安田純平氏の「解放」を祝いつつ、自己責任論を繰り返すことのダメさを歴史から考えてみる。

 秋になった割には、今日は暑いですね。この一ヶ月、台風が過ぎてから身体がボロボロになって大変です。皆様もお大事に。
 さて、今までに書いてきた文章が相当な分量になったし、私の個人的な事情で貧乏さが酷いところもあるので、noteで、ここに書いたのと同じ文章を掲示して投げ銭したい人に投げ銭お願いする事を試しにやってみることにしました。

Artanejp|note
※今回の「投げ銭版」はこちら: 
note.mu

 このブログや文章に引っかかるものがあって、小銭出しても構わない。という方は、どうか、購入していただくなど、よろしくおねがいします。

 シリアの内戦地帯を取材してきたジャーナリストの安田純平氏が地元の武装ゲリラに捕まってから三年以上がたちましたが、やっと、解放されました。
 解放されるらしいとカタール・トルコ経由で話が出始めた辺りから、またぞろ「自己責任」と言う言葉がネットで出始めてる訳ですよ。この「自己責任」と言う言葉、安田氏の安否が報道されると必ずついてまわってきてましたし、それと一緒に「イラク三バカ」なんていう侮辱じゃないかと思うような言葉まで、セットにされてネットでは流れてきてたわけですね。

今の「自己責任論」のルーツは、15年近く前のイラク戦争にはじまってた。

 事の経緯は、15年以上前にアメリカの一方的な言いがかりで始まったイラク戦争で当時のイラクサダム・フセイン政権が倒された後、現地のイラク人の人達の物凄く粘り強い抵抗で、アメリカなどの軍隊が泥沼に引きずり込まれ、戦争が泥沼化してた時期に遡る訳です。
 当時、イラクでは、アメリカやイギリスなどの軍隊が、物凄く傲慢に振る舞っていて、占領した地元の人達の家に押し入って、武器を狩ると称して家財まで持ち出したりとか、学校や病院を「戦闘に必要だ」と言って強引に占領していってた訳ですよ。
 その事で、現地の人達は抗議デモしてたんだけど、途中から、特に米軍がデモしてる人たちに対して銃撃するようになって、イラクの人たちが銃を取って反撃するしかないような状態になってしまった訳です。
 そういう状態で長い間泥沼化し、サダム・フセイン政権が崩れたことで市中に武器が流れてイラクの人達の武装も強化され、そうすると米英軍からするとイラク人が邪魔になるから…という事で、ファルージャで行われたように女子供以外は街に閉じ込めた上で、砲弾や白リン弾を大量に街に降らせて市民を焼き尽くそうとするようなベトナム戦争以降最悪といっていいような戦闘というより大虐殺をやっていく一方、アメリカなどの自国だけでなく日本などの「同盟国」に対してもそれを報道させないように圧力をかけてる状態があったのです。
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/neareast/iraq/falluja/fallujanews.htm

d.hatena.ne.jp

 そういう中で、周辺の国々や(ロシアに事実上滅ばされた)チェチェンなどのカフカス諸国から、「義勇兵」であるイスラムゲリラ達がイラクの抵抗を支援すると称してはいってきて、そこには昔からアメリカに恨みを持ってるアル・カイダ系の人達もたくさんいてその人たちが仕切るような地域がどんどん出来てしまった訳です。
 皮肉な話ですが、アレだけマスコミで「悪」と言われてたサダム・フセイン政権が、あの一体が泥沼の戦争になるのを抑え込んでた訳ですよ。蛇足ですけど、今のシリアのアサド政権も似たような所があると思ってます。

身を張ってイラクの惨状を伝えたり、惨状を少しでも止めたいと考える「義の人々」が平和な日本では「三バカ」などと罵られてしまった。

 当然、ものすごい数の戦災孤児が産まれてて、その人達を支援できないかとイラク現地に入ってた高遠菜穂子氏と、イラクの「本当のこと」を報道するために入ろうとしてた安田純平氏、マスコミが報道しようとしてない「現実」を見ようとしてた今井紀明氏の三人が、陸路でイラクに入ろうとしてたのですが、運悪くゲリラに捕まってしまった訳です。
 この時は、早い段階で日本政府がゲリラに身代金を払い解放されたのですが、この事件が起こった当初から、ネットを中心にして「三バカ」「自己責任だ」という言葉に基づく、超えちゃいけないラインを超えた罵倒とか家晒しなんかが2ちゃんねるの「ニュース速報」板を中心に行われてた訳ですよ。
 当時私は「それはダメだ」と言う風に突っ込んでたけど、なにしろこの「罵倒や家晒し」が、24時間絶えずに、しかも30秒に一個はレスが投稿されて、「三バカ非難」でスレッドどころか板全体が染まってしまったんですよ。そういう中では、「それはダメだ」と言うのは、本当に無力だった。
 当時は、SNSができる前で、mixiですら試験運用が始まる前だったと思いますので、この2ちゃんねるのネット言論への影響力というのは、今の私達の想像を遥かに超えるほど大きかった。

 今問題になってる「自己責任」発言は、実は、この2ちゃんねる側で事前に出てきた話を政治家が利用した形になってたと記憶しています。
www.buzzfeed.com

 そして、この「ネットを入り口にして政治や一部マスコミも一体となって人質たちを叩いた」事で、三人は非常に精神をやられただけでなく、日本国内での生活もできなくなってしまったんですよね。この辺りは、映画「バッシング」が非常に忠実に経緯を描いてますが。
 そして、三人はしかし、そこで完全に心おられることなく、元々自分達がすべきことを見つめ直し、粘り強くやっていった訳です。
eiga.com

http://fallujah-movie.com/

 当時、私の記憶では、官房長官安倍晋三福田康夫でした。どちらにせよ、今の総理大臣である安倍晋三は要職にいた。
 その事と、今回の「安田さん解放」の直前から「自己責任」論が鎌首をもたげて、それをマスコミの多くが「自己責任と言うべきでない」と反論する報道をしてるという今の状態とは、関係があると思うんですよ。

今の安倍総理は、ネットの世論工作で出世した人ではないか。

 安倍晋三という人がのし上がっていった過程には、「ネット世論を後ろ盾にした”反サヨク”ムード」「北朝鮮の脅威を過剰に煽るためにネットとコラボした」と言うのが、それこそ2002年のワールドカップで「嫌韓煽りのためのフェイクニュース」がネットで流されて嫌韓や民族差別がネットの主要コンテンツになる前から、その一二年前からつきまとってる訳です。
 彼は、ネットの言論を操作し・北朝鮮の脅威や「犯罪者」の脅威を煽り、その事で日本からある種の人権意識を根こそぎ焼き払うことで、総理大臣になった人物だと言っていいのです。
 その総理や総理を担ぎ上げている人達からすれば、何年間もバッシングを煽り、社会的に「殺して」やろうとした人達が、どうにか耐えて・折れずに自分のやるべき道を進み続けてる。ということ自体が、許し難いことと思われてるでしょう。
 学校でのいじめとか職場でのパワハラとかでの加害者にも、度々見られる話で、今もジャニーズ事務所の関係なんかだと、事務所とマネージャーが揉めてマネージャーの側についた「新しい地図」の三人をどうにかして潰せないかと、ジャニーズ事務所がえげつない手段で嫌がらせに動いてるのなんかも、おんなじ精神構造だと私は思います。
www.johnnys-watcher.net
www.asagei.com

社会が変わってしまったことで、「自己責任論」が使えなくなってる事をわかった人達も出てきた。

 そして、それを受け止める社会の側はどうか?と言えば、そのような非常にレベルの低い煽りがこの15年間で沢山あって、今は特に多くのものがツイッターなどで意図せず可視化されちゃう上に一方的でないような形で情報を集めることも、さほど難しくない時代ですから、「前の自己責任論でどれだけ世の中狂わされたのか」って反省の気持ちのほうが大きくなってるように見えるんですよね。
 もう、「自己責任論」とかいう程度の低い詭弁に騙されちゃいけない。って多くの人・それも、「保守文化人」ですらそう思ってる人が少なくないし、マスコミも「自己責任論」に加担したという反省があってか、非常にすばやく、「自己責任論良くない」って論調を貼ってますよね。それこそ、産経新聞ですら社説でそう言わないといけなくなってしまってる。
www.sankei.com
blogos.com
 ここには、ある種の希望もあるかな。と思ってます。声の大きな人達が、それこそ24時間・365日交代してネットに貼り付いて自分達と反対側の意見や事実を罵る。と言うのは今はもっと盛んになっちゃってますけど、その手のことで散々な思いした人や良心を痛めた人も沢山いるから、その手の人達を真面目に相手する事なく、理詰めで・論理建てて批判する人達というのが、それぞれの問題で多くいる訳で。
 その手の人達は、嘘八百を並べて人々を惑わそうとする人達からは「差別者」「差別煽ってる」と非難されがちですが、その事があっても、曲げずに粘り強く議論が広がって事実が伝わるようにやっている。
 こういう事がもっと大きくなり、色んな流れで行われることで、「たちのわるい物言い」「権力や権威を嵩に着て脅す人々」と言うのが、単に喚き散らしてるだけで社会的影響力をなくす流れにつながっていくと思うのです。

