくないという話も、長年で続けてますし、児童養護施設のように専門的な教育を受けた職員が沢山いるところのほうが、生活が安定して幸せに近づける子どもたちだって、沢山いる訳ですよ。
eureka74.hatenablog.com
 子供を「社会的に育てる」時に、どれか、一本にするというのは、非常にまずい話で、子供や親の状況にあった形で、色々な支援や育て方をやっていかないといけない訳ですよ。
 この社会では、長いこと「どれか一本の道しか無い」と言う事で、多くの子どもたちが、児童養護施設や里親の世話にならない状況の子供は特に、ひどい不都合を背負わされて、排除されたり押し込まれたりしてきてる訳です。いま問題になり始めてる「高齢ニート」「高齢引きこもり」の多くは、その人たちがネットなどで書いてる事を見れば尚更、そういう「一本の道しか無い」社会のしわ寄せと犠牲を受けて、一部の成功した人たちの踏み台よろしく踏みにじられた青春を送ってる場合が、非常に多い。

非常に偏った目線の運動と経済的利益が結びついて、現場の努力を台無しにしてる。

 それではまずい。と、この二十年ほどは、児童相談所児童養護施設に限らず、心ある人達が何本もの道を作ろうとして頑張ってきてた訳ですよ。
 それにも拘らず、人権団体を名乗ってるHRWや人権活動家を名乗ってる一部の人達が、「里親一本化以外に解決策はない」「外国は里親だけでやってるのに、日本は時代遅れだ」と大声を上げ、厚労省や今の政権に取り入って、しかも、今までの心ある人達の努力を台無しにするどころかその人たちが悪人だ私利私欲にまみれた利権勢力だと大声で叫んで、里親への一本化を押し切ろうとしてる訳です。
 この人達の中には、里親あっせんの仲介で、非常に高額のおかねを「手数料」として貰ってるNPOの関係者もいるようです。

 つまり、大阪などでこの20年ほど起こってるような、
「今まで住民のために頑張ってどうにか制度の中でやってきた良心ある人々」を、
既得権益とか悪人と決めつけ・権力にありついたうえで、住民の利益を自分達やスポンサーの利益に全て付け替え」、
そして、
「住民が不都合を起こすだけでなく、命を落としたり社会が廻らなくなっても、一切責任を取らず”既得権益のせいだ”と言い逃れを続ける」

と言う、ろくでもない構図が、子どもたちの教育や社会的養育という問題でも起こり始めてて、それをやってるのが、あろうことか、「人権団体」や「リベラル」を自称する「意識の高い人々」だと言うことに、なってしまってる訳です。
 そこでは、現場で養育されてる子どもたちの意見は殆ど入ってこないし、職員たちの意見も入らない。入ってくるにしても、それは、既に決まってる方針に都合のいい意見だけで、それ以外は無視されるし、無視するなと外部に声を上げれば、徹底的に攻撃される。
 したがって、現場で働いてる人とサービスを受けてる子どもたちが、完全に置き去りにされてる。

「そんなつもりはなかった」で、責任を取らずに言い逃れする、声の大きな人達。

 「幸色のワンルーム」騒動でも、同じでした。実際に作品を途中まですら読んでもいない人達が、話の頭の部分だけどころか、舞台設定の本当に表面のところだけ目にして「誘拐を称賛してる」とかそういう話をぶち上げ、そこに「共感」した人達が、「こんな作品をテレビでやるな」と湧き上がり、抗議を呼びかけ、「全く違うだろ」と言ってたしなめた人たちに対して、「おまえは児童誘拐を称賛する悪魔だ」と言わんばかりの非難を浴びせて、攻撃する。
 そして、実際に放映中止となって、放映されるのを楽しみにしていた・子どもたちも含めた多くの若い人たちから、中止に追い込んだ人たちが非難され始めたら、「こんなことになるとは思ってなかった」と言って、言い訳を繰り広げて、謝罪することも、真剣に反省することもなく、別の問題で同じ様に作品や人を非難し始める。
消された文章ですが:
archive.is
元の文章は:https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768
 児童養護施設の廃止と里親への一本化に向けた動きで、それを「左側から」強く推し進めた「人権団体」「リベラル」も、同じことを、じきに言い出すでしょう。一本化に向けて審査がゆるくされたことで酷い里親が増えて、それが悲惨な虐待事件や暴力・強制労働事件に発展したのが発覚した時に、HRWやその他のNPOがこの政策を推進するためにメディアに対して書いたことや政治家に働きかけたことの責任を問われたら、ほぼ確実に「自分達は関係ない」「悪いのは里親であって制度ではない」と開き直るでしょうね。

 そういう、無責任な状況を、続けさせるというのは、良くないことなんですよね。結局、子供であったり番組制作に携わった人たちであったりを犠牲にする状態が、いまよりひどくなる。ということなんですよ。
 そういう状況を防ぐには、多くの議論と、それを具体的な力に変える流れというのが、どうしても必要になるし、それは、一つでなくて良くて、逆に沢山あったほうが、ごくごく一部の身勝手で凝り固まった人達が社会全体を悪くするのを止める力になるのだろう。と、私は実感してるのです。

ラノベ作家のヘイト書き込みがアニメ化中止に繋がった事から、正義とその腐敗について考える。

 最近、物凄く気分の悪い日が続きますね。お天気もですが、世の中の動きが急変してるのに、その事をみなかったかのようにして続いてる状況を見てると、それが最後にどういう結果を私とか私達に突きつけてくるのか、半分読めてきてしまうような気がして、本当に厳しいものがあります。

ラノベ作者の嫌韓・嫌中ツイートが、アニメ化中止と本の絶版に繋がってしまった。

 さて、「二度目の人生を異世界で」と言う、ネット投稿から始まったラノベがアニメ化されることになり、只、その作家さんが昔中国人や韓国人に対するヘイトスピーチをくりかえしツイートしていたことが発覚して、そこに、中国の「環球時報」紙が「ヘイトスピーチ作品」と言うような形で報道したものですから、中国のアニメファンたちが怒って、声優への脅迫なども起こり、声優が辞めて、結局アニメ化は中止・日本国内で売られてる本も回収。となってしまったのが、色々な議論を呼んでいます。
https://ncode.syosetu.com/n6332bx/
www.huffingtonpost.jp
 この事で、反差別運動に関わってる人たちや支持者たちが一斉に「素晴らしいことだ」と言いはじめて、国内でどんどんやっていこう。的な話も出始めてて、私はその動きやその後起こりかねないことを危険だと思ってツイートしたら、一日で8000以上RTされるという、今まで一度あったかなかったかという事になってる訳ですが、そのような「言葉」「考え」自体もだけど、その裏側にある考え方や物事への態度が、物凄くまずいな。と思うのです。