「オプジーボ」の高額医療に関するゴタゴタとキズナアイ問題から、日本の意思を決めてるエリート層の腐敗を乗り越えることについて考えてみる。

※おしらせ(2018年10月30日):「投げ銭有料版」を公開しました。気に入られた方はぜひご購入を。

 秋になりましたね。私は、先週の日曜の台風通過で気圧の変化で身体が痛くなった…と思ったら、こんどは腸(大腸?)が猛烈に痛くなり、汚い話ですが水のような下痢が一日以上止まらないままに寝込んで、連休に入りやっと動けるようになったので、連休明けに内視鏡検査をやってくれるお医者さんの予約を取りました。繁盛してるお医者さんなので、診察すら予約なので、これを書いてる時点では一体何が起こってるのか全くわからないので不安が非常に大きいのですが…みなさんも、お身体にはお気をつけて。

 さて、今はヴァーチャルユーチューバーのキズナアイを巡って、いつものような「フェミニズム的文脈」からの批判というより誹謗中傷が出てきたことに対し、今までそういう光景をさんざん見せられて・自分の好きな作品や作家やキャラクターが闇に葬られる経験をしてきた人達が怒りだし反撃したら、社会学者の方が、自分達の学問である「ジェンダー学」がいかにずさんな物か自白しだして騒ぎが大きくなってますが、その事は、既に多くの人が報じたり論じたりしてもいるので、あとでかければ書くということにします。
togetter.com
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wezz-y.com
www.wsj.com

災害が起こっても、被災者を放置し、必要ないものを押し付けていいことだという、政府や一部自治体。

 今回の「社会学」のありようを巡っての問題も含めて、この十年弱・安倍晋三という人が総理大臣になった辺りから、エリートと世の中で言われてる人達が、なんかおかしな事をやったり、政府がおかしなことをするのが多くなったと思うんですよ。
 最近だと、前の熊本の大地震やその前の甲信越地方の大雪で国がきちんとした災害復興対策予算を組まなかった事が、大阪の大震災や台風被害、中国・四国地方の大洪水や北海道の大震災で、完全に。と言ってもいいくらい災害復興の予算をださずに、今ある予算を前倒しにする程度の事しかやらないでいる訳ですよ。
 災害復興のために臨時の予算を組んだり、自衛隊だけでなく色々な設備や人をどう配分するか。と言う事を臨時で国会を開いて話し合おう。森友問題などは災害が一段落するまで棚上げにしますから。と殆どの野党が…維新や希望の党を除いて…一緒になって安倍内閣に呼びかけたのに、内閣は完全に無視してる訳です。
 そして、災害にあった現場からは「ボランティアが足りない」「物資が足りない」って瓦礫だらけのままでどうにもならなくなってる様子の写真や動画付きで救援を訴えてるのに、「もう、災害復興は終わりましたから」と政府が言って、予算を絞り出してる訳ですよ。大阪なんか悲惨で、地元の知事や大阪市長が維新の会だから、ろくろく災害復興事業をやらず、「やってます」と言うアリバイ作りだけやってほったらかしにしてすらいる。
lite-ra.com
www.excite.co.jp
https://www.excite.co.jp/News/politics_g/20180911/Gendai_488216.htmlwww.excite.co.jp

オプジーボ」が脚光を浴びたことを貧乏人を見捨てるような医療費削減につなげようとしてきた、財務省

 ガンの画期的な治療薬として「オプジーボ」と言うのがあって、その基本的な部分を発見した科学者さんがノーベル化学賞をとりましたが、この手のお薬は、製薬会社が非常に多額のお金をかけて開発したのもあって物凄く高いので、お金持ちしか使えない。と言う批判がされてきた訳ですが、その批判を受けてこの数年間で一気に薬価・国が認めた薬のお値段が下がったり、適用する範囲を増やして製薬会社の利益を損ねないようにする努力が進んできた訳です。
 ところが、財務省が、「高価な薬は健康保険の財政を圧迫するから」と言う理由で、保険を使わないでいくらでも費用がかけられる自由診療以外で使わせないようにすべき。と言うのを、審議会に提出した訳です。
多くの難病なんかでも高価な薬を使わないといけない場合が多いですし、ガンの重粒子線治療のように、最近やっとごくごく一部とは言え保険が使えるようになった、画期的に症状を良くする治療も、そこに含まれていくでしょう。
 それと同時に、かかりつけのお医者さん以外の診察を受けたら、ペナルティ的な追加費用を取れとも言い出した。
 要は、カネを持ってる人以外は、最低限の治療しかうけちゃいけなくて、そこで誤診があったりして病気や怪我が手遅れになったりしても、我慢しなさい。それで死んでも(あなた方が貧乏だという)「自己責任」だから受け入れなさい。と言う方針を取り出してる訳です。それも、国の財政が厳しいから。と。
mainichi.jp
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物事の前後がデタラメな「財政健全化・財政緊縮」路線が、人々を殺していく時代。

 しかし、よくよく考えてみましょう。余り病気がひどくなってない時に、お金がかかっても効果的な治療をすることで、ほぼ完全に治って(寛解・かんかいといいます)、時々検査したり薬を飲み続けたりすることで、健康な人と変わらないように働いたり税金を納められるような病気は、昔と違って非常に多くなってる訳ですよ。ガンなんかは、我慢して酷くなって手おくれになる前なら、薬や手術や重粒子線治療なんかをちゃんとやっていけば、「ほぼなおる」病気になってる訳です。
 その方が、長い目線と言っても十年程度の範囲で見るなら、国の財政に取ってはプラスになるでしょうね。

 話はそれで終わらずに、「働かせ放題法案」にしても安い賃金で長時間労働させ疲れ果てていたら物を沢山買うという事をできなくなる人々が大半だから、社会にお金が回らなくなるし、長時間労働させれば急激に病気になりやすくなる。病気を我慢して手遅れになるまで働くしかない場合も沢山あるでしょう。しかし、そのような法律を、政府は通してしまった。
 生活保護が、この10月から切り下げられて、生活保護を受けてる人達では「憲法違反の不法行為だ」と審査請求や裁判に訴える動きが盛り上がりつつありますけど、日本の場合は病気や障害がないと働けなくても生活保護を受けられない事が多い上に社会的にさげすむ空気を財務省OBの政治家が先頭に立ってテレビなどで煽ってきてるので、それがブラック企業に人々をしばりつける大きな要素になってますが、これも、働けなくなった人が何ヶ月か数年か働かずに自分を立て直すことで社会復帰出来たら得られた税金などを、目先のお金に眼がくらんで溝に捨ててる部分が大きくあるわけですよ。
mainichi.jp
http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-147.html:embed;cite
www.continue-is-power.com
 何から何まで、「国の財政が大変だ」と煽って福祉や医療、後は教育や科学研究などへの予算をどんどん「タブーなしに」削っていく反面、財務省などの偉い人達が天下る会社に物凄い金額で仕事を発注したり(蛇足かも知れませんが、発注された会社は大まかなことだけ決めて、下請けの会社に安い値段で「丸投げ」してるのが大半だったりします…原発の事故収拾の仕事や除染事業なんかは、10万円で発注した仕事が現場で働く人には7000円しか払われないとか当たり前にある)、総理大臣とお付き合いの深い人達や総理夫人が顧問を勤めてるような会社や法人に対しては、物凄い額の補助金が行ってて、その他の法人には補助金が削られていく。と言う話が普通に出てしまってる訳ですよ。

明治時代から昭和の後半までの「豊かな国造り」をぶち壊した、自分を勘違いしてるエリートたち。

 今、政府と内閣と中央のお役所・特に財務省がやってるのは、「日本という国が十年後に少しでも豊かになるために・世界での国の地位を上げるために自分達が多少痩せ我慢する」のではなく、「自分達や周りのお仲間がもっと豊かになるために、世の中の大半の普通の人達や貧乏な人達・死にかけてる人達や災害で大変な人達を見捨てて、お金をもっとしぼり取る」と言うことではないかと思うんですよ。
 このようなことは、流石に明治政府ですらなかなかやらなかったことだと思うんです。明治政府は自分達が欧米諸国に負けないために「富国強兵」を掲げて、鉄道を整備し・農業を改革したりもしてて、ただ食糧政策や経済政策のやり方があまりに悪かったので昭和の大飢饉を引き起こし、中国大陸を侵略してどうにかしようとしたのが裏目に出て、アメリカとの戦争に突っ込んでいって、破滅した訳で。
 その後の米軍が日本に進駐した後の政府は、その反省があって「基本的人権は変えてはいけない普遍的な権利」と憲法に入れて、人々が健康で文化的に生活し生きられるように国があらゆる手段をやらなきゃいけない。とまで憲法に入れさせた訳ですよ。貧困や飢餓・病気への恐怖が戦争を待望する世論につながり、国の方向を誤らせ破滅させましたからね。
 それから色々政府も頑張って・人々も頑張って、非常に大変な状況の人でも見捨てないような国がある程度出来た訳です。

 しかし、それがある程度続くと、明治政府のように自分達がとことん豊かになることが出来ないのは、貧乏人のせいだ。田舎のせいだ。って昔を思い出して考え出す人達が、特に戦争でいい思いをしていた人達の中から出てきた訳ですよ。大体70年代辺りから。
 その人たちが、色々な、今まで昔の人達が頑張ってきたことをぶち壊したり・タダ同然で民間に売り払うような「改革」を言い出し、中曽根内閣以降、アメリカの後押しもあってそのような事が非常に素晴らしいことだと政府が言ったりマスコミに言わせたりして、そこに受験エリート上がりの「意識高い人達」が加わることで、人々が「そうなんだ」「貧困は自己責任なんだ」みたいな誤った常識を身に着けてしまい、社会が一気に破壊されていった訳ですね。

受験エリートの暴走と差別的なまなざしの横行が、社会の崩壊を加速させている。

 もう一つ、「キズナアイ」の問題とも絡んでくるんですが、70年代に受験競争が一気に激しくなった事が、この問題や財務省のやってることなどに繋がってくるように思うんですよ。
 今の財務省の上の方にいる人たちや、早めに財務省を辞めて政治家になってる人達は、70年代の激しくなった受験競争を生き残り・東大の法学部などの難関に「勝ち残った」人達が多くなってるわけです。この前の時代のように受験で負けてもやりようがある。というのではなく、「受験に勝つことこそ素晴らしい」「受験に負けたら人間としても終わりだ」と言う社会的メッセージと一緒にやってきて、当然、自分達のようにやれなかった人達を「汚いもののように見下してる」、そういうエリートな訳です。

 そして、「キズナアイ」を批判してる人達の中で旗を振ってる人達を見てると、東大を出て大学教授になったとか、東大に限らず旧帝大早慶などの上位の私立大学を出て大学教員や学者・マスコミに入ったり弁護士や社会運動家になった人が大半を占めてる訳です。
 この人達は、「自分達のように努力しなかった人間は軽蔑する」と言うマインドを、表向き隠してはいても実際にはダダ漏れになってしまうくらいに抱えてる人が多く見受けられます。
 そのような人達は、例えば財務省の関係ならば「自分のように努力して勝てなかった人間の生活や生き死にを自分が支配して富を搾り取るのは、自分が与えられた当然の権利」と思うし、キズナアイのような物を批判する人達は「自分達のように努力してきてない人達ごときの価値観に従う必要はないし、優れてる自分達の価値観で差別だと言うなら、差別なんだから受け入れて、”差別表現”は排除されないといけない」って感じで凝り固まってるんだろうと思います。
 そういう中で、社会学と言うかジェンダー学にせよ外部からのチェックも働かず・ある種の「流派」に反する意見や学説がムラ社会的な理屈で排除され、どんどんと、浮世離れしたと言うか「優れてる自分達が優れてない人達に価値観を押し付けて当然」と言う態度になっていったんだと思うのです。
togetter.com
togetter.com
sociology.jugem.jp
www.tenrikyo-seinenkai.jp
kusunoki456.blogspot.com

 財務省や今の政府・首相官邸も同じような物でしょう。災害の現場で苦しんでる人達は「努力してない」と考えて「プッシュ型支援」なる自分たちだけに都合のいい「援助」に文句を言うな。とネトサポや御用芸能人経由で言わせたり、予算を組むこともろくにせずにほったらかしにしておけば、後々で雀の涙ほどのお金を投げてやればありがたがるだろうとすら考えてそうですし。

「自分達のことはまず自分達で決めていく」と言う原則を掴み直すこと。

 ある種の人たちにとって、他人の生き死にを支配したり食事を支配したり文化を支配した上で、自分達が富を独占するというのは、ものすごい・この上ない快楽なのでしょうが、その「犠牲」になる、私ら貧乏でいろいろ事情抱えてて、世の中から批判すらされることもあったような人達からすれば、たまったもんじゃないのですね。
 そして、そのような構造を「なすがまま」にしてきたことで、この国は・この社会は・この世界は、どんどんと腐り落ちるように腐敗していってるわけです。中世よりも前に戻り始めてるフシすらある。
 そこを乗り越えるには、「犠牲」にされて当然だ。とされてるような人達が、世の中のことに目を向け必死に考えつつ、身の回りの人達と繋がり直し・話し合い、色々沢山の流れを作ることで社会や政治の有り様に手を突っ込み変えていくことでしか・自分達のことをまずは自分達で決めていくという原則のようなものを掴み直していくことでしかやれないのではないか。そういう風に、思うのですね。

「新潮45」廃刊騒動とサロン商法なる物から、みんな教養を身に着けようと考えてみる。

 LGBT(同性愛者や両性愛者やトランスジェンダー)を巡って、ボロクソにけなしたと言ってもいい杉田水脈議員を擁護する特集を組んだ雑誌「新潮45」が猛烈な抗議で休刊・事実上廃刊になりました。杉田議員の発言にしても、その前後に同じような理屈で色々言った人達にせよ、言ってる中身にはいいことがないと言うか酷い中身だな。とは思うのですが、その一方で、廃刊を要求した人達の強引さや、自分たちに都合のいい人達だけを担ぎ上げて要求を押し切ろうとするやり方に対しては、更にまずいなとか酷いなと思ったわけですよ。
news.yahoo.co.jp
biz-journal.jp
 今回の件では、特に「新潮45」の廃刊を求める人々が出だしたあたりから、LGBTの当事者の人達の間で真っ二つに分かれたんですよ。「そこまでしなくてもいいじゃないか」「きちんと議論をやるべきだ」と言う多くの人たちと、「差別だから潰せ!廃刊にしろ!」と煽ってた少数の人たちに。
 そこに、「レイシストしばき隊」などに集ってきた反差別運動の人たちやフェミニズム運動をやってきた人たち・その周辺の「リベラル」「市民運動」を自称してる人たちが雪玉の雪のようにどんどん重なっていって、その雪玉で新潮社を糾弾し・マスコミや一部のネットメディアを動かし、問答無用に追い込んでいった訳ですね。
togetter.com

新潮45」廃刊への道は、今までも度々と言ってきた道だった。

 このやり方、今までも色んな形でやられてきました。90年代頭の「有害コミック騒動」でも繰り返し見られたし、同時期の「ちびくろサンボ問題」では、非常に限られた・家族数名が作った「反差別運動」の要求で、本が一旦絶版になった訳です。その前には、被差別部落を巡って、部落解放同盟が「自分達が差別だと思ったものは差別だ」として、1960年代から度々マスコミの人や作家を呼びつけたり押しかけたりして「糾弾会」を開き、長時間取り囲んでののしって「自己批判」「反省」を要求する事を繰り返して「成果」を挙げてきたということもありました。
 それぞれ、要求する側には「ゆらぎない正義」があると自分達は思っててその事でどんどんやり方がエスカレートしただけでなく、「仲間のだれかが差別だと思ったら差別だ」と言う考え方でどんどん突き進み・社会全体が糾弾されないようにと萎縮していったんですよね。
 1989年の正月に、昭和の天皇が死んで今の天皇に代替わりしたときなんかはもっとひどくて、死ぬ数ヶ月前から多少でも「元気」をほのめかすようなCMや番組が軒並み批判されて、どんどん自粛してしまった訳です。天皇が死にかけてるから・死んだから、祝い事なんかするな、歌や踊りなんてもってのほかだ。という感じで、多くのコンサートなどがやめさせられた訳ですね。(蛇足ですけど、今の天皇が「生前退位」にこだわった理由の一つが、この時の「自粛ムード」で社会に色々押し付けたことへの彼なりの反省があったのでしょう)
www.huffingtonpost.jp
togetter.com