人を罰するのに「棒」を振り下ろすことは、必ず悪を伴うけど、全て善だと信じる人々。

 これは、少し前から言われてる「ポリコレ棒」「人権棒」と言う言葉に込められてる多くの人の批判的な見られ方とも関わってくるんですが、この手の「棒」を振り回し・正義で人を裁く事を日常的にやってきてるような運動や思想というのが、ほとんどの場合、自分達の価値観は全く正しくて、間違いがない。そして、自分達に裁かれる人や存在は、誰がどう見ても「悪」であり、正しくないのだから、裁かれて当然だ。
 そして、そこに文句を言う人達や裁かれることの苦痛を言う人達は、自分達を理解しておらず、愚かな人達で、甘えてる。甘えるな。

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

20〜21

 こんな態度や言動が、最近、又目立ってきてて、それ自体は大昔から何度も私は見てきてる構図なんですけど、ともあれ、そのような態度というのは、ただごう慢であるだけでなく、極めて危険なんですよ。
 今は、そのような人達が社会で主導権をとりつつあり、それによって救われる人もある程度いるからいいのでしょうけど、しかし、その外側には、膨大な数の「見捨てられる人」「裁かれる必要がないのに裁かれる人」「裁きのとばっちりで、社会的に差別を受けることになる人」が出てるわけです。
 そして、今までの、左派を自称してリベラルだとか左翼の代表だとか市民派だとか言う事を自称してもきてる人達の多くに、その人たちが出て当然であり、そのような人は遅れてる愚かな人たちだから仕方ない。と見捨てる人が、沢山出てるわけです。

 その事は、彼らが抱えてる思想や価値観自体をも腐らせてるし、腐ると同時に、多くの人から見られた場合に、その腐る前の思想や価値観自体を、物凄く嫌わせてしまい、物事の解決や進展を遅らせるという事に繋がってきてる訳ですよ。そして、それは、「彼ら」のやってきたことのほころびが積み重なって、社会を蝕んで壊すのが隠せなくなった時に、一気に仕返ししてくるわけです。「彼ら」自体が、非常に下劣で「大衆の敵」だとして、ヒステリックに近いような排除が始まってしまう。

左派全盛から右派・ネオリベネット右翼の世となり、そして逆転し始めてる流れの中で、考えるべきこと。

 これ自体は、世界の全ての国や地域で歴史的に繰り返されてるだけではなく、日本でも、繰り返されてる訳ですよ。

 1970年代までの左翼運動やその周辺の文化というものが、1980年代位からの「豊かになった日本」と言う風潮でどんどんと時代遅れ扱いされただけではなく、マスコミの報道や学校での管理教育の徹底なんかもあって、根底にあっただいじなものまでもが、無視されるどころか、親のかたきのように嫌われていって、個人が何かを感じたり言ったりすることの多くが、マスコミの広めること以外の考えや価値観が、「時代遅れ」「アカ」などと、嫌われて行った訳です。
 そして、90年代からの20年ほどというのは、豊かではあったけど貧しくされた人や排除された人も沢山出てるんですが、当時の左派やリベラルの多くは、そのような人たちからの訴えを「甘え」といい、自分達の価値観に従わない人を、社会の敵だと言って排除する為に、それこそ「敵」だったはずの自民党や警察にまで取り入って・思い込みだか嘘だかわからないけど事実と全然違うことを世界に発信して「外圧」にして、法律などを作っていた訳です。前回この事は書きましたが。

 そういう態度を「左派」「リベラル」が取って、それが人々からどう見られてるか無視するような人たち以外は排除されてしまって、腐っていった中で、00年代頭に、今で言うネトサポのような人達が、数と資金に物を言わせてネットを占領し・お上(自民党や保守)に歯向かったり気に入らない真似をする人達を攻撃したり、社会から排除して当然だ。と言う風潮を作っていったものですから、多くの人が、今まで「左派」などから受けてきた仕打ちへの怒りもあって、乗っかっていった。と言うのが数年前までの状況だったんですよね。
 そして、そのお膳立ての上に出来た安倍内閣がやりたい放題・デタラメ三昧をくりかえし、ウソも平気でつくし責任も完全に取らないというのが、誰の目にもバレバレになった物だから、それに対抗してきた左派やリベラルを自称する人達への人々の支持や希望があつまり、社会の主導権を、再び握りかけてる訳です。

自己を相対化しない怠惰な思想や運動は、必ず腐敗し人々から叩かれるようになる。

…ちょっと待って下さい。
 左派やリベラルと、右派や保守の力関係というのは、長い年月をかけてお互いに逆転し続けてる訳ですよ。そして、右派や保守が、自分達の事を客観的に見ないで・自分達の非常に狭い世間で社会を見て・人々を裁き・言葉を深めていった末に、腐って行って、今や自分達がやってることの責任も取らず、そもそも何をやったかすら自覚してるかどうか怪しい状態になってる事を考えた上で、左派やリベラルとして主流だと自称してる人達のこの数十年間の動きを見てると、抱える正義やイデオロギーは全く違うんだけど、物事や自分に対する態度と、物の考え方は非常によく似てるんですよ。

 つまり、いずれというより、そう遠くない内に、左派で主流だと言われてる人たちは、自分達のやってることの問題点が見えてないが為に、物凄い酷いことを(今の安倍内閣とか取り巻きの人達のように)くりかえし、責任を取らずになんとかしようとする事が積み重なって、多くの人々から恨まれ・嫌われ、奥底に抱えてきた考えや価値観までも全て否定すされるような事になるんじゃないかと、私は思ってる訳ですよ。