目先の快楽を優先して、社会を壊しても気にしない人々。

 それらは、目先の数年間は非常によく働く訳ですよ。「差別を批判する側が差別だと思ったら全て差別」「性暴力だと思ったら性暴力」などという理論は、差別だと思う表現や言葉を、表向きなくすし、ついうっかりと公の場で出してしまった人達に抗議して、「責任をとらせ」見えなく出来ますからね。しかしそうすると、今度は、何が差別なのかとか何を差別と考えるべきなのか。と言う、本来やらないといけない部分が、どんどんやられなくなっていく訳ですよ。「トラブル」を防止するために当たり障りないことしか言わないようにしよう、当たり障りありそうな話や中身は自粛しよう。
 平成と呼ばれてるこの30年間の、最初の25年間というのは、まさにそういう時代だったと私は思うのです。最近だと民族差別や原発事故での放射能汚染や健康被害なんかでも散々眼にしてる訳で。
朝田理論 - Wikipedia
saikamituo.exblog.jp
togetter.com
 しかし、その事で、もう少し理性的な議論や何が問題なのかと突き止めていく作業というのが、ほとんど全てと言っていいくらい「差別的と言われかねないから自粛しよう」と言う事でやられなくなっちゃってる訳ですよ。そして、話はそこで済まなくなっていて、そのように「差別だと思うのは全て差別」と言う形で要求する運動してきた人達が「差別だと思わない」ところにも、色々と深刻な差別があって、でも、その深刻な差別にあってる人達が声を上げたら「差別されてないくせに甘えるな」「お前らこそ差別者だ」とボロクソに声の大きな人達がけなしていくわけです。
 今起こってる、「(主に男性の)オタクvs自称フェミニスト+自称反差別運動」の争いはこの構図ですし、「キモくてカネのないおっさん」問題とかもそう。
togetter.com
 そしてもう少し見る所を広げると、ワーキングプアの問題なんかも散々そういう言われ方して問題が酷いことになったし、親の経済力の格差が子供の学歴に響くばかりか就職問題にまでなってしまうという「貧困の連鎖」「階層固定化」と言う深刻な問題も、こういう「見捨てられてた差別」の問題が相当部分あるわけですよ。「十分稼ぐ働き方しないお前が悪い」「貧困は自己責任」。こういう言葉は、2000年代の終わりか10年代の頭くらいまで、あろうことか「反差別運動」「リベラル」などを自称する人達からも繰り返し言われてましたし、貧困というものが差別そのものなんだ。と言う考えじゃないから、自己責任論を受け入れて、「自分達が差別だと思うことの”被害者”だけ差別だといい改善を要求する」ことは、この国の差別というものの有り様をものすごく歪めて、社会全体を壊してしまいました。

「サロン商法」なる所に人寄せするために「大学なんて行かなくていい」と言い出した人々。

 もう一つ、ネットの一部でホットな話題になってるのが「大学なんか行くな」と言う話なんですよ。これを言い出した人達は「大学に行くより自分や仲間の運営してるサロンに入ったほうが、就職に有利だぞ」みたいなことを言って、大学進学するかどうか迷ってる若い人たちに大学に行くお金で自分達が運営してるような、月一万円とかの月謝を払う必要があるサロンに行かせようとしてる訳ですね。
delete-all.hatenablog.com
togetter.com
 あろうことか、落合陽一氏のような、国立大学でバリバリ働かれてる方まで、その合唱に加わってるものですから、驚きましたが、まぁ、彼は自分の「サロン」と言うか私塾をやってるようなんで(ここにはリンクを貼りませんが)、その事もあるのでしょう。
 大学というのは、長年、「就職予備校」とされ、今の安倍政権はその方向でもっと就職予備校化を進めてる所があるのですが、しかし、実際には教養を身に着け・視野を広めていくことで、変な人に騙されたり嘘八百並べて騙したり脅したりするようなレベルの低い事にはめられないようにする力をつけるところであると思う訳です。
 確かに、特に私立大学の文系学部だと今は就活とか出席管理が厳しいですけど、30年くらい前は「出席は代返・試験は知り合いの持ってる過去問で適当にやって、レポートは丸写し」でどうにかやって、サークル活動や「遊び」に集中してたほうが就職しやすい。なんて平気で言われてた事もありましたが。
 でも、それで(そのような文系学部出身者が出世コースに乗せられてた)日本企業全般が物凄くおかしなことになって一気に落ちぶれたし、教養がろくにない人が企業やお役所の上の方に固まってしまい、選挙制度の問題なんかもあって国会や地方の議会もそんな感じになってしまい、どんどんと社会が壊されていくだけでなく、なんでそんな事になってるのか、私達一人一人が危険さのどまんなかにあることを見れないようになっちゃってきた訳ですよ。

なんでも「陰謀論」にしてしまって考えることをやめた、教養を捨ててしまった人々が日本の上の方には多い。

 私のことになってしまいますが、かなり昔から、物事の裏側にあることを見ることが多かったせいか、物事の裏側にあるものを見ようとしたり、どうしてそうなってるのか必死に考えたりしてきて、それをパソコン通信などのネットでかいたりすることが多かったのです。が、大抵「陰謀論」「電波」などと笑われてきたんですね。
 一寸待て、私は「ムー」で「ユダヤフリーメーソン陰謀論」書いてるような人達(太田龍とか宇野正美とか)と同類なのか?と毎度がっくりしたり怒ってたりしましたが。
月刊ムー アーカイブ | ムー PLUS
宇野正美 - Wikipedia
 そういう、考える能力を徹底的に捨てていった人達が、80年代の終わりか90年代の頭には沢山社会の上の方を占めてて、間違ってても必死に考えようとか必死に調べようとか、そういうあたりの事を「むだ」「余計なもの」とする風潮ばかりがのさばるようになった訳ですよ。00年代以降の「維新フィーバー」や「ネット右翼現象」「嫌韓ブーム」と言うのは、まさにこの「むだな物を捨てていく・筋肉質であるべき」と言う社会の風潮が起こした部分が相当ある。今となっては、反対側のはずの「リベラル」「左派」を自称する人達の中でも・学者さんであっても、そのような人が増えつつある。

 全くいやな時代ですが、そのような時代というのは社会が壊れていく状態だし、そうなると、どこかで限度が来るんだと思うんです。たて直すチャンスというのがそこで出てきて、その時に、そのような「筋肉質」になれなかった人達がどれだけ多くいるか。どれだけの人が自分で必死に考えていろいろ見ようとするようになるか。で、その社会が地獄になるか地獄にならずどうにか人々が生き延びるか決まってくると思います。
 皆さん、どうか、間違ってても正しくなくても、どんなに幼稚でもいいのだから、自分で沢山のものを見て感じ取り、教養も考えも深めていきましょうよ。

自民党総裁選や沖縄基地問題から見る、「法律をまもること」の限界について考えてみる。

 今まで暑かったのが、急に寒くなってきました。どういう天気なんだろうか…と思いつつ、皆さん。お体おだいじに。北海道でも大地震があり、関西地方や北陸地方は物凄い台風で大変なことになってますが、皆さんどうかお気をつけて…。
北海道震度7:死者数、政府も41人に 北海道認定に従う - 毎日新聞
大災害列島「ニッポンの異常事態」:関西ルポ 「第3室戸台風」の巨大な爪痕 関西国際空港、神戸… - 毎日新聞

 さて、自民党の総裁選や沖縄県知事選挙が話題になってます。で、両方で共通して起こってることとして、安倍総理であったり自民党側が立てた候補であったりが、徹底的に「討論会」から逃げ回り・裏工作と言ってもいいような「票固め」に専念して、要は選挙で投票する権利がある人達が候補の言いたいこと・やりたいことや実際の人柄のようなものを見極めることが出来ないで、とにかく「上」の言うことや望むことに従うかどうか。だけで選挙が行われてしまってることなんですよ。
総裁選恒例の東京街頭演説が見送り 日程調整できず - 社会 : 日刊スポーツ

選挙で討論することから逃げて違法行為すら厭わずに選挙に勝つ人々。

 これ、「民主主義の危機だ」とかしたり顔で言う気にもならないのですが、この七八年、多くの選挙でおんなじことが行われてきてる訳ですよ。私が最初に目にしたのは、確か2012年の東京都知事選のときで、その時私はささやかながら宇都宮健児氏の選対のお手伝いを少しだけしてたんですが、そこで問題と言うか話題になってたのは、「公開討論会を色んな人達がやろうとするんだけど、猪瀬氏や一部の候補が拒否し続けてて、開けない」って事だったんですよ。最終的に、今までより少ない公開討論会…私の記憶では青年会議所主宰のものしかやらなかったと思うけど、多分もう少しはやってた…で、投票となり、猪瀬氏が当選し、猪瀬氏の後押しで都営地下鉄の民営化や東京オリンピック招致をやっていった訳です。
 そこが始まりだったのかなんだったのか、2013年の衆院選でも似たような話が飛び交いましたし、猪瀬氏が降ろされた後の都知事選でもおんなじ状態でしたし、その後の衆院選参院選や各都道府県の知事選では、もはや、討論会を自公政権側の人達が拒否して青年会議所主宰のだけやるような状況が当たり前になってしまった。
 政権についてる側の人達があらを見せない為に討論とか対話とかそういうのから逃げ回り、組織票を固めて積み増すために偉い人が色んな組織を廻って裏工作よろしく「投票しなかったらどうなるかわかりますよね?」みたいな感じで半分脅すようにして行って、新潟県知事選とか沖縄の選挙では誰が誰に投票したか、投票所で見たり写真に取らせて後で見たりまでした。って噂話が飛び交う状況が出来てしまい(この手の話は、00年代の沖縄の選挙では毎回裏で言われてた話なので、それが全国に広がった感じがありますが)、その状況によって投票率が下がったりまでして政権与党側の候補が多く勝ってしまう。と言う、本当に情けない状況が全国で出来上がってしまってるっぽいんですよ。
 そして、今回の沖縄県知事選なんかだと、既に一部の新聞が玉城デニー候補の「選挙違反」をでっち上げたり(実際には数万円のミスを百万円規模の不法支出だと”印象操作”しようとしたり)、玉城候補について根拠のない話を集めたサイトが立ち上げられたりまでしてるし、自民党総裁選だと、安倍総理が勝つはずなのに、地方議員に対して脅しとも取れるような圧力を官邸や内閣府の偉い人達が各地方に行い、神戸市の市議会議員達がさすがにやってられない。と表に出てきて対立候補の石破氏の側に廻ると公に言い出した訳ですよ。
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「左派」を自称する人達が市井の人達に牙をむいたことで、状況がより混乱している。

 こういう話というのは、マスコミの側も「ささいなこと」と考えてるのか、なかなかきちんとまとまって報道されることが今まで殆どなく、流石に最近は度が過ぎるせいか多少は出始めてますが、やっぱり、そう大きくは出てこない訳ですよ。
 その事によって、当然、私達には知られるべき話は知られないし、今起こってる問題に対しても知ることが出来ないだけではなく、今の政権や社会で立場の偉い人たちというのがネットで「空気」を作るためにウソも何もフル活用して、事実にないこと・実際には起こってないことを大きな声で広めて拡散していく一方、都合の悪い話は徹底的に押さえ込むことで「えらさ」を掴んだり維持したりしてる人達ですから、私達が知るべき話が、実際のこととは正反対の話だったりまでする訳ですよ。
 そして、それが薄々うさんくさいとかウソっぽいとか思ってる人達は「どうせ何やってもムダ」と投票を諦めたり、「政権に歯向かってデモとかしてる人が気に入らない」って煽ってる(多分今の政権側のネット工作にも関わってそうな)人達に煽られて、いくらダメな政権でも、今の政権しか選択肢がないんだと思う羽目になっている。
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 そういう、私からすれば相当ひどい悪事を以て、今の政権なり原発再稼働を目指してる人達なりが社会的な影響力や政治的な力を持ち・強めてるという部分が相当あって、それに対抗する側は、最近のフェミニズム関連の人達や「しばき隊」の人達のように、やたらと普通の人たちに「ネトウヨ」「レイシスト」「差別者」などのいいがかりをつけたり、ある種の他人に危害を加えない人たちやある種の表現を差別的だと攻撃することにばかり力を入れて、その一方で今の政権とか原発とかを批判するものだから、政権批判や原発批判自体まで悪いイメージがはびこる始末なんですよね。
 そして、都知事選で細川元首相や小泉元首相や鳥越俊太郎氏を担ぎ上げて「宇都宮おろし」に奮闘した人達が、またぞろ「石破さん待望論」とか言い出してて、それが単純な「水戸黄門待望論」でしかないことを多くの人が見抜くものだから、前よりもっと「左派やリベラルには期待できない」と言う声が大きくなる始末な訳ですよ。
チラシの裏:小宮青識論争観戦記 – 江口某の不如意研究室
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沖縄の基地問題で浮き彫りになった「無法者には法を護っても仕方ない」事。

 そして、先程亡くなられた翁長沖縄県知事ではないけど、何かにつけて「法律をまもる」と言う点にこだわり続けてそれ自体が目的になってるから、法律をとことん破ってとことん歪めてでも目的を達成しようとする、今の政権やその周りにいる人達のむちゃくちゃぶりに押し切られてばかりで、結局何も出来ないままに自分達が努力した。と言うアリバイだけが積み重なって、現場で苦しんでる人達の状況が悪くなる一方なんですよね。
 私からすれば、翁長県知事のような方というのは、「保身最優先のペテン師」の部分が相当あるんじゃないか?と疑ってる部分がどうしても消せないわけですよ。彼が頑張ったのは確かにそうですが、彼は状況を余りに見誤ってた。いまの状況が安倍政権以前と変わらないと勘違いして(そもそも、安倍政権以前が法律が護られたとも思えないのですが)、法の範囲内でしか動いてなかったわけですよ。首相官邸が法をねじまげて警察を無理やり動かして辺野古や高江で基地建設に反対してる人たちに暴力を加えさせたときなんかが一番象徴的だったんですが、翁長知事の権限で(法をねじ曲げてでも)沖縄県警や県庁職員を動かして、反対派の住民と住民や反対派を攻撃してるよその警察の間に入らせることすら、彼はしなかった訳ですからね。
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 そういう状況では、「政治には何も期待できない」「自分が政治にひどい目に合わされても、政治も行政も助けてくれない」って諦めるしかなくなる人が、猛烈に出てくるし、多分それは、今の安倍総理をトップに据えて・彼を担ぎ上げてやりたい放題して国や国民のおかねを多分数百兆単位で盗み取ってる人たちのおもうつぼそのものなんですよね。
 私が見てきた「世の中」は、80年代末の「昭和バブル」の頃から、そういう光景をいろいろ目にしてはいましたが。
 それを当時の「普通の人たち」(念のために書いておきますが、ネット右翼とかではなく、本当に普通の人たち)には、全く理解が出来なかったし、言ってみたところでおかしな人だと思われることがほとんどでしたが、今や、そういう世の中を仕込んできたような人たちが表に出てきて、そういう世の中を隠さなくなってしまい、多くの人達が、どうしていいのかわからないし誰を信じていいのかわからなくなってしまってる。

自分自身を見つめ直して信じ直し・繋がり直す事の大事さ。

 そこを乗り越えないことには、私達一人一人が「人間として」生きる事ができなくなってしまうわけですが、どうすればいいかといえば、自分自体の誰の色にも染まってない部分を見直して、自分自身を信じて・周りの人達を信じて、どうにかして身の回りから変えていけないかと周りと繋がっていくというあたりからやり直すしかないのかなぁ。と思うんですよ。その中には、法律を護ることだけが本当にいいことなのか?それが却って世の中全体とまでいかなくても身の回りの状況を悪くしてしまったんじゃないか?と言う問いかけも必要だと思います。
そういう形で繋がってく流れがたくさん出来て、反発し合ったり交わり合ったりする中でしか、この社会がきちんと「人間が人間として生きられる」ようにはならないんじゃないか。と、私は思うのです。

中国の検閲を理想という、角川グループ社長の「海賊版排除の為にネットを検閲しろ」発言から見る、この国のエリートの崩壊ぶり。

 台風がすごいことになってますね。今も外は風がすごくて、下手に外に出られない感じになってます。みなさんも、お気をつけて。

角川グループ社長の「OP53Bを徹底せよ」発言の波紋。

※2018/09/05昼 おことわり:この文は、角川CTOの川上氏の経歴を、iモードについての部分でドワンゴ取締役の夏野剛氏の経歴とごっちゃにして書いてしまった物です。お詫びして訂正…しようと思いましたが、iモード云々の部分を削るとぐちゃぐちゃになりそうなので、申し訳ございませんが注釈を付けて・訂正線を引いた上でそのまま置いておきます。本当に申し訳ございません。