 自分をかえりみない・正義が自分にあるからと正義の点検を怠った政治や思想、運動というのは、結局は、そこに行き着いてしまう。
 前々から。と言うか、00年代の半ばくらいから、今の反差別運動や平和運動に繋がってる運動の人達の中から、自分達を相対化する事・要は一歩踏みとどまって、自分達を外から見つめなおす事を凄く悪いことだと言うようになり、その事と、ドイツの「戦う民主主義」の成功を結びつけて正当化するような、物凄くまずい状況が、目立ってくるようになりました。
 その事は、ドイツでヘイトスピーチを違法化して成功してるんだから、日本でも違法化すべき。と言う乱暴な議論がまかり通っていて、その事自体、実際の所今の、イスラム系の移民や難民が沢山入ってイスラエルを批判する人達を排除できなくなってるドイツの現状を物凄く無視してる話なんですが、そこはともかく、よそで「成功」してるからこちらでもそのまま輸入しろ。的な乱暴な議論がまかり通ってるのとセットになって、広まってるんですよね。
ukmedia.exblog.jp
d.hatena.ne.jp

右派や左派、両方がやってきた「失敗」から学ぶことが、大事。

 そこを批判すると、すぐに「どっちもどっち論」「相対化良くない」と批判されます。しかし、それが、運動を腐らせ・多くの罪なき外部の人を無理やり裁いて敵に回す結果になってるのを、中の人達が全く気づいてない。と言う事に、行き着いてる訳です。
 この、「右派と保守の失敗」「左派が犯しつつある失敗」から、私達は学んでいかないといけないと思うのです。自分を相対化・外から見つめ直すように癖を付けて、危ないと思ったら周りがイケイケドンドンでも踏みとどまるし、空気をわざと読まないで意見を出して、絶えず議論を行い、方向性を、外からも内からも絶えず変えていくような、複数の動きを作っていかないと、このような、歴史の裁判に、私達は負けるし、それは、非常に酷い世の中を続けて・繰り返すことにつながると、思うのですね。

日大アメフト部事件や佐川不起訴から、暴力不在の日本を振り返り、今後を考える。

 梅雨に入るか入らないかとなってきました。もう少し前に書きたいとは思ってたのですが、5月の頭から左の腹が異常に痛くなり、痛みがある程度治まってから検査したけど何も出てこず(只、腸に炎症があったけど治りはじめてたのはわかった)、その後もズルズルと微妙に痛くてロクに何もできない状態が続き、やっと数日前に痛みが全くなくなりました。
 病院での問診のことを振り返り、ある日魚屋さんで白エビを勧められて、相当悩んだけど結局季節ものだからと買って、少しだけ刺し身にしたのが引っかかったのかなぁ…アニサキス症とか、大きな魚にしか無いかと思っていたんですが、小さなエビもアニサキス寄生虫)の宿主になるんですね。皆様もお気をつけて。
www.mhlw.go.jp

日大アメフト事件と働き方改革と森友事件から見えてくる、この国の救いようのない腐敗と、社会や道徳の崩壊。

 さて、今月、色々とありました。この国が、壊れてる姿を隠しきれなくなり始めたと言ってもいいと思います。日大アメフト部の不条理な反則強要事件は、日大という大学が今の政権にもべったりで、経営陣が暴力団とべったりで、反則を強要した元監督はその経営陣の中で、学長に気に入られて酷いことを前から繰り返したという話も、取り沙汰され始めてますね。
toyokeizai.net
 そして、「働き方改革」とか言って、実際の所「サービス残業させ放題法案」であるような中身の法案を、自民党公明党が出してきて、出す理由にしてきた資料も何もねつ造だらけで、政府の答弁もデタラメだったものだから野党の大半が答弁拒否したのにもかかわらず、与党と維新の会が無理やり国会を開いて、殆どマトモな質疑がないままに、維新の人達が言い訳をするために、余り意味がないどころか却って中身が悪くなる「対案」の一部を入れさせたからと、衆議院で自公と一緒に賛成してしまいました。
「働き方改革」一括法案の問題点を考える院内集会声明 | 日本労働弁護団

 そして、森友事件で、自分が大きく関わってたのに嘘八百の答弁を繰り返すばかりか、財務省の中の資料を改ざんさせたり、不法に捨てさせようとしていた、佐川前理財局長が、不起訴になってしまいました。
mainichi.jp

 これらは、表面的には、日本の道徳の崩壊であり、法制度の崩壊なわけですが、私には、バブル崩壊の前からあったような「それ」を、必死に見せないようにしてきたのが、どんどんエスカレートしてしまって隠しきれなくなり・隠すのをやめてしまっただけだったのではないか。と思うのです。
 この国は、法治国家であり、法による正義がきちんと行われ、秩序もそれを助けてきた。そういう風に、私達は教え込まれてきました。学校教育だけではなく、会社や職場でも、マスコミでも。

私達は、間違った幻想を何十年も見させられ続けた。

 しかし、今まで色々と書いてきたように、それは、幻想だったと思うのです。
 この国では、ある種の勢力・ある種の人々には法の規制が通用せず、そもそも法律と言うのはその人たちが自分たちに都合のいいように、長年作り変えられ、裁判所はその前に無理やりな解釈でそれが必要であるかのように、現状を正しいという事を屁理屈をこねて正当化することの繰り返しでした。
 そして、幾らかの法律は、その人たちが許せる範囲で「善意」が織り込まれるし、そのような法律の中に、自分達のエゴや思い込みや差別を、どのようにそうでないかのようにして織り込むか。と言う事に必死になってる人達が、今の与党のような人達だけでなく、警察やお役所や、果ては左派の政党にまで取り入って、その人達以外の多くが酷い扱いを受けるように規制され・あるべき人権すら否定されていくように、されていってることがどんどん酷くなってたわけですよ。