 さて、この二週間ほどで、世の中いろいろありました。角川の代表取締役ニコニコ動画を運営しているドワンゴの社長でもある川上量生氏が、「海賊版サイトを撲滅するために、日本のネットユーザがプロバイダの外にあるDNS(ネットのアドレス帳検索サーバー)に繋げないようにしろ」などと、政府の会議で発言し、監督官庁総務省のお役人が「流石にそれはダメではないか」と抵抗した事が、話題になってました。
togetter.com
togetter.com
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 川上氏は、前から「中国の厳しい検閲こそが、ネットのあるべき姿だ」などと著書で書いてたようで、彼からするとネットで国民なりユーザなりが自由に情報に不アクセスして自由に使ってたら、色んな「利益」を失うから、中国のようにどんどんしめつけて、自分達の「おすすめの」情報以外は得られないようにしないといけない。と言う考えのようなんですよね。
 川上氏ご自身が、今となっては日本のケータイネット技術を大きく遅らせた、NTTドコモの「iモード」で著作権管理をガチガチにやって、音楽や動画を自分でケータイに入れることすらままならない機械を押し付け・ネットワークを閉じたものにして、ユーザにものすごい不便を強いる中でぼったくり商売をまかり通らせて、ボロ儲けする。と言う商売のやり方を組み立てた張本人な訳ですよ。(注:iモードをやったのは夏野剛氏です。お詫びします。)
toyokeizai.net
 彼からすれば、日本のネットユーザは「養分」であって、徹底的に締め付けやれることも制限した上で、そこでコンテンツ会社などが法外に高いお値段で質の悪いものを押し売り同然に売りつけられるシステムを作った成功経験が忘れられないのでしょう。
 しかし、そのようなビジネスモデルが、ケータイに限らずテレビのB-CASカードや携帯音楽プレイヤーのガチガチ過ぎる著作権保護、CCCDなどの悪名高い物がはびこる形で蔓延してた00年代によって、人々がテレビからも音楽自体からも離れて、このビジネスモデルを取った業界が、軒並み落ちぶれちゃってるわけですよ。CCCDが出る前後くらいまでは、CDにせよ「AKB商法」みたいにしなくても100万枚超えるのが当たり前に出てたし、テレビだって物凄い社会的な影響力があった。
 それを支えてたのは、実は、「お手軽コピー」でもあったんですよね。簡単に(パソコンなども使って)複製し、「これいいよ」って友達に流すことで、「いいから買おうか」「いいから見ようか」「同じ製作者の他の音楽や番組を買ったり借りたりしてみよう」。こういう感じで、どんどんと人の輪を通じて「良さ」が広がり、それがコンテンツを作る側のお金儲けの基になってた。
 そこの部分を根絶やしにすれば、もっと儲けることができる。ってやったのが、00年代の音楽業界やテレビ業界と、NTTドコモに代表されるケータイ三社だったんですよね。焼畑農業を繰り返した挙げ句に、儲ける源すら焼き払ってしまった。
news.livedoor.com
www.pseudo-hacks.com
shelter.exblog.jp

非常に狭い範囲の競争で勝った「エリート」の傲慢が、戦後日本を壊し続けてる。

 川上氏の今回の発言は、彼の「イデオロギー」・思想なんでしょう。しかしそれは、この国を壊した、非常に幼稚で短絡的な事そのもので、なんでそんな事が理系文系問わず、この国の偉い人達の多くにはびこってるのか。と言う事を考えると、要は、この国の「エリート」のありようというものが非常にいびつで、表面的な知識の量と短い時間に与えられた問題をこなす能力ばかりが訓練されて、そこで「勝ち残った」人たちが東大に行ったり、霞が関の省庁や大企業の幹部職員として採用されたりする。と言うシステム自体の歪さでもあるんじゃないかと思う訳ですよ。
 幅広すぎる教養や自分の身の回りと全く違うところもきちんと見て考える広い視野。というものが、彼らからはすっぽり抜け落ちてて、その上で、非常に狭い範囲の「競争」で自分が勝ったんだから、勝てなかった人間や競争に参加しなかった人間は「格下」なんだ。自分達は「格下」の人達をとことん支配して構わないし、その為には時の権力と密接に結びついて彼らを動かしていく「権利」を持ってる。
 そんな感じの、非常に歪んだものが、この国では最低でも昭和のバブルが弾けてオウム事件なんかがあって混乱し始めた95年前後から、この国のエリート層に汎くはびこってるのではないか。と思うんですよ。

教養のないエリートのわがままを乗り越えるには、私達がきちんと流れを作って行くしかない。

 彼らからすれば、「教養」や「ひろく物を見て自分の力で考えて悩むこと」は、「余計なこと」「お遊び」でしかないんですよ。その事が、原発事故のことや放射能汚染の被害・いろいろな薬害や公害で、被害者の人達が被害を訴えたりしたのを「嘘つき」「放射脳」などとバカにし、真面目に物事を考えないで「日本の中でしか通用してない”常識”」から外れた考えやその”常識”がもたらす問題や過ちを指摘する人達に対して「嘘つき」「頭がおかしい人」と貶して排除してなにかいいことをやったつもりになれるような、非常にあさはか極まりない「エリート」が、分野を問わずにのさばる事に繋がってると思うんです。
 そのようなあさはか極まりない人達の中には、「愚かな大半の人達を、自分達が啓蒙して導かないといけない」と思う人も多くて、それが、例えば今回の川上量生氏の「中国が理想のネット」思想に基づいた「海賊版撲滅」と言う物言いに繋がってるのではないか。
 そういう事で、多くのことが廻らなくなり、苦しんでしまうのは、私達「エリートになれなかった人々」で、その人達が新しい流れを、一つではなく沢山作って、その事で社会の方向を決めていくようにしていく必要があると思うんですよ。
 エリートも大事かも知れないけど、エリートの外側にいる人達がきちんと世の中に関わって、世の中の動きを決めていかないと、この社会はどんどんとやせ衰えてしまう一方ではないかと、思うのです。

敗戦記念日の「ノモンハン事件」番組から、この国の無責任体質が続いてる事に改めて向き合ってみる。

 今年も、終戦記念日と言われてる敗戦記念日が過ぎていきました。今年のNHKは、ノモンハン事件での関東軍日本陸軍の無責任さをNHKスペシャルで取り上げましたが、これは、改めてドン引きするしかなかった訳ですよ。辻政信という関東軍(当時日本が植民地にしていた満州国を支配していた軍)の参謀が、無理過ぎる作戦を立てて、それを色々強いことを言ったり人脈に訴えたりしてゴリ押しし、そんな事言ってもソ連軍がノモンハンに戦車や大砲を運んでるのを見たから無理だ。とソ連に駐在してた武官の人が訴えたりしてもそれを無視するどころか辻参謀が武官を脅して黙らせようとしたりして、結局国境を超えて日本が爆撃したり、兵隊に国境を超えさせたことでソ連と全面的に衝突し、数カ月間戦った末に、日本側が悲惨な形で惨敗した訳ですよ。
www6.nhk.or.jp

辻政信と言う、非常に邪悪な参謀は、一人だけではなかった。

 で、そのデタラメな作戦を辻参謀やその周囲の関東軍の偉い人たちが取ったか。と言えば、一時期左遷された程度で誰も取らないでいたわけですよ。その反面、戦場の現場で兵隊がバタバタソ連の猛攻に倒されたり餓死寸前になったのを見かねて撤退を決めた指揮官や捕虜になった航空戦隊長なんかが、責任を取れと迫られ、拳銃で自決させられて行った訳です。
 この体質と言うか伝統というのは、結局、太平洋戦争・大東亜戦争に日本が負けるまでずーっと続いてて、去年のNHKでやったインパール作戦にしてもむちゃくちゃな作戦を立てた人達は誰一人責任を取らずに戦後を迎えて、多くの戦場で犬死にと言っていいかどうかすらわからないほどムダでしかもデタラメな死に方・殺され方をした兵隊や民間人が、日本では相次いでた訳です。インパール作戦ガダルカナルニューギニア戦線などでは、無理な作戦を立てられて、それに従うしかなかった兵隊たちが、万の単位で餓死していきました。マラリアなどで病死する兵隊も沢山いた。そんな戦場が非常に多かった。そして、日本軍に関しては、戦場で敵兵や飛行機・戦車などに撃たれて死んでいった兵隊よりも、餓死させられた兵隊のほうが圧倒的に多かったし、戦争末期には、沖縄のように民間人を米軍に引き渡さずに手榴弾で自爆を強要したケースも沢山あったし、最終的に敗戦を受け入れるに至った過程では、沢山の民間人を関東軍将官たちや満鉄などの幹部たちが見捨てて、自分達と家族だけ先に日本に戻り、その直後にソ連軍が侵攻して捕虜にされたりレイプされたりしたことも、珍しくなかった訳ですよ。
半藤 一利さん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス 戦後日本のあゆみ