 青少年健全育成条例児童ポルノ買春禁止法なんかはそれのいい例で、迷惑防止条例エスカレートぶりもそうでしょう。その中で公平な刑事手続を奪われたまま冤罪や微罪で刑務所に入れられる人が続出してきてるし、冤罪は未だに繰り返されてる。
 そして、少数の人達・世間で力を持ってる人達が一方的に作り上げた「空気」によって苦しめられる人達・居場所を否定されたり存在を否定されたりしてる人達にとって、この国は、無法も同然だったのです。あらゆる言いがかりが、警察からも隣近所からもつけられ、就職は勿論アパートを借りることも容易ではなく、しかも、それらを世間に訴えれば軽蔑されるし、無視もされる。ワガママに過ぎないとけなされたりののしられるくらい、当たり前だった。裁判なんかに訴えても、なかなか勝てないという状況が長年続いてきてます。最近は、裁判で勝てる場合が増えてるように見えますが。
 それでも、法律の保護や世間の理解を受けられない人達は、この日本に、外国人に限らず、今でも沢山いる訳です。
www.newsweekjapan.jp

少数者や異端・困った人々を切り捨て無視するることで維持された幻想が、社会や道徳の崩壊に繋がってる。

 そういう状況、「影」の部分を、私達の多くは見てこなかったわけです。そして、日本が平等で公正で問題がないかのような「幻想」を、この国は、安保闘争が終わった頃から、あたかも「事実」であるかのように振りまき、今につながるような状況であんまし困ることがなかった人たちにすりこんで来た訳ですよ。
 その中で、市井の人たち・立場が本当に苦しい人達に対してだけ、彼らが暴力で世の中を訴え・変えようとすることが、徹底的に否定されていった反面、力のある人達・場の空気を握った人たちに対しては、無制限に近い暴力の「権利」が与えられ、ただ、世間体があるからその「権利」をなかなか使わないできたに過ぎないわけですよ。

 本当の意味で困った人たちは、無色化されて世間から無視されるだけでなく、暴力を使うことも封じられて、結局は、暴力なんてまったくないような形で、ひじょうにかぼそく自分達のことを世間に言ったり問いかけたりするだけでも、世間の大半の人達が総じて袋叩きをしてくるような状況が、1980年代に一気に・そして、非常に強固な形で出来ていきました。

 その後は、少数の人が声を上げたものの、それで空気を握れば最後、他の困った人達や、声を上げた人達のやろうとすることで逆に押しつぶされる少数の人達・立場の弱い多くの人達が疑問をいえば、それ自体が、物凄く酷くて弁護しようのない「悪」なんだと、世間から非難され袋叩きにされる状況にtなっていた訳ですよ。これが、90〜00年代なかば位ですね。その中で、児童ポルノ買春禁止法や迷惑防止条例ができたり、青少年健全育成条例が青少年から人権だけでなく自分が存在価値を認める権利まで奪い尽くすような形に変えられていった訳です。

 その中で、90年代半ば位までは、政治家の汚職にせよ不祥事にせよ、企業の酷い不祥事にせよ、トップの人達が責任を取ることもある程度はあったし、警察や検察や裁判所も真面目に仕事することがそこそこあったのですが、それもどんどんとなくなり、下の人たちに対してだけきつく当たるのに、上の方の問題や不祥事は、見逃す。マスコミだって、多少は非難するけど、責任を取らずに逃げようとする人達を追い込まないようになったし、警察や検察は勿論、裁判所だっていい加減な処罰しかしなくなっていったわけですよ。

15年前の「SLAPP合法化」で、日本の道徳と社会の腐敗と崩壊は、仕上げられていた。

 その、総仕上げになったのは、2000年代前半に、名誉毀損などに対して非常に高額の裁判を簡単に起こせるように法律を変え、名誉毀損などをした人への刑事罰も厳しくした事があったと思うのです。いわゆる、SLAPP(スラップ・恫喝的高額訴訟)を、お金を持ってる人が簡単に起こせて、起こされた方は経済的に厳しくて裁判費用が出せないくらいの額で起こされるし警察がガサ入れに来たりもするものですから、マスコミやミニコミが、どんどんと偉い人たちや企業などの不祥事を書けなくなっていった訳です。

 この事で、00年代なかばには、社会のシステムを使って悪いことをしても、それがお金を使える人なら殆ど表に出なくなってしまったし、 この頃、スキャンダル雑誌の「噂の眞相」がSLAPPを怖れて廃刊してしまったりなんかしたのが、なおさら拍車をかける結果になった訳です。
伝説の暴露雑誌「噂の真相」休刊10年目の真実 | デスク発ウラ話


 そして、10年代には、企業の現場に対してや世間の人達の生活の場では、「遵法意識」「コンプライアンス」が過剰に要求されてるのに、上の方に行くとうやむやになっていて、時折不正行為や汚職がマスコミで報じられても立ち消えになっていく。と言う事が繰り返されました。
 10年代というか00年代の末から後は、そのように「逃れる資格」がある人達を批判するのは、時代遅れだ。時代遅れのことをしてる人達や政治家や団体は、時代遅れなんだから退場しないといけない。と、マスコミで繰り返し流されて、世間の多くの人達は、それをなんとなくそうだと思うようになって行った訳ですが、その時に、東日本大震災原発事故があって、そこで多くの人は自分や家族や友人たちの身の安全を確保したいだけではなく、この事故がどうして起こったのか薄々勘付いて、その原因を作った人達をきちんと罰することを求めていたのですが、それをやろうとした・国民の生命を護り・責任を取るべき人に取らせようとした菅内閣は、責任を取るべき経産省原子力マフィアの人達のクーデターにさらされ・マスコミも早々にその側に握られる格好になり、半年しないで倒されてしまいました。

 そして、その人達が担ぎ上げた安倍政権が出来てからは、「過ちは繰り返さない」「ただし、自分たちが責任を取らされることこそが過ちで、責任を取らずに今まで以上にどんどんデタラメ放題するのが正義なんだ」と、突っ走っていってる訳ですよ。それは、マスコミの多くの人が、それを悪い事と言わず、その人達を批判し、やったことの責任を取らせようとする人達を非難したり笑いものにしたりすることと、セットで来てしまった訳ですね。

「暴力の否定」が世間に広がる反面、暴力を全て合法的に行う人々がのさばりすぎてるのをどう、変えればいいのだろうか?

 さて、これは、非常に繊細な話になってくるのですが、なぜ、東日本大震災で、殆どの人達が「諦め」「無気力になり」、今のさばってるような無責任で後先考えてない人達のなすがままにされたか。と言えば、長い年月をかけて、暴力を奪われ・言葉を奪われ、そして、自分が困ったのは自分だけが悪いからほかは悪くない。と思わないといけないように、重い罰も含めて社会から締め付けられていった事が、大きな理由だったと思うのです。
 そのように、精神的に色々と奪われていったことで、自分達が何をできるか、何をしていけばいいのか、全くわからなくなったし、そのような話を近くの人とするのも半分タブーにされてる状況がセットだったので、手も足も出なくなってるように、私には見えるんですよね。

 そして、レイシストしばき隊やフェミニズム運動家、一部の「リベラル」を自称する人達のように、自分の非常に狭い視野を隠すこともせず、自分達だけの勝手な都合を世間に押し付けることを「たたかい」だと勘違いするような、人間として質が低い人達ばかりが声を上げ、内輪での暴力やセクハラなどは見過ごしまくるのに、外には「自分達の考えた最強の」正しさを押し付けたことがあって、尚更、その他の人達が声を上げることが出来なくされてしまったし、沖縄の辺野古や高江のように声を上げても暴力は振るわない。としてやってきた人たちに警察が襲いかかっても、暴動も起こらなければ、翁長県知事がそれを見過ごして必死になって反対派を護るのから逃げるようなのが、普通にどこでも起こってしまうようになってる訳ですよ。
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 結局、困ってる人も、困ってる人の側に立っててそれなりに権力を持ってる人たちも、何をすべきかわからなくされてて、孤立に追い込まれてる一方、そのような人達を痛めつけることで利益を得ようという人たちは、どんどんと法律を無視しだしたし、そのような法律無視を、警察も裁判所も、マスコミも、当たり前のことだとしか考えなくなりつつある。

 ここを変えていく必要があるというか、そうしないと日本という土地は・社会は、どんどんと滅びて最後にはソマリアのようになっていくより無くなる訳ですが、しかし、それには非常に多くの人が暴力を適切に使う必要があるのかも知れないと思ってるのです。
 しかし、そうなると、暴力というのは非常に暴走していくものだし、特に自分達に正義があると考える暴力は縛りがなくなって酷いことになるのは、1970年代の連合赤軍に限らず、最近のしばき隊や90年代のオウム真理教を見てても明らかなものだから、非常に悩ましいわけですよ。

 そして、前回書いた「革命のジレンマ」と言う問題も、暴力をコントロールして下剋上をある程度出来た後にはつきまとうわけですね。

 私達は、今のままであってはいけないし、この40年間以上続いてきた「公平幻想」「正義幻想」も「非暴力だけしか無い幻想」も捨てていくより、世間にはびこってる無気力の空気を変えて現状を動かすきっかけをつくるのは難しいのですが…この事にも、正解は、全くありません。
 皆で悩んで、皆で話し議論して、その場その場でどうするか真剣に選択し、考え続けるしか無いのだと、私は思うのです。

青地イザンベール真美氏の「パブリックエネミー」舌禍事件から、革命のジレンマを考えてみる。

 天気がコロコロ変わるだけでなく、気温が上がったり下がったり、それも非常に大きな温度差だったりして、大変な思いをされてる人も結構いるのではないかと思います。私も、連休の直前に熱を出した時に、運悪く急性の副鼻腔炎(ちくのう症)を一緒に発病してしまったようで、顔の左半分が痛いだけでなく色々と苦しい思いをするはめになってしまっています。みなさんも、どうか、お気をつけて。

立憲民主党から出ようとしていた政治家候補フェミニストの、舌禍事件。

 前々回触れた話の続きになるのですが、青地イザンベールまみ氏のネットでの発言が、大きな問題になってるわけですよ。彼女は、フェミニズムの学者を自称する方(ただし、本名や所属は出してない)とのやり取りで、「萌え豚(主に男性向けのアニメや漫画、ゲームなどの美少女キャラクターに萌える人達をさげすむ言葉。大抵は男性のみを指す)死ねとは、議員を目指す立場としていいにくいので、あのようなパブリックエネミーとでも言えるような人達を指す言葉がないか」と言う事を、言ってしまった訳ですよ。
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 この発言は、またたく間に広がり、今までそのような扱い・要はいわれもなく「死ね」と言われたり、暴力を振るわれた経験を持ってたり、実際に「パブリックエネミーだから排除せよ・規制せよ」と言う人たちによって、事実に反する話を沢山、外国にまでばらまかれた挙げ句に「外圧」や「人権」を理由にして排除や規制をするような法律や条例を通されてしまった人たちが、揃って激怒して、青地氏が「炎上」する事になった訳ですよ。
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 ちょうど運が悪いことに、この人たち・オタクと呼ばれてて、差別する側からはキモオタとか豚とか言われてるような人たちに対して、あろうことか、レイシストしばき隊のような反差別を掲げてヘイトスピーチ規制法を作らせたような人たちと、その支持者たちから、「オタク差別はない」と言う発言を繰り返し受け、いやいやそんなことはない。私はオタクだということだけで酷い差別を受けてるし暴力も振るわれた。と実例をだしてるのに、それを無視して「それでもオタク差別はない」。と言い続けてきたものだから、大揉めになってた。と言う事があった所に、青地氏の発言問題と言うか舌禍(ぜっか)問題が起こってしまった訳です。
 色々と酷いことを言われ、自分達が就職や結婚に対する差別だけでなく、家に押し込まれて好きなものを捨てられたとかクラスメイトや目上の人から暴力を振るわれたとか、そういう経験を否定される形で差別を正当化されてきたのを、又繰り返された人たちの火に油を注いでしまった。
 しかも、青地氏は自分の言う事にうなづいてくれるような人の意見をリツイートしまくったり、差別されてきた側に身をおいてた議員さんの苦言に対して青地氏の支持者が無理にもほどがある擁護を繰り返してるのと一緒になって議員さんに絡んでたりして、話をするという状態では無いわけですよ。
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青地氏や支持者の言い分は許す余地がないが、私達は立場を逆転しつつあるのも事実なので。