 そしてその後将官や参謀などが責任をきちんと取ったかと言えば、米軍の追及を逃れるために戸籍を消したり変装したりして逃げ延び・占領軍が日本を出てから出てきた人も多かったし、戦時中やその前、軍だけでなくお役所なんかも何を決めて何をやってたのか、わからなくするために、8月14日からの一週間ほどで書類を焼き捨てたりまでしてた訳です。誰がどのように言ってどういう風に決めたか。ということは、徹底的に消されていってしまった。
www.asahi.com
 辻政信参謀は、結局、こういうことに助けられて、戦後占領軍の目を逃れて逃げ続け、占領軍が去った後、表に現れて手記を発表し、それを何故か当時の人達がもてはやし、彼は結局、国会議員にまでなってしまった訳です。最後は、ビルマ国境あたりで行方不明となったとは言え、本来、畳の上で死なせてはならないような真似をやらかしまくった人が、畳の上で死んでしまったような物です。
辻政信の戦後の潜行と作家・政治家としての活躍
gendai.ismedia.jp

今も、多くの辻政信が日本の社会や政治にのさばってる。

 これは、戦争のときだからそうなってしまっただけだったのでしょうか?実際には、そんなことはない訳ですよ。
 00年代、多くの自治体・特に政令指定都市で、「改革派首長」が誕生しました。聖域なき構造改革と自己責任をテレビなどで訴え、それをテレビが非常にもてはやし、その力を借りるようにして市長や知事になり、自分の思い込みに沿った・多くのことで現実とかけ離れた政策を、やっていった訳です。議会が逆らえばマスコミをうまく操って喧嘩をやり、その政策で不都合を押し付けられたり苦しめられてる人達が文句を言えば、その人達をあざ笑うかのようにして、マスコミをうまく操ってその人達を徹底的に悪者扱いして叩かせたりまでした。
 そして、その事で財政がおかしくなったり、自治体の中の社会が荒れ果てたり苦しむ人が沢山出たりしても、一切責任を取らない。最後に大きな問題を起こしても、自分が辞めるだけで責任を取ったことにし、マスコミもマスコミで、どんだけ酷い・デタラメな真似をその首長がしたのか、全く検証すらしないから、その人が例えば、国会議員やコメンテイターとして出てきてしまうことすら珍しくない。
 横浜市長だった中田宏や、大阪市長大阪府知事を歴任した橋下徹なんかが、代表的ですが、今でも、千葉市長の熊谷俊人なんかも、そういう気配が物凄くする訳ですが。

 そしてなにより、日本のトップ・総理大臣が、そんな事ばっかりな訳ですよ。色んな政策をこの六年間で安倍総理は持ち出してきましたが、その多くが大失敗してるか、日々暮らしてる大多数の普通の人達をひどく苦しめたりする結果を招いてる訳です。その事をマスコミが真面目に報じないから、責任問題が曖昧になってるし、今までの六年ほどの日本の有り様に、うっすら不満やおかしさを感じても、それをなかなか形に出来てない。
 安倍総理は、かなり早い段階から、マスコミの幹部と食事をしたりしてマスコミを取り込もうとすると同時に、自分に批判的な話や報道をする人たちに対しては、マスコミ各社の幹部を呼びつけ・怒鳴りつけるなどして脅し、そのような人達を表に出させないように仕向けていってるわけですよ。
 森友・加計の問題なんてのは、その延長線上の話で、自分の思い込みと自分のワガママかつ勝手な「善意」の押しつけと、自分の身の回りにだけ税金をつぎ込み、えこひいきし、その外側で苦しんでて本当に税金が必要な人達や、将来の教育・科学技術や社会科学の粘り強さを育てると言う部分は、ムダとして切り捨てるのは、彼らの無責任さや自分勝手さと言う部分で、非常に繋がってる。
 ネットの世論やマスコミの論調なんかに多く見られてますけど、「議論してて決められない政治よりも、即断で一気に決めてしまう安倍さんが素晴らしい」「議論を重視してる野党はダメだ」って声が、相変わらず強いんですよね。でも、それは、辻政信的な無責任で冷酷な人達がのさばりやすい風土そのものだし、それを、戦後73年間、この国は維持するどころかかえってひどくしてるように思えてならない訳です。

「良心を持たない人達」が仕切ってる、この日本のありようが続いてる。

 パーソナリティ障害と言う精神疾患のようなものがあります。
 その中には、反社会性パーソナリティ障害というものがあって、その一部がサイコパスとも呼ばれてますが、こんな特徴がある訳ですよ。

良心をもたない人たち
一、社会的規範に順応できない
二、人をだます、操作する
三、衝動的である、計画性がない
四、カッとしやすい、攻撃的である
五、自分や他人の身の安全をまったく考えない
六、一貫した無責任さ
七、ほかの人を傷つけたり虐待したり、ものを盗んだりしたあとで、良心の呵責を感じない
精神医学の専門家の多くは、良心がほとんど、ないしまったくない状態を、「反社会性人格障害」と呼んでいる。
この良心欠如の状態には、べつの名称もある。「社会病質」、ないしはもっと一般的な 「精神病質」。
アメリカ精神医学会発行の『精神疾患の分類と診断の手引』第四版によると、「反社会性人格障害」の臨床診断では、七つの特徴のうち、少なくとも三つをみたすことが条件とされている
http://www.soshisha.com/book_read/htm/1472.html

 この特徴自体は、アメリカの一世代旧い精神障害の判断基準(DSM-4)によるもので、もう少し特徴がアップデートされてるとは思いますが、日本で褒め称えられる人たちや、偉くなる人たちに、極端にそういう人達が多いように思うのです。

 この手の人たちは、良心がないか非常にいびつであると同時に、人から魅力的に見られやすく、しかも、その本質が酷い邪悪だと見抜く人たちを孤立させるのが非常に上手い。そして、そのような人達が社会の上の方に非常に偏っているのだと言うことは、例えば総理や総理を操ってると言われてる今井尚哉秘書官のように不都合な事実をマスコミに報じさせないように脅したり、色んな所がカネを出してマスコミを黙らせたり、暴力団となぁなぁになって、自分に都合の悪い人達を、社会的にも物理的にも抹殺することに全く怖れをもたない事も抱えてる訳です。
 そして、そのような人たちは、自分達の欲望・自分が何もかもを独占して、人の生き死にまで自分が支配できるようにするために、人並み外れた努力を払ったりもする。
 私達は、良心の支えで社会を廻したり社会に助けられたりしてきてる訳ですが、その上の方に、良心にかけた人達が沢山いてそれが社会を支配しようとしてるというのですから、どんどんと社会の崩壊に拍車がかからなくなって行く訳ですよ。努力したそばから、上の方の良心のない人達がそれを逆手に取って、自分達の都合のいいように物事をゴリ押ししていきますからね。

日本の危機とは、良心のない人達が社会を仕切ってる悲劇そのものだと思う。

 今、日本が抱えてる「危機」と言うのは、末端で真面目に生きてたり、色んな理由で喰うや喰わずの思いをしてその日ぐらししてる人達・色んな理由で苦しみを押し付けられてる人達の真正面の「危機」と同時に、その人達が、「良心のない人達」の身勝手な利益や身勝手な善意によって、より苦しめられ続けてる。と言うことにあるように私は思うのです。
 あらゆる善意や節度が、「良心のない人達」の利益と自己満足のためにだけ働かされて、その外側にいる99.9%の人達を苦しめ・殺しすらすることにすりかられてしまってる。
 私達は、そのような「良心のない人達」をなかなか意識できない。彼らは、社会の表側に対しては非常に魅力的に自分達を演出し、批判を許さないように言葉たくみに振る舞ってますから。
 そうであるから、私達が彼らに苦しめられ続けてるとしても、本当に身近にそういう人がいて振り回されたり苦しめられたりする経験でもない限り、殆ど気が付かないで、自分達の努力不足が原因なんだ。と、勘違いしてしまう。
 そういうひどくいびつで、サイコパスがのさばりやすい社会に私達は生きてるし、私達がそういう社会を作ってしまってる。
 そこをどうにかして乗り越えて、「良心のない人達」に、きちんとその責任と報いを取らせる社会へと変えないと、「ノモンハン事件の悲劇」は、そう遠くない内に沢山起こってしまうと私は思うのです。

2020東京オリンピックに、日本社会の大半が嫌気が差してる殺人的猛暑の2018年夏。

珍しく、2日連続で書いてみることにします。

西日本新聞に、数日前にこんな記事が載ったとツイッターで見かけました。

東京五輪が待ち遠しくない
2018年08月05日 10時41分

 われながら気弱な書き出しだが、今回のコラムは大多数の読者から賛同を得ようなどと大それたことは考えていない。10人に1人ぐらいの読者の共感をいただければ幸いである。
 東京五輪の開催まで2年に迫った。競技会場が予定される各地で「あと2年」のイベントが開かれ、テレビもしきりに「待ち遠しいですね」と呼び掛ける。
 私はといえば、全然待ち遠しくない(個人の感想です)。
 (以下、リンク先で)
www.nishinippon.co.jp

 正直な所、同感と言うか、そもそもオリンピックというものが元々余りに問題がありすぎる上に私に限らず多くの人が困る状態で、相当無理やり・ウソまで沢山ついて誘致して決めた末に、色々不正や問題が起こっても、マスコミを抱き込んでるもんだから日本国内だけ力技で押し切る。と言う事をやりすぎてるんですよね。
 私自身は最初からオリンピックに反対だし、開催地を決める時にテレビで生中継してるのを(「他の所になってほしい」と祈りつつ)見ててウソを並べて誘致してるのを見て、本当に情けなくなったのを思い出すんですが、その後の国会でも、山本太郎参議院議員以外、全ての議員・全ての会派がオリンピックを開くのに賛成をしたのを見て、この人達は、一体何が大事なんだろうか。国会の根回しばかりでロクに議論もしないで…。と更に嫌な気持ちになったのを思い出した訳ですよ。

ひどいことしかなくて人々にメリットがない、2020東京オリンピック

で、今回の東京オリンピック、非常に問題があるわけですよ

  • 数千億円で済ませる「コンパクト五輪」と言いながら、実際には数兆円規模になってる。
  • 一度決まった国立競技場の建て替えデザインを、色々いちゃもんつけてボツにして、その時あった競技場をすぐに取り壊した末に、もっと高価な建物を立てると言い出した。
  • その競技場の建て替えで、都営住宅が取り壊されて、多くの人が追い出されたり、ホームレスの人が追い出されたりなど散々なことになってる。
  • エンブレムデザインにしても、「上級国民」の人が他人のデザインをパクったような物を出して選ばれて、それが指摘されたら白紙にして、それからよくわからない過程で別の人のデザインになった。
  • 電通が最初から噛んでて、新聞やテレビなども巻き込んでる格好になってるので、反対してる人がマスコミで無視されるだけでなく、問題が生じても、なかなか報道されない状態が続いてる。
  • 安倍総理が「原発事故はアンダーコントロールされてる」などと、もう、原発事故が終わったかのようにして演説してたけど、実際にはなんにも解決してないどころか、ひどい話が見えなくされてるだけになってる。
  • オリンピックを誘致するために、多額の裏金をIOC関係者に賄賂としてばらまき、フランスの警察などがマネーロンダリングやヤクザへの利益供与を疑って捜査を続けてる始末。
  • 交通がパンクする上に、人手不足をボランティアといいつつ無理やり引っ張ってきた学生にタダ働きさせてしのごうとしてる。
  • 猛暑で多分死人や病人が沢山出る…。

まだまだ問題は挙げられますが、キリがないのでやめておきますね。

オリンピックは、上級国民の悪どい金儲けの手段になってる。

 昔から・それこそ80年代辺りから、オリンピックは猛烈なお金が飛び交う「ビジネス」とされてきた訳ですよ。そして、オリンピックによって業者が潤うだけでなく、後先考えないで税金をつぎこんで、残ったのが廃墟しか無くなったりする事や、治安目的で警察が無法・やりたい放題を繰り返した末に、オリンピックの後は経済的に破綻して、結局地域や国が荒れ果てるだけだった。ということも、珍しくない訳です。
murakumo25.com
gigazine.net
 だから、オリンピックでそういうことになったのを経験した多くの国では、オリンピックに名乗りを上げるのをやらなくなってる訳ですが、日本の場合は、それで儲かる人が上の方にだけ沢山いるから、度々オリンピックの誘致に動いてる訳です。
 オリンピックを理由にして、警察も役所も、風俗全体の取り締まりを厳しくしてもいる。漫画のエロ表現の取り締まりが厳しくなったり、風俗街で今までやってなかったような「根絶やし」的な取り締まりを繰り返したり。その事で、生活が壊されたり、表現が壊されたりする人達が、猛烈に出始めてもいる。
 今、多くの人が生活に苦しんだり、仕事で厳しいことをやらされ・安い給料と長過ぎる勤務時間を押し付けられ、病気になって壊れる人すら珍しくなくなってる訳ですよ。そのような状況で、何兆円もオリンピックに費やしておきながら・タダ働き頼りだという所からして途中でお金を殆ど抜き取ってる人達がいるとしか言いようがないのですが、とにかく、苦しんでる人達を置き去りにして、オリンピックをやってる余裕なんか、この国にはないと思うんですよ。

 結局、上級国民の・元々カネを持ってて生まれながらにして社会的地位やコネが豊富にあるような人達や、とにかく人々を縛りに縛って何も出来ないようにする事が「正義」なんだと疑ってない警察などのお役人や政治家の人達が、やりたい放題や不法に近い金儲け・税金を吸い取るような金儲けをしつつ、それに文句を言わせない。不都合な話をスルーさせる。と言う、上級国民のボーナスステージとして、オリンピックが行われてしまってるわけですよ。これは、日本に限らず、21世紀に入る少しから・長野大会以降の全てのオリンピックがそういう風になってしまってる。

 野党にせよ与党にせよ、そういう部分を見抜けなかったのか、それとも「空気」に歯向かうのが怖くてなのかはともかく、大半の政党と政治家が、オリンピックの長年の問題を見ないふりをして?賛成したし、マスコミでも、殆どがそうだった。
 ネットで反対だと言う人達には、もれなく袋叩きがされたのが、オリンピックが東京に決まった当時の状況でしたが、最近になって、やっと眼が冷めてきてるようです。覚めてるんではなく、冷めてる。
 最近になって、殺人的な猛暑の問題が表に出てきたことで、やっと、多くの人が「実は反対してた」「やっぱしやめようよ」と言い出してくれてる。遅いと言えば遅いですが、まだ後、二年はあります。

今こそ、「決まったんだから文句言うな」と言う空気を崩せる状況になり始めてる。

 特に野党の政治家の人達や、その支持者の人たちに呼びかけたいのは、「なんで賛成したか」は問わないか問うにしても後にして、とにかく「こんなはずじゃなかった」「騙された」とおおっぴらに言って、東京オリンピックの中止を呼びかけると同時に、次の参議院選挙や衆議院選挙で、オリンピックの中止を大きな公約に掲げてほしいし、政党の周りの人達はそれを政党にお願いし続けてほしいと思います。
 そして、その外側の人たちは、「オリンピックなんていいことがない」「こんなにカネが使われるとは聞いてない」「生活が苦しいのに、何ヶ月も苦しめられるのか」などなど、どうか、自分の言葉で表に出して、身の回りの人達と話をしてみたり、同じ思いの人で繋がったりして、今のオリンピックに賛成しないとダメだみたいな空気を崩していきましょう。政党にも働きかけ、マスコミにも「反対論や問題点を取り上げろ」と言っていきましょう。
 勇気をだして開催反対を言ってくれたマスコミや有名人や政治家に対して、私達ができる形でできる範囲で支えて、孤立させないようにしないといけないとも思います。

 今までの…長野オリンピックのときのような…、「とにかく決まったから文句言うな」と言う形で「賛成しなきゃ非国民」みたいな空気は、崩れ始めてると思います。今こそ、そんな、他のことでも何度も繰り返されてきた「決まったから文句言うな」を、崩していくことが、後々私達にとっていい財産になるとも、思いますので