 私は、どのような言い訳をしても、青地氏の言うことも、この件で青地氏を支持されてる方々の言い分についても、全く支持できないし正統性がないと思っています。政治家になろうとしてる・それも、人権派を自称してる人が、言っていいことではないし、言い訳も見苦しすぎる。

 私も、色々と「オタク差別」を受けてきましたし、その中には、川崎市立の中学校で、私の家が貧しいばかりに、教師と一部生徒から受けてきた暴力や内申書での成績に対する差別的と言ってもいい不当な扱いを、教師が、私がオタク的であるから悪いのだ。と正当化してきたことなど、酷い差別で人格を壊されるところまで行ったことがあった訳です。

 被差別経験があると、被差別経験が無いか、非常に軽かった人達が無神経に吐き捨てる言葉や、「善意」でも無神経や差別性を秘めたものに対して、非常に敏感になりますし、実際、第三者が見ても差別にほかならない話だと言う事があって、それに対して差別ではない。と言えてしまうような無神経な物言いや差別性をわかってない人々の物言いというのに対しては、非常に怒りが向いてしまうものなのです。
 だから、そのような経験をする人々が「パブリックエネミーと議員になろうと立憲民主党に近づいてる人が言うとは何事か、撤回してきちんと謝罪するだけでなく、同じこと繰り返してきてるんだから政治家になるのから退場しろ」となるのは、当たり前なんですよ。
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 そして、青地氏と、その支持者達は、そのような深刻な話に対して、見てみぬふりをして、開き直ってる。

「怒られてる人達」から「怒ってる」人達に眼を移す。

 さて、今度は、「怒ってる人々」に眼を移していきましょう。
 怒ってる人々は、前に書いたように、個人それぞれに対する、非常に深刻な暴力や暴言だけでなく、就職や家さがし、結婚なども含めた差別を受けてきた経験を持ってる人が大半だと思われますが、しかし、今の怒りが即座に叩き潰されずに却って人の繋がりで拡大して大きな騒動になってる。ということは、考えておかないといけないことだと思うんです。

 1980年代以前や1990年代、「オタク」と呼ばれる人達でも男性のオタクは異質で気持ち悪くているだけで犯罪者だ。と言うような「社会的常識」があり、それがマスコミで繰り返し報道されたり、お笑い番組やワイドショーで心無い言葉が投げつけられ、差別を煽られるのも当たり前でした。男性のオタクは、オタクであることを徹底的に外に隠すか、もしくは、「オタク業界」の仕事に就いて、内輪だけで生活するかしか、道がなかったと言ってもいいでしょう。
 当時の女性の「オタク」、今で言う腐女子につながる人たちは、男性のオタクに対する扱いを見て、徹底的に自分達の内輪で閉じこもって社会に向けてはオタクを隠すことで、そのコミュニティを維持してきましたね。

 しかし、今は、彼ら彼女らが2000年代の後半に、オタク差別的な法律や条例がエスカレートし、行政の審議会でオタク差別的な発言が相次いだのもあって、本気になって闘って、議会に働きかけて東京都の条例改悪を一回止めただけでなく、今の立憲民主党社民党に比較的強い繋がりを確保し、自民党や維新の会にすら繋がりを確保していき、2010年代中盤には、落選したとは言え山田太郎氏という世間的には無名の人に30万票弱を与えて社会的なインパクトを与え・自民党が山田氏にすり寄るという事まで起こってる訳です。
東京都青少年の健全な育成に関する条例 - Wikipedia

 有り体に言えば、日本での、「オタク」と「反オタク」の社会的立場は、特にこの一二年に関しては、完全に逆転していて、あとは、この構図をどのようにして固定化できるか・「反オタク」の巻き返しや揺り戻しでのダメージを、「オタク」がどのように最小にしていくか。と言う構図になってきてる訳ですね。
 新しい理解と新しい考え方が、必要になり始めてるな。とは思うわけですが、それは、「反オタクをゆるせ」とか、「反オタク的な法律や条例を放置せよ」というのではなく、今までやりたい放題を政治的正しさや正義を理由にしてやってきた人たちに、今までの社会の荒廃に関わった結果責任を取らせることも含まれるし、法律や条例は、「オタク」に対してではとどまってないような、深刻な人権侵害要素を込めてるものが大半ですから、どんどん廃止したり中身を根本的に変えさせて行く必要がある訳ですね。
 そして、「オタク」の側は、これから、それらに向けて力を更に付けていく必要がある。

「革命のジレンマ」が、私達に向けられ始めてる。

 「革命のジレンマ」と言う言葉を、私が数日前に提唱しました。

 今まで、立場が強い人たちに虐げられてきた人たちが、革命とか下剋上などで強い立場につくと、まずは、今まで虐げてきた人たちを排除したり今までの責任を取らせて追放したり刑務所に入れたり、場合によっては死刑にしていくわけですが、それが続いていくとエスカレートし、今度は立場を逆転させた人達が、その他大多数の「今まで虐げてもいないし虐げられてきたけど、立場が逆転出来なかった人たち」を、虐げはじめて、しまいには、立場を逆転させる前とおんなじ状態になってしまう。文学作品だと、オーウェルの「動物農場」なんかが面白いでしょう。

動物農場 (角川文庫)

動物農場 (角川文庫)

 この手のことで、一番象徴的なのが、ソ連の革命・ロシア革命だった訳です。
www12.plala.or.jp

 昔、ロシアは、皇帝が治める帝国でした。しかし、帝国の上の方は栄えたものの、下の方の農民や労働者なんかは非常に酷い扱いを受け続けていて、しかも、革命が起こる少し前から戦争にのめり込んでいたので、どんどん国が壊れていた。そこに、レーニンたち社会主義者が中心になって革命を起こし、一度皇帝側にひっくり返されたものの、再び革命を起こしてソビエトを作り、ロシア全土だけでなく周辺諸国も吸収して行った訳です。
 その中で、「反革命」を取り締まり排除しないことにはソビエト体制が帝国に後戻りしてしまう…旧帝国の役人たちはサボタージュしたり暴動を起こすし、アメリカやイギリス、日本などがソビエト切り崩しの為に、限られた戦争も含めてえげつないことをたくさんしてきてる…ので、秘密警察を作ったり、ソビエト組織内の締め付けを強化したりして、乗り切っていったわけです。
 で、その状況がズルズル続いてる間に、スターリンがのし上がってきて、トロツキーたちが逃げるしかなくなり、レーニンも、暗殺され、スターリンが完全な独裁者として君臨して、大粛清で何千万も死んだり、刑務所やシベリアの収容所に押し込まれ、その後、スターリンが急死しても(一説には毒殺と言われてますが)60年間ほどズルズルと恐怖政治体制が続いて行った挙げ句に、国が壊れてしまった訳ですね。

 ソ連は、「革命のジレンマ」に囚われ・翻弄されて、しまいには国が壊れるまで突き進んでいった訳ですが、「オタク」に限らず、私達がそれと同じような事をしてしまっていいのだろうか?自分達は正義とか怒りで突っ走ってるだけでも、そうなりやしないか?ということは、いつも・ずっと・四六時中考えて振り返りながら動いていかないといけないんじゃないか。と薄っすらと長年思ってきた訳ですよ。
 確かに、巻き返される・自分達が立場を落とされて再び差別をされないために、相手を排除し・社会的な立場を全て叩き潰し、数十年は出てこれないようにすることは、絶対に必要なんです。
 が、そこで、それだけで進めば、いつの間にか自分達が恐怖や怒りを「普通の人々」から向けられるだけになってしまう。

 この矛盾というかジレンマには全く正解はありません。しかし、考えていくことで、立場が「逆転」してる状況は長く続くし、社会が私らを受け入れバランスを取って、今のままなら新しく差別されてたかもしれない人達を、差別させないで済むし、その事で、今まで差別や恐怖や偏見で法律を作ってきたような事が、止められるかも知れないと思うのです。
 オタクに限らず私達は、どんなに頭が良くても頭が悪くても関係なしに、このジレンマを考え続けていかないといけないと、思うのです。

北朝鮮と米中韓の「歩み寄りの輪」から、外された「幼稚で粗暴な日本」。

 一気に本題に入ります。
 北朝鮮金正恩労働党委員長が、朝鮮戦争の停戦ラインである38度線のラインを徒歩でまたいで韓国を訪問しています。この時に、金正恩委員長は、韓国の文在黄大統領が「北に行けるだろうか」などと話したのに対して、「一緒に渡りましょう」と言って、手をつなぎ38度線を北朝鮮側に二人で渡り、再び韓国側に戻る。なんていう、アピールをしたり、「未来志向で考える」「平和な時代にする」など、色々なことをアピールしていってます。
 この北朝鮮の「変化」、今に始まったものでもなく、半年くらい前から日本語放送(朝鮮の声)で「先軍政治」と言う言葉が使われなくなり、「主体思想」というのも余り使われなくなり…と言う「なんだろうこれは」と言う兆候はあったんですよね。で、この数ヶ月で、弾道ミサイル核兵器の開発が「完成した」として、アメリカとの対話に入ることを言い出し、それから雪崩が起きるように、アメリカとの対話もCIA長官が行って金正恩と話を付けたり、金正恩が鉄道で北京に赴いて、習近平と会談し、非常に手篤くおもてなしを受けたり、最大級に褒め称えるような報道を中国のマスコミがやったりするような事になってたわけですよ。
 その中で、韓国と北朝鮮の首脳会談という、一回二回あっても、韓国側が「保守派」・要は軍事政権の生き残りのような人達に政権交代してひっくり返されたりして話が進まなかった事を、文政権が安定してる今の内に、一気に話を進めよう。と言う事になってるわけです。

さて、日本は…?

 この十五年以上、「拉致問題」を理由にして、北朝鮮はすぐにでも日本に攻めてくる!みたいに、日本に住んでる人たちの中に不安や恐怖を煽るような動きばかりが大きな顔をしてのさばり、その人達は、拉致問題の解決には、とにかく圧力だ!解決するまで圧力をゆるめるな!と叫び実行して、その「後ろ盾」として、拉致問題での「被害者家族」を担ぎ上げてきた訳ですよ。
 そして、それが拙いのではないか。そもそも、北朝鮮と約束して「一度被害者を帰国させる」と約束したのを反故にして、北朝鮮に戻さなかったのは、後々まずいんじゃないか。と言う、冷静な意見に対して、「こいつらは北朝鮮の味方だ!」みたいな事をマスコミも「保守派」の口を借りてくりかえし広めてましたし、ネットなんかは、それこそ、自民党ネットサポーターズにつながるような人達が、非常に大きな顔をして自分達の意見以外を黙らせ・孤立させ始めた時代でしたから、なおさらそういう事が言えなくなっていた訳です。

 こういう「空気」が作り上げられ、強硬な圧力路線を主張する政治家や「拉致家族会」に対して、少しの批判も疑問も許されないという、怖ろしい空気が、作られていったわけですが、それが、2018年の今どきまで続いたことで、今回の朝鮮半島の平和化の流れから、日本だけが積極的に外されてしまう。と言う、最悪の結果になってしまった訳ですよ。

 小泉元総理大臣が北朝鮮に訪問し、当時の金正日総書記が拉致問題を認めた時(2002年)に、私はこんな事を書いて、当時の2ちゃんねるなどで散々な言われようをされてるわけです。(載せていたプロバイダが、夜逃げ倒産してしまってアーカイブリンクを探すのがめんどうくさいので、リンクを張りません。)

    • -

拉致問題

今まで、日本では「北朝鮮」が人をさらって奴隷同然にしていると言う、荒唐無稽な話が真実だと信じられ続けてきましたが、しかし、それを「北朝鮮」政府が認めてしまった。

このことを単純に「”北朝鮮”がやっぱしやっていた」とするのは、愚直な反応です。

確かに拉致はあったかも知れないが本当はなかったのかもしれない

今更、何故こんな事を言うのか?

それは、拉致問題はじめ色々な日本と「北朝鮮」の間のしこりとなっていた事を「我々が全てやっていました」と言う事により、外交の主導権を日本から全て奪う事が出来る…そしてそれはピョンヤン政府の延命を日本に支援させる事を意味する…と言う計算があったからです。

政権延命と言う「大義」と比べれば、汚名を着る事や人を殺す事などなんでもない。と言うのが、政権につくような人間の常です。

ピョンヤンは日本政府が「”北”が拉致を認めなければ支援を打ち切る」と言う方向で固まっていた事を把握していた。

逆に、日本政府の言う事を全て認めて形だけでも頭を下げれば大量の支援が見込める事も計算していた筈だ。

それらを考えると、ピョンヤンが全てを率直かつ正確に語ったかどうかと言うのは、非常に疑問が残ります。

今後の事務的なやりとりや民間レベルでの情報ややりとりなどを、冷静かつ熱く見続けていく必要がありそうに思います。

北朝鮮」出身者への差別

この「会談」の結果を受けて、在日「北朝鮮」出身者や「北朝鮮」と交流があった人々に対するいやがらせが続出しています。

元々、http://news2.2ch.net/newsplus/2ちゃんねる」などでは、元々朝鮮半島や中国の人への差別が渦巻いていましたが、今回の「会談」の結果はそういう鬱屈した日本人の卑屈な根性に火を注いでしまったようだ。

我々日本人は、潔さや寛容さを失ってしまったのだろうか?非常に嘆かわしい事です。

結局、2002年の私の警句通りに、ろくでもないことになってる日本国内。

 まぁ、この時危惧していたとおりに日本国内が流れてしまい、マスコミもきちんとその事にくさびを打つどころか、くさびを打てばすぐに拉致家族会やそこに連なる政治家が、ひどい言葉で脅すようなことを言うものだから忖度して言うがままになってしまい、結局は在特会みたいな人達が「北朝鮮への恐怖」と「韓国への嫌悪」、「外国人への恐怖」なんかが煽られてる世相を背景にのし上がって、今のぐちゃぐちゃな世の中の有り様が出来上がってしまった訳ですよ。
 そして、それらのことが、そもそも拉致家族会を味方につけることで第一次内閣の総理大臣になったと言ってもおかしくない、安倍晋三という、今再び総理大臣になってむちゃくちゃやりたい放題してる人物を大出世させることに、ダイレクトに繋がった訳です。

 しかし、その事は、特に韓国や中国などの、日本の周辺各国にとっては、非常に不安要素になってる訳ですよ。
 とにかく外国の脅威を煽ってくる上に、外交センスがなく、札束で相手国をねじ伏せる以上の「芸」のない、日本の外交姿勢や、北朝鮮や中国の脅威を、必要以上に煽り、国際法で認められてることまで大騒ぎするようなことで、無茶苦茶な軍事拡大(でも、兵器を買ったり使いみちに困る部隊を作るだけで、自衛隊全体の現場全体が疲弊してる)を押し通しだしたりするような、今の政権というのは、いつなにをするかわからない。と言う意味で、北朝鮮以上に得体が知れない、言い方は悪いけど「狂犬」みたいな見られ方をされるようになってしまってる。

 しかも、アメリカやロシアみたいに元々強気に出てくる国に対しては、国のおかねも市場も人々の生活も大盤振る舞いで明け渡すだけでなく、北方領土みたいな長年もめてるところを、なんのこともなくロシアに引き渡したりまでする訳です。

 日本の外交が、尊敬されるわけがなく、軽蔑しか産まれてない。

「幼稚で粗暴な狂犬みたいな人々」にされるがままの、日本の不幸と堕落。

 しかも、森友問題以降、この国を全て来た人々のでたらめさ・法治国家を自称してるのに全く法に縛られずに、わがまましてもわがままが押し切られてるような幼稚な人達に、この国が支配されてるに等しいと言うのが、どんどんあからさまになってる訳です。
 オリンピックの裏金問題や、東芝の破産に代表される、大企業の数々の不祥事と、そこに経産省という今の政府を仕切ってると言ってもいい省庁が主導的役割を担ってる事なんかもそうだし、株や円の相場の市場に、今までなら許されないような多額のおかねを投入して、無理やり価格を吊り上げてきたことなんかも、そうでしょう(このことは、アメリカからもヤメロと繰り返し警告されて、今はできなくなりつつありますが)。

 だからこそ、今回の「朝鮮半島平和」で、露骨な「日本外し」が行われてしまった訳ですよ。

 幼稚で粗暴な「狂犬」みたいな人達が、朝鮮半島の平和化にも、核廃絶にも、大きな障害になってる。このことで、アメリカだけでなく、中国・韓国・ロシアなどが、一致してしまってる訳です。

みんな一人一人が長期的に物事を考え、きちんと考え、意思表示することの、大事さ。

 日本のマスコミは、このような非常に長い時間で物事を考えて、書いていく。と言う態度自体を、この三十年間で、どんどんと捨て去ってしまいました。
 だから、目先のことばかりが洪水のように報道され、そして、それが後々間違っていた。となっても、そのことは、本当にわずかな時間しか、報道されない。
 今も、日本が露骨に外されてる。と言う事は、なかなかマスコミで出てこないし、ネットでは最近やっと言っても許される空気になりましたが、その前は、そんな事を言ったら「北朝鮮の手先」みたいに攻撃されるのがお約束でした。

 今こそ、今まで朝鮮半島のことや在日韓国・朝鮮人の事をやってきた人達が、今の政権や自称保守のような「圧力をかけるしかない」でやってきた人々に対して「あなた方の幼稚な外交が失敗したことで、日本は大変なことになった」と、声を上げ、レッドカードを突きつけてほしいと思います。

 私達一人ひとりが考えていかないといけないことは、今回のことだけでもたくさんあります。

 只、今言えるのは、日本の「幼稚で粗暴な狂犬みたいな人達」が、このまま黙ってはいないだろうし、裏からアメリカや韓国を切り崩そうとしたり、最悪の場合、北朝鮮の「不満分子」に手を伸ばして、クーデターをけしかけるかも知れないな。と言う不安はあります。
 その事を防げるのも、日本の人々・日本の国民がきちんと「もう、北朝鮮の脅威がどうこうとかミサイルがどうこうで振り回されたくない」「振り回されない」って意思表示をして、世間話から議員などへの話などまで、ネットでのつぶやきとかも含めてあらゆる範囲で示していくしかないんじゃないのかなぁ。と、思うんですね